めおと蝶 山本周五郎 ⑨

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プレイ回数1465難易度(4.2) 2601打 長文
妻に頑なな大目付の夫・良平、結婚は失敗だと思い夫を拒む信乃。
信乃は情の薄い夫・良平を好きになることができない。ある日かつて思いを寄せていた智也が投獄される。

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問題文

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(しのはぞうすいができたのをもってなんどへいった。)

信乃は雑炊が出来たのを持って納戸へいった。

(ともやはよこになっていたらしい、はねおきると)

知也は横になっていたらしい、はね起きると

(あかによごれたかみやからだの、いやなにおいがした。)

垢に汚れた髪や体の、いやな匂いがした。

(「わざとここをねらってきたんです、でぐちをふさがれてしまってね、)

「わざとここをねらって来たんです、出口を塞がれてしまってね、

(おおめつけのしたくならあんぜんだとおもって、ぎゃくにこけつをえらんだわけですよ」)

大目附の私宅なら安全だと思って、逆に虎穴を選んだわけですよ」

(ともやはくらがりでさじをとった。)

知也は暗がりで匙を取った。

(いまからさしてくるほかげで、かれのすがたがおぼろげにみえる、)

居間からさしてくる燈影で、彼の姿がおぼろげに見える、

(かみもくしゃくしゃだしひげものびていた。)

髪もくしゃくしゃだし髭も伸びていた。

(あおじろくほおがむくんで、すっかりかおつきがかわっていた。)

蒼白く頬がむくんで、すっかり顔つきが変っていた。

(かれはうえているのだろう、あついのでかおをゆがめながらぞうすいをすすり、)

彼は飢えているのだろう、熱いので顔を歪めながら雑炊を啜り、

(こちらはみずにひくいこえでせかせかとはなした。)

こちらは見ずに低い声でせかせかと話した。

(あんさつけいかくなどではない、いまきこくろうとふくしんのじゅうしんすうめいが、)

暗殺計画などではない、井巻国老と腹心の重臣数名が、

(あおいがわのかいしゅうこうじをめぐって、かなりおおがかりなとくしょくをしている。)

青井川の改修工事をめぐって、かなり大掛りな涜職をしている。

(そのほかにもねんぐしゅうのうのかんけいでおおじぬしたちとふせいのじじつが)

そのほかにも年貢収納の関係で大地主たちと不正の事実が

(だいぶあった。それをてきはつしてせいじのしゅくせいをはかっていたところ、)

だいぶあった。それを摘発して政治の粛正を計っていたところ、

(どこからかもれて、かれらからせんてをうたれ、)

どこからか漏れて、かれらから先手を打たれ、

(あんさつのぼうけいということにことされたのだという。)

暗殺の謀計ということに糊塗されたのだという。

(「こうなればけんかですよ、かえってさっぱりしました、)

「こうなれば喧嘩ですよ、却ってさっぱりしました、

(ここにちょうしょをもってますからね」)

ここに調書を持ってますからね」

(ともやははらおびとおもえるあたりをたたき、にっとわらいながらいった、)

知也は腹帯と思えるあたりを叩き、にっと笑いながら云った、

など

(「けいかいがゆるんだらだっしゅつしてえどへゆきます、)

「警戒がゆるんだら脱出して江戸へゆきます、

(いちはんのためですから、ごめいわくだろうがおねがいします」)

一藩のためですから、御迷惑だろうがお願いします」

(そしてはじめてしののほうへめをあげた。)

そして初めて信乃のほうへ眼をあげた。

(みっかばかりおっとはいえへよりつかなかった。)

三日ばかり良人は家へ寄りつかなかった。

(しのはひつようなときはこうのすけをつれてきて、じぶんのいまであそばせた。)

信乃は必要なときは甲之助を伴れて来て、自分の居間で遊ばせた。

(そんなところへりょうへいがとつぜんかえったりしたが、)

そんなところへ良平がとつぜん帰ったりしたが、

(かれはべつになにもいわず、しょくじをしたり)

彼はべつになにも云わず、食事をしたり

(きがえをしたりして、すぐにまたでていった。)

着替えをしたりして、すぐにまた出ていった。

(いもうとがきたのはいつかめのことである。)

妹が来たのは五日めのことである。

(きてすわるなり、ふみよはひじょうなだいじを)

来て坐るなり、文代は非常な大事を

(しらせるように、はろうのことをかたった。)

知らせるように、破牢のことを語った。

(「ろうをやぶったのはしちにんですって、さんにんはどこかのおもんでつかまり、)

「牢を破ったのは七人ですって、三人はどこかの御門で捉まり、

(もうひとりはおおはしのところで、それからかいどうぐちでひとり、)

もう一人は大橋のところで、それから街道口で一人、

(つまりごにんつかまったけれど、ともやさまともうひとりのかたは)

つまり五人捉まったけれど、知也さまともう一人の方は

(おにげになったらしいですわ」)

お逃げになったらしいですわ」

(「でもそれが、にげられたのがともやさまだということがどうしてわかるの」)

「でもそれが、逃げられたのが知也さまだということがどうしてわかるの」

(「にしはらのおいえへやくにんがつめているのですって、)

「西原のお家へ役人が詰めているのですって、

(ごにんもよるひるずっとつめてみはっているということですわ、)

五人も夜昼ずっと詰めて見張っているということですわ、

(もうだいじょうぶよ、もういつかもたつんですものね」)

もう大丈夫よ、もう五日も経つんですものね」

(「どうしてそんなことをなすったのかしら、)

「どうしてそんなことをなすったのかしら、

(どんなわるいことをなすったのかしら」)

どんな悪い事をなすったのかしら」

(「なにかわけがあるのよ、あのかたがわるいことなど)

「なにかわけがあるのよ、あの方が悪いことなど

(なさるはずがないじゃありませんか」)

なさる筈がないじゃありませんか」

(ふみよはおこったようにこういってかたをゆすった。)

文代は怒ったようにこう云って肩を揺った。

(よほどともやはここにいることをつげようかとおもったが、)

よほど知也はここにいることを告げようかと思ったが、

(まだそのじきではないとおもい、しまいまでしらぬかおをしていた。)

まだその時期ではないと思い、しまいまで知らぬ顔をしていた。

(なのかめごろからおっとのつとめはまたへいじょうにかえった。)

七日めごろから良人の勤めはまた平常にかえった。

(おそらくそうさはうちきられたのであろう、)

おそらく捜査はうちきられたのであろう、

(しんけいのとがった、いらいらしたかおになり、しょくじもすすまぬようすで、)

神経の尖った、苛々した顔になり、食事もすすまぬようすで、

(ささいなことにびっくりするほどおこってこえをあげた。)

些細なことにびっくりするほど怒って声をあげた。

(ともやへはひにさんど、ぞうすいをはこび、やはんにはおかわをあけてやる。)

知也へは日に三度、雑炊を運び、夜半にはおかわをあけてやる。

(なんでもないようだが、ひとのでいりのすきをみてするので、)

なんでもないようだが、人の出入りの隙をみてするので、

(たえずきんちょうしているうえに「みつかったらーー」)

絶えず緊張しているうえに「みつかったらーー」

(とおもうきょうふがつきまとい、じゅくすいすることもできないにちやがつづいて、)

と思う恐怖がつきまとい、熟睡することもできない日夜が続いて、

(しのはみもこころもつかれはてていった。)

信乃は身も心も疲れはてていった。

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