夢十夜 第三夜 夏目漱石

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「こんな夢を見た。」で始まる10の夢の物語。

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問題文

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(こんなゆめをみた。 むっつになるこどもをおってる。たしかにじぶんのこである。)

こんな夢を見た。  六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。

(ただふしぎなことにはいつのまにかめがつぶれて、あおぼうずになっている。じぶんが)

ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が

(おまえのめはいつつぶれたのかいときくと、なにむかしからさとこたえた。こえはこどものこえに)

御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に

(そういないが、ことばつきはまるでおとなである。しかもたいとうだ。 さゆうは)

相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。  左右は

(あおたである。みちはほそい。さぎのかげがときどきやみにさす。 「たんぼへかかったね」と)

青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。 「田圃へかかったね」と

(せなかでいった。 「どうしてわかる」とかおをうしろへふりむけるようにしてきいたら)

背中で云った。 「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら

(「だってさぎがなくじゃないか」とこたえた。 するとさぎがはたしてふたこえほどないた)

「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた

(じぶんはわがこながらすこしこわくなった。こんなものをせおっていては、このさき)

自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先

(どうなるかわからない。どこかうっちゃるところはなかろうかとむこうをみるとやみのなかに)

どうなるか分らない。どこか打遣ゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に

(おおきなもりがみえた。あすこならばとかんがえだすとたんに、せなかで、 「ふふん」と)

大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に、背中で、 「ふふん」と

(いうこえがした。 「なにをわらうんだ」)

云う声がした。 「何を笑うんだ」

(こどもはへんじをしなかった。ただ 「おとうさん、おもいかい」ときいた。)

子供は返事をしなかった。ただ 「御父さん、重いかい」と聞いた。

(「おもかあない」とこたえると 「いまにおもくなるよ」といった。)

「重かあない」と答えると 「今に重くなるよ」と云った。

(じぶんはだまってもりをもくひょうにあるいていった。たのなかのみちがふきそくにうねって)

自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則にうねって

(なかなかおもうようにでられない。しばらくするとふたまたになった。じぶんはまたのねに)

なかなか思うように出られない。しばらくすると二股になった。自分は股の根に

(たって、ちょっとやすんだ。 「いしがたってるはずだがな」とこぞうがいった。)

立って、ちょっと休んだ。 「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。

(なるほどはっすんかくのいしがこしほどのたかさにたっている。おもてにはひだりひがくぼ、)

なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、

(みぎほりたはらとある。やみだのにあかいじがあきらかにみえた。あかいじはいもりのはらのような)

右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字は井守の腹のような

(いろであった。 「ひだりがよいだろう」とこぞうがめいれいした。ひだりをみるとさっきのもりが)

色であった。 「左が好いだろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が

(やみのかげを、たかいそらからじぶんらのあたまのうえへなげかけていた。じぶんはちょっと)

闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ抛(な)げかけていた。自分はちょっと

など

(ちゅうちょした。 「えんりょしないでもいい」とこぞうがまたいった。じぶんはしかたなしに)

躊躇した。 「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに

(もりのほうへあるきだした。はらのなかでは、よくもうもくのくせになんでもしってるなと)

森の方へ歩き出した。腹の中では、よく盲目のくせに何でも知ってるなと

(かんがえながらひとすじみちをもりへちかづいてくると、せなかで、「どうももうもくはふじゆうで)

考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由で

(いけないね」といった。 「だからおってやるからいいじゃないか」)

いけないね」と云った。 「だから負ってやるからいいじゃないか」

(「おぶってもらってすまないが、どうもひとにばかにされていけない。おやにまで)

「負ぶって貰ってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで

(ばかにされるからいけない」 なんだかいやになった。はやくもりへいって)

馬鹿にされるからいけない」  何だか厭になった。早く森へ行って

(すててしまおうとおもっていそいだ。 「もうすこしいくとわかる。ーーちょうどこんな)

捨ててしまおうと思って急いだ。 「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな

(ばんだったな」とせなかでひとりごとのようにいっている。 「なにが」ときわどいこえを)

晩だったな」と背中で独言のように云っている。 「何が」と際どい声を

(だしてきいた。 「なにがって、しってるじゃないか」とこどもはあざけけるように)

出して聞いた。 「何がって、知ってるじゃないか」と子供は嘲けるように

(こたえた。するとなんだかしってるようなきがしだした。けれども)

答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれども

(はっきりとはわからない。ただこんなばんであったようにおもえる。)

判然(はっきり)とは分らない。ただこんな晩であったように思える。

(わかってはたいへんだから、わからないうちにはやくすててしまって、あんしんしなくっては)

分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくっては

(ならないようにおもえる。じぶんはますますあしをはやめた。 あめはさっきから)

ならないように思える。自分はますます足を早めた。  雨はさっきから

(ふっている。みちはだんだんくらくなる。ほとんどむちゅうである。ただせなかにちいさい)

降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい

(こぞうがくっついていて、そのこぞうがじぶんのかこ、げんざい、みらいをことごとくてらして)

小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して

(すんぶんのじじつももらさないかがみのようにひかっている。しかもそれがじぶんのこである。)

寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。

(そうしてもうもくである。じぶんはたまらなくなった。 「ここだ、ここだ。)

そうして盲目である。自分はたまらなくなった。 「ここだ、ここだ。

(ちょうどそのすぎのねのところだ」 あめのなかでこぞうのこえははんぜんきこえた。)

ちょうどその杉の根の処だ」  雨の中で小僧の声は判然聞えた。

(じぶんはおぼえずとまった。いつしかもりのなかへはいっていた。ひとまばかりさきにある)

自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入っていた。一間ばかり先にある

(くろいものはたしかにこぞうのいうとおりすぎのきとみえた。 「おとうさん、)

黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。 「御父さん、

(そのすぎのねのところだったね」 「うん、そうだ」とおもわずこたえてしまった。)

その杉の根の処だったね」 「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

(「ぶんか5ねんたつどしだろう」 なるほどぶんか5ねんたつどしらしくおもわれた。)

「文化五年辰年だろう」  なるほど文化五年辰年らしく思われた。

(「おまえがおれをころしたのはいまからちょうどひゃくねんまえだね」 じぶんはこのことばを)

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」  自分はこの言葉を

(きくやいなや、いまからひゃくねんまえぶんか5ねんのたつどしのこんなやみのばんに、このすぎのねで、)

聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、

(ひとりのもうもくをころしたというじかくが、こつぜんとしてあたまのなかにおこった。おれはひとごろしで)

一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺で

(あったんだなとはじめてきがついたとたんに、せなかのこがきゅうに)

あったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に

(いしじぞうのようにおもくなった。)

石地蔵のように重くなった。

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