晩年 ⑳

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太宰 治

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(れっしゃ)

列車

(せんきゅうひゃくにじゅうごねんにうめばちこうじょうというところでこしらえられた)

一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられた

(cごじゅういちがたのそのきかんしゃは、おなじこうじょうでおなじころせいさくされた)

C五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された

(さんとうきゃくしゃさんりょうと、しょくどうしゃ、にとうきゃくしゃ、にとうしんだいしゃ、)

三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寝台車、

(おのおのいちりょうずつと、ほかにゆうびんやら、にもつやらのかししゃさんりょうと、)

各々一輛ずつと、ほかに郵便やら、荷物やらの貸車三輛と、

(つごうここのつのはこに、ざっとにひゃくめいからのりょきゃくと)

都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と

(じゅうまんをこえるつうしんとそれにまつわるいくたのむねいたむものがたりとをのせ、)

十万を越える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、

(あめのひもかぜのひもごごのにじはんになれば、ぴすとんをはためかせてうえのから)

雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から

(あおもりへむけてはしった。ときによってばんざいのきょうかんでおくられたり、)

青森へ向けて走った。時に依って万歳の叫喚で送られたり、

(はんけちでなごりをおしまれたり、またはおえつでもってふきつなはなむけをうけとるのである。)

手巾で名残を惜しまれたり、または嗚咽でもって不吉な餞をうけとるのである。

(れっしゃばんごうはいちまるさん。ばんごうからしてきもちがわるい。)

列車番号は一〇三。番号からして気持が悪い。

(せんきゅうひゃくにじゅうごねんからいままで、はちねんもたっているが、)

一九二五年からいままで、八年もたっているが、

(そのあいだにこのれっしゃはいくまんにんのあいじょうをひきさいたことか。)

その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたことか。

(げんにわたしがこのれっしゃのため、ひどくつらいめにあわされた。)

げんに私が此の列車のため、ひどく辛い目に遭わされた。

(ついさくねんのふゆ、しおたがてつさんをくにもとへおくりかえしたときのことである。)

つい昨年の冬、汐田がテツさんを国元へ送り返した時のことである。

(てつさんとしおたとはおなじきょうりでおさなごからのなからしく、わたしもしおたとこうとうがっこうのりょうで)

テツさんと汐田とは同じ郷里で幼子からの仲らしく、私も汐田と高等学校の寮で

(ひとつむろにねおきしていたかんけいから、おりにふれてはこのれんあいをものがたられた。)

ひとつ室に寝起きしていた関係から、折にふれてはこの恋愛を物語られた。

(てつさんはまずしいそだちのむすめであるから、しょうしょうないふくなしおたのいえではふたりのけっこんは)

テツさんは貧しい育ちの娘であるから、少々内福な汐田の家では二人の結婚は

(ふしょうちであって、それゆえしおたはかれのちちおやと、いくたびとなくはげしいこうろんをした)

不承知であって、それゆえ汐田は彼の父親と、いくたびとなく烈しい口論をした

(そのさいしょのけんかのさい、しおたはそっとうせんばかりにこうふんして、しまいに、たらたらとはなぢを)

その最初の喧嘩の際、汐田は卒倒せん計りに興奮して、しまいに、滴々と鼻血を

など

(ながしたのであるが、そのようなぐちょくなそうわさえ、としわかいわたしのむねをいように)

流したのであるが、そのような愚直な挿話さえ、年若い私の胸を異様に

(とどろかせたものだ。そのうちにわたしもしおたもこうとうがっこうをでて、いっしょにとうきょうのだいがくへ)

轟かせたものだ。そのうちに私も汐田も高等学校を出て、一緒に東京の大学へ

(はいった。それからさんねんたっている。このきかんは、わたしにとってはこんなんな)

はいった。それから三年経っている。この期間は、私にとっては困難な

(としつきであったけれども、しおたにはそんなことがなかったらしく、)

としつきであったけれども、汐田にはそんなことがなかったらしく、

(まいにちをのうのうとくらしていたようであった。わたしのさいしょまがりしていたいえが)

毎日をのうのうと暮らしていたようであった。私の最初間借していた家が

(だいがくのじきちかくにあったので、しおたはにゅうがくとうじこそほんのにさんかいそこへ)

大学のじき近くにあったので、汐田は入学当時こそほんのニ三回そこへ

(よってくれたが、かんきょうもしそうもおとをたてつつりはんしていっているふたりには、)

