晩年 ⑩

投稿者Sawajiプレイ回数381
難易度(4.2) 5534打 長文 かなタグ太宰治 長文 小説 文豪 文学
太宰 治

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問題文

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(いいせいせきではなかったが、わたしはそのはる、ちゅうがっこうへじゅけんしてごうかくをした。)

いい成績ではなかったが、私はその春、中学校へ受験して合格をした。

(わたしは、あたらしいはかまとくろいくつしたとあみあげのくつをはき、いままでのもうふをよして)

私は、新しい袴と黒い沓下とあみあげの靴をはき、いままでの毛布をよして

(らしゃのまんとをしゃれものらしくぼたんをかけずにまえをあけたままはおって、)

羅紗のマントを洒落者らしくボタンをかけずに前をあけたまま羽織って、

(そのうみのあるしょうとかいへでた。そしてわたしのうちととおいしんせきにあたるそのまちの)

その海のある小都会へ出た。そして私のうちと遠い親戚にあたるそのまちの

(ごふくてんでりょそうをといた。いりぐちにちぎれたふるいのれんをさげてあるそのいえへ、)

呉服店で旅装を解いた。入口にちぎれた古いのれんをさげてあるその家へ、

(わたしはずっとせわになることになっていたのである。わたしはなにごとにもうちょうてんに)

私はずっと世話になることになっていたのである。私は何ごとにも有頂天に

(なりやすいせいしつをもっているが、にゅうがくとうじはせんとうへいくのにもがっこうのせいぼうをかぶり、)

なり易い性質を持っているが、入学当時は銭湯へ行くのにも学校の制帽を被り、

(はかまをつけた。そんなわたしのすがたがじゅうらいのまどがらすにでもはえると、わたしはわらいながら)

袴をつけた。そんな私の姿が従来の窓硝子にでも映えると、私は笑いながら

(それへかるくえしゃくをしたものである。それなのに、がっこうはちっともおもしろくなかった)

それへ軽く会釈をしたものである。それなのに、学校はちっとも面白くなかった

(こうしゃは、まちのはずれにあって、しろいぺんきでぬられ、すぐうらにはかいきょうにめんした)

校舎は、まちの端れにあって、しろいペンキで塗られ、すぐ裏には海峡に面した

(ひらたいこうえんで、なみのおとやまつのざわめきがじゅぎょうちゅうでもきこえてきて、ろうかもひろく)

ひらたい公園で、浪の音や松のざわめきが授業中でも聞こえて来て、廊下も広く

(きょうしつのてんじょうもたかくて、わたしはすべてにいいかんじをうけたのだが、そこにいる)

教室の天井も高くて、私はすべてにいい感じを受けたのだが、そこにいる

(きょうしたちはわたしをひどくはくがいしたのである。わたしはにゅうがくしきのひから、あるたいそうの)

教師たちは私をひどく迫害したのである。私は入学式の日から、或る体操の

(きょうしにぶたれた。わたしがなまいきだというのであった。このきょうしはにゅうがくしけんのとき)

教師にぶたれた。私が生意気だというのであった。この教師は入学試験のとき

(わたしのこうとうしけんのかかりであったが、おとうさんがなくなってよくべんきょうも)

私の口答試験の係りであったが、お父さんがなくなってよく勉強も

(できなかったろう、とわたしにじょうふかいことばをかけてくれ、わたしもうなだれてみせた)

できなかったろう、と私に情ふかい言葉をかけて呉れ、私もうなだれてみせた

(そのひとであっただけに、わたしのこころはいっそうきずつけられた。そののちもわたしは)

その人であっただけに、私のこころはいっそう傷けられた。そののちも私は

(いろんなきょうしにぶたれた。にやにやしているとか、あくびをしたとか、さまざまな)

色んな教師にぶたれた。にやにやしているとか、あくびをしたとか、さまざまな

(りゆうからばっせられた。じゅぎょうちゅうのわたしのあくびがおおきいのでしょくいんしつでひょうばんである、)

理由から罰せられた。授業中の私のあくびが大きいので職員室で評判である、

(ともいわれた。わたしはそんなばかげたことをはなしあっているしょくいんしつを、おかしく)

とも言われた。私はそんな莫迦げたことを話し合っている職員室を、おかしく

など

(おもった。わたしとおなじまちからきているひとりのせいとが、あるひ、わたしをこうていのすなやまの)

思った。私と同じ町から来ている一人の生徒が、或る日、私を校庭の砂山の

(かげによんで、きみのたいどはじっさいなまいきそうにみえる、あんなになぐられてばかり)

陰に呼んで、君の態度はじっさい生意気そうに見える、あんなに殴られてばかり

(いるとらくだいするにちがいない、とちゅうこくしてくれた。わたしはがくぜんとした。そのひの)

いると落第するにちがいない、と忠告して呉れた。私は愕然とした。その日の

(ほうかご、わたしはかいがんづたいにひとりいえじをいそいだ。くつぞこをなみになめられつつためいき)

