黒死館事件14

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(しかし、なにがさんてつとさけばせたものでしょうな とのりみずはふたたびぎねんを)

「しかし、何が算哲と叫ばせたものでしょうな」と法水は再び疑念を

(くりかえしてから、じつは、ふじんがだんまつまにてれーずとかいためもが、しんだいのしたに)

繰り返してから、「実は、夫人が断末魔にテレーズと書いたメモが、寝台の下に

(おちていたのですよ。ですから、げんかくをおこすようなせいりか、なにかせいしんに)

落ちていたのですよ。ですから、幻覚を起すような生理か、何か精神に

(いじょうらしいところでも......。ときに、あなたはヴるふぇんを)

異常らしいところでも......。時に、貴女はヴルフェンを

(およみになったことがありますか そのとき、しずこのめにふしぎなかがやきがあらわれて)

お読みになったことがありますか」その時、鎮子の眼に不思議な輝きが現われて

(さよう、ごじゅっさいへんしつせつもこのさいたしかにいっせつでしょう。それに、がいけんでは)

「さよう、五十歳変質説もこの際確かに一説でしょう。それに、外見では

(わからないてんかんほっさがありますからね。けれども、あのときはさえきったほどせいかくで)

判らない癲癇発作がありますからね。けれども、あの時は冴え切ったほど正確で

(ございました ときっぱりいいきってから、それから、あのかたはじゅういちじごろまで)

ございました」とキッパリ云い切ってから、「それから、あの方は十一時頃まで

(おねみになりましたが、おめざめになるとのどがかわくとおっしゃったので、そのとき)

お寝みになりましたが、お目醒めになると咽喉が乾くと仰言ったので、そのとき

(あのくだものさらを、えきすけがさろんからもってまいったのです といってくましろのめが)

あの果物皿を、易介が広間から持ってまいったのです」と云って熊城の眼が

(せわしくうごいたのをさとると、ああ、あなたはあいかわらずのすこらはなんですね。)

急性しく動いたのを悟ると、「ああ、貴方は相変わらずの煩瑣派なんですね。

(そのときあのおれんじがあったかどうか、おたずねになりたいのでしょう。けれども、)

その時あの洋橙があったかどうか、お訊ねになりたいのでしょう。けれども、

(にんげんのきおくなんて、そうそうあなたがたにべんりなものはございませんわ。だいいち、)

人間の記憶なんて、そうそう貴方がたに便利なものはございませんわ。第一、

(ゆうべはねむらなかったとはおもっていますけれども、そのそばから、うたたねぐらいは)

昨夜は眠らなかったとは思っていますけれども、その側から、仮睡ぐらいは

(したぞとささやいているものがあるのです なるほど、これもおなじことですよ。)

したぞと囁いているものがあるのです」「なるほど、これも同じことですよ。

(やかたじゅうのひとたちがそろいもそろって、ゆうべはめずらしくじゅくすいしたといっている)

館中の人達がそろいもそろって、昨夜は珍しく熟睡したと云っている

(そうですからね とさすがにのりみずもくしょうして、ところでじゅういちじというと、)

そうですからね」とさすがに法水も苦笑して、「ところで十一時というと、

(そのときだれかきたそうですが はぁ、はたたろうさまとのぶこさんが、ごようすをみに)

そのとき誰か来たそうですが」「ハァ、旗太郎様と伸子さんが、御様子を見に

(おいでになりました。ところが、だんねべるぐさまは、くだものはあとにしてなにかのみものが)

お出でになりました。ところが、ダンネベルグ様は、果物は後にして何か飲物が

(ほしいとおっしゃるので、えきすけがれもなーでをもってまいりました。すると、)

欲しいと仰言るので、易介がレモナーデを持ってまいりました。すると、

など

(あのかたはごようじんぶかくも、それにどくみをおめいじになったのです ははぁ、)

あの方は御要心深くも、それに毒味をお命じになったのです」「ハハァ、

(おそろしいしんけいですね。では、だれが?のぶこさんでした。だんねべるぐさまも)

恐ろしい神経ですね。では、誰が?」「伸子さんでした。ダンネベルグ様も

(それをみてごあんしんになったらしく、さんどもぐらすをおかえになったほどで)

それを見て御安心になったらしく、三度も盃をお換えになったほどで

(ございます。それから、おやすみになったらしいので、はたたろうさまがしんしつのかべにある)

