江戸川乱歩 屋根裏の散歩者⑦

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(てんじょうからのすきみというものが、どれほどいようなきょうみのあるものだかは、)

天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、

(じっさいやってみたひとでなければ、おそらくそうぞうもできますまい。たとえ、)

実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。たとえ、

(そのしたにべつだんのじけんがおこっていなくても、だれもみているものがないとしんじて、)

その下に別段の事件が起こっていなくても、誰も見ているものがないと信じて、

(そのほんしょうをさらけだしたにんげんというものをかんさつすることだけで、)

その本性をさらけ出した人間というものを観察することだけで、

(じゅうぶんおもしろいのです。よくちゅういしてみますと、あるひとびとは、)

十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、

(そのそばにたにんのいるときと、ひとりきりのときとでは、たちいふるまいはもちろん、)

その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論、

(そのかおのそうごうまでが、まるでかわるものだということをはっけんして、かれは)

その顔の相好までが、まるで変わるものだということを発見して、彼は

(すくなからずおどろきました。それに、ふだん、よこからおなじすいへいせんでみるのとちがって、)

少なからず驚きました。それに、普段、横から同じ水平線で見るのと違って、

(まうえからみおろすのですから、この、めのかくどのそういによって、)

真上から見下ろすのですから、この、目の角度の相違によって、

(あたりまえのざしきが、ずいぶんいようなけしきにかんじられます。にんげんは)

あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は

(あたまのてっぺんやりょうかたが、ほんばこ、つくえ、たんす、ひばちなどは、そのじょうほうのめんだけが、)

頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥、火鉢などは、その上方の面だけが、

(しゅとしてめにうつります。そして、かべというものは、ほとんどみえないで、)

主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、

(そのかわりに、すべてのしなもののばっくには、たたみがいっぱいにひろがっているのです。)

その代わりに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡がっているのです。

(なにごとがなくても、こうしたきょうみがあるうえに、そこには、おうおうにして、)

何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々にして、

(こっけいな、ひさんな、あるいはものすごいこうけいが、てんかいされています。)

滑稽な、悲惨な、或いは物凄い光景が、展開されています。

(ふだんかげきなはんしほんしゅぎのぎろんをはいているかいしゃいんが、だれもみていないところでは、)

普段過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、

(もらったばかりのしょうきゅうのじれいを、おりかばんからだしたり、しまったり、)

貰ったばかりの昇給の辞令を、折鞄から出したり、しまったり、

(いくどもいくども、あかずうちながめてよろこんでいるこうけい、)

幾度も幾度も、飽かず打ち眺めて喜んでいる光景、

(ぞろりとしたおめしのきものをふだんぎにして、はかないごうしゃぶりをしめしている、)

ゾロリとしたお召の着物を不断着にして、果敢ない豪奢振りを示している、

(あるそうばしが、いざとこにつくときには、その、ひるまはさもむぞうさに)

ある相場師が、いざ床につく時には、その、昼間はさも無造作に

など

(きこなしていたきものを、おんなのように、ていねいにたたんで、とこのしたへしくばかりか、)

着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、

(しみでもついたのとみえて、それをたんねんにくちでなめて--おめしなどの)

しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗めて--お召などの

(ちいさなよごれは、くちでなめとるのがいちばんいいのだといいます--いっしゅの)

小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます--一種の

(くりーにんぐをやっているこうけい、)

クリーニングをやっている光景、

(なになにだいがくのやきゅうのせんしゅだというにきびづらのせいねんが、うんどうかにもにあわない)

何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない

(おくびょうさをもって、じょちゅうへのつけぶみを、たべてしまったゆうしょくのおぜんのうえへ、)

臆病さを以て、女中への附け文を、食べてしまった夕食のお膳の上へ、

(のせてみたり、おもいかえして、ひっこめてみたり、またのせてみたり、)

のせて見たり、思い返して、引っ込めて見たり、又のせて見たり、

(もじもじとおなじことをくりかえしているこうけい、)

モジモジと同じことを繰返している光景、

(なかには、だいたんにも、いんばいふ(?)をひきいれて、ここにかくことをはばかるような、)

中には、大胆にも、イン売婦(?)を引入れて、ここに書くことを憚る様な、

(すさまじいきょうたいをえんじているこうけいさえも、)

すさまじい狂態を演じている光景さえも、

(だれはばからず、みたいだけみることができるのです。)

誰憚らず、見たいだけ見ることが出来るのです。

(さぶろうはまた、ししゅくにんとししゅくにんとの、かんじょうのかっとうをけんきゅうすることに、)

三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤を研究することに、

(きょうみをもちました。おなじにんげんが、あいてによって、さまざまにたいどをかえていくありさま、)

興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、

(いまのさきまで、えがおではなしあっていたあいてを、となりのへやへきては、まるで)

今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで

(ふぐたいてんのあだででもあるようにののしっているものもあれば、こうもりのように、)

不俱戴天の仇ででもある様に罵っている者もあれば、蝙蝠の様に、

(どちらへいっても、つごうのいいおざなりをいって、かげでぺろりと)

どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと

(したをだしているものもあります。そして、それがおんなのししゅくにん--とうえいかんのにかいには)

舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人--東栄館の二階には

(ひとりのおんなががくせいがいたのです--になるといっそうきょうみがあります。)

一人の女画学生がいたのです--になると一層興味があります。

(「こいのさんかくかんけい」どころではありません。ごかくろっかくと、ふくざつしたかんけいが、)

「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、

(てにとるようにみえるばかりか、きょうそうしゃたちのだれもしらない、ほんにんのしんいが、)

手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰も知らない、本人の真意が、

(きょくがいしゃの「やねうらのさんぽしゃ」にだけ、はっきりとわかるではありませんか。)

局外者の「屋根裏の散歩者」にだけ、ハッキリと分るではありませんか。

(おとぎばなしにかくれみのというものがありますが、てんじょううらのさぶろうは、いわば)

お伽話に隠れ蓑というものがありますが、天井裏の三郎は、云わば

(そのかくれみのをきているもどうぜんなのです。)

その隠れ蓑を着ているも同然なのです。

(もしそのうえ、たにんのへやのてんじょういたをはがして、そこへしのびこみ、)

もしその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、

(いろいろないたずらをやることができたら、いっそうおもしろかったでしょうが、)

色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、

(さぶろうには、そのゆうきがありませんでした。そこには、さんけんにいっかしょくらいのわりあいで、)

三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、

(さぶろうのへやのとどうように、いしころでおもしをしたぬけみちが)

三郎の部屋のと同様に、石塊(いしころ)で重しをした抜け道が

(あるのですから、しのびこむのはぞうさもありませんけれど、)

あるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、

(いつへやのあるじがかえってくるかしれませんし、そうでなくとも、まどはみな、)

いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、

(とうめいながらすしょうじになっていますから、そとからみつけられるきけんもあり、)

透明なガラス障子になっていますから、外から見つけられる危険もあり、

(それに、てんじょういたをめくっておしいれのなかへおり、ふすまをあけてへやにはいり、)

それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、

(またおしいれのたなへよじのぼって、もとのやねうらへかえる、そのかんには、どうかして)

又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして

(ものおとをたてないとはかぎりません。それをろうかやりんしつからきづかれたら、)

物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、

(もうおしまいなのです。)

もうおしまいなのです。

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