放課後、私は海岸づたいにひとり家路を急いだ。靴底を浪になめられつつ溜息

(ついてあるいた。ようふくのそででひたいのあせをふいていたら、ねずみいろのびっくりするほど)

ついて歩いた。洋服の袖で額の汗を拭いていたら、鼠色のびっくりするほど

(おおきいほがすぐめのまえをよろよろととおっていった。わたしはちりかけているかべんで)

大きい帆がすぐ眼の前をよろよろととおって行った。私は散りかけている花弁で

(あった。すこしのかぜにもふるえおののいた。ひとからどんなささいなさげすみを)

あった。すこしの風にもふるえおののいた。人からどんな些細なさげすみを

(うけてもしなんかなともだえた。わたしは、じぶんをいまにきっとえらくなるものとおもって)

受けても死なん哉と悶えた。私は、自分を今にきっとえらくなるものと思って

(いたし、えいゆうとしてのめいよをまもって、たといおとなのあなどりにでもようしゃ)

いたし、英雄としての名誉をまもって、たとい大人の侮りにでも容赦

(できなかったのであるから、このらくだいというふめいよも、それだけちめいてきであった)

できなかったのであるから、この落第という不名誉も、それだけ致命的であった

(のである。そのあとのわたしはきょうきょうとしてじゅぎょうをうけた。じゅぎょうをうけながらも、)

のである。その後の私は兢兢として授業を受けた。授業を受けながらも、

(このきょうしつのなかにはめにめえぬひゃくにんのてきがいるのだとかんがえて、すこしもゆだんを)

この教室のなかには眼に目えぬ百人の敵がいるのだと考えて、少しも油断を

(しなかった。あさ、がっこうへでかけしなには、わたしのつくえのうえへとらんぷをならべて、)

しなかった。朝、学校へ出掛けしなには、私の机の上へトランプを並べて、

(そのひいちにちのうんめいをうらなった。はあとはだいきちであった。だいやははんきち、)

その日いちにちの運命を占った。ハアトは大吉であった。ダイヤは半吉、

(くらぶははんきょう、すぺえどはだいきょうであった。そしてそのころは、くるひもくるひも)

クラブは半凶、スペエドは大凶であった。そしてその頃は、来る日も来る日も

(すぺえどばかりでたのである。それからまもなくしけんがきたけれど、わたしは)

スペエドばかり出たのである。それから間もなく試験が来たけれど、私は

(はくぶつでもちりでもしゅうしんでも、きょうかしょのいちじいっくをそのままあんきしてしまうように)

博物でも地理でも修身でも、教科書の一字一句をそのまま暗記して了うように

(つとめた。これはわたしのいちかばちかのけっぺきからきているのであろうが、)

努めた。これは私のいちかばちかの潔癖から来ているのであろうが、

(このべんきょうほうはわたしのためによくないけっかをよんだ。わたしはべんきょうがきゅうくつでならなかったし)

この勉強法は私の為によくない結果を呼んだ。私は勉強が窮屈でならなかったし

(しけんのさいも、ゆうずうがきかなくて、ほとんどかんぺきにちかいよいとうあんようしをよごしている)

試験の際も、融通がきかなくて、殆ど完璧に近いよい答案用紙を汚している

(ばあいもあったのである。しかしわたしのだいいちがっきのせいせきはくらすのさんばんであった。)

場合もあったのである。しかし私の第一学期の成績はクラスの三番であった。

(そうこうもこうであった。らくだいのけねんにくるしまされていたわたしは、そのつうこくぼをかたてに)

操行も甲であった。落第の懸念に苦しまされていた私は、その通告簿を片手に

(にぎって、もういっぽうのてでくつをつりあげたまま、うらのかいがんまではだしではしった。)

握って、もう一方の手で靴を吊り上げたまま、裏の海岸まではだしで走った。

(うれしかったのである。いちがっきをおえて、はじめてのききょうのときは、わたしはこきょうの)

嬉しかったのである。一学期をおえて、はじめての帰郷のときは、私は故郷の

(おとうとたちにわたしのちゅうがくせいかつのみじかいけいけんをできるだけかがやかしくせつめいしたくおもって、)

弟たちに私の中学生活の短い経験を出来るだけ輝かしく説明したく思って、

(わたしがそのさんよんかげつかんみにつけたすべてのもの、ざぶとんのはてまでこうりにつめた。)

私がその三四ヶ月間身につけたすべてのもの、座蒲団のはてまで行李につめた。

(ばしゃにゆられながらとなりむらのもりをぬけると、いくさとしほうものあおたのうみがてんかいして、)

馬車にゆられながら隣村の森を抜けると、幾里四方もの青田の海が展開して、

(そのあおたのはてるあたりにわたしのうちのあかいおおやねがそびえていた。わたしはそれを)

