日本史:奈良時代1

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(618ねんずいにかわってちゅうごくをとういつしたとうはあじあにだいていこくをきずきこうだいな)

618年、隋に代わって中国を統一した唐は、アジアに大帝国を築き、広大な

(りょういきをしはいしてしゅうへんちいきにおおきなえいきょうをあたえたにしあじあとのこうりゅうもさかんに)

領域を支配して周辺地域に大きな影響を与えた。西アジアとの交流も盛んに

(なりみやこのちょうあんはせかいてきなとしとしてこくさいてきなぶんかがはなひらいた)

なり、都の長安は世界的な都市として国際的な文化が花開いた。

(ひがしあじあのしょこくもとうとつうこうするようになりにほんからのけんとうしは8せいきには)

東アジアの諸国も唐と通交するようになり、日本からの遣唐使は8世紀には

(ほぼ20ねんに1どのわりあいではけんされたけんとうしのこうろははじめほくろをとったが)

ほぼ20年に1度の割合で派遣された。遣唐使の航路ははじめ北路を取ったが、

(しらぎとのかんけいがあっかした8せいきいこうにはよりきけんななんろをとったため)

新羅との関係が悪化した8世紀以降にはより危険な南路をとったため、

(かいじょうでのそうなんもおおかったけんとうしたちはとうからせんしんてきなせいじせいどやこくさいぶんかを)

海上での遭難も多かった。遣唐使たちは唐から先進的な政治制度や国際文化を

(もたらしにほんにおおきなえいきょうをあたえたとくにきこくしたきびのまきびやげんぼうはのちの)

齎し、日本に大きな影響を与えた。特に帰国した吉備真備や玄昉は、のちの

(しょうむてんのうにちょうようされてせいかいでもかつやくしたちょうせんはんとうをとういつしたしらぎともおおくの)

聖武天皇に重用されて政界でも活躍した。朝鮮半島を統一した新羅とも多くの

(しせつがおうらいしたがにほんはこくりょくをじゅうじつさせたしらぎをじゅうぞくこくとしてあつかおうと)

使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうと

(したためときにはきんちょうがしょうじた8せいきまつになるとけんしらぎしのはけんはまばらに)

したため、時には緊張が生じた。8世期末になると遣新羅使の派遣はまばらに

(なるががいこうとはべつにみんかんしょうにんたちのおうらいはよりさかんになったいっぽうほっぽうの)

なるが、外交とは別に民間商人たちの往来はより盛んになった。一方、北方の

(まっかつぞくやきゅうこうくりじんをちゅうしんにけんこくされたぼっかいとにほんとの)

靺鞨族や旧高句麗人を中心に建国された渤海と日本との

(あいだではしんみつなしせつのおうらいがおこなわれたぼっかいはとうしらぎとのたいこうかんけいから)

間では、親密な使節の往来が行われた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から

(727ねんににほんにしせつをはけんしてにほんにこっこうをもとめにほんもしらぎとのたいこうかんけい)

727年に日本に使節を派遣して日本に国交を求め、日本も新羅との対抗関係

(からぼっかいとゆうこうてきにつうこうした710ねんげんめいてんのうはふじわらきょうから)

から、渤海と友好的に通交した。710年、元明天皇は藤原京から

(ならぼんちほくぶのへいじょうきょうへとせんとしたこののちやましろこくのながおかきょうへいあんきょうに)

奈良盆地北部の平城京へと遷都した。こののち、山背国の長岡京・平安京に

(せんとするまでをならじだいというへいじょうきょうはとうのみやこちょうあんにならいごばんのめじょうに)

遷都するまでを奈良時代という。平城京は唐の都長安に倣い、碁盤の目状に

(とうざいなんぼくにはしるどうろでくかくされるじょうぼうせいをもつとしであったみやこはちゅうおうを)

東西・南北に走る道路で区画される条坊制を持つ都市であった。都は中央を

(なんぼくにはしるすざくおおじでひがしのさきょうとにしのうきょうとにわけられほくぶちゅうおうには)

南北に走る朱雀大路で東の左京と西の右京とに分けられ、北部中央には

など

(へいじょうきゅうがいちしたへいじょうきょうにはてんのうのせいかつのばであるだいりせいむぎれいのば)

平城宮が位置した。平城京には天皇の生活の場である内裏、政務・儀礼の場

(であるだいごくでんちょうどういんそしてにかんはっしょうなどのかんちょうがおかれていた)

である大極殿・朝堂院、そして二官・八省などの官庁が置かれていた。

(さきょううきょうにはかんえいのいちがもうけられいちのつかさがこれをかんとくした708ねん)

左京・右京には官営の市が設けられ、市司がこれを監督した。708年、

(むさしこくからどうがけんじょうされるとせいふはねんごうをわどうとあらため7せいきのてんむてんのうじだい)

