ああ玉杯に花うけて 第六部 2
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問題文
(もののにじゅっぷんとたたぬうちにまちのあなたにさっとつちほこりがたった。)
ものの二十分とたたぬうちに町のあなたにさっと土ほこりがたった。
(おおどおりのまがりかどからさんねんせいのいったいがあらわれた、かれらはちょうどそうそうのひとの)
大通りの曲がり角から三年生の一隊があらわれた、かれらはちょうど送葬の人の
(ごとくうちしおれてだまっていた、そのまっさきにきまたらいおんがながいはたざおを)
ごとくうちしおれてだまっていた、そのまっさきに木俣ライオンが長い旗ざおを
(になっていた、はたには「うらわにせいぎなし」とたいしょせるものがあったが、こはらの)
になっていた、旗には「浦和に正義なし」と大書せるものがあったが、小原の
(きょうこうなちゅうこくによってそれをまくことにした、かれらはいずれもいずれも)
強硬な忠告によってそれをまくことにした、かれらはいずれもいずれも
(あんるいにむせんではをくいしばっていた。「たのむぞきまた、なあおい」)
暗涙にむせんで歯をくいしばっていた。「たのむぞ木俣、なあおい」
(こはらはらいおんのかたをたたいてしきりになだめると、きまたはもうねこのごとく)
小原はライオンの肩をたたいてしきりになだめると、木俣はもうねこのごとく
(じゅうじゅんになって、おわりにはひとりぐんをはなれてひとかげでないていた。)
柔順になって、おわりにはひとり群をはなれて人陰でないていた。
(じゅんすいむくなかがみのごときせいねん、ちょうてつしみずのごときがくせい!それはじんむいらい)
純粋無垢な鏡のごとき青年、澄徹清水のごとき学生!それは神武以来
(にんきょうのねっけつをもってなあるかんとうだんじのとうときでんとうである。このでんとうをむしして)
任侠の熱血をもって名ある関東男児のとうとき伝統である。この伝統を無視して
(せいぎをはくがいしたせいとうしゃりゅうにたいするこうふんはかみのごときがくせいのむねにぼっぱつした。)
正義を迫害した政党者流に対する公憤は神のごとき学生の胸に勃発した。
(かかるさわぎがあろうとはゆめにもおもわなかったくぼいこうちょうは、ごにんのことふじんと)
かかるさわぎがあろうとは夢にも思わなかった久保井校長は、五人の子と夫人と
(じょちゅうとそれからはちじゅうにあまるひとりのろうぼとともにあらわれた。「やあ、)
女中とそれから八十にあまるひとりの老母と共にあらわれた。「やあ、
(これは・・・・・・」かれはりょうがわにせいれつしたせいとをみやってたちどまった。)
これは……」かれは両側に整列した生徒を見やって立ちどまった。
(せいとはひとりとしてかおをあげえなかった、みずみずとしたくろいあたま、せいきのみなぎる)
生徒はひとりとして顔をあげ得なかった、水々とした黒い頭、生気のみなぎる
(くびすじが、いとをひいたようにまっすぐにならぶ、そのわかやかなむねには)
首筋が、糸を引いたようにまっすぐにならぶ、そのわかやかな胸には
(ばんこくのちがたかなみをおどらしている。こうちょうはほっとしてたちどまったまま)
万斛の血が高波をおどらしている。校長はほっとして立ちどまったまま
(うごかない。かれはなにかいおうとしたがなみだがのどにつまっていえなかった。)
動かない。かれはなにかいおうとしたが涙がのどにつまっていえなかった。
(かれはぜんこうせいとがかくまでじぶんをしたってくれるとはおもわなかった。)
かれは全校生徒がかくまで自分を慕ってくれるとは思わなかった。
(せいとはやはりなんにもいわなかった。かれらはこのげんしゅくなせつなにおいて、)
生徒はやはりなんにもいわなかった。かれらはこの厳粛な刹那において、
(こうちょうとじぶんのれいこんがふれあったようなきがした。「ありがとう、どうも)
