晩年 ⑧

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太宰 治

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問題文

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(わたしはそぼをすいてはいなかったが、わたしのねむられないよるにはそぼをありがたくおもう)

私は祖母を好いてはいなかったが、私の眠られない夜には祖母を有難く思う

(ことがあった。わたしはしょうがくさんよねんのころからふみんしょうにかかって、よるのにじに)

ことがあった。私は小学三四年のころから不眠症にかかって、夜の二時に

(なってもさんじになってもねむれないで、よくねどこのなかでないた。ねるまえにさとうを)

なっても三時になっても眠れないで、よく寝床のなかで泣いた。寝る前に砂糖を

(なめればいいとか、とけいのかちかちをかぞえるとか、みずでりょうあしをひやせとか、)

なめればいいとか、時計のかちかちを数えるとか、水で両足を冷やせとか、

(ねむのきのはをまくらのしたにしいてねるといいとか、さまざまのねむるくふうをうちの)

ねむのきの葉を枕のしたに敷いて寝るといいとか、さまざまの眠る工夫をうちの

(ひとたちからおしえられたが、あまりききめがなかったようである。わたしはくろうしょうで)

人たちから教えられたが、あまり効目がなかったようである。私は苦労性で

(あって、いろんなことをほじくりかえしてきにするものだから、なおのことねむれ)

あって、いろんなことをほじくり返して気にするものだから、尚のこと眠れ

(なかったのであろう。ちちのはなめがねをこっそりいじくって、ぽきっとそのがらすを)

なかったのであろう。父の鼻眼鏡をこっそりいじくって、ぽきっとその硝子を

(わってしまったときは、いくよもつづけてねぐるしいおもいをした。いっけんおいてとなりの)

割ってしまったときは、幾夜もつづけて寝苦しい思いをした。一軒置いて隣の

(こまものやではしょもつるいもわずかうっていて、あるひわたしは、そこでふじんざっしの)

小間物屋では書物類もわずか売っていて、ある日私は、そこで婦人雑誌の

(くちえなどを、みていたが、そのうちのいちまいできいろいにんぎょのすいさいががほしくて)

口絵などを、見ていたが、そのうちの一枚で黄色い人魚の水彩画が欲しくて

(ならず、ぬすもうとかんがえてしずかにざっしからきりはなしていたら、そこのわかしゅじんに、)

ならず、盗もうと考えて静かに雑誌から切り離していたら、そこの若主人に、

(おさこ、おさこ、とみとがめられ、そのざっしをおとたかくみせのたたみになげつけていえまで)

治こ、治こ、と見とがめられ、その雑誌を音高く店の畳に投げつけて家まで

(とんではしってきたことがあったけれど、そういうやりそこないもまたわたしを)

飛んではしって来たことがあったけれど、そういうやりそこないもまた私を

(ねむらせなかった。わたしはまた、ねどこのなかでかじのきょうふにりゆうなくくるしめられた。)

眠らせなかった。私は又、寝床の中で火事の恐怖に理由なく苦しめられた。

(このいえがやけたら、とおもうとねむるどころではなかったのである。いつかのよる、)

此の家が焼けたら、と思うと眠るどころではなかったのである。いつかの夜、

(わたしがねしなにかわやへいったら、そのかわやとろうかひとつへだてたまっくらいちょうばのへやで、)

私が寝しなに厠へ行ったら、その厠と廊下ひとつ隔てた真っ暗い帳場の部屋で、

(しょせいがひとりしてかつどうしゃしんをうつしていた。しろくまの、こおりのがけからうみへとびこむ)

書生がひとりして活動写真をうつしていた。白熊の、氷の崖から海へ飛び込む

(ありさまが、へやのふすまへ、まっちばこほどのおおきさでちらちらうつっていたのである。)

有様が、部屋の襖へ、マッチ箱ほどの大きさでちらちら移っていたのである。

(わたしはそれをのぞいてみて、しょせいのそういうこころもちがたまらなくかなしくおもわれた。)

私はそれを覗いて見て、書生のそういう心持がたまらなく悲しく思われた。

など

(とこについてからも、そのかつどうしゃしんのことをかんがえるとむねがどきどきして)

