ああ玉杯に花うけて 第二部 5

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プレイ回数495難易度(4.4) 3957打 長文
佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」です
長文です。現在では不適切とされている表現を含みます。

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問題文

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(まちのかどに・・・・・・はたしてせいばんがたっていた。)

町の角に……はたして生蕃が立っていた。

(「やい」とせいばんはちばしっためでちびこうをにらんだ。)

「やい」と生蕃は血走った目でチビ公をにらんだ。

(「おまえにくわせるとうふはないぞ」とちびこうはこうぜんといった。)

「おまえに食わせる豆腐はないぞ」とチビ公は昂然といった。

(「なにを?」せいばんはびっくりしてさけんだがつぎのくがつげなかった、)

「なにを?」生蕃はびっくりして叫んだがつぎの句がつげなかった、

(かれはいつもなみだぐんでぺこぺこあたまをさげるちびすけが、)

かれはいつも涙ぐんでぺこぺこ頭を下げるチビ助が、

(しかもさくやかれのおじがおれのちちをなぐったことをしってるちびすけが、)

しかも昨夜かれの伯父がおれの父をなぐったことを知ってるチビ助が、

(ふくしゅうのおそれもかんぜずにいつもよりゆうかんなのをみると、)

復讐のおそれも感ぜずにいつもより勇敢なのを見ると、

(じっさいこれほどふしぎなげんしょうはないのであった。)

実際これほどふしぎな現象はないのであった。

(「まてっ」「まっていられないよ、あしたのあさまたあおうね」)

「待てッ」「待っていられないよ、明日の朝またあおうね」

(ちびこうはずんずんさろうとした。「こらっ」)

チビ公はずんずん去ろうとした。「こらッ」

(せいばんのてがてんびんぼうにかかった、とこのときでんちゅうのかげからこえがきこえた。)

生蕃の手がてんびん棒にかかった、とこのとき電柱の陰から声が聞こえた。

(「さかい、よせよ」それはやなぎこういちであった。)

「阪井、よせよ」それは柳光一であった。

(「なんでえ」「きみはわるいよ」とこういちはあゆみよった。)

「なんでえ」「きみは悪いよ」と光一は歩みよった。

(「なんでえ」とせいばんがほえた。「きみはぼくとしんゆうになると)

「なんでえ」と生蕃がほえた。「きみはぼくと親友になると

(いったことをわすれたか」「わすれはしねえ」)

いったことをわすれたか」「わすれはしねえ」

(「じゃ、いっしょにがっこうへいこう」「しかし」「もういいよ」)

「じゃ、一緒に学校へいこう」「しかし」「もういいよ」

(こういちはせいばんのひじをとった、そうしてちびこうににっこりしてふりかえった。)

光一は生蕃のひじをとった、そうしてチビ公ににっこりしてふりかえった。

(ちびこうはとりうちぼうをぬいでいちれいした。)

チビ公は鳥打帽をぬいで一礼した。

(このひほどとうふのうれたひはなかった、)

この日ほど豆腐の売れた日はなかった、

(まちではかくへいがじょやくをなぐってこうりゅうされたといううわさがいちえんにひろがった。)

町では覚平が助役をなぐって拘留されたという噂が一円に拡がった。

など

(しかもそれはまずしきとうふやのこがになってくるとうふをごうだつしたうらみだと)

しかもそれは貧しき豆腐屋の子がになってくる豆腐を強奪したうらみだと

(わかったのでちょうないのどうじょうはながれのひくきにつくがごとくちびこうにあつまった。)

わかったので町内の同情は流れの低きにつくがごとくチビ公に集まった。

(「かってやれかってやれかわいそうに」)

「買ってやれ買ってやれかわいそうに」

(とうふのきらいないえまでがあらそうてとうふをかった、)

豆腐のきらいな家までが争うて豆腐を買った、

(ちびこうのふくらっぱはがいかのごとくなりひびいた。)

チビ公のふくらっぱは凱歌のごとく鳴りひびいた。

(にじかんにしてうりつくしたのでちびこうはけいさつへいった。)

二時間にして売りつくしたのでチビ公は警察へいった。

(「おじさんをゆるしてください、)

「伯父さんをゆるしてください、

(おじさんがわるいんでないのです、さけがわるいんですから」)

伯父さんが悪いんでないのです、酒が悪いんですから」

(かれはけいぶにこうあいがんした。)

かれは警部にこう哀願した。

(「けいさつではゆるしてやりたいんだ」とけいぶはどうじょうのめをまたたいていった。)

「警察ではゆるしてやりたいんだ」と警部は同情の目をまたたいていった。

(「だがさかいのほうでじだんにしないとけいさつではこまるんだ」)

「だが阪井の方で示談にしないと警察では困るんだ」

(「かんごくへいくんでしょうか」「そうなるかもしれない、)

「監獄へいくんでしょうか」「そうなるかもしれない、

(きみのほうでさかいにかけあってなんとかしてもらうんだね」)

きみの方で阪井にかけあってなんとかしてもらうんだね」

(ちびこうはがっかりしてけいさつをでた、それからそのあしで)

チビ公はがっかりして警察をでた、それからその足で

(さしいれやへゆき、うりだめからななじゅうごせんをだしていった。)

さしいれ屋へゆき、売りだめから七十五銭をだしていった。

(「どうかよろしくおねがいします」)

「どうかよろしくお願いします」

(「かくへいさんだったね」とさしいれやのていしゅがいった。)

「覚平さんだったね」とさしいれ屋の亭主がいった。

(「はあ」「かくへいさんのさしいれはすんでるよ」)

「はあ」「覚平さんのさしいれはすんでるよ」

(「さんどぶんのべんとうですよ」「ああすんでる」)