寄って呉れたが、環境も思想も音を立てつつ離叛して行っている二人には、

(いぜんのようなわけへだてないゆうじょうはとてものぞめなかったのだ。)

以前のようなわけへだて無い友情はとても望めなかったのだ。

(わたしのひがみからかもしれないが、あのときもし、てつさんのじょうきょうさえ)

私のひがみからかも知れないが、あのとき若し、テツさんの上京さえ

(なかったなら、しおたはきっとえいきゅうにわたしからとおのいてしまうつもりであったらしい。)

なかったなら、汐田はきっと永久に私から遠のいて了うつもりであったらしい。

(しおたはわたしとむつまじいこうしょうをたってからさんねんめのふゆに、とつぜん、わたしのこうがいのいえを)

汐田は私とむつまじい交渉を経ってから三年目の冬に、突然、私の郊外の家を

(おとずれててつさんのじょうきょうをつげたのである。てつさんはしおたのそつぎょうをまちかねて、)

訪れてテツさんの上京を告げたのである。テツさんは汐田の卒業を待ち兼ねて、

(ひとりでとうきょうへにげてきたのであった。そのころにはわたしもあるむがくないなかおんなと)

ひとりで東京へ逃げて来たのであった。そのころには私も或る無学な田舎女と

(けっこんしていたし、いまさらしおたのそのできごとにむねをときめかすような、)

結婚していたし、いまさら汐田のその出来事に胸をときめかすような、

(そんなわかやいだきもちをしだいにうしないかけていたやさきであったから、)

そんな若やいだ気持を次第にうしないかけていた矢先であったから、

(しおたのだしぬけならいほうにいくぶんまごつきはしたが、かれのそのほうもんのそこいを)

汐田のだしぬけな来訪に幾分まごつきはしたが、彼のその訪問の底意を

(みぬくことをわすれなかった。そんないちしょうじょのしゅっぽんをちきのあいだにいいふらすことが、)

見抜く事を忘れなかった。そんな一少女の出奔を知己の間に言いふらすことが、

(かれのじそんしんをどんなにまんぞくさせたか。わたしはかれのうちょうてんをふゆかいにかんじ、)

彼の自尊心をどんなに満足させたか。私は彼の有頂天を不愉快に感じ、

(かれのてつさんにたいするしんじつをうたがいさえした。わたしのこのぎわくはむざんにも)

彼のテツさんに対する真実を疑いさえした。私のこの疑惑は無残にも

(てきちゅうしていた。かれはわたしにひとしきり、きょうきしかんげきしてみせたあげく、みけんにしわを)

的中していた。彼は私にひとしきり、狂喜し感激して見せた揚句、眉間に皺を

(よせて、どうしたらいいだろう?というそうだんをこごえでもちかけたではないか。)

寄せて、どうしたらいいだろう?という相談を小声で持ちかけたではないか。

(わたしはもはや、そのようなひまなゆうぎにはどうじょうがもてなかったので、)

私は最早、そのような暇な遊戯には同情が持てなかったので、

(きみもりこうになったね、きみがてつさんにむかしほどのあいをかんじられなかったなら、)

君も悧巧になったね、君がテツさんに昔程の愛を感じられなかったなら、

(わかれるほかはあるまい、としおたのおもうつぼをちょくさいにいってやった。)

別れるほかはあるまい、と汐田の思うつぼを直截に言ってやった。

(しおたは、こうかくにまざまざとびしょうをふくめて、しかし、とかんがえこんだ。)

汐田は、口角にまざまざと微笑をふくめて、しかし、と考え込んだ。

(それからしごにちしてわたしはしおたからそくたつゆうびんをうけとった。)

それから四五日して私は汐田から速達郵便を受け取った。

(そのはがきにはゆうじんたちのちゅうこくもあり、おたがいのしょうらいのためにてつさんを)

その葉書には友人たちの忠告もあり、お互いの将来のためにテツさんを

(くにへかえす、あすのにじはんのきしゃでかえるはずだ、といういみのことがらがかんたんに)

くにへ返す、あすの二時半の汽車で帰る筈だ、という意味のことがらが簡単に

(したためられていた。わたしはたのまれもせぬのに、てつさんをみおくってやろうとそくざに)

