晩年 ②
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問題文
(いかなることか、わたしはおさないときからこのばあさまがだいすきで、うばからはなれると)
いかなることか、私は幼いときからこの婆様が大好きで、乳母から離れると
(すぐばあさまのおふところにとびこんでしまったのでございます。もっともわたしのかあさまは)
すぐ婆様の御懐に飛び込んでしまったのでございます。もっとも私の母様は
(ごびょうきでございましたゆえ、こどもにはあまりかもうてくれなかったのでございます。)
御病気でございました故、子供には余り構うて呉れなかったのでございます。
(とうさまもかあさまはばあさまのほんとうのみこではございませぬから、ばあさまはあまりかあさまの)
父様も母様は婆様のほんとうの御子ではございませぬから、婆様はあまり母様の
(ほうへおあそびにまいりませずしろくじちゅう、はなれのおへやばかりにいらっしゃいます)
ほうへお遊びに参りませず四六時中、離座敷のお部屋ばかりにいらっしゃいます
(ので、わたしもばあさまのおそばにくっついてみっかもよっかもかあさまのおかおをみないことは)
ので、私も婆様のお傍にくっついて三日も四日も母様のお顔を見ないことは
(めずらしゅうございませんでした。それゆえばあさまも、わたしのねえさまなぞよりずっとわたしの)
珍しゅうございませんでした。それゆえ婆様も、私の姉様なぞよりずっと私の
(ほうをかわいがってくださいまして、まいばんのようにくさぞうしをよんできかせてくださった)
ほうを可愛がって下さいまして、毎晩のように草双紙を読んで聞かせて下さった
(のでございます。なかにも、あれあのやおやおしちのものがたりをきいたときのかんげきは)
のでございます。なかにも、あれあの八百屋お七の物語を聞いた時の感激は
(わたしはいまでもしみじみあじわうことができるのでございます。そしてまた、ばあさまが)
私は今でもしみじみ味わうことができるのでございます。そしてまた、婆様が
(おたわむれにわたしを「きちざ」「きちざ」とおよびになってくださったおりのそのうれしさ。)
おたわむれに私を「吉三」「吉三」とお呼びになって下さった折のその嬉しさ。
(らんぷのきいろいともしびのしたでしょんぼりくさぞうしをおよみになっていらっしゃる)
らんぷの黄色い燈火の下でしょんぼり草双紙をお読みになっていらっしゃる
(ばあさまのおうつくしいおすがた、さよう、わたしはことごとくよくおぼえているのでございます。)
婆様のお美しい御姿、左様、私はことごとくよく覚えているのでございます。
(とりわけあのばんのあわれみがのぎょしんものがたりは、ふしぎとわたしにわすれることができないので)
とりわけあの晩の哀蚊の御寝物語は、不思議と私に忘れることができないので
(ございます。そういえばあれはたしかにあきでございました。)
ございます。そう言えばあれは確かに秋でございました。
(「あきまでいきのこされているかをあわれがというのじゃ。かいぶしはたかぬもの。)
「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻しは焚かぬもの。
(ふびんのゆえにな。」ああ、いちごんいっくそのまんまきおくしております。ばあさまはねながら)
不憫の故にな。」ああ、一言一句そのまんま記憶して居ります。婆様は寝ながら
(めいるようなくちょうでそうかたられ、そうそう、ばあさまはわたしをだいておねになられる)
滅入るような口調でそう語られ、そうそう、婆様は私を抱いてお寝になられる
(ときには、きまってわたしのりょうあしをばあさまのおあしのあいだにはさんで、あたためてくださった)
ときには、きまって私の両足を婆様のお脚のあいだに挟んで、温めて下さった
