ツルゲーネフ はつ恋 ⑦

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(こねこはかぼそいなきごえをたてると、ゆかをかぎはじめた。)

子猫はかぼそい鳴き声を立てると、床を嗅ぎ始めた。

(「おなかがすいてるのね!」と、じないーだはさけんでーー)

「おなかがすいてるのね!」と、ジナイーダは叫んでーー

(「ヴぉにふぁーちぃ、そーにゃ!ぎゅうにゅうをもってきて」)

「ヴォニファーチィ、ソーニゃ!牛乳を持って来て」

(こまづかいは、ふるぼけたきいろいふくに、いろのさめたねっかちーふをくびにまいて、)

小間使いは、古ぼけた黄色い服に、色のさめたネッカチーフを首に巻いて、

(ぎゅうにゅうのこざらをてにはいってくると、そのさらをこねこのまえにおいた。)

牛乳の小皿を手に入ってくると、その皿を子猫の前に置いた。

(こねこはぴくりとみぶるいして、めをほそめ、ぴちゃぴちゃなめだした。)

子猫はぴくりと身震いして、眼を細め、ぴちゃぴちゃなめだした。

(「まあ、ばらいろのちっちゃなした」と、じないーだは、あたまがゆかにとどかんばかりに)

「まあ、バラ色の小っちゃな舌」と、ジナイーダは、頭が床に届かんばかりに

(みをかがめ、よこあいからねこのはなのしたをのぞきこみながら、そうしてきした。)

身をかがめ、横合いから猫の鼻の下をのぞきこみながら、そう指摘した。

(こねこはおなかがくちくなると、すましかえってまえあしをかわるがわるうごかしながら、)

子猫はおなかがくちくなると、すまし返って前足をかわるがわる動かしながら、

(のどをならしはじめた。じないーだはたちあがって、こまづかいのほうをふりむくと、)

喉を鳴らし始めた。ジナイーダは立ち上がって、小間使いの方を振り向くと、

(へいきなこえで、「あっちへもっておいで」といった。)

平気な声で、「あっちへ持っておいで」と言った。

(「こねこのほうびにーーおてを」と、けいきへいは、にやりとわらうと、)

「子猫の褒美にーーお手を」と、軽騎兵は、にやりと笑うと、

(しんちょうのぐんぷくにきっちりしめあげられたたくましいぜんしんを、ぐいとそりかえらせた。)

新調の軍服にきっちり締め上げられた逞しい全身を、ぐいと反り返らせた。

(「りょうほうよ」と、じないーだはこたえて、かれにりょうてをさしのべた。)

「両方よ」と、ジナイーダは答えて、彼に両手を差し伸べた。

(けいきへいがきすしているあいだ、かのじょはかたごしにわたしをみていた。)

軽騎兵がキスしている間、彼女は肩越しにわたしを見ていた。

(わたしはひとところにじっとたったままーーいったいわらったものか、)

わたしは一ところにじっと立ったままーーいったい笑ったものか、

(なにかいったものか、それともこのままだまっていたものか、)

何か言ったものか、それともこのまま黙っていたものか、

(それがわからなかった。するととつぜん、ひかえしつのあけっぱなしのどあごしに、)

それがわからなかった。すると突然、控室のあけっぱなしのドア越しに、

(うちのげなんのふょーどるのすがたがめにうつった。わたしになにかをあいずしている。)

うちの下男のフョードルの姿が眼に映った。わたしに何かを合図している。

(わたしはなにげなくでていった。「なんだい!」と、わたしはきいた。)

わたしは何気なく出て行った。「なんだい!」と、わたしは訊いた。

など

(「おかあさまがおよびするようにおっしゃいましたんで」と、かれはひそひそごえで、)

「お母様がお呼びするようにおっしゃいましたんで」と、彼はひそひそ声で、

(ーー「あなたさまがへんじをもっておかえりにならないので、)