ございます。それから、御寝になったらしいので、旗太郎様が寝室の壁にある

(てれーずのがくをはずして、のぶこさんとふたりでおもちかえりになりました。いいえ、)

テレーズの額をはずして、伸子さんと二人でお持ち帰りになりました。いいえ、

(てれーずはこのやかたではふきつなあくりょうのようにおもわれていて、ことに)

テレーズはこの館では不吉な悪霊のように思われていて、ことに

(だんねべるぐさまがだいのおきらいなのでございますから、はたたろうさまがそれに)

ダンネベルグ様が大のお嫌いなのでございますから、旗太郎様がそれに

(きづかれたというのは、ひじょうにかしこいおもいやりともうしてよろしいのです だが、)

気付かれたというのは、非常に賢い思い遣りと申してよろしいのです」「だが、

(しんしつにはどこぞといってかくればしょはないのですから、そのがくににんぎょうとのかんけいは)

寝室にはどこぞと云って隠れ場所はないのですから、その額に人形との関係は

(ないでしょう とけんじがよこあいからくちをはさんで それよりも、そののみのこりは?)

ないでしょう」と検事が横合から口を挟んで「それよりも、その飲み残りは?」

(すでにあらってしまったでしょう。ですが、そういうごしつもんをなさると、)

「既に洗ってしまったでしょう。ですが、そういう御質問をなさると、

(へるまん じゅうきゅうせいきのどくぶつがくしゃ がわらいますわ しずこはろこつにちょうろうのいろを)

ヘルマン(十九世紀の毒物学者)が嗤いますわ」鎮子は露骨に嘲弄の色を

(うかべた。もし、それでいなければ、しやんをぜろにしてしまうちゅうわざいのなを)

泛べた。「もし、それでいなければ、青酸を零にしてしまう中和剤の名を

(うかがいましょうか。さとうやしっくいでは、たんにんでち・んこうするあるかろいどを、ちゃといっしょに)

伺いましょうか。砂糖や漆喰では、単寧で沈降する塩基物を、茶といっしょに

(のむようなわけにはまいりませんわ。それからじゅうにじになると、だんねべるぐさまは)

飲むような訳にはまいりませんわ。それから十二時になると、ダンネベルグ様は

(どあにかぎをかけさせて、そのかぎをまくらのしたにいれてから、くだものをおめいじになり、)

扉に鍵をかけさせて、その鍵を枕の下に入れてから、果物をお命じになり、

(あのおれんじをおとりになりました。おれんじをとるときもなにともおっしゃいませず、そのあとは)

あの洋橙をお取りになりました。洋橙を取る時も何とも仰言いませず、その後は

(おともきこえずごじゅくすいのようなので、わたしたちはついたてのかげにながいすをおいて、そのうえで)

音も聞えず御熟睡のようなので、私達は衝立の蔭に長椅子を置いて、その上で

(よこになっておりました では、そのぜんごにかすかなすずのようなおとが とたずねて、)

横になっておりました」「では、その前後に微かな鈴のような音が」と訊ねて、

(しずこのひていにあうと、けんじはたばこをほりだしてつぶやいた。すると、がくはないのだし)

鎮子の否定に遇うと、検事は莨を抛り出して呟いた。「すると、額はないのだし

(やはりふじんはてれーずのげんかくをみたのかな。そうしてかんぜんなみっしつになって)

やはり夫人はテレーズの幻覚を見たのかな。そうして完全な密室になって

(しまうと、そうもんとのあいだにたいへんなむじゅんがおこってしまうぜ そうだ、はぜくらくん と)

しまうと、創紋との間に大変な矛盾が起ってしまうぜ」「そうだ、支倉君」と

(のりみずはしずかにいった。ぼくはよりいじょうびみょうなむじゅんをはっけんしているよ。)

法水は静かに云った。「僕はより以上微妙な矛盾を発見しているよ。

(さっきにんぎょうのへやでくみたてたものが、このへやにもどってくると、いきなりぎゃくてんして)

先刻人形の室で組み立てたものが、この室に戻って来ると、突然逆転して

(しまったのだ。このへやはあけずのまだったというけれども、そのじつ、ながいあいだ)

しまったのだ。この室は開けずの間だったと云うけれども、その実、永い間

(たえずでいりしていたものがあったのだよ。そのれきぜんとしたけいせきが)