床に就いてからも、その活動写真のことを考えると胸がどきどきして

(ならぬのだ。しょせいのみのうえをおもったり、また、そのえいしゃきのふぃるむからはっかし)

ならぬのだ。書生の身の上を思ったり、また、その映写機のフィルムから発火し

(だいじになったらどうしようとそのことがしんぱいでしんぱいで、そのよるはあけがたちかくに)

大事になったらどうしようとそのことが心配で心配で、その夜はあけがた近くに

(なるまでまどろむことができなかったのである。そぼをありがたくおもうのはこんなよるで)

なる迄まどろむ事が出来なかったのである。祖母を有難く思うのはこんな夜で

(あった。まず、ばんのはちじごろじょちゅうがわたしをねかしてくれて、わたしのねむるまでは)

あった。まず、晩の八時ごろ女中が私を寝かして呉れて、私の眠るまでは

(そのじょちゅうもわたしのそばにねながらついていなければならなかったのだが、わたしはじょちゅうを)

その女中も私の傍に寝ながら附いていなければならなかったのだが、私は女中を

(きのどくにおもい、とこにつくとすぐねむったふりをするのである。じょちゅうがこっそり)

気の毒に思い、床につくとすぐ眠ったふりをするのである。女中がこっそり

(わたしのとこからぬけでるのをおぼえつつ、わたしはすいみんできるようひたすらねんじるのである)

私の床から抜け出るのを覚えつつ、私は睡眠できるようひたすら念じるのである

(じゅうじごろまでとこのなかでころがしきしりしてから、わたしはめそめそなきだしておきあがる。)

十時ごろまで床のなかで転輾してから、私はめそめそ泣きだして起き上がる。

(そのじぶんになると、うちのひとはみなねてしまっていて、そぼだけがおきているのだ)

その時分になると、うちの人は皆寝てしまっていて、祖母だけが起きているのだ

(そぼはやばんのじいと、だいどころのおおきいいろりをはさんではなしている。わたしはたんぜんを)

祖母は夜番の爺と、台所の大きい囲炉裏を挟んで話している。私はたんぜんを

(きたままそのあいだにはいって、むっつりしながらかれらのはなしをきいているのである。)

着たままその間にはいって、むっつりしながら彼等の話を聞いているのである。

(かれらはきまってむらのひとびとのうわさばなしをしていた。あるあきのよふけに、わたしはかれらの)

彼等はきまって村の人々の噂話をしていた。或る秋の夜更けに、私は彼らの

(ぼそぼそかたりあうはなしにみみかたむけていると、とおくからむしおくりまつりのたいこのねが)

ぼそぼそ語り合う話に耳傾けていると、遠くから虫おくり祭りの太鼓の音が

(どんどんひびいてきたが、それをきいて、ああ、まだおきているひとがたくさん)

どんどん響いてきたが、それを聞いて、ああ、まだ起きている人がたくさん

(あるのだ、とずいぶんきづよくおもったことだけはわすれずにいる。)

あるのだ、とずいぶん気強く思ったことだけは忘れずにいる。

(おとについておもいだす。わたしのちょうけいは、そのころとうきょうのだいがくにいたが、しょちゅうきゅうかに)

音に就いて思い出す。私の長兄は、そのころ東京の大学にいたが、暑中休暇に

(なってききょうするたびごとに、おんがくやぶんがくなどのあたらしいしゅみをいなかへひろめた。)

なって帰郷する度毎に、音楽や文学などのあたらしい趣味を田舎へひろめた。

(ちょうけいはげきをべんきょうしていた。あるきょうどのざっしにはっぴょうした「うばいあい」というひとまく)

長兄は劇を勉強していた。或る郷土の雑誌に発表した「奪い合い」という一幕

(ものは、むらのわかいひとたちのあいだでひょうばんだった。それをしあげたとき、ちょうけいはかずおおくの)

物は、村の若い人たちの間で評判だった。それを仕上げたとき、長兄は数多くの

(おとうとやいもうとたちにもよんできかせた。みな、わからないわからない、といってきいていたが)

