黒死館事件17
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問題文
(だいにへん ふぁうすとのじゅもん)
第二篇 ファウストの呪文
(いち、undinus sich winden うんでぃぬすようねくれ)
一、Undinus sich winden(水精よ蜿くれ)
(くがしずこがていじしたろっこまのもくしずは、せいさんれいこくなないようをぞうしながらも、がいかんは)
久我鎮子が提示した六齣の黙示図は、凄惨冷酷な内容を蔵しながらも、外観は
(きわめてこせつなせんで、しごくゆーもらすなかたちにえがかれていた。が、たしかに)
きわめて古拙な線で、しごく飄逸な形に描かかれていた。が、確かに
(このじけんにおいて、それがあらゆるようそのこんていをなすものにそういなかった。)
この事件において、それがあらゆる要素の根柢をなすものに相違なかった。
(おそらくこのじきにてきけつをあやまったなら、このあついかべは、すうせんどの)
おそらくこの時機に剔抉を誤ったなら、この厚い壁は、数千度の
(じんもんけんとうのあとにもあらわれるであろう。そして、そのばでしんこうをはばんでしまう)
訊問検討の後にも現われるであろう。そして、その場で進行を阻んでしまう
(ことはあきらかだった。それなので、しずこがおどろくべきかいしゃくをくわえているうちにも)
ことは明らかだった。それなので、鎮子が驚くべき解釈をくわえているうちにも
(のりみずはあごをむねにつけ、ねむったようなかたちでもっこうをこらしていたが、おそらくないしんの)
法水は顎を胸につけ、眠ったような形で黙考を凝らしていたが、おそらく内心の
(くぎんは、かれのけいけんをちょうぜつしたものだったろうとおもわれた。じじつまったくはんにんの)
苦吟は、彼の経験を超絶したものだったろうとおもわれた。事実まったく犯人の
(いないさつじんじけん えじぷとぶねとしようずをそうかんさせたところのずどくほうは、)
いない殺人事件――埃及艀と屍様図を相関させたところの図読法は、
(とうていひていしえべくもなかったのである。ところがいがいなことに、やがて)
とうてい否定し得べくもなかったのである。ところが意外なことに、やがて
(せいしにふくしたかれのかおには、みるみるせいきがみなぎりゆきこくれつなひょうじょうがうかびあがった。)
正視に復した彼の顔には、みるみる生気が漲りゆき酷烈な表情が泛び上った。
(わかりましたが・・・・・・しかしくがさん、このずのげんりには、けっしてそんな)
「判りましたが……しかし久我さん、この図の原理には、けっしてそんな
(すうぇーでんぼるぐしんがく もくしろくかいしゃく および あるかな・こいれすちあ)
スウェーデンボルグ神学(「黙示録解釈」および「アルカナ・コイレスチア」
(において、すうぇーでんぼるぐはしゅつえじぷときおよびよはねもくしろくのじぎかいしゃくに、)
において、スウェーデンボルグは出埃及記およびヨハネ黙示録の字義解釈に、
(けんきょうふかいもはなはだしいすうどくほうをもちいて、そのふたつのきょうてんが、こうせいにおける)
牽強附会もはなはだしい数読法を用いて、その二つの経典が、後世における
(れきしてきだいじへんのかずかずをよげんせるものとなせり。 はないのですよ。くるったような)
歴史的大事変の数々を預言せるものとなせり。)はないのですよ。狂ったような
(ところが、むしろせいぜんたるろんりけいしきなんです。また、あらゆるげんしょうにつうずる)
ところが、むしろ整然たる論理形式なんです。また、あらゆる現象に通ずる
(というくうかんこうぞうのきかがくりろんが、やはりこのなかでも、ぜったいふへんのたんいとなって)
という空間構造の幾何学理論が、やはりこの中でも、絶対不変の単位となって
