黒死館事件8
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問題文
(に、てれーずわれをころしせり)
二、テレーズ吾を殺せり
(どうみても、ぼくにはそうとしかおもえない とけんじはなんどもどもりながら、)
「どう見ても、僕にはそうとしか思えない」と検事は何度も吃りながら、
(くましろにふりやぎけのもんしょうをせつめいしたあとで、なぜはんにんは、いきのねをとめただけでは)
熊城に降矢木家の紋章を説明した後で、「何故犯人は、息の根を止めただけでは
(たらなかったのだろうね。どうしてこんな、えたいのわからぬしぐさまでもしなければ)
足らなかったのだろうね。どうしてこんな、得体の判らぬ所作までもしなければ
(ならなかったのだろう?ところがねえはぜくらくん とのりみずははじめてたばこをくちに)
ならなかったのだろう?」「ところがねえ支倉君」と法水は始めて莨を口に
(くわえた。それよりもぼくは、いまじぶんのはっけんにがくっとしてしまったところさ。)
銜えた。「それよりも僕は、いま自分の発見に愕然としてしまったところさ。
(このしたいは、ほりあげたすうびょうごにぜつめいしているのだよ。つまり、しごでもなく、)
この死体は、彫り上げた数秒後に絶命しているのだよ。つまり、死後でもなく、
(また、ふくどくいぜんでもないのだがね じょうだんじゃないぜ とくましろはおもわず)
また、服毒以前でもないのだがね」「冗談じゃないぜ」と熊城は思わず
(あきれがおになって、これがそくしでないのなら、ひとつきみのせつめいをうけたまわろう)
呆れ顔になって、「これが即死でないのなら、一つ君の説明を承ろう
(じゃないか といきりたつのを、のりみずはだだっこをさとすようなちょうしで、うん、)
じゃないか」といきり立つのを、法水は駄々児を諭すような調子で、「ウン、
(このじけんのはんにんたるや、いかにもしんそくいんけんで、きょうあくきわまりない。しかし、)
この事件の犯人たるや、いかにも神速陰険で、兇悪きわまりない。しかし、
(ぼくのいうりゆうはすこぶるかんたんなんだ。だいたいきみが、きょうどのしやんちゅうどくと)
僕の云う理由はすこぶる簡単なんだ。だいたい君が、強度の青酸中毒と
(いうものをあまりこちょうしてかんがえているからだよ。こきゅうきんはおそらくしゅんかんにまひして)
いうものをあまり誇張して考えているからだよ。呼吸筋は恐らく瞬間に痲痺して
(しまうだろうが、しんぞうがまったくていししてしまうまでには、すくなくとも、それから)
しまうだろうが、心臓が全く停止してしまうまでには、少なくとも、それから
(にふんたらずのじかんはあるとみてさしつかえない。ところが、ひふのひょうめんにあらわれる)
二分足らずの時間はあると見て差支えない。ところが、皮膚の表面に現われる
(したいげんしょうというのは、しんぞうのきのうがおとろえるとどうじにあらわれるものなんだがね)
死体現象と云うのは、心臓の機能が衰えると同時に現われるものなんだがね」
(そこでちょっとことばをきって、まじまじとあいてをみつめていたが、それがわかれば)
そこでちょっと言葉を切って、まじまじと相手を瞶めていたが、「それが判れば
(ぼくのせつにおそらくいぎはないとおもうね。ところで、このきずはこうみょうにひょうひのみを)
僕の説に恐らく異議はないと思うね。ところで、この創は巧妙に表皮のみを
(きりわっている。それは、けっせいだけがにじみでているのをみても、めいはくな)
切り割っている。それは、血清だけが滲み出ているのを見ても、明白な
(じじつなんだが、つうれいせいたいにされたばあいだと、ひかにいっけつがたってきずのりょうがわが)
事実なんだが、通例生体にされた場合だと、皮下に溢血が起って創の両側が
(しゅきしてこなければならない いかにも、このきずぐちにはそのれきぜんとしたものが)
腫起してこなければならない――いかにも、この創口にはその歴然としたものが
(あるのだ。ところが、そがれたわれぐちをみると、それにかさぶたができていない。)
あるのだ。ところが、剥がれた割れ口を見ると、それに痂皮が出来ていない。
(まるでとうめいながんぴとしかおもわれないだろう。が、このほうはあきらかな)