弟や妹たちにも読んで聞かせた。皆、判らない判らない、と言って聞いていたが

(わたしにはわかった。まくぎりの、くらいばんだなあ、というひとことにふくまれたしをさえ)

私には判った。幕切りの、くらい晩だなあ、という一言に含まれた詩をさえ

(りかいできた。わたしはそれに「うばいあい」でなく「あざみそう」というだいをつけるべき)

理解できた。私はそれに「奪い合い」でなく「あざみ草」と言う題をつけるべき

(だとかんがえたので、あとで、あにのかきそんじたげんこうようしのすみへ、そのわたしのいけんを)

だと考えたので、あとで、兄の書き損じた原稿用紙の隅へ、その私の意見を

(ちいさくかいておいた。あにはたぶんそれにきがつかなかったであろう、だいめいをかえる)

小さく書いて置いた。兄は多分それに気が附かなかったであろう、題名をかえる

(ことなくそのままはっぴょうしてしまった。れこおどもかなりあつめていた。わたしのちちは、)

ことなくその儘発表して了った。レコオドもかなり集めていた。私の父は、

(うちでなにかのきょうおうがあるとかならず、とおいおおきなまちからはるばるげいしゃをよんで、)

うちで何かの饗応があると必ず、遠い大きなまちからはるばる芸者を呼んで、

(わたしもいつつむっつのころから、そんなげいしゃたちにだかれたりしたきおくがあって、)

私も五つ六つの頃から、そんな芸者たちに抱かれたりした記憶があって、

(「むかしむかしそのむかし」だの「あれはきのくにみかんぶね」だののうたや)

「むかしむかしそのむかし」だの「あれは紀のくにみかんぶね」だのの唄や

(おどりをおぼえているのである。そいうことから、わたしはあにのれこおどのようがくよりも)

踊りを覚えているのである。そいうことから、私は兄のレコオドの洋楽よりも

(ほうがくのほうにはやくなじんだ。あるよる、わたしがねていると、あにのへやからいいねが)

邦楽の方に早くなじんだ。ある夜、私が寝ていると、兄の部屋からいい音が

(もれてきたので、まくらからあたまをもたげてみみをすました。あくるひ、わたしはあさはやく)

漏れて来たので、枕から頭をもたげて耳をすました。あくる日、私は朝早く

(おきあにのへやへいっててあたりしだいあれこれとれこおどをかけてみた。)

起き兄の部屋へ行って手当たり次第あれこれとレコオドを掛けて見た。

(そしてとうとうわたしはみつけた。ぜんや、わたしをねむらせぬほどこうふんさせたその)

そしてとうとう私は見つけた。前夜、私を眠らせぬほど興奮させたその

(れこおどは、らんちょうだった。わたしはけれどもちょうけいよりじけいにおおくしたしんだ。じけいは)

レコオドは、蘭蝶だった。私はけれども長兄より次兄に多く親しんだ。次兄は

(とうきょうのしょうぎょうがっこうをゆうとうででて、そのままききょうし、うちのぎんこうにつとめていたので)

東京の商業学校を優等で出て、そのまま帰郷し、うちの銀行に勤めていたので

(ある。じけいもまたうちのひとたちにつめたくとりあつかわれていた。わたしは、ははやそぼが、)

ある。次兄も亦うちの人たちに冷たく取扱われていた。私は、母や祖母が、

(いちばんわるいおとこはわたしで、そのつぎにわるいのはじけいだ、といっているのを)

いちばん悪いおとこは私で、そのつぎに悪いのは次兄だ、と言っているのを

(きいたことがあるので、じけいのふにんきもそのようぼうがもとであろうとおもっていた。)

聞いたことがあるので、次兄の不人気もその容貌がもとであろうと思っていた。

(なんにもいらない、おとこぶりばかりでもよくうまれたかった、なあおさむ、と)

なんにも要らない、おとこ振りばかりでもよく生まれたかった、なあ治、と

(はんぶんはわたしをからかうようにつぶやいたじけいのじょうだんぐちをわたしはきおくしている。しかしわたしは)