校長と自分の霊魂がふれあったような気がした。「ありがとう、どうも
(ありがとう」こうちょうのくちからこういうひくいこえがもれた。じっさいこうちょうのこころもちは)
ありがとう」校長の口からこういう低い声がもれた。実際校長の心持ちは
(せんまんげんをついやすよりもありがとうのいちごにつきているのであった、かれはいま)
千万言を費やすよりもありがとうの一語につきているのであった、かれはいま
(きゅうひゃくのせいしょうねんからにんげんとしてもっともうつくしいしょうりょうをかんじゅすることができたので)
九百の青少年から人間としてもっとも美しい精霊を感受することができたので
(あった。かれはこういってからろうぼのてをとってなにやらささやいた。)
あった。かれはこういってから老母の手をとってなにやらささやいた。
(ろうぼはゆきのようなしらがあたまをまっすぐにおこしていちどうをみまわした、)
老母は雪のような白髪頭をまっすぐに起こして一同を見まわした、
(そのけだかくきざんだかおのしわじわがなみのようにふるえると、あわててはんけちを)
その気高くきざんだ顔のしわじわが波のようにふるえると、あわててハンケチを
(ふところからだしてかおにあてた。こらえこらえたかなしみはたいがのけっする)
ふところからだして顔にあてた。こらえこらえた悲しみは大河の決する
(ごとくじょうないにあふれだした。らいおんはおどりでてさけんだ。「やれっ」)
ごとく場内にあふれだした。ライオンはおどりでて叫んだ。「やれッ」
(いちどうはこうかをうたいだした。いつせんせいがきしゃにのったか、のったときにどんなふう)
一同は校歌をうたいだした。いつ先生が汽車に乗ったか、乗ったときにどんな風
(であったか、それをつまびらかにしってるものはなかった、いちどうが)
であったか、それをつまびらかに知ってるものはなかった、一同が
(ぷらっとほーむへながれでたときにはやきしゃがうごきだした。)
プラットホームへ流れでたときにはや汽車が動きだした。
(「くぼいせんせいばんざい」ねっきょうのこえがどとうのごとくおこった。まどからはんしんをだした)
「久保井先生万歳」熱狂の声が怒濤のごとく起こった。窓から半身をだした
(こうちょうのかおはわかやかにかがやいた。かれはりょうてをたかくあげてこえのあらんかぎりに)
校長の顔はわかやかに輝いた。かれは両手を高くあげて声のあらんかぎりに
(さけんだ。「うらわちゅうがくばんざあい」「くぼいせんせいばんざあい」もうきしゃは)
叫んだ。「浦和中学バンザアイ」「久保井先生バンザアイ」もう汽車は
(みえなくなった、せいとはぞろりぞろりとちからなくていしゃじょうをでた。)
見えなくなった、生徒はぞろりぞろりと力なく停車場をでた。
(ちょうどきしゃがうごきだしたとき、ひとりのしょうねんがおおいそぎでやってきた、かいさつぐちが)
ちょうど汽車が動きだしたとき、ひとりの少年が大急ぎでやってきた、改札口が
(へいさされたのでかれはさくをのりこえようとした。「いけません」)
閉鎖されたのでかれはさくを乗り越えようとした。「いけません」
(えきいんはかれをつきとばした。かれはよろよろとたおれそうになっておよぐように)
駅員はかれをつきとばした。かれはよろよろと倒れそうになって泳ぐように
(ご、ろっぽしざった、そうしてやっとかべにからだをもたらしていきを)
五、六歩しざった、そうしてやっと壁に身体をもたらして呼吸を
(きらしながらだまった、そのかたてはほうたいにまかれてくびからつられてある。)
きらしながらだまった、その片手は繃帯にまかれて首からつられてある。
(かれのむねがあらわになったときそのむなもともまたほうたいされてあるのがみえた。)
彼の胸があらわになったときその胸元もまた繃帯されてあるのが見えた。
