夕靄の中 山本周五郎 ③
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | てんぷり | 5362 | B++ | 5.5 | 96.5% | 674.5 | 3751 | 134 | 87 | 2024/10/14 |
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問題文
(つきにいちどずつ、えどへゆくはたやのてだいに、)
月に一度ずつ、江戸へゆく機屋の手代に、
(はしばのようすをさぐってもらった。)
橋場のようすを探って貰った。
(きんじのきずはあさかった、しかしむこえんぐみをのばすやくにはたった。)
金次の傷は浅かった、しかし婿縁組を延ばす役には立った。
(おつやもくびをふりとおし、しちべえのきもちもかわった。)
おつやも首を振りとおし、七兵衛の気持も変った。
(じじょうはすこしずつこうてんし、ふたりのうんがひらけるようにおもえた。)
事情は少しずつ好転し、二人の運がひらけるように思えた。
(けれども、はんとしまえにしちべえがそっちゅうでたおれ)
けれども、半年まえに七兵衛が卒中で倒れ
(「だいがし」だったきんじのいちがはっきりといっかをおさえた。)
「代貸」だった金次の位地がはっきりと一家を押えた。
(そしていつかまえ、はたやのてだいがきんじとおつやのけっこんをしらせてきた。)
そして五日まえ、機屋の手代が金次とおつやの結婚を知らせて来た。
(もちろんきんじのむりおしだろう、)
もちろん金次の無理押しだろう、
(じっさいにはもう、しごじゅうにちもいぜんに、)
じっさいにはもう、四五十日も以前に、
(おつやはきんじのものにされていたという。)
おつやは金次のものにされていたという。
(きりゅうにすんでいらい、かたぎのしょくにんでとおした。)
桐生に住んで以来、堅気の職人でとおした。
(おつやといっしょになったら、しょうがい、したてやでくらすつもりだった。)
おつやと一緒になったら、生涯、仕立屋で暮すつもりだった。
(よごれたかみはしろくはならない。たんとうをふところにとびだしてきた。)
汚れた紙は白くはならない。短刀をふところにとびだして来た。
(そのさきがどうなるか、まずきんじをかたづけて、)
そのさきがどうなるか、まず金次を片づけて、
(あとはなりゆきにまかせようとこころをきめて、)
後はなりゆきに任せようと心をきめて、
(けさ、せんじゅのやどからしちゅうへはいったのである。)
今朝、千住の宿から市中へ入ったのである。
(しずかなあしおとがちかづいてくる。さあ、しょうぶだぞ。)
静かな足音が近づいて来る。さあ、勝負だぞ。
(てをあわせたまま、つむっていためをそっとあける。)
手を合わせたまま、つむっていた眼をそっとあける。
(かがんだあしのゆびさきが、きっちりしたたびのなかでしびれている。)
かがんだ足の指先が、きっちりした足袋の中で痺れている。
(あしおとはなおちかづく。なにかをはばかるように、)
足音はなお近づく。なにかを憚かるように、
(ようじんぶかく、ほとんどしのびあしで。)
用心ぶかく、殆んど忍び足で。
(そうして、それはかれのわきまできて、しずかにとまった。)
そうして、それは彼の脇まで来て、静かに停った。
(どうしようというんだ。)
どうしようというんだ。
(かれはごくしぜんに、かたてをそっとふところへいれた。)
彼はごく自然に、片手をそっとふところへ入れた。
(ゆびのささくれがいたんだ。)
指のささくれが痛んだ。
(そのときうしろで、そのにんげんのうごくけはいがした)
そのときうしろで、その人間の動くけはいがした
(かれのてはたんとうをつかんだ。)
彼の手は短刀を掴んだ。
(「あのう、しつれいでございますが」)
「あのう、失礼でございますが」
(ためらいがちに、おんなのこえでこういった。)
躇いがちに、女の声でこう云った。
(ふりかえってみると、ごじゅっさいばかりのおんなが、そこにいた。)
振返ってみると、五十歳ばかりの女が、そこにいた。
(かれはたちあがって、ぼんやりもくれいしながら、)
彼は立ちあがって、ぼんやり黙礼しながら、
(ずっとむこうの、ぼせきのかげに、あのおとこがいるのをちらとみとめた。)
ずっと向うの、墓石の蔭に、あの男がいるのをちらと認めた。
(「わざわざおまいりくださいまして、ありがとうございます、)
「わざわざおまいり下さいまして、有難うございます、
(えちごやさんのおみせのかたでいらっしゃいますか」)
越後屋さんのおみせの方でいらっしゃいますか」
(「ええ・・・そうです」)
「ええ・・・そうです」
(かれはめをふせる。かのじょはやせていて、かおいろがわるい、)
彼は眼を伏せる。彼女は痩せていて、顔色が悪い、
(くろっぽいきものをきたからだも、しなびたようにちいさく、)
黒っぽい着物を着た躯も、しなびたように小さく、
(かみのけにはしろいものがおおかった。)
髪毛には白いものが多かった。
(あかおけのなかにはながあり、かたてにもったせんこうからけむりがたっていた。)
阿迦桶の中に花があり、片手に持った線香から煙が立っていた。
(うまくやれ、めとでるかもしれないぞ。)
うまくやれ、めと出るかもしれないぞ。
(あのおとこがみている。ぜっこうのきかいだ。)
あの男が見ている。絶好の機会だ。
(「ああ、これはどうも」)
「ああ、これはどうも」