(いるのです。ですから、このずをうちゅうしぜんかいのほうそくとたいしょうすることが)
いるのです。ですから、この図を宇宙自然界の法則と対称することが
(できるとすれば、とうぜん、そこにちゅうしょうされるものがなけりゃならんわけでしょう)
出来るとすれば、当然、そこに抽象されるものがなけりゃならん訳でしょう」
(とのりみずが、とつじょぜんじんみとうとでもいいたいところの、ちょうけいけんてきなすいりりょういきに)
と法水が、突如前人未踏とでも云いたいところの、超経験的な推理領域に
(ふみこんでしまったのには、さすがのけんじもあぜんとなってしまった。)
踏み込んでしまったのには、さすがの検事も唖然となってしまった。
(すうがくてきろんりはあらゆるほうそくのしどうげんりであるというけれども、)
数学的論理はあらゆる法則の指導原理であると云うけれども、
(かの びしょっぷ・まーだーけーす においてさえ、りーまん・くりすとふぇるのてんそるは、)
かの「僧正殺人事件」においてさえ、リーマン・クリストフェルのテンソルは、
(たんなるはんざいがいねんをあらわすものにすぎなかったではないか。それだのにのりみずは、)
単なる犯罪概念を表わすものにすぎなかったではないか。それだのに法水は、
(それをはんざいぶんせきのじっさいにおうようして、くうばくたるしいちゅうしょうのせかいにふみいって)
それを犯罪分析の実際に応用して、空漠たる思惟抽象の世界に踏み入って
(いこうとする・・・・・・。ああわたしは・・・・・・としずこはむきだしてわらった。)
行こうとする……。「ああ私は……」と鎮子は露き出して嘲った。
(それで、ろれんつしゅうしゅくのこうぎをきいてちょくせんをゆがめてかいたという、ばかな)
「それで、ロレンツ収縮の講義を聴いて直線を歪めて書いたと云う、莫迦な
(りがくせいのはなしをおもいだしましたわ。それでは、みんこふすきーのよじげんせかいに)
理学生の話を憶い出しましたわ。それでは、ミンコフスキーの四次元世界に
(ふぉーすでぃめんしょん りったいせきのなかで、れいしつのみがしんとうてきにそんざいしえるというくうげき。 を)
第四容積(立体積の中で、霊質のみが滲透的に存在し得るという空隙。)を
(くわえたものを、ひとつかいせきてきにあらわしていただきましょうか そのわらいをのりみずはめじりで)
加えたものを、一つ解析的に表わして頂きましょうか」その嗤いを法水は眦で
(はじき、まずしずこをたしなめてから、ところで、うちゅうこうぞうすいろんしのなかでいちばんはなやかな)
弾き、まず鎮子を嗜めてから、「ところで、宇宙構造推論史の中で一番華やかな
(ぺーじといえば、さしずめあのせおりーでゅえる くうかんきょくりつにかんして、あいんしゅたいんと)
頁と云えば、さしずめあの仮説決闘――空間曲率に関して、アインシュタインと
(はんたいようせつもはんばくしているのです。ところがくがさん、そのふたつをたいひしてみると)
反太陽説も反駁しているのです。ところが久我さん、その二つを対比してみると
(そこへ、もくしずのほんりゅうがあらわれてくるのですよ とさながらくるったのではないか)
そこへ、黙示図の本流が現われてくるのですよ」とさながら狂ったのではないか
(とおもわれるようなことばをはきながら、じずをえがいてせつめいをはじめた。では、)
と思われるような言葉を吐きながら、次図を描いて説明を始めた。「では、
(さいしょはんたいようせつのほうからいうと、あいんしゅたいんは、たいようからでたこうせんが)
最初反太陽説の方から云うと、アインシュタインは、太陽から出た光線が
(きゅうけいうちゅうのへりをまわって、ふたたびもとのてんにかえってくるというのです。そして、)
球形宇宙の縁を廻って、再び旧の点に帰って来ると云うのです。そして、
(そのために、さいしょうちゅうのきょくげんにたっしたとき、そこでだいいちのぞうをつくり、それから、)