(かれはだまってべんじょとそうこらしいたてもののあいだへでた、そこにはやきくいのさくが)
かれはだまって便所と倉庫らしい建物のあいだへでた、そこには焼きくいの柵が
(ゆわれてある、かれはそこにたってかたひじをさくにおいた、あおぐろいびょうにんじみたかおは)
結われてある、かれはそこに立って片ひじを柵においた、青黒い病人じみた顔は
(めばかりひかってみえた、おびがとけかけたのも、ぞうりのはなおがきれたのも)
目ばかり光って見えた、帯がとけかけたのも、ぞうりのはなおが切れたのも
(いっさいかれはきがつかぬもののごとくきしゃをみつめていた。)
いっさいかれは気がつかぬもののごとく汽車を見つめていた。
(ばんざいばんざいのこえとともにこうちょうのかおがあらわれたときかれはじっとめをこうちょうにすえた。)
万歳万歳の声と共に校長の顔があらわれたときかれはじっと目を校長に据えた。
(かれのむねはふるえかれのくちもとはひつうとかいこんにゆるみ、そうしてかれのめから)
かれの胸はふるえかれの口元は悲痛と悔恨にゆるみ、そうしてかれの目から
(おおつぶのなみだがこぼれた。かれはさかいいわおである。きしゃがみえなくなったときかれは)
大粒の涙がこぼれた。かれは阪井巌である。汽車が見えなくなったときかれは
(ようやくさくをはなれてながいためいきをついた。それからじっとおおどおりのほうを)
ようやくさくをはなれて長い溜息をついた。それからじっと大通りの方を
(みやった。そこにはがっこうのともだちがなみのくずれるごとく、かえりゆく、)
見やった。そこには学校の友達が波のくずれるごとく、帰りゆく、
(さかいはかおをたれてしずかにあるいた。とだれかのこえがした。「せいばんがいる」)
阪井は顔をたれてしずかに歩いた。とだれかの声がした。「生蕃がいる」
(「さかいのやつがきている」しょうねんたちのめはいちどにさかいにそそがれた、)
「阪井のやつがきている」少年達の目は一度に阪井にそそがれた、
(さかいはぼうのごとくたちすくんだ。「やいせいばん」まっさきにつめよったのは)
阪井は棒のごとく立ちすくんだ。「やい生蕃」まっさきにつめよったのは
(らいおんであった。「やい」さかいはだまっている。「きさまはなにしにきた」)
ライオンであった。「やい」阪井はだまっている。「きさまはなにしにきた」
(「くぼいせんせいにようじがあってきたよ」とさかいはやはりかおもあげずにいった。)
「久保井先生に用事があってきたよ」と阪井はやはり顔もあげずにいった。
(「きさまはくぼいせんせいをがっこうからおいだしたんじゃないか、)
「きさまは久保井先生を学校からおいだしたんじゃないか、
(どのつらさげてやってきたんだ」「・・・・・・・・・・・・」「おい、いぬでもちくしょうでも)
どの面さげてやってきたんだ」「…………」「おい、犬でも畜生でも
(おんはしってるよ、おれはずいぶんふりょうだがこうちょうせんせいのおんだけはしってるんだ、)
恩は知ってるよ、おれはずいぶん不良だが校長先生の恩だけは知ってるんだ、
(きさまはせんせいをおいだした、いぬちくしょうにもおとるやつだ」「・・・・・・・・・・・・」)
きさまは先生をおいだした、犬畜生にもおとるやつだ」「…………」
(「きさまのようなやつはくたばってしまやがれ、きさまのようなやつがいるのは)
「きさまのようなやつはくたばってしまやがれ、きさまのようなやつがいるのは
(うらわのちじょくだぞ、どうだしょくん、こいつをうちころそうか」「やっちまえ)
浦和の恥辱だぞ、どうだ諸君、こいつを打ち殺そうか」「やっちまえ
(やっちまえ」とこえごえがさけんだ。かれらはいまごふんまえにせんせいとかなしいわかれをした、)
やっちまえ」と声々が叫んだ。かれらはいま五分前に先生と悲しい別れをした、
(まんまんたるふんぬとひつうはもらすこともできずにむねのなかでうずまいている、なにかの)