まるで透明な雁皮としか思われないだろう。が、この方は明らかな
(したいげんしょうなんだよ。しかしそうなると、そのふたつのげんしょうがたいへんなむじゅんを)
死体現象なんだよ。しかしそうなると、その二つの現象が大変な矛盾を
(ひきおこしてしまって、きずがつけられたときのせいりじょうたいに、てんでせつめいが)
ひき起こしてしまって、創がつけられた時の生理状態に、てんで説明が
(つかなくなってしまうだろう。だから、そのけつろんのもっていきばは、つめやひょうひが)
つかなくなってしまうだろう。だから、その結論の持って行き場は、爪や表皮が
(どういうじきにしんでしまうものか、かんがえればいいわけじゃないか のりみずのせいみつな)
どういう時期に死んでしまうものか、考えればいい訳じゃないか」法水の精密な
(かんさつが、かえってそうもんのなぞをふかめたかんがあったので、そのあたらしいせんりつのために、)
観察が、かえって創紋の謎を深めた感があったので、その新しい戦慄のために、
(けんじのこえはまったくきんこうをうしなっていた。ばんじぼうけんをまつとしてだ。それにしても、)
検事の声は全く均衡を失っていた。「万事剖見を待つとしてだ。それにしても、
(しこうのようなちょうしぜんげんしょうをおこしただけであきたらずに、そのうえふりやぎのやきいんを)
屍光のような超自然現象を起しただけで飽き足らずに、その上降矢木の烙印を
(おすなんて......。ぼくにはこのせいじょうなひかりがひどくさでぃすてぃっくに)
押すなんて......。僕にはこの清浄な光がひどくサディスティックに
(おもえてきたよ いや、はんにんはけっして、けんぶつにんをほしがっちゃいないさ。)
思えてきたよ」「いや、犯人はけっして、見物人を慾しがっちゃいないさ。
(きみがいまかんじたような、しんりてきなしょうがいをようきゅうしているんだ。どうしてあいつが、)
君がいま感じたような、心理的な障害を要求しているんだ。どうして彼奴が、
(そんなびょうりてきなこせいなもんか。それに、まったくもってそうぞうてきだよ。)
そんな病理的な個性なもんか。それに、まったくもって創造的だよ。
(だれがそれをはいるぶろんねるにいわせると、いちばんさでぃすてぃっくで)
だれがそれをハイルブロンネルに云わせると、一番サディスティックで
(どくそうてきなものを、こどもだというがね とのりみずはくらくほほえんだが、ところで)
独創的なものを、小児だと云うがね」と法水は暗く微笑んだが、「ところで
(くましろくん、したいのはっこうはなんじごろからだね とじむてきなしつもんをした。さいしょは、)
熊城君、死体の発光は何時頃からだね」と事務的な質問をした。「最初は、
(すたんどがついていたのでわからなくなったのだ。ところが、じゅうじごろだったが、)
卓子灯が点いていたので判らなくなったのだ。ところが、十時頃だったが、
(ひととおりしたいのけんあんからこのいっかくのちょうさがおわったので、よろいどをとじて)
ひととおり死体の検案からこの一劃の調査が終ったので、鎧扉を閉じて
(すたんどをけすと......とくましろはぐびっとつばをのみこんで、だから、)
卓子灯を消すと......」と熊城はグビッと唾を嚥み込んで、「だから、
(かじんはもちろんのことだが、かかりかんのなかにもしらないものがあるというしまつだよ。)
家人は勿論のことだが、係官の中にも知らないものがあるという始末だよ。
(ところで、いままでちょうしゅしておいたじじつを、きみのみみにいれておこう とがいりゃくの)
ところで、今まで聴取しておいた事実を、君の耳に入れておこう」と概略の
(てんまつをかたりはじめた。さくやかないちゅうであるしゅうかいをもよおして、そのせきじょうで)
顛末を語りはじめた。「昨夜家内中である集会を催して、その席上で
(だんねべるぐふじんがそっとうした それがちょうどくじだったのだ。それから)
ダンネベルグ夫人が卒倒した――それがちょうど九時だったのだ。それから
(このへやでかいほうすることになって、としょがかりのくがしずこときゅうじちょうのかわなべえきすけが)
この室で介抱することになって、図書掛りの久我鎮子と給仕長の川那部易介が