武蔵国から銅が献上されると政府は年号を和銅と改め、7世紀の天武天皇時代

(のふほんせんにつづけてとうにならいわどうかいちんをちゅうぞうしたせいふはさらにそのりゅうつうを)

の富本銭に続けて、唐に倣い和同開珎を鋳造した。政府はさらにその流通を

(をめざしてちくせんじょいれいをはっしたもののあまりこうかはなかったちゅうおうとちほう)

を目指して蓄銭叙位令を発したものの、あまり効果はなかった。中央と地方

(みやこをむすぶこうつうせいどとしてはみやこをかこむきないをちゅうしんにしちどうのしょこくふへのびるかんどう)

都を結ぶ交通制度としては、都を囲む畿内を中心に七道の諸国府へ伸びる官道

(がせいびされやく16kmごとにうまやをもうけるえきせいがしかれかんりがこうようにりよう)

が整備され、約16kmごとに駅家を設ける駅制が敷かれ、官吏が公用に利用

(したちほうではえきろとはなれてぐうけなどをむすぶみちがこうつうたいけいのあみめをこうせいした)

した。地方では駅路と離れて郡家などを結ぶ道が交通体系の網目を構成した。

(にんきのあるこくしとちがってでんとうてきなしゅうしんせいでにんめいされたぐんじによりじっさいの)

任期のある国司と違って伝統的な終身制で任命された郡司により実際の

(みんしゅうしはいがてんかいしたとおもわれるぐうけのいせきからももっかんぼくしょどきなどの)

民衆支配が展開したと思われる。郡家の遺跡からも木簡・墨書土器などの

(もじしりょうがしゅつどしりつりょうせいのぶんしょしゅぎにもとづきかんじぶんかがちほうにもてんかいした)

文字資料が出土し、律令制の文書主義に基づき漢字文化が地方にも展開した

(ようすがしられるせいふはてっせいののうぐやすすんだかんがいぎじゅつをもちいてこうちのかくだい)

様子が知られる。政府は、鉄製の農具や進んだ灌漑技術を用いて高地の拡大

(にもつとめながとのどうむつのきんなどのこうぶつしげんのさいくつもこっかしゅどうでおこなわれた)

にもつとめ、長門の銅、陸奥の金などの鉱物資源の採掘も国家主導で行われた。

(りつりょうにもとづくこっかたいせいがじつげんしじゅうじつしたちからをもったちゅうおうせいふはしはいりょういき)

律令に基づく国家体制が実現し、充実した力を持った中央政府は、支配領域

(のかくだいにもつとめたせいふがえみしとよんだとうほくちほうにすむひとびとにたいしとうの)

の拡大にも努めた。政府が蝦夷と呼んだ東北地方に住む人々に対し、唐の

(こうくりこうげきによりたいがいてききんちょうがたかまった7せいきなかばににほんかいがわにぬたりのさく)

高句麗攻撃により対外的緊張が高まった7世紀半ばに日本海側に渟足柵・

(いわふねのさくがもうけられたさいめいてんのうのじだいにはあべのひらふがつかわされ)

磐舟柵が設けられた。斉明天皇の時代には阿倍比羅夫が遣わされ、

(あきたちほうなどさらにほっぽうのえみしとかんけいをむすんだしかしせいふのしはいりょういきは)

秋田地方などさらに北方の蝦夷と関係を結んだ。しかし、政府の支配領域は

(まだにほんかいぞいのきょてんにとどまっていた8せいきになるとえみしにたいする)

まだ日本海沿いの拠点にとどまっていた。8世紀になると蝦夷に対する

(ぐんじてきなせいあつせいさくもすすめられたにほんかいがわには712ねんにでわこくがおかれ)

軍事的な制圧政策も進められた。日本海側には712年に出羽国がおかれ、

(ついであきたじょうがきずかれたいへいようがわにも7せいきこうきのじょうさくにつづけてむつこくふと)

ついで秋田城が築かれ、太平洋側にも7世紀後期の城柵に続けて陸奥国府と

(なるたがじょうがきずかれてそれぞれでわむつのせいじやえみしたいさくのきょてんと)

なる多賀城が築かれて、それぞれ出羽・陸奥の政治や蝦夷対策の拠点と

(なったいっぽうみなみきゅうしゅうのはやととよばれたひとびとのちいきにはていこうをせいあつして)

なった。一方、南九州の隼人と呼ばれた人々の地域には、抵抗を制圧して

(8せいきはじめにさつまこくついでおおすみこくがおかれたねがしまやくしまもぎょうせいくかくか)

8世紀初めに薩摩国ついで大隅国が置かれ、種子島・屋久島も行政区画化

(されるなどなんせいしょとうのしまじまもせいふにさんぶつをこうけんするかんけいにはいった)

されるなど南西諸島の島々も政府に産物を貢献する関係に入った。

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