そのために、最初宇宙の極限に達した時、そこで第一の像を作り、それから、
(すうひゃくまんねんのたびをつづけてきゅうのがいけんをまわってから、こんどははいごにあたるたいこうてんまで)
数百万年の旅を続けて球の外圏を廻ってから、今度は背後に当る対向点まで
(くると、そこでだいにのぞうをつくるというのです。しかしそのときには、すでにたいようは)
来ると、そこで第二の像を作ると云うのです。しかしその時には、すでに太陽は
(しめつしていていっこのあんこくせいにすぎないでしょう。つまり、そのえいぞうとたいしょうする)
死滅していて一個の暗黒星にすぎないでしょう。つまり、その映像と対称する
(じったいが、てんたいとしてのせいぞんのせかいにはないのです。どうでしょうくがさん、)
実体が、天体としての生存の世界にはないのです。どうでしょう久我さん、
(じったいはしめつしているにもかかわらずかこのえいぞうがあらわれる そのいんがかんけいが、)
実体は死滅しているにもかかわらず過去の映像が現われる――その因果関係が、
(ちょうどこのばあいさんてつはかせとろくにんのししゃとのかんけいにそうじしてやしませんか。)
ちょうどこの場合算哲博士と六人の死者との関係に相似してやしませんか。
(なるほど、いっぽうはおんぐすとろーむ いっこうのいっせんまんぶんのいちで あり、かたほうは)
なるほど、一方はÅ(一耗の一千万分の一)であり、片方は
(とりりおん・まいるでしょうが、しかしそのたいしょうも、せかいくうかんにおいては、)
百万兆哩でしょうが、しかしその対照も、世界空間においては、
(たかがいちびしょうせんぶんのもんだいにすぎないのです。それからじったーは、そのせつを)
たかが一微小線分の問題にすぎないのです。それからジッターは、その説を
(こうていせいしているのですよ。とおくなるほど、らせんじょうせいうんのすぺくとるせんが)
こう訂正しているのですよ。遠くなるほど、螺旋状星雲のスペクトル線が
(あかのほうへいどうしていくので、それにつれて、こうせんのしんどうしゅうきがおそくなると)
赤の方へ移動して行くので、それにつれて、光線の振動週期が遅くなると
(すいだんしています。それがために、うちゅうのきょくげんにたっするころにはこうそくがぜろとなり、)
推断しています。それがために、宇宙の極限に達する頃には光速が零となり、
(そこでしんこうがぴたりととまってしまうというのですよ。ですから、うちゅうのへりに)
そこで進行がピタリと止ってしまうというのですよ。ですから、宇宙の縁に
(うつるぞうはただひとつで、おそらくじっていとはことならないはずです。そこでぼくらは、)
映る像はただ一つで、恐らく実体とは異ならないはずです。そこで僕等は、
(そのふたつのりろんのなかから、もくしずのげんりをえらばなければならなくなりました)
その二つの理論の中から、黙示図の原理を択ばなければならなくなりました」
(ああ、まるできちがいになるようなはなしじゃないか くましろはぼりぼりふけを)
「ああ、まるで狂人になるような話じゃないか」熊城はボリボリふけを
(おとしながらつぶやいた。さあ、そろそろ、てんごくのはすだいからおりてもらおうか)
落しながら呟いた。「サア、そろそろ、天国の蓮台から降りてもらおうか」
(のりみずはくましろのこうきゃくにたまらなくくしょうしたが、つづいてけつろんをいった。もちろんたいようの)
法水は熊城の好謔にたまらなく苦笑したが、続いて結論を云った。「勿論太陽の
(しんれいがくからはなれて、じったーのせつをじんたいせいりのうえにうつしてみるのです。すると、)
心霊学から離れて、ジッターの説を人体生理の上に移してみるのです。すると、
(うちゅうのはんけいをよこぎってちょうねんげつをけいかしていても、じったいとえいぞうがことならない)