(ものでございます。あるさむいばんなぞ、ばあさまはわたしのねまきをみんなおはぎとりに)
ものでございます。或る寒い晩なぞ、婆様は私の寝巻をみんなお剥ぎとりに
(なり、ばあさまごじしんかがやくほどおきれいなおすはだをむきだしくださって、わたしをだいて)
なり、婆様御自身輝くほどお綺麗な御素肌をむきだし下さって、私を抱いて
(おねになりおあたためなされてくれたこともございました。それほどばあさまはわたしを)
お寝になりお温めなされてくれたこともございました。それほど婆様は私を
(たいせつにしていらっしゃったのでございます。)
大切にしていらっしゃったのでございます。
(「なんの。あわれみがはわしじゃがな、はかない・・・・・」)
「なんの。哀蚊はわしじゃがな、はかない・・・・・」
(おっしゃりながらわたしのかおをつくづくとみまもりましたけれど、あんなにおうつくしい)
仰言りながら私の顔をつくづくと見守りましたけれど、あんなにお美しい
(おめめもないものでございます。おもやのごしゅうげんのさわぎも、もうひっそりしずかに)
御めめもないものでございます。母屋の御祝言の騒ぎも、もうひっそり静かに
(なってたようでございましたし、なんでもまよなかちかくでございましたでしょう)
なってたようでございましたし、なんでも真夜中ちかくでございましたでしょう
(あきかぜがさらさらとあまどをなでて、のきのふうりんがそのたびごとによわよわしくなっており)
秋風がさらさらと雨戸を撫でて、軒の風鈴がその度毎に弱弱しく鳴って居り
(ましたのもかすかにおもいだすことができるのでございます。ええ、ゆうれいをみたのは)
ましたのも幽かに思いだすことができるのでございます。ええ、幽霊を見たのは
(そのよるのことでございます。ふっとめをさましまして、おしっこ、とわたしは)
その夜のことでございます。ふっと目をさましまして、おしっこ、と私は
(もうしたのでございます。ばあさまのおへんじがございませんでしたので、ねぼけながら)
申したのでございます。婆様の御返事がございませんでしたので、寝ぼけながら
(あたりをみまわしましたけれど、ばあさまはいらっしゃらなかったのでございます。)
あたりを見廻しましたけれど、婆様はいらっしゃらなかったのでございます。
(こころぼそくかんじながらも、ひとりでそっとゆかからぬけだしまして、てらてらくろびかりの)
心細く感じながらも、ひとりでそっと床から抜け出しまして、てらてら黒光りの
(するけやきふしんのながいろうかをこわごわおかわやのほうへ、あしのうらだけは、いやにひえびえ)
する欅普請の長い廊下をこわごわお厠のほうへ、足の裏だけは、いやに冷え冷え
(しておりましたけれど、なにさまねむくって、まるでふかいきりのなかをゆらりゆらり)
して居りましたけれど、なにさま眠くって、まるで深い霧のなかをゆらりゆらり
(およいでいるようなきもち、そのときです。ゆうれいをみたのでございます。)
泳いでいるような気持ち、そのときです。幽霊を見たのでございます。
(ながいながいろうかのかたすみに、しろくしょんぼりうずくまって、かなりとおくからみたので)
長い長い廊下の片隅に、白くしょんぼり蹲くまって、かなり遠くから見たので
(ございますから、ふいるむのようにちいさく、けれどもたしかに、たしかに、ねえさまと)
ございますから、ふいるむのように小さく、けれども確かに、確かに、姉様と
(こんばんのおむこさまとがおねになっておられるおへやをのぞいているのでございます。)
今晩の御婿様とがお寝になって居られるお部屋を覗いているのでございます。
(ゆうれい、いいえ、ゆめではございませぬ。)
幽霊、いいえ、夢ではございませぬ。
(げいじゅつのびはしょせん、しみんへのほうしのびである。)
芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。
