黒死館事件12

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(やがて、にんぎょうはひじょうにかんまんなそくどで、とくゆうのきかいてきなぶきようなかっこうで)

やがて、人形は非常に緩慢な速度で、特有の機械的な無器用な恰好で

(あるきだした。ところが、そのことりとふむいっぽごとに、りりりーん、)

歩き出した。ところが、そのコトリと踏む一歩ごとに、リリリーン、

(りりりーんと、ささやくようなうつくしいせんおんがひびいてきたのである。それはまさしく)

リリリーンと、囁くような美しい顫音が響いてきたのである。それはまさしく

(きんぞくせんのしんどうおんで、にんぎょうのどこかにそういうそうちがあって、それがたいこうのくうどうで)

金属線の震動音で、人形のどこかにそういう装置があって、それが体腔の空洞で

(きょうめいされたものにちがいなかった。こうして、のりみずのすいりによって、にんぎょうを)

共鳴されたものに違いなかった。こうして、法水の推理によって、人形を

(さいだんするきびがかみいちまいのきわどさにのこされたけれども、いまきいたおんきょうこそは、)

裁断する機微が紙一枚の際どさに残されたけれども、今聴いた音響こそは、

(まさしくそれをさゆうするかぎのようにおもわれた。このじゅうだいなはっけんをさいごに、さんにんは)

まさしくそれを左右する鍵のように思われた。この重大な発見を最後に、三人は

(にんぎょうのへやをでていったのであった。さいしょは、つづいてかいかのやくぶつしつをしらべるような)

人形の室を出て行ったのであった。最初は、続いて階下の薬物室を調べるような

(のりみずのくちぶりだったが、かれはにわかによていをかえて、こしきぐそくのならんでいる)

法水の口吻だったが、彼はにわかに予定を変えて、古式具足の列んでいる

(そでろうかのなかにはいっていった。そして、えんろうにひらかれているとぎわにたち、じっと)

拱廊の中に入って行った。そして、円廊に開かれている扉際に立ち、じっと

(ぜんぽうにひとみをこらしはじめた。えんろうのたいがんには、ふたつのおどろくほどとくしんてきなふれすこが)

前方に瞳を凝らしはじめた。円廊の対岸には、二つの驚くほど涜神的な石灰面が

(へきめんをしめていた。みぎがわのはしょじょじゅたいのずで、いかにもひんけつてきなそうをした)

壁面を占めていた。右側のは処/女受胎の図で、いかにも貧血的な相をした

(ひだりはしにたち、うほうにはきゅうやくせいしょのせいじんたちがつどっていて、それがみなてのひらで)

聖母が左が端に立ち、右方には旧約聖書の聖人達が集っていて、それがみな掌で

(おおい、そのあいだにたったえほばが、せいよくてきなめでじいっとまりやを)

両眼を覆い、その間に立ったエホバが、性慾的な眼でじいっと聖母を

(みつめている。ひだりがわの かるばりやまのよくあさ とでもいいたいえいんのものには、)

瞶めている。左側の「カルバリ山の翌朝」とでも云いたい画因のものには、

(みぎはしにしごきょうちょくをこくめいなせんであらわしたじゅうじかのやそがあり、それにむかって、)

右端に死後強直を克明な線で現わした十字架の耶蘇があり、それに向って、

(きょうだなひくつなかっこうをしたしとたちが、おそるおそるちかよっていくこうけいがえがかれていた。)

怯懦な卑屈な恰好をした使徒達が、怖る怖る近寄って行く光景が描かれていた。

(のりみずはとりだしたたばこを、おもいなおしたようにけーすのなかにもどして、とほうもないしつもんを)

法水は取り出した莨を、思い直したように函の中に戻して、途方もない質問を

(はっした。はぜくらくん、きみはぼーでのほうそくをしっているかい かいおうせいいがいのわくせいの)