ーー「あなた様が返事を持ってお帰りにならないので、

(たいそうおはらだちでございますよ」「でもぼく、そんなにながいしたかい?」)

大層お腹立ちでございますよ」「でも僕、そんなに長居したかい?」

(「いちじかんのあまりになります」「いちじかんのあまり!」)

「一時間の余になります」「一時間の余!」

(と、おもわずわたしはおうむがえしにいって、きゃくまへひきかえすと、)

と、思わずわたしは鸚鵡返しに言って、客間へ引返すと、

(おじぎしたりあしずりしたりしはじめた。)

お辞儀したりあしずりしたりし始めた。

(「どこへいらっしゃるの?」)

「どこへいらっしゃるの?」

(とこうしゃくれいじょうが、けいきへいのうしろからかおをのぞかせてきいた。)

と侯爵令嬢が、軽騎兵の後ろから顔をのぞかせて聞いた。

(「ぼく、うちへかえらなくちゃならないのです。じゃ、こうもうしましょうか」)

「僕、うちへ帰らなくちゃならないのです。じゃ、こう申しましょうか」

(と、ろうふじんにむかっていいそえた。ーー「いちじすぎにおみえになりますって」)

と、老夫人に向って言い添えた。ーー「一時過ぎにおみえになりますって」

(「そうね、そうもうしあげてください、ぼっちゃん」)

「そうね、そう申し上げて下さい、坊ちゃん」

(こうしゃくふじんがあわただしくたばこいれをだして、うるさいおとをたててかぎはじめたので)

侯爵夫人があわただしく煙草入れを出して、うるさい音を立てて嗅ぎ始めたので

(わたしはぎょっとしたほどだった。--「そうもうしあげてください」)

わたしはぎょっとしたほどだった。--「そう申し上げて下さい」

(と、かのじょは、うるんだめでまばたきして、ふんふんうなりながらくりかえした。)

と、彼女は、うるんだ眼でまばたきして、ふんふん唸りながら繰り返した。

(わたしはもういっぺんおじぎをすると、くるりとまわれみぎをしてへやからでたが、)

わたしはもう一遍お辞儀をすると、くるりと回れ右をして部屋から出たが、

(てれくさいかんじがせなかをはっていた。)

照れくさい感じが背中を這っていた。

(うしろからみられているとき、ごくわかいひとがかんじるあれである。)

後ろから見られている時、ごく若い人が感じるあれである。

(「よくって、むっしゅーヴぉるでまーる、またあそびにいらっしゃいね」)

「よくって、ムッシュー・ヴォルデマール、また遊びにいらっしゃいね」

(と、じないーだはさけぶと、またおおごえでわらいだした。)

と、ジナイーダは叫ぶと、また大声で笑い出した。

(なぜあのひとはわらってばかりいるんだろう?と、わたしは、かえるみちみちかんがえた。)

なぜあの人は笑ってばかりいるんだろう?と、わたしは、帰るみちみち考えた。

(おともにはふょーどるが、ひとこともわたしにはなしかけずに、)

お共にはフョードルが、一言もわたしに話しかけずに、

(ふふくらしいようすでうしろからついてくる。はははわたしをしかりつけて、)

不服らしい様子で後ろからついてくる。母はわたしを叱りつけて、

(あのこうしゃくふじんなんかのところでなにをいつまでしていたんだろうと、あきれかえっていた。)

あの侯爵夫人なんかの所で何をいつまでしていたんだろうと、呆れ返っていた。

(わたしはなんともこたえずに、じぶんのへやへひっこんだ。)

わたしは何とも答えずに、自分の部屋へ引っ込んだ。

(するととつぜんひどくかなしくなった。・・・わたしはなくまいとけんめいになった。)

すると突然ひどく悲しくなった。・・・わたしは泣くまいと懸命になった。

(・・・あのけいきへいがねたましかったのである。)

・・・あの軽騎兵がねたましかったのである。

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