(はなきちがいのだいくがいる。じゃまだ。)
花きちがいの大工がいる。邪魔だ。
(それから、まちこはめをふせてこんなことをささやいた。)
それから、まち子は目を伏せてこんなことを囁いた。
(「あのはなのなをしっている?ゆびをふれればぱちんとわれて、きたないしるをはじき)
「あの花の名を知っている?指をふれればぱちんとわれて、きたない汁をはじき
(だし、みるみるゆびをくさらせる。あのはなのながわかったらねえ。」)
だし、みるみる指を腐らせる。あの花の名が判ったらねえ。」
(ぼくはせせらわらい、ずぼんのぽけっとへりょうてをつっこんでからこたえた。)
僕はせせら笑い、ズボンのポケットへ両手をつっ込んでから答えた。
(「こんなきのなをしっている?そのははちるまであおいのだ。はのうらだけが)
「こんな樹の名を知っている?その葉は散るまで青いのだ。葉の裏だけが
(じりじりかれてむしにくわれているのだが、それをこっそりかくしておいて、ちる)
じりじり枯れて虫に食われているのだが、それをこっそりかくして置いて、散る
(まであおいふりをする。あのきのなさえわかったらねえ。」)
まで青いふりをする。あの樹の名さえ判ったらねえ。」
(「しぬ?しぬのかきみは?」 ほんとうにしぬかもしれないとこばやかわはおもった。)
「死ぬ?死ぬのか君は?」 ほんとうに死ぬかも知れないと小早川は思った。
(きょねんのあきだったかしら、なんでもあおいのいえにこさくそうぎがおこったりして)
去年の秋だったかしら、なんでも青井の家に小作争議が起こったりして
(いろいろのごたごたがあおいのいっしんじょうにふりかかったけれど、そのときもかれは)
いろいろのごたごたが青井の一身上に降りかかったけれど、そのときも彼は
(やくひんのじさつをくわだてみっかもこんすいしつづけたことさえあったのだ。またついせんだっても)
薬品の自殺を企て三日も昏睡し続けた事さえあったのだ。またせんだっても
(ぼくがこんなにほうとうをやめないのもつまりはぼくのからだがまだほうとうにたええるからで)
僕がこんなに放蕩をやめないのもつまりは僕の身体がまだ放蕩に耐え得るからで
(あろう。きょせいされたようなおとこにでもなればぼくははじめていっさいのかんかくてきかいらくをさけて)
あろう。去勢されたような男にでもなれば僕は始めて一切の感覚的快楽をさけて
(とうそうへのざいせいてきふじょにせんしんできるのだ、とかんがえて、みっかばかりつづけてpしの)
闘争への財政的扶助に専心できるのだ、と考えて、三日ばかり続けてP市の
(びょういんにかよい、そのでんせんびょうしゃのそばのどぶのみずをすくってのんだものだそうだ。)
病院に通い、その伝染病者の傍の泥溝の水を掬って飲んだものだそうだ。
(けれどもちょっとげりをしただけでしっぱいさ、とそのことをあとであおいがほおあからめ)
けれどもちょっと下痢をしただけで失敗さ、とそのことを後で青井が頬あからめ
(てはなすのをきき、こばやかわは、そのいんてりくさいゆうぎをこのうえなくふゆかいにかんじ)
て話すのを聞き、小早川は、そのインテリ臭い遊戯をこのうえなく不愉快に感じ
(たが、しかし、それほどまでにおもいつめたあおいのこころが、すこしからずかれのむねを)
たが、しかし、それほどまでに思いつめた青井の心が、少しからず彼の胸を
(うったのもじじつであった。「しねばいちばんいいのだ。いや、ぼくだけじゃない。)
打ったのも事実であった。「死ねば一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。
(すくなくともしゃかいのしんぽにまいなすのはたらきをしているやつらはぜんぶ、しねばいいのだ)
少なくとも社会の進歩にマイナスの働きをしている奴等は全部、死ねばいいのだ
(それともきみ、まいなすのものでもなんでもひとはすべてしんではならぬという)