「三度分の弁当ですよ」「ああすんでる」

(「だれがしてくれたのです」 「だれだかわからないがすんでる、)

「だれがしてくれたのです」 「だれだかわからないがすんでる、

(ごじゅっせんのべんとうがさんぼん」「へえ、それじゃちりがみをひとつ・・・・・・」)

五十銭の弁当が三本」「へえ、それじゃちり紙を一つ……」

(「ちりがみとてぬぐいと、もうふにまいとまくらと・・・・・・それもすんでる」)

「ちり紙とてぬぐいと、毛布二枚とまくらと……それもすんでる」

(「それも?」とちびこうはあきれて、「どなたがやってくだすったのですか」)

「それも?」とチビ公はあきれて、「どなたがやってくだすったのですか」

(「それもいえない、いわずにいてくれというんだから」)

「それもいえない、いわずにいてくれというんだから」

(「じゃさしいれするものはほかになんでしょう」)

「じゃさしいれするものはほかになんでしょう」

(「そのひとがみんなやってくれるからいいだろう」)

「その人がみんなやってくれるからいいだろう」

(ちびこうはあっけにとられてことばがでなかった、)

チビ公はあっけにとられて言葉がでなかった、

(しんるいとてほかにはなし、ともだちはあるだろうが、)

親類とてほかにはなし、友達はあるだろうが、

(しかしとくめいにしてさしいれするのでは、ふだんにさほど)

しかし匿名にしてさしいれするのでは、ふだんにさほど

(こんいにしているひとでないかもしれぬ、)

懇意にしている人でないかもしれぬ、

(じぶんではそうぞうもできぬが、ははにきいたらおもいあたることもあるだろう、)

自分では想像もできぬが、母にきいたら思いあたることもあるだろう、

(こうおもってかれはそこをでた、いえへかえるとははもすでにかえっていた。)

こう思ってかれはそこをでた、家へ帰ると母もすでに帰っていた。

(うまれてはじめててんびんぼうをかついだので)

生まれてはじめててんびん棒をかついだので

(はははがっかりつかれて、かたをれいすいでひやしていた。)

母はがっかりつかれて、肩を冷水で冷やしていた。

(「どうでしたおかあさん」とちびこうがいった。)

「どうでしたお母さん」とチビ公がいった。

(「たいへんによくうれたよ」とはははわらっていた。)

「大変によく売れたよ」と母はわらっていた。

(「ぼくのほうもひじょうによかったです、にじかんのうちに」)

「ぼくの方も非常によかったです、二時間のうちに」

(かれはからのおけをみせ、それからうりだめをおばにわたして)

かれはからのおけを見せ、それから売りだめを伯母にわたして

(さしいれもののいっけんをかたった。)

さしいれものの一件を語った。

(「だれだろうね」「さあだれだろう」)

「だれだろうね」「さあだれだろう」

(おばとはははしきりにしりびとのなをかぞえあげたが、)

伯母と母はしきりに知り人の名を数えあげたが、

(それはみんなとくめいのひつようのないひとであり、)

それはみんな匿名の必要のない人であり、

(もうふにまいをかうしりょくのないひとばかりであった。)

毛布二枚を買う資力のない人ばかりであった。

(そのひのゆうはんはさびしかった、さけをのんでけんかをするのはこまるが、)

その日の夕飯はさびしかった、酒を飲んで喧嘩をするのは困るが、

(さてそのひとがろうごくにあるとおもえばさびしさがいっそうしみじみとみにせまる。)

さてその人が牢獄にあると思えばさびしさが一層しみじみと身に迫る。

(「さかいにかけあってじだんにしてもらうようにしましょうかね」)

「阪井にかけあって示談にしてもらうようにしましょうかね」

(とはははおばにいった。)

と母は伯母にいった。

(「まあ、そうするよりほかにしかたがありますまい」とおばがいった。)

「まあ、そうするよりほかにしかたがありますまい」と伯母がいった。

(ちびこうをるすにしてふたりはそれぞれちじんをたよってじだんのうんどうをした。)

チビ公をるすにして二人はそれぞれ知人をたよって示談の運動をした。

(「よろしい、なんとかしましょう」こうかいだくしてくれたひとは)

「よろしい、なんとかしましょう」こう快諾してくれた人は

(し、ごにんもあったが、よくじつになるとしょうぜんとしてこういう。)

四、五人もあったが、翌日になると悄然としてこういう。

(「どうもさかいのやつはどうしてもききませんよ、)

「どうも阪井のやつはどうしてもききませんよ、

(このうえはべんごしにたのんで・・・・・・」)

このうえは弁護士にたのんで……」

(のぞみのつなもきれはてていっかさんにんはたがいにためいきをついた。)

望みの綱も切れはてて一家三人はたがいにため息をついた。

(もとよりおんなとこどものことである、こころはゆうきにみちてもからだのひろうは)

もとより女と子どものことである、心は勇気にみちてもからだの疲労は

(みっかめのあさにはげしくおそうてきた。)

三日目の朝にはげしくおそうてきた。

(ははのかたはむらさきにはれてにをおうことができない、)

母の肩は紫に腫れて荷を負うことができない、

(ちびこうはすいみんのふそくとかどのろうどうのために)

チビ公は睡眠の不足と過度の労働のために

(あたまがだいばんじゃくのごとくおもくなりどうきがたかまりいきぐるしくなってきた。)

頭が大盤石のごとく重くなり動悸が高まり息苦しくなってきた。

(とうふをかうひとはおおくなったが、つくるひとがなくなりうりにでるものがなくなった。)

豆腐を買う人は多くなったが、作る人がなくなり売りにでる者がなくなった。

(じだんがふちょうでかくへいはかんごくへまわされた。)

示談が不調で覚平は監獄へまわされた。

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