認められていた。私は頼まれもせぬのに、テツさんを見送ってやろうと即座に

(かくごをきめた。わたしにはそんなかるはずみなことをしがちなかなしいしゅうせいが)

覚悟をきめた。私にはそんな軽はずみなことをしがちな悲しい習性が

(あったのである。あくるひはあさからあめがふっていた。わたしはしぶるつまをせきたてて)

あったのである。あくる日は朝から雨が降っていた。私はしぶる妻をせきたてて

(いっしょにうえのえきへでかけた。いちまるさんごうのそのれっしゃは、つめたいあめのなかで)

一緒に上野駅へ出掛けた。一〇三号のその列車は、つめたい雨の中で

(こくえんをはきつつはっしゃのじこくをまっていた。わたしたちはれっしゃのまどをひとつひとつ)

黒煙を吐きつつ発車の時刻を待っていた。私たちは列車の窓をひとつひとつ

(たんねんにさがしてあるいた。てつさんはきかんしゃのすぐとなりのさんとうきゃくしゃにせきを)

たんねんに捜して歩いた。テツさんは機関車のすぐ隣の三等客車に席を

(とっていた。さんよねんまえにしおたのしょうかいでいちどあったことがあるけれども、)

とっていた。三四年まえに汐田の紹介でいちど逢ったことがあるけれども、

(あれからみるとかおのいろがたいへんしろくなって、あごのあたりもふっくりと)

あれから見ると顔の色がたいへん白くなって、頤のあたりもふっくりと

(ふとっているのであった。てつさんもわたしのかおをわすれずにいてくれて、)

ふとっているのであった。テツさんも私の顔を忘れずにいて呉れて、

(わたしがこえをかけたら、すぐれっしゃのまどからはんしんのりだしてうれしそうに)

私が声をかけたら、すぐ列車の窓から半身乗り出して嬉しそうに

(あいさつをかえしたのである。わたしはてつさんにつまをひきあわせてやった。)

挨拶をかえしたのである。私はテツさんに妻を引き合わせてやった。

(わたしがわざわざつまをつれてきたのはつまもまたてつさんとおなじようにまずしいそだちの)

私がわざわざ妻を連れて来たのは妻も亦テツさんと同じように貧しい育ちの

(おんなであるから、てつさんをなぐさめるにしても、わたしなどよりなにかきっとてきせつな)

女であるから、テツさんを慰めるにしても、私などよりなにかきっと適切な

(たいどやことばをもってするにちがいないとどくだんしたからであった。しかし、)

態度や言葉を持ってするにちがいないと独断したからであった。しかし、

(わたしはまんまとうらぎられたのである。てつさんとつまは、おたがいにきふじんのような)

私はまんまと裏切られたのである。テツさんと妻は、お互いに貴婦人のような

(おじぎをむごんでとりかわしただけであった。わたしは、まのわるいおもいがして、)

お辞儀を無言で取り交わしただけであった。私は、まのわるい思いがして、

(なんのふごうであろうかきゃくしゃのよこばらへしろいぺんきでちいさくかかれてある)

なんの符号であろうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてある

(すはふ134273というもじのあたりをこつこつとようがさのえでたたいたものだ)

スハフ134273という文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ

(てつさんとつまはてんこうについてふたことみことはなしあった。そのたいわがすんでしまうと、)

テツさんと妻は天候について二言三言話し合った。その対話がすんで了うと、

(みんなはいよいよてもちぶさたになった。てつさんは、まどぶちにつつましくならべておいた)

みんなは愈々手持ぶさたになった。テツさんは、窓縁につつましく並べて置いた

(まるいじゅっぽんのゆびをやたらにかがめたりのばしたりしながら、ひとつどころをじっと)

丸い十本の指を矢鱈にかがめたりのばしたりしながら、ひとつ処をじっと

(みつめているのであった。わたしはそのようなこうけいをみていられなかったので、)

見つめているのであった。私はそのような光景を見て居られなかったので、

(てつさんのところからこっそりはなれて、ながいぷらっとふおむを)

テツさんのところからこっそり離れて、長いプラットフオムを

(さまよいあるいたのである。れっしゃのしたからはきだされるすちいむが)

さまよい歩いたのである。列車の下から吐き出されるスチイムが

(つめたいゆげとなって、しらじらとわたしのあしもとをはいまわっていた。)

冷たい湯気となって、白々と私の足もとを這い廻っていた。

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