それとも君、マイナスの者でもなんでも人はすべて死んではならぬという
(かがくてきななにかりゆうがあるのかね。」「ば、ばかな。」こばやかわにはあおいのいう)
科学的な何か理由があるのかね。」「ば、ばかな。」小早川には青井の言う
(ことがきゅうにばからしくなってきた。「わらってはいけない。だってきみ、そうじゃ)
ことが急にばからしくなって来た。「笑ってはいけない。だって君、そうじゃ
(ないか。そせんをまつるためにうまれていなければならないとか、じんるいのぶんかを)
ないか。祖先を祭るために生まれていなければならないとか、人類の文化を
(かんせいさせなければならないとか、そんなたいへんなりんりてきなぎむとしてしか)
完成させなければならないとか、そんなたいへんな倫理的な義務としてしか
(ぼくたちはいままでおしえられていないのだ。なんのかがくてきなせつめいもあたえられていない)
僕たちは今まで教えられていないのだ。なんの科学的な説明も与えられていない
(のだ。そんならぼくたちまいなすのにんげんはみな、しんだほうがいいのだ。しぬと)
のだ。そんなら僕たちマイナスの人間は皆、死んだほうがいいのだ。死ぬと
(ぜろだよ。」「ばか!なにをいっていやがる。どだい、きみ、むしがよすぎるぞ。)
ゼロだよ。」「馬鹿!何を言っていやがる。どだい、君、虫が良すぎるぞ。
(それはなるほど、きみもぼくもぜんぜんせいさんにあずかっていないにんげんだ。それだから)
それは成る程、君も僕もぜんぜん生産にあずかっていない人間だ。それだから
(とて、けっしてまいなすのせいかつはしていないとおもうのだ。きみはいったい、むさんかいきゅう)
とて、決してマイナスの生活はしていないと思うのだ。君はいったい、無産階級
(のかいほうをのぞんでいるのか。むさんかいきゅうのだいしょうりをしんじているのか。ていどのさは)
の解放を望んでいるのか。無産階級の大勝利を信じているのか。程度の差は
(あるけれども、ぼくたちはぶるじょあじいにきせいしている。それはたしかだ。だが)
あるけれども、僕たちはブルジョアジイに寄生している。それは確かだ。だが
(それはぶるじょあじいをしじしているのとはぜんぜんいみがちがうのだ。)
それはブルジョアジイを支持しているのとはぜんぜん意味が違うのだ。
(ひとつのぷろれたりああとへのこうけんと、きゅうのぶるじょあじいへのこうけんときみは)
一つのプロレタリアアトへの貢献と、九のブルジョアジイへの貢献と君は
(いったが、なにをさしてぶるじょあじいへのこうけんというのだろう。わざわざ)
言ったが、何を指してブルジョアジイへの貢献と言うのだろう。わざわざ
(しほんかのふところをこやしてやるてんでは、ぼくたちだってぷろれたりああとだっておなじ)
資本家の懐を肥やしてやる点では、僕たちだってプロレタリアアトだって同じ
(ことなんだ。しほんしゅぎてきけいざいしゃかいにすんでいることがうらぎりなら、とうしには)
ことなんだ。資本主義的経済社会に住んでいることが裏切りなら、闘士には
(どんなせんにんがなるのだ。そんなことばこそうるとらというものだ。)
どんな仙人が成るのだ。そんな言葉こそウルトラというものだ。
(きんでるくらんくはいと(しょうにびょう)というものだ。ひとつのぷろれたりああとへの)
キンデルクランクハイト(小児病)というものだ。一つのプロレタリアアトへの
(こうけん、それでたくさん。そのひとつがとうといのだ。そのいちだけのためにぼくたちはがんばって)
貢献、それで沢山。その一つが尊いのだ。その一だけの為に僕たちは頑張って
(いきていなければならないのだ。そうしてそれがりっぱにぷらすのせいかつだ。)
生きていなければならないのだ。そうしてそれが立派にプラスの生活だ。
(しぬなんてばかだ。しぬなんてばかだ。」)
死ぬなんて馬鹿だ。死ぬなんて馬鹿だ。」