宇宙の半径を横切って長年月を経過していても、実体と映像が異ならない――
(そのりほうが、にんげんせいりのうちでなにごとをいみしているでしょうか。たとえば、)
その理法が、人間生理のうちで何事を意味しているでしょうか。たとえば、
(ここにびょうりてきなせんざいぶつがあって、それが、はっせいからせいめいのしゅうえんにいたるまで、)
ここに病理的な潜在物があって、それが、発生から生命の終焉に至るまで、
(せいいくもしなければげんすいもせず、つねにふへんなかたちをたもっているものといえば・・・・・・)
生育もしなければ減衰もせず、常に不変な形を保っているものと云えば……」
(おそらくそのなかには、しんきんしつひだいのようなものや、あるいは、)
「恐らくその中には、心筋質肥大のようなものや、あるいは、
(こうのうまくやじょうほうごうゆごうがないともかぎりません。けれども、それがたいしょうてきに)
硬脳膜矢状縫合癒合がないとも限りません。けれども、それが対称的に
(ちゅうしょうできるというのは、つまりじんたいせいりのなかにも、しぜんかいのほうそくがじゅんかんしている)
抽象出来るというのは、つまり人体生理の中にも、自然界の法則が循環している
(からなんです。げんにはーねまんがくはは、せいりげんしょうをねつりきがくのはんいにどうにゅうしようと)
からなんです。現に体質液学派は、生理現象を熱力学の範囲に導入しようと
(しています。ですから、むきぶつにすぎないさんてつはかせにふしぎなちからをあたえたり、)
しています。ですから、無機物にすぎない算哲博士に不思議な力を与えたり、
(にんぎょうにてれぱしっくなせいのうをそうぞうさせるようなものは、つまるところ、はんにんのこうかつな)
人形に遠感的な性能を想像させるようなものは、つまるところ、犯人の狡猾な
(じょうらんさくにすぎんのですよ。たぶんこのずのししゃのふねなどにも、じかんのしんこうと)
擾乱策にすぎんのですよ。たぶんこの図の死者の船などにも、時間の進行と
(いういがいのいみはないでしょう とくいたいしつ 。ろんそうのきらびやかなひばなにばかり)
いう以外の意味はないでしょう」特異体質――。論争の綺びやかな火華にばかり
(みせられていて、そのかげに、こうしたいんさんないろのひうちいしがあろうなどとは、)
魅せられていて、その蔭に、こうした陰惨な色の燧石があろうなどとは、
(じじつゆめにもおもいおよばぬことだったくましろはしんけいてきにてのひらのあせをふきながら、)
事実夢にも思い及ばぬことだった熊城は神経的に掌の汗を拭きながら、
(なるほど、それなればこそだ 。かぞくいがいにもえきすけをくわえているのは)
「なるほど、それなればこそだ――。家族以外にも易介を加えているのは」
(そうなんだくましろくん とのりみずはまんぞくげにうなずいて、だから、なぞはずけいのほんしつには)
「そうなんだ熊城君」と法水は満足気に頷いて、「だから、謎は図形の本質には
(なくて、むしろ、さくがしゃのいしのほうにある。しかし、どうみてもこのいがくの)
なくて、むしろ、作画者の意志の方にある。しかし、どう見てもこの医学の
(ふぁんたじぃは、へんぺんたるりょうしんてきなけいこくぶんじゃあるまい だが、すこぶるゆーもらすな)
幻想は、片々たる良心的な警告文じゃあるまい」「だが、すこぶる飄逸な
(かたちじゃないか とけんじはいぎをとなえて、それでろこつなあんじもすっかりおどけて)
形じゃないか」と検事は異議を唱えて、「それで露骨な暗示もすっかりおどけて
(しまってるぜ。はんざいをじょうせいするようなくうきは、みじんもないとおもうよ と)
しまってるぜ。犯罪を醸成するような空気は、微塵もないと思うよ」と
(こうべんしたが、のりみずはきちょうめんにじぶんのせつをのべた。)
抗弁したが、法水は几帳面に自分の説を述べた。