(てっしょうつきそっていたのだが、じゅうにじごろひがいしゃがたべたおれんじのなかに、せいさんかりが)
徹宵附添っていたのだが、十二時頃被害者が食べた洋橙の中に、青酸加里が
(しこまれてあったのだよ。げんに、くちのなかにのこっているかにくのかみかすからも、)
仕込まれてあったのだよ。現に、口腔の中に残っている果肉の噛滓からも、
(たりょうのものがはっけんされているし、なによりふしぎなことには、それがさいしょくちにいれた)
多量の物が発見されているし、何より不思議な事には、それが最初口に入れた
(ひとふさにあったのだ。だから、はんにんはぐうぜんさいしょのいっぱつで、まとのくろぼしをいあてたと)
一房にあったのだ。だから、犯人は偶然最初の一発で、的の黒星を射当てたと
(みるよりほかになかろうとおもうね。ほかのふさはこのとおりのこっていても、)
見るよりほかになかろうと思うね。他の果房はこのとおり残っていても、
(それには、やくぶつのこんせきがないのだよ そうかおれんじに!?とのりみずは、てんがいの)
それには、薬物の痕跡がないのだよ」「そうか洋橙に!?」と法水は、天蓋の
(はしらをかすかにゆさぶってつぶやいた。そうすると、もうひとつなぞがふえたわけだよ。)
柱をかすかに揺さぶって呟いた。「そうすると、もう一つ謎がふえた訳だよ。
(はんにんには、どくぶつのちしきがかいむだということになるぜ ところが、)
犯人には、毒物の智識が皆無だという事になるぜ」「ところが、
(しようにんのうちには、これというふしんなものはいない。くがしずこもえきすけも、)
使用人のうちには、これという不審な者はいない。久我鎮子も易介も、
(だんねべるぐふじんがじぶんでくだものさらのなかからえらんだといっている。それに、)
ダンネベルグ夫人が自分で果物皿の中から撰んだと云っている。それに、
(このへやはじゅういちじはんごろにかぎをおろしてしまったのだし、がらすまどもよろいどもきのこのように)
この室は十一時半頃に鍵を下してしまったのだし、硝子窓も鎧戸も菌のように
(さびがこびりついていて、がいぶからしんにゅうしたけいせきはもちろんないのだよ。)
錆がこびり付いていて、外部から侵入した形跡は勿論ないのだよ。
(しかしみょうなことには、おなじさらのうえにあったなしのほうが、ふじんにとると、)
しかし妙な事には、同じ皿の上にあった梨の方が、夫人にとると、
(はるかよりいじょうのしこうぶつだそうなんだ なに、かぎが?とけんじは、それと)
はるかより以上の嗜好物だそうなんだ」「なに、鍵が?」と検事は、それと
(そうもんとのあいだにおこったむじゅんに、がくぜんとしたようすだったけれども、のりみずはいぜん)
創紋との間に起った矛盾に、愕然とした様子だったけれども、法水は依然
(くましろからめをはなさず、つっけんどんにいいはなった。ぼくはけっして、そんないみで)
熊城から眼を離さず、突慳貪に云い放った。「僕はけっして、そんな意味で
(いっていやしない。しやんにおれんじというどうけめんをかぶせているだけに、それだけに、)
云っていやしない。青酸に洋橙という痴面を被せているだけに、それだけに、
(はんにんのすばらしいそしつがおそろしくなってくるのだ。かんがえてもみたまえ。あれほど)
犯人の素晴らしい素質が怖ろしくなってくるのだ。考えても見給え。あれほど
(きわだったいしゅうやとくいなにがみのあるどくぶつを、おどろくじゃないか、ちしりょうのじゅうなんばいも)
際立った異臭や特異な苦味のある毒物を、驚くじゃないか、致死量の十何倍も
(もちいている。しかも、そのかむふらーじゅにつかっているのが、そういうせいのうのきわめて)
用いている。しかも、その仮装迷彩に使っているのが、そういう性能のきわめて
(とぼしいおれんじときているんだ。ねえ、くましろくん、それほどちせつもはなはだしいしゅだんが)
乏しい洋橙ときているんだ。ねえ、熊城君、それほど稚拙もはなはだしい手段が
(どうしてこんなまほうのようなこうかをおさめたのだろうか。なぜだんねべるぐふじんは)
どうしてこんな魔法のような効果を収めたのだろうか。何故ダンネベルグ夫人は
(そのおれんじのみにてをのばしたのだろうか。つまり、そのおどろくべきどうちゃくたるやが、)