(かれはじぶんがはかのまえをふさいでいることにきづいて、)
彼は自分が墓の前を塞いでいることに気づいて、
(うれいにとらわれたもののように、あたまをたれながら、そっとわきへみをよけた。)
愁いに囚われた者のように、頭を垂れながら、そっと脇へ身をよけた。
(ろうじょはれいをのべて、はかのまえへすすんだ。)
老女は礼を述べて、墓の前へ進んだ。
(かれのあげたものでたけづつはふさがっている、)
彼のあげたもので竹筒は塞がっている、
(まだやわらかいもりつちをほってせんこうのたばをたて、)
まだ柔らかい盛り土を掘って線香の束を立て、
(はなはかれのそなえたのとならべておいた。)
花は彼の供えたのと並べて置いた。
(それからあかおけのみずを、ぼひょうのまえの(しんだほとけのつかっていたらしい))
それから阿迦桶の水を、墓標の前の(死んだ仏の使っていたらしい)
(ちゃわんにそそいだ。これらのことを、かれはだまって、)
茶碗に注いだ。これらのことを、彼は黙って、
(ほうしんしたように、わきからながめていた。)
放心したように、脇から眺めていた。
(「すっかりおぼえがわるくなってしまいまして」ろうじょはえしゃくをしていう、)
「すっかり覚えが悪くなってしまいまして」老女は会釈をして云う、
(「しつれいでございますが、はじめておめにかかるのでございましょうか」)
「失礼でございますが、初めてお眼にかかるのでございましょうか」
(「ええ、・・・そうです、たぶん」)
「ええ、・・・そうです、たぶん」
(「わたくしおいねのははでございます、このたびはおみせのみなさまに、)
「わたくしおいねの母でございます、このたびはおみせの皆さまに、
(いろいろとごやっかいをおかけいたしまして」)
いろいろと御厄介をおかけ致しまして」
(かのじょはくどくどれいをいう。)
彼女はくどくど礼を云う。
(あのおとこはさっきのばしょにはいない、)
あの男はさっきの場所にはいない、
(だがあのねむそうなめは、こっちをみまもっている。)
だがあの眠そうな眼は、こっちを見まもっている。
(あくことなく、じっと、どこかついそのへんから。)
飽くことなく、じっと、どこかついその辺から。
(かれはうなだれて、むきりょくにためいきをつき、)
彼はうなだれて、無気力に溜息をつき、
(ふところのてをだらっとさげる。)
ふところの手をだらっと下げる。
(このあいだに、ろうじょのこえはすこしずつかわってきた。)
このあいだに、老女の声は少しずつ変ってきた。
(それがふととぎれて、なにかをさぐるようなまぶしそうなめで、かれをみあげた。)
それがふと途切れて、なにかを探るような眩しそうな眼で、彼を見あげた。
(「あのう、こんなことをおたずねしては、しつれいかもしれませんが、)
「あのう、こんなことをお訊ねしては、失礼かもしれませんが、
(もしやあなたは、あのしげじろうさんとおっしゃるのではございませんか」)
もしや貴方は、あの繁二郎さんと仰るのではございませんか」
(かれはどきりとする。すぐにはへんじができない。)
彼はどきりとする。すぐには返辞ができない。
(ええとくちごもるのを、ろうじょはじぶんのおもいどおりにうけとった。)
ええと口ごもるのを、老女は自分の思いどおりに受け取った。
(「おてだいのしげじろうさまでございますのね」)
「お手代の繁二郎さまでございますのね」
(「ええ、そうです、・・・しげじろうですが」)
「ええ、そうです、・・・繁二郎ですが」
(「やっぱりそうでしたか、いねからおなまえだけはうかがっておりました、)
「やっぱりそうでしたか、いねからお名前だけは伺っておりました、
(あれはごぞんじのようにくちのおもいこでございます、)
あれは御存じのように口の重いこでございます、
(くわしいことはなにももうしませんでしたけれど、)
詳しいことはなにも申しませんでしたけれど、
(でも、びょうきがいけなくなってから、)
でも、病気がいけなくなってから、
(うわごとによくおなまえをおよびもうしておりました」)
うわごとによくお名前をお呼び申しておりました」
(かれはかおをそむけた。ろうじょのこえはふるえ、そのめはにわかにつよく、)
彼は顔をそむけた。老女の声はふるえ、その眼はにわかに強く、
(きたいとあいがんのいろをこめて、かれをみあげた。)
期待と哀願の色をこめて、彼を見あげた。
(「おっしゃってくださいまし、あなたはあれと、)
「仰しゃって下さいまし、貴方はあれと、
(なにかやくそくをしてくだすったのではございませんか」)
なにか約束をして下すったのではございませんか」
(いたましいほどおろおろといった、)
いたましいほどおろおろと云った、
(「あれはいきをひきとるまで、あなたがおいでくださるのを)
「あれは息をひきとるまで、貴方がおいで下さるのを
(まっていたようでございます、なにか、ふたりのあいだになにか、)
待っていたようでございます、なにか、二人のあいだになにか、
(やくそくをしてくだすったことがあるのではございませんか」)
約束をして下すったことがあるのではございませんか」
(かれはしばらくこたえない。かおをそむけたまま、じっといきをひそめている。)
彼はしばらく答えない。顔をそむけたまま、じっと息をひそめている。
(それからやがて、しずかに、うなずいてみせた。)
それからやがて、静かに、頷いてみせた。
(「ああ」ろうじょはてでくちをおさえた。)
「ああ」 老女は手で口を押えた。