ヨハネ福音書 5章 part②
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問題文
(それは、わたしじしんのかんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、)
それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、
(みむねをもとめているからである。もしわたしがじぶんじしんについてあかしをするならば、)
み旨を求めているからである。もし私が自分自身についてあかしをするならば、
(わたしのあかしはほんとうではない。わたしについてあかしをするかたはほかにあり、)
私のあかしはほんとうではない。私についてあかしをするかたはほかにあり、
(そして、そのひとがするあかしがほんとうであることを、わたしはしっている。)
そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。
(あなたがたはよはねのもとへひとをつかわしたが、)
あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、
(そのときかれはしんりについてあかしをした。)
そのとき彼は真理についてあかしをした。
(わたしはひとからあかしをうけないが、)
わたしは人からあかしを受けないが、
(このことをいうのは、あなたがたがすくわれるためである。)
このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
(よはねはもえてかがやくあかりであった。)
ヨハネは燃えて輝くあかりであった。
(あなたがたは、しばらくのあいだそのひかりをよろこびたのしもうとした。)
あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
(しかし、わたしには、よはねのあかしよりも、もっとちからあるあかしがある。)
しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。
(ちちがわたしにじょうじゅさせようとしておあたえになったわざ、すなわち、いまわたしが)
父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしが
(しているこのわざが、ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。)
しているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
(また、わたしをつかわされたちちも、ごじぶんでわたしについてあかしをされた。)
また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。
(あなたがたは、まだそのみこえをきいたこともなく、そのみすがたをみたこともない。)
あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
(また、かみがつかわされたものをしんじないから、)
また、神がつかわされた者を信じないから、
(かみのみことばはあなたがたのうちにとどまっていない。)
神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
(あなたがたは、せいしょのなかにえいえんのいのちがあるとおもってしらべているが、)
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、
(このせいしょは、わたしについてあかしをするものである。)
この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(しかも、あなたがたは、いのちをえるためにわたしのもとにこようともしない。)
しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
(わたしはひとからのほまれをうけることはしない。)
わたしは人からの誉を受けることはしない。
(しかし、あなたがたのうちにはかみをあいするあいがないことをしっている。)
しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
(わたしはちちのなによってきたのに、あなたがたはわたしをうけいれない。)
わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。
(もしほかのひとがかれじしんのなによってくるならば、そのひとをうけいれるのであろう。)
もし他の人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
(たがいにほまれをうけながら、ただひとりのかみからのほまれをもとめようとしないあなたがたは)
互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは
(どうしてしんじることができようか。)
どうして信じることができようか。
(わたしがあなたがたのことをちちにうったえると、かんがえてはいけない。)
わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。
(あなたがたをうったえるものは、あなたがたがたのみとしているもーせそのひとである。)
あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
(もし、あなたがたがもーせをしんじたならば、わたしをもしんじたであろう。)
もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。
(もーせは、わたしについてかいたのである。)
モーセは、わたしについて書いたのである。
(しかし、もーせのかいたものをしんじないならば、)
しかし、モーセの書いたものを信じないならば、
(どうしてわたしのことばをしんじるだろうか。)
どうしてわたしの言葉を信じるだろうか。