その青田の果てるあたりに私のうちの赤い大屋根が聳えていた。私はそれを

(ながめてじゅうねんもみないきがした。わたしはそのきゅうかのひとつきほどとくいなきもちでいた)

眺めて十年も見ない気がした。私はその休暇のひとつきほど得意な気持でいた

(ことがない。わたしはおとうとたちへちゅうがっこうのことをこちょうしてゆめのようにものがたった。)

ことがない。私は弟たちへ中学校のことを誇張して夢のように物語った。

(そのしょうとかいのありさまをも、つとめてげんようにものがたったのである。)

その小都会の有様をも、つとめて幻妖に物語ったのである。

(わたしはふうけいをすけっちしたりこんちゅうのさいしゅうをしたりして、のはらやたにがわをはしりまわった)

私は風景をスケッチしたり昆虫の採集をしたりして、野原や谷川をはしり廻った

(すいさいがをごまいえがくのとめずらしいこんちゅうのひょうほんをじゅっしゅあつめるのとが、きょうしに)

水彩画を五枚えがくのと珍しい昆虫の標本を十種あつめるのとが、教師に

(かされたきゅうかちゅうのしゅくだいであった。わたしはほちゅうあみをかたにかついで、おとうとにはぴんせっと)

課された休暇中の宿題であった。私は捕虫網を肩にかついで、弟にはピンセット

(だのどくつぼだののはいったさいしゅうかばんをもたせ、もんしろちょうやばったをおいながら、)

だの毒壺だののはいった採集鞄を持たせ、もんしろ蝶やばったを追いながら、

(いちにちをなつののはらですごした。よるはていえんでたきびをめらめらともやして、とんでくる)

一日を夏の野原で過ごした。夜は庭園で焚火をめらめらと燃やして、飛んで来る

(たくさんのむしをあみやほうきでかたっぱしからたたきおとした。すえのあにはびじゅつがっこうの)

たくさんの虫を網や箒で片っぱしからたたき落とした。末の兄は美術学校の

(そぞうかへはいっていたが、まいにちなかにわのおおきいくりのきのしたでねんどをいじくって)

塑像科へ入っていたが、まいにち中庭の大きい栗の木の下で粘土をいじくって

(いた。もうじょがっこうをおえていたわたしのすぐのあねのきょうぞうをつくっていたのである。)

いた。もう女学校を卒えていた私のすぐの姉の胸像を作っていたのである。

(わたしもまたそのそばで、あねのかおをいくまいもすけっちして、あにとおたがいのできあがりあんばいを)

私も亦その傍で、姉の顔を幾枚もスケッチして、兄とお互いの出来上がり案配を

(けなしあった。あねはまじめにわたしたちのもでるになっていたが、そんなばあいおもに)

けなし合った。姉は真面目に私たちのモデルになっていたが、そんな場合おもに

(わたしのすいさいがのほうのかたをもった。このあにはわかいときはみんなてんさいだ、などといって)

私の水彩画の方の肩を持った。この兄は若いときはみんな天才だ、などと言って

(わたしのあらゆるさいのうをばかにしていた。わたしのぶんしょうをさえ、しょうがくせいのつづりかたと、いって)

私のあらゆる才能を莫迦にしていた。私の文章をさえ、小学生の綴方と、言って

(あざわらっていた。わたしもそのとうじは、あにのげいじゅつてきなちからをあからさまにけいべつしていたので)

嘲っていた。私もその当時は、兄の芸術的な力をあからさまに軽蔑していたので

(ある。あるばん、そのあにがわたしのねているところへきて、おさむ、ちんどうぶつだよ、とこえを)

ある。ある晩、その兄が私の寝ているところへ来て、治、珍動物だよ、と声を

(ひくくしていいながら、しゃがんでかやのしたからはながみにかるくつつんだものをそっと)

低くして言いながら、しゃがんで蚊帳の下から鼻紙に軽く包んだものをそっと

(いれてよこした。あには、わたしがめずらしいこんちゅうをあつめているのをしっていたのだ。)

入れて寄こした。兄は、私が珍しい昆虫を集めているのを知っていたのだ。

(つつみのなかでは、かさかさとむしのもがくあしおとがしていた。わたしは、そのかすかなおとに、)

包の中では、かさかさと虫のもがく足音がしていた。私は、そのかすかな音に、

(にくしんのじょうをしらされた。わたしがてあらくそのちいさいかみづつみをほどくと、あには、)

肉親の情を知らされた。私が手暴くその小さい紙包みをほどくと、兄は、

(にげるぜえ、そら、そら、といきをつめるようにしていった。みるとふつうの)

逃げるぜえ、そら、そら、と息をつめるようにして言った。見ると普通の

(くわがたむしであった。わたしはそのさやばねるいをもわたしのさいしゅうしたこんちゅうじゅっしゅの)

くわがたむしであった。わたしはその鞘翅類をも私の採集した昆虫十種の

(うちにいれてきょうしへだした。)

うちにいれて教師へ出した。

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