江戸川乱歩 屋根裏の散歩者⑨
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問題文
(よん)
四
(そうして、えんどうのねがおをみているうちに、さぶろうはふとみょうなことをかんがえました。)
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。
(それは、そのふしあなからつばをはけば、ちょうどえんどうのおおきくひらいたくちのなかへ、)
それは、その節穴から唾を吐けば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、
(うまくはいりはしないかということでした。なぜなら、かれのくちは、)
うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、
(まるであつらえでもしたように、ふしあなのましたのところにあったからです。)
まるで誂えでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。
(さぶろうはものずきにも、ももひきのしたにはいていた、さるまたのひもをぬきだして、それを)
三郎は物好きにも、股引の下に穿いていた、猿股の紐を抜出して、それを
(ふしあなのうえにすいちょくにたらし、かためをひもにくっつけて、ちょうどじゅうのしょうじゅんでも)
節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも
(さだめるように、ためしてみますと、ふしぎなぐうぜんです。ひもとふしあなと、えんどうのくちとが、)
定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、
(まったくいってんにみえるのです。つまりふしあなからつばをはけば、かならずかれのくちへ)
全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ
(おちるにそういないことがわかったのです。)
落ちるに相違ないことが分ったのです。
(しかし、まさかほんとうにつばをはきかけるわけにもいきませんので、)
しかし、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、
(さぶろうは、ふしあなをもとのとおりにうめておいて、たちさろうとしましたが、)
三郎は、節穴を元の通りに埋めて置いて、立去ろうとしましたが、
(そのとき、ふいに、ちらりとあるおそろしいかんがえが、かれのあたまにひらめきました。)
その時、不意に、チラリとある恐ろしい考えが、彼の頭に閃きました。
(かれはおもわず、やねうらのくらやみのなかで、まっさおになって、ぶるぶるとふるえました。)
彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真っ青になって、ブルブルと震えました。
(それはじつに、なんのうらみもないえんどうをさつがいするというかんがえだったのです。)
それは実に、何の恨みもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
(かれはえんどうにたいしてなんのうらみもないばかりか、まだしりあいになってから、)
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、
(はんつきもたってはいないのでした。それも、ぐうぜんふたりのひっこしが)
半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが
(おなじひだったものですから、それをえんに、にさんどへやをたずねあったばかりで)
同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで
(べつにふかいこうしょうがあるわけではないのです。では、なにゆえそのえんどうを、)
別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故(なにゆえ)その遠藤を、
(ころそうなどとかんがえたかといいますと、いまもいうように、かれのようぼうやげんどうが、)
殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、
(なぐりつけたいほどむしがすかぬということも、たしょうはてつだっていましたけれど、)
殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、
(さぶろうのこのかんがえのしゅたるどうきは、あいてのじんぶつにあるのではなくて、)
三郎のこの考えの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、
(たださつじんこういそのもののきょうみにあったのです。せんからおはなししてきたとおり、)
ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、
(さぶろうのせいしんじょうたいはひじょうにへんたいてきで、はんざいしこうへきともいうべきびょうきをもってい、)
三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、
(そのはんざいのなかでもかれがもっともみりょくをかんじたのはさつじんざいなのですから、)
その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、
(こうしたかんがえのおこるのもけっしてぐうぜんではないのです。ただいままでは、)
こうした考えの起こるのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、
(たとえしばしばさついをしょうずることがあっても、つみのはっかくをおそれて、)
たとえしばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、
(いちどもじっこうしようなどとおもったことがないばかりなのです。)
一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
(ところが、いまえんどうのばあいは、ぜんぜんうたがいをうけないで、はっかくのうれいなしに、)
ところが、今遠藤の場合は、全然疑いを受けないで、発覚の憂いなしに、
(さつじんがおこなわれそうにおもわれます。わがみにきけんさえなければ、)
殺人が行われそうに思われます。我が身に危険さえなければ、
(たとえあいてがみずしらずのにんげんであろうと、さぶろうはそんなことを)
たとえ相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを
(こりょするのではありません。むしろ、そのさつじんこういが、ざんぎゃくであればあるほど、)
顧慮するのではありません。寧ろ、その殺人行為が、残虐であればある程、
(かれのいじょうなよくぼうは、いっそうまんぞくさせられるのでした。それでは、)
彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、
(なぜえんどうにかぎって、さつじんざいがはっかくしない--すくなくともさぶろうがそう)
何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない--少なくとも三郎がそう
(しんじていたか--といいますと、それには、つぎのようなじじょうがあったのです。)
信じていたか--といいますと、それには、次の様な事情があったのです。