貉2(完) 小泉八雲
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数4044かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数799歌詞かな200打
-
プレイ回数289長文526打
-
プレイ回数3031歌詞かな155打
-
プレイ回数2052歌詞1426打
問題文
(「おじょちゅう」とできるかぎりやさしくしょうにんはふたたびいったーー「どうぞ、どうぞ、)
『お女中』と出来る限りやさしく商人は再び云った――『どうぞ、どうぞ、
(わたしのことばをきいてください!・・・・・・ここはよるわかいごふじんなどのいるべきばしょでは)
私の言葉を聴いて下さい!……ここは夜若い御婦人などの居るべき場処では
(ありません!おたのみもうすから、おなきなさるな!ーーどうしたらすこしでも、)
ありません! 御頼み申すから、お泣きなさるな!――どうしたら少しでも、
(おたすけをすることができるのか、それをいってください!」おもむろにおんなはたちあがったが)
お助けをする事が出来るのか、それを云って下さい!』徐ろに女は起ち上ったが
(しょうにんにはせなかをむけていた。そしてそのそでのうしろでうめきむせびつづけていた。)
商人には背中を向けていた。そしてその袖のうしろで呻き咽びつづけていた。
(しょうにんはそのてをかるくおんなのかたのうえにおいてときたてたーー「おじょちゅう!ーーおじょちゅう!)
商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――『お女中!――お女中!
(ーーおじょちゅう!わたしのことばをおききなさい。ただちょっとでいいから!)
――お女中! 私の言葉をお聴きなさい。ただちょっとでいいから!
(・・・・・・おじょちゅう!ーーおじょちゅう!」・・・・・・するとそのおじょちゅうなるものはむきかえった。)
……お女中!――お女中!』……するとそのお女中なるものは向きかえった。
(そしてそのそでをしたにおとし、てでじぶんのかおをなでたーーみるとめもはなもくちもないー)
そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた――見ると目も鼻も口もない―
(きゃっとこえをあげてしょうにんはにげだした。 いちもくさんにきのくにさかをかけのぼった。じぶんの)
きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。 一目散に紀国坂をかけ登った。自分の
(まえはすべてまっくらでなにもないくうきょであった。ふりかえってみるゆうきもなくて、)
前はすべて真暗で何もない空虚であった。振り返ってみる勇気もなくて、
(ただひたはしりにはしりつづけたあげく、ようようはるかとおくに、ほたるびのひかっている)
ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っている
(ようにみえるちょうちんをみつけて、そのほうにむかっていった。それはみちばたにやたいを)
ように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。それは道側に屋台を
(おろしていたうりあるくそばやのちょうちんにすぎないことがわかった。しかしどんなあかり)
下していた売り歩く蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。しかしどんな明かり
(でも、どんなにんげんのなかまでも、いじょうのようなことにあったあとには、けっこうであった。)
でも、どんな人間の仲間でも、以上のような事に遇った後には、結構であった。
(しょうにんはそばうりのあしもとにみをなげたおしてこえをあげた「ああ!ーーああ!!)
商人は蕎麦売りの足下に身を投げ倒して声をあげた『ああ!――ああ!!
(ーーああ!!!」・・・・・・「これ!これ!」とそばやはあらあらしくさけんだ)
――ああ!!!』……『これ!これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ
(「これ、どうしたんだ?だれかにやられたのか?」 「いな、ーーだれにも)
『これ、どうしたんだ?誰れかにやられたのか?』 『否、――誰れにも
(やられたのではない」とあいてはいきをきらしながらいったーー「ただ・・・・・・ああ!)
やられたのではない』と相手は息を切らしながら云った――『ただ……ああ!
(ーーああ!」・・・・・・「ーーただおどかされたのか?」とそばうりはすげなく)
――ああ!』……『――ただおどかされたのか?』と蕎麦売りはすげなく
(とうた「どろぼうにか?」 「どろぼうではないーーどろぼうではない」とおじけたおとこはあえ)
問うた『盗賊にか?』 『盗賊ではない――盗賊ではない』とおじけた男はあえ
(ぎながらいった「わたしはみたのだ・・・・・・おんなをみたのだーーほりのふちでーーそのおんながわたしに)
ぎながら云った『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁で――その女が私に
(みせたのだ・・・・・・ああ!なにをみせたって、そりゃいえない」)
見せたのだ……ああ!何を見せたって、そりゃ云えない』
(「へえ!そのみせたものはこんなものだったか?」とそばやはじぶんのかおを)
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を
(なでながらいったーーそれとともに、そばうりのかおはたまごのようになった・・・・・・そして)
撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして
(どうじにともしびはきえてしまった。)
同時に灯火は消えてしまった。