満々たる憤怒と悲痛はもらすこともできずに胸の中でうずまいている、なにかの
(しげきあればばくはつせずにいられないほどちしおがわきたっている。)
刺激あれば爆発せずにいられないほど血潮がわき立っている。
(それらのえんえんたるほのおはすべてさかいのうえにもえうつった。「やれやれ」)
それらの炎々たる炎はすべて阪井の上に燃えうつった。「やれやれ」
(「せいさいせいさい」げっこうしたこえはこくいっこくにもうれつになった。ひとびとはしおのごとく)
「制裁制裁」激昂した声は刻一刻に猛烈になった。人々は潮のごとく
(さかいにむかってとっしんした。「なぐってくれ!」いままでざいにんのごとくちんもくして)
阪井に向かって突進した。「なぐってくれ!」いままで罪人のごとく沈黙して
(いたさかいはなんともいえぬひつうなかおをして、おしよせくるがくゆうのまえにけつぜんと)
いた阪井はなんともいえぬ悲痛な顔をして、押しよせくる学友の前に決然と
(すすみでた、そうしてぴたりとだいちにすわった。「おれはあやまりにきたんだ、)
進みでた、そうしてぴたりと大地に座った。「おれはあやまりにきたんだ、
(おれはせんせいにあやまりにきたんだ、おれはおまえたちにころされればほんもうだ、さあ)
おれは先生にあやまりにきたんだ、おれはおまえ達に殺されれば本望だ、さあ
(ころしてくれ、おれは・・・・・・おれは・・・・・・いぬにちがいない、ちくしょうにちがいない・・・・・・」)
殺してくれ、おれは……おれは……犬にちがいない、畜生にちがいない……」
(ほうたいをくびからつったかたてをそのままに、かたてはだいちについてくびをさしのべた、)
繃帯を首からつった片手をそのままに、片手は大地について首をさしのべた、
(かじばのあとをそのままのかみのけはところどころやけちぢれている、かれは)
火事場のあとをそのままの髪の毛はところどころ焼けちぢれている、かれは
(まゆげひとつもうごかさない。「あやまりにきたとぬかしやがる、よわいやつだ、)
眉毛一つも動かさない。「あやまりにきたとぬかしやがる、弱いやつだ、
(さあかくごしろ」らいおんはほうばのげたのまま、かれのみけんをはたとけった。)
さあ覚悟しろ」ライオンはほうばのげたのまま、かれの眉間をはたとけった。
(さかいはぐっとあたまをそらしてたおれそうになったがじっとしせいをもどしてかたてを)
阪井はぐっと頭をそらして倒れそうになったがじっと姿勢をもどして片手を
(だいちからはなさない。「ちくしょう!」「ばかやろう!」「おんしらず」こえごえがわいた。)
大地からはなさない。「畜生!」「ばかやろう!」「恩知らず」声々がわいた。
(「なぐるのはてのけがれだ、つばをはきかけてやれ」とだれかがいった。)
「なぐるのは手のけがれだ、つばをはきかけてやれ」とだれかがいった。
(つばのあめがかれのかおとなくくびとなくせなかとなくふりそそいだ。「ばかやろう!」)
つばの雨がかれの顔となく首となく背中となく降りそそいだ。「ばかやろう!」
(さいごにてづかがつばをはきかけた。「てづか、おまえまでが」いわおはじっとてづかを)
最後に手塚がつばをはきかけた。「手塚、おまえまでが」巌はじっと手塚を
(みつめたのでてづかはひとなかへかくれた。「さあかえろう」とらいおんがいった。)
見詰めたので手塚は人中へかくれた。「さあ帰ろう」とライオンがいった。
(「さいごにのぞんであしであいつのあたまをなでてやろう、さあみんないっしょだぞ)
「最後にのぞんで足であいつの頭をなでてやろう、さあみんな一緒だぞ
(いち!に!さん!」げたのらんやがとぶかとおもういっせつな。)
一! 二! 三!」げたの乱箭が飛ぶかと思う一刹那。
(「まってくれ」はらわたをえぐるようなこえとともにやなぎはいわおのからだのうえにかぶさった。)
「待ってくれ」はらわたを抉るような声と共に柳は巌の身体の上にかぶさった。