半分は私をからかうように呟いた次兄の冗談口を私は記憶している。しかし私は

(じけいのかおをよくないとほんしんからかんじたことがいちどもないのだ。あたまもきょうだいの)

次兄の顔をよくないと本心から感じたことが一度もないのだ。あたまも兄弟の

(うちではいいほうだとしんじている。じけいはまいにちのようにさけをのんでそぼとけんかした)

うちではいい方だと信じている。次兄は毎日のように酒を吞んで祖母と喧嘩した

(わたしはそのたびひそかにそぼをにくんだ。すえのあにとわたしとはおたがいにはんもくしていた。)

私はそのたびひそかに祖母を憎んだ。末の兄と私とはお互いに反目していた。

(わたしはいろいろなひみつをこのあにににぎられていたので、いつもけむたかった。それに、)

私は色々な秘密を此の兄に握られていたので、いつもけむたかった。それに、

(すえのあにとわたしのおとうとは、かおのつくりがにてみなからうつくしいとほめられていたし、)

末の兄と私の弟は、顔のつくりが似て皆から美しいとほめられていたし、

(わたしはこのふたりにじょうげからあっぱくされるようなきがしてたまらなかったのである。)

私は此のふたりに上下から圧迫されるような気がしてたまらなかったのである。

(そのあにがとうきょうのちゅうがくにいって、わたしはようやくほっとした。おとうとは、すえっこでやさしい)

その兄が東京の中学に行って、私はようやくほっとした。弟は、末子で優しい

(かおをしていたからちちにもははにもあいされた。わたしはたえずおとうとをしっとしていて、)

顔をしていたから父にも母にも愛された。私は絶えず弟を嫉妬していて、

(ときどきなぐってはははにしかられ、ははをうらんだ。わたしがとおかじゅういちのころのことと)

ときどきなぐっては母に叱られ、母をうらんだ。私が十か十一のころのことと

(おもう。わたしのしゃつやじゅばんのぬいめへごまをふりまいたようにしらみがたかった)

思う。私のシャツや襦袢の縫目へ胡麻をふり撒いたようにしらみがたかった

(ときなど、おとうとがそれをちょっとわらったというので、もじどおりおとうとをなぐりたおした。けれども)

時など、弟がそれを鳥渡笑ったというので、文字通り弟を殴り倒した。けれども

(わたしはやはりしんぱいになっておとうとのあたまにできたいくつかのこぶへふかいんというくすりを)

私は矢張り心配になって弟の頭に出来たいくつかの瘤へ不可飲という薬を

(つけてやった。わたしはあねたちにはかわいがられた。いちばんうえのあねはしに、つぎのあねは)

つけてやった。私は姉たちには可愛がられた。いちばん上の姉は死に、次の姉は

(とつぎ、あとのふたりのあねはそれぞれちがうまちのじょがっこうへいっていた。わたしのむらには)

嫁ぎ、あとの二人の姉はそれぞれ違うまちの女学校へ行っていた。私の村には

(きしゃがなかったので、さんりほどはなれたきしゃのあるまちといききするのに、)

汽車がなかったので、三里ほど離れた汽車のあるまちと往き来するのに、

(なつはばしゃ、ふゆはそり、はるのゆきどけのころやあきのみぞれのころはあるくよりほかなかったので)

夏は馬車、冬は橇、春の雪解けの頃や秋のみぞれの頃は歩くより他なかったので

(ある。あねたちはそりにようので、ふゆやすみのときもあるいてかえった。わたしはそのつどつど)

ある。姉たちは橇に酔うので、冬やすみの時も歩いて帰った。私はそのつどつど

(むらはずれのざいもくがつまれてあるところまでむかえにでたのである。ひがとっぷり)

村端れの材木が積まれてあるところまで迎えに出たのである。日がとっぷり

(くれてもみちはゆきあかりであかるいのだ。やがてとなりむらのもりのかげからあねたちのちょうちんが)

暮れても道は雪あかりで明るいのだ。やがて隣村の森のかげから姉たちの提燈が

(ちらちらあらわれると、わたしは、おう、とおおごえあげてりょうてをふった。)

ちらちら現れると、私は、おう、と大声あげて両手を振った。

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