発した。「支倉君、君はボーデの法則を知っているかい――海王星以外の惑星の

(きょりを、かんたんなばいすうこうしきであらわしてゆくのを。もししっているのなら、それを、)

距離を、簡単な倍数公式で現わしてゆくのを。もし知っているのなら、それを、

など

(このそでろうかでどういうぐあいにつかうね ぼーでのほうそく!?けんじはきもんにおどろいて)

この拱廊でどういう具合に使うね」「ボーデの法則!?」検事は奇問に驚いて

(といかえしたが、かさなるのりみずのふかかいなげんどうに、くましろとにがにがしいしせんをあわせて、)

問い返したが、重なる法水の不可解な言動に、熊城と苦々しい視線を合わせて、

(それでは、あのふたつのえにきみのくうろんをひはんしてもらうんだね。どうだい、)

「それでは、あの二つの画に君の空論を批判してもらうんだね。どうだい、

(あのしんらつなせいしょかんは。たぶん、あんなえがすきらしいふぉいえるばっはという)

あの辛辣な聖書観は。たぶん、あんな絵が好きらしいフォイエルバッハという

(おとこは、きみみたいなしょくべんかじゃなかろうとおもうんだ しかし、のりみずはかえって)

男は、君みたいな飾弁家じゃなかろうと思うんだ」しかし、法水はかえって

(けんじのことばにびしょうをもらして、それからそでろうかをでてしたいのあるへやにもどると、)

検事の言に微笑を洩らして、それから拱廊を出て死体のある室に戻ると、

(そこにはおどろくべきほうこくがまちかまえていた。きゅうじちょうかわなべえきすけがいつのまにかすがたを)

そこには驚くべき報告が待ち構えていた。給仕長川那部易介がいつの間にか姿を

(けしているということだった。ゆうべとしょがかりのくがしずことともに)

消しているという事だった。昨夜図書掛りの久我鎮子とともに

(だんねべるぐふじんにつきそっていて、くましろのぎわくがいちばんふかかったのであるが、)

ダンネベルグ夫人に附添っていて、熊城の疑惑が一番深かったのであるが、

(それだけに、えきすけのしっそうをしると、かれはさもまんぞくげにりょうてをもみながら、)

それだけに、易介の失踪を知ると、彼はさも満足気に両手を揉みながら、

(すると、じゅうじはんにぼくのじんもんがおわったのだから、それからかんしきかいんがしょうもんを)

「すると、十時半に僕の訊問が終ったのだから、それから鑑識課員が掌紋を

(とりにいったという げんざいいちじまでのあいだだな、そうそうのりみずくん、これがえきすけを)

採りに行ったと云う――現在一時までの間だな、そうそう法水君、これが易介を

(もでるにしたというそうだが と、とびらのわきにあるににんぞうをゆびさして、このことは、)

模本にしたというそうだが」と、扉の脇にある二人像を指差して、「この事は、

(ぼくにはとうからわかっていたのだよ。あのこびとのせむしが、このじけんでどういうやくを)

僕には既から判っていたのだよ。あの侏儒の傴僂が、この事件でどういう役を

(つとめていたか だ。だが、なんというばかなやつだろう。あいつは、じぶんの)

勤めていたか――だ。だが、なんという莫迦な奴だろう。彼奴は、自分の

(みせものてきなとくちょうにきがつかないのだ のりみずはそのあいだ、けいべつしたようにあいてを)

見世物的な特徴に気がつかないのだ」法水はその間、軽蔑したように相手を

(みていたが、そうなるかねえ とひとことはんたいのけんかいをほのめかしただけで、)

見ていたが、「そうなるかねえ」と一言反対の見解を仄めかしただけで、

(ぞうのほうにあるいていった。そして、すくらいぶのかぞうとせなかをあわせているせむしのまえに)

像の方に歩いて行った。そして、立法者の跏像と背中を合わせている傴僂の前に

(たつと、おやおや、このせむしはなおっているんだぜ。ふしぎなあんごうじゃないか。)