絶えず出入りしていたものがあったのだよ。その歴然とした形跡が

(のこっているのだ じょうだんじゃない くましろはびっくりしてさけんだ。かぎあなにはながねんの)

残っているのだ」「冗談じゃない」熊城は吃驚して叫んだ。「鍵穴には永年の

(さびがこびりついていて、さいしょひらくときに、かぎのあながささらなかったとかいうぜ。)

錆がこびり付いていて、最初開く時に、鍵の孔が刺さらなかったとか云うぜ。

(それに、にんぎょうのへやとちがって、がんじょうなぜんまいでさようするおしがねなんだから、)

それに、人形の室と違って、岩乗な弾条で作用する押し金なんだから、

(どうかんがえても、いとであやつれそうもないし、むろんゆかぐちにもかくしどのないということは、)

どう考えても、糸で操れそうもないし、無論床口にも陰扉のないという事は、

(とうにはんきょうそくていきでたしかめているんだ それだからきみは、ぼくがさっきせむしが)

既に反響測定器で確かめているんだ」「それだから君は、僕が先刻傴僂が

(なおっているといったら、わらったのだよ。しぜんがどうして、にんげんのめに)

療っていると云ったら、嗤ったのだよ。自然がどうして、人間の眼に

(とまるところになんぞ、あとをのこしておくもんか といちどうをぞうのまえにつれていき、)

止まる所になんぞ、跡を残して置くもんか」と一同を像の前に連れて行き、

(だいたいようねんきからのせむしには、じょうぶのあばらぼねがでこぼこになっていてじゅずだまのかたちを)

だいたい幼年期からの傴僂には、上部の肋骨が凸凹になっていて数珠玉の形を

(しているものだが、それがこのぞうのどこにみられるだろう。だが、ためしに)

しているものだが、それがこの像のどこに見られるだろう。だが、試しに

(このあついほこりをはらってみたまえ そして、ほこりのそうがなだれのように)

この厚い埃を払って見給え」そして、埃の層が雪崩のように

(ずりおちたときだった。むっとなってびこうをおおいながらもみひらいたいちどうのめが、)

摺り落ちた時だった。噎っとなって鼻口を覆いながらも瞠いた一同の眼が、

(あきらかにそれを、ぞうのだいいちろっこつのうえでみとめたのであった。そうすると)

明らかにそれを、像の第一肋骨の上で認めたのであった。「そうすると

(じゅずだまのうえのでばったほこりを、たいらにならしたものがなければならない。けれども、)

数珠玉の上の出張った埃を、平に均したものがなければならない。けれども、

(どんなにせいこうなきかいをつかったところで、にんげんのてではどうしてできるもの)

どんなに精巧な器械を使ったところで、人間の手ではどうして出来るもの

(じゃない。しぜんのさいこくだよ。かぜやみずがなんまんねんかたってがんせきにきょじんぞうを)

じゃない。自然の細刻だよ。風や水が何万年か経って岩石に巨人像を

(きざみこむように、このぞうにもとざされていたさんねんのうちに、せむしを)

刻み込むように、この像にも鎖されていた三年のうちに、傴僂を

(なおしてしまったものがあったのだ。このへやにたえずしのびいっていたじんぶつは、)

療してしまったものがあったのだ。この室に絶えず忍び入っていた人物は、

(いつもこのまえのだいのうえにてしょくをおいていたのだよ。しかし、そのあとなんぞは、)

いつもこの前の台の上に手燭を置いていたのだよ。しかし、その跡なんぞは、

(どうにかごまかしてしまうにしても、そのときから、ひとつのてるてーるしむぼるが)

どうにか誤魔かしてしまうにしても、その時から、一つの物云う象徴が

(つくられていった。ほのおのゆらぎからおこるびみょうなきどうが、いちばんふあんていないちにある)

作られていった。焔の揺ぎから起る微妙な気動が、一番不安定な位置にある

(じゅずだまのほこりを、ほんのかすかずつおとしていったのだよ。ねえはぜくらくん、じいっとみみを)

数珠玉の埃を、ほんの微かずつ落していったのだよ。ねえ支倉君、じいっと耳を

(すましていると、なんだかちゃたてむしのような、うつくしいたがねのおとがきこえてくる)

澄ましていると、なんだか茶立蟲のような、美しい鏨の音が聞こえてくる

(ようじゃないか、ときに、こういうヴぇるれーぬのしが......)

ようじゃないか、ときに、こういうヴェルレーヌの詩が......」

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