その洋橙のみに手を伸ばしたのだろうか。つまり、その驚くべき撞着たるやが、
(どくさつしゃのほこりなんだ。まさにかれらにとれば、ろむばるじあすとりげすのしゅつげんいらい、)
毒殺者の誇りなんだ。まさに彼等にとれば、ロムバルジア巫女の出現以来、
(えいせいふめつのとーてむなんだよ くましろはあっけにとられたが、のりみずはおもいかえしたように)
永世不滅の崇拝物なんだよ」熊城は呆気にとられたが、法水は思い返したように
(たずねた。それから、ぜつめいじかんは?けさはちじのけんしでしごはちじかんと)
訊ねた。「それから、絶命時間は?」「今朝八時の検屍で死後八時間と
(いうのだから、ぜつめいじこくも、おれんじをたべたじこくとぴったりふごうしている。)
云うのだから、絶命時刻も、洋橙を食べた時刻とピッタリ符合している。
(はっけんはあかつきがたのごじはんで、それまでつきそいはふたりともに、へんじをしらなかったのだし)
発見は暁方の五時半で、それまで附添は二人ともに、変事を知らなかったのだし
(また、じゅういちじじいごはだれもこのへやにはいったものがなかったというのだし、かぞくの)
また、十一時以後は誰もこの室に入った者がなかったと云うのだし、家族の
(どうせいもいっさいふめいだ。で、そのおれんじがのっていた。くだものさらというのが)
動静もいっさい不明だ。で、その洋橙が載っていた。果物皿というのが
(これなんだがね そういってくましろは、しんだいのしたからぎんせいのおおざらをとりだした。)
これなんだがね」そう云って熊城は、寝台の下から銀製の大皿を取り出した。
(ちょっけいがにしゃくちかいさかずきがたをしたもので、そとがわにはろしあびざんちんとくゆうのせいこうなせんで)
直径が二尺近い盞形をしたもので、外側には露西亜ビザンチン特有の生硬な線で
(あいわそうふすきーのふんぞくとなかりがりのうきぼりがほどこされていた。さらのそこには、)
アイヷソウフスキーの匈奴族馴鹿狩の浮彫が施されていた。皿の底には、
(くうそうかされたいっぴきのはちゅうるいがさかだちしていて、とうぶとまえあしがだいになり、)
空想化された一匹の爬虫類が逆立していて、頭部と前肢が台になり、
(とげのはえたどうたいがくのじなりにわんきょくして、うしろあしとおとでさらをささえている。)
刺の生えた胴体がくの字なりに彎曲して、後肢と尾とで皿を支えている。
(そして、そのくのじのはんたいがわには、はんえんけいのとってがついていた。そのうえにある)
そして、そのくの字の反対側には、半円形の把手が附いていた。その上にある
(なしとおれんじはぜんぶふたつにたちわられていて、かんしきけんさのあとがのこされているが、)
梨と洋橙は全部二つに截ち割られていて、鑑識検査の後が残されているが、
(むろんどくぶつは、それらのなかにはなかったものらしい。しかし、だんねべるぐふじんを)
無論毒物は、それ等の中にはなかったものらしい。しかし、ダンネベルグ夫人を
(たおしたひとつには、きわだったとくちょうがあらわれていた。それが、ほかにあるおれんじとは)
斃した一つには、際立った特徴が現われていた。それが、他にある洋橙とは
(ことなり、いわゆるだいだいいろではなくて、むしろらヴぁいろとでもいたいほどに)
異なり、いわゆる橙色ではなくて、むしろ熔岩色とでもいいたいほどに
(あかみのつよい、おおつぶのぶらっど・おれんじだった。しかも、そのあかぐろく)
赤みの強い、大粒のブラッド・オレンジだった。しかも、その赭黒く
(うれすぎているところをみると、まるでそれが、ぎょうこしかかったちのりのように)
熟れ過ぎているところを見ると、まるでそれが、凝固しかかった血糊のように
(うすきみわるくおもわれるのであるが、そのいろはみょうにしんけいをそそるのみのことで、)
薄気味悪く思われるのであるが、その色は妙に神経を唆るのみのことで、
(もちろんすいていいとぐちをひきだすものではなかった。そして、へたのないところからおして)
勿論推定端緒を引き出すものではなかった。そして、蔕のないところから推して
(そこからどろじょうのせいさんかりがちゅうにゅうされたものとすいだんされた。)
そこから泥状の青酸加里が注入されたものと推断された。