立つと、「オヤオヤ、この傴僂は療っているんだぜ。不思議な暗合じゃないか。

(とびらのうきぼりではやそにちりょうをうけているのが、なかにはいると、すっかり)

扉の浮彫では耶蘇に治療をうけているのが、内部に入ると、すっかり

(ぜんかいしている。そしてあのおとこは、もうたぶんおしにちがいないのだ とさいごの)

全快している。そしてあの男は、もうたぶん唖にちがいないのだ」と最後の

(ひとことをきわめてつよいごきでいったが、にわかにおかんをおぼえたようなかおつきになって)

一言をきわめて強い語気で云ったが、にわかに悪寒を覚えたような顔付になって

(ものごしにしんけいてきなものがあらわれてきた。しかし、そのぞうにはいぜんとしてかわりはなく)

物腰に神経的なものが現われてきた。しかし、その像には依然として変りはなく

(へんぺいなおおきなあたまをもったせむしが、ほそくくだっためじりにずるそうなわらいをたたえているに)

扁平な大きな頭を持った傴僂が、細く下った眼尻に狡そうな笑を湛えているに

(すぎなかった。そのあいだ、なにやらしたためていたけんじは、のりみずをさしまねいて、たくじょうの)

すぎなかった。その間、何やら認めていた検事は、法水を指招いて、卓上の

(しへんをしめした。それにはつぎのようなかじょうがきで、けんじのしつもんがしるされてあった。)

紙片を示した。それには次のような箇条書で、検事の質問が記されてあった。

(いち、のりみずはだいかいだんのうえで、じょうたいではとうていきこえぬおんきょうをめしつかいがきいたのを)

一、法水は大階段の上で、常態ではとうてい聞えぬ音響を召使が聴いたのを

(しったという そのけつろんは?)

知ったと云う――その結論は?

(に、のりみずはそでろうかでなにをみたのであるか?)

二、法水は拱廊で何を見たのであるか?

(さん、のりみずがすたんどをつけて、ゆかをはかったのは?)

三、法水が卓子灯を点けて、床を計ったのは?

(よん、のりみずはてれーずにんぎょうのへやのかぎに、なぜぎゃくせつてきなかいしゃくをしようと、)

四、法水はテレーズ人形の室の鍵に、何故逆説的な解釈をしようと、

(くるしんでいるのであるか?)

苦しんでいるのであるか?

(ご、のりみずはなぜにかぞくのじんもんをいそがないのか?)

五、法水は何故に家族の訊問を急がないのか?

(よみおわると、のりみずはにこりとして、いち・に・ごのしたに だっしゅをひいてかいとうと)

読み終ると、法水は莞爾として、一・二・五の下に――ダッシュを引いて解答と

(かき、もしまんにひとつのさきわいわれにあらば、はんにんをしてきするじんぶつを)

書き、もし万に一つの幸い吾にあらば、犯人を指摘する人物を

(はっけんするやもしれず だいにあるいはだいさんのじけん とつづいてしたためた。)

発見するやも知れず(第二あるいは第三の事件)――と続いて認めた。

(けんじがびっくりしてかおをあげると、のりみずはさらにだいろくのしつもんとひょうだいをうって、)

検事が吃驚して顔を上げると、法水はさらに第六の質問と標題を打って、

(つぎのいちぎょうをかきくわえた。 かっちゅうむしゃはいかなるもくてきのしたに、かいだんのすそを)

次の一行を書き加えた。――甲冑武者はいかなる目的の下に、階段の裾を

(はなれねばならなかったのだろう?それは、きみがもう とけんじはめをみはって)

離れねばならなかったのだろう?「それは、君がもう」と検事は眼を瞠って

(はんもんしたが、そのときどあがしずかにひらいて、さいしょよばれたとしょがかりのくがしずこが)

反問したが、その時扉が静かに開いて、最初呼ばれた図書掛りの久我鎮子が

(はいってきた。)

入って来た。

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