晩年 ㉑

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太宰 治
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 Par8 4083 C 4.1 98.0% 1012.6 4220 85 65 2024/12/22
2 difuku 3613 D+ 3.8 94.2% 1115.3 4290 260 65 2024/12/11

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問題文

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(わたしはでんきどけいのあたりでたちどまって、れっしゃをながめた。れっしゃはあめですっかり)

私は電気時計のあたりで立ちどまって、列車を眺めた。列車は雨ですっかり

(ぬれて、あおぐろくひかっていた。さんりょうめのさんとうきゃくしゃのまどから、おもいきりくびをさしのべて)

濡れて、黝く光っていた。三輛目の三等客車の窓から、思い切り首をさしのべて

(ご、ろくにんのみおくりのひとたちへおろおろえしゃくしているあおぐろいひとつがみえた。)

五、六人の見送りの人たちへおろおろ会釈している蒼黒いひとつが見えた。

(そのころにほんではほかのあるくにとせんそうをはじめていたが、それにどういんされた)

その頃日本では他の或る国と戦争を始めていたが、それに動員された

(へいしであろう。わたしはみるべからざるものをみたようなきがして、)

兵士であろう。私は見るべからざるものを見たような気がして、

(ちっそくしそうにむなぐるしくなった。すうねんまえわたしはあるしそうだんたいにいささかでも)

窒息しそうに胸苦しくなった。数年まえ私は或る思想団体にいささかでも

(かんけいをもったことがあって、のちまもなくみばえのせぬもうしわけをたてて)

関係を持ったことがあって、のちまもなく見映えのせぬ申しわけを立てて

(そのだんたいとわかれてしまったのであるが、いま、こうしてへいしをめのまえにぎょうしし、)

その団体と別れてしまったのであるが、いま、こうして兵士を眼の前に凝視し、

(また、はずかしめられよごされてききょうしていくてつさんをながめては、)

また、恥かしめられ汚されて帰郷して行くテツさんを眺めては、

(わたしのあんなもうしわけがたつたたぬどころでないとおもったのである。)

私のあんな申しわけが立つ立たぬどころでないと思ったのである。

(わたしはあたまのうえのでんきどけいをふりあおいだ。はっしゃまでまださんぷんほどまがあった。)

私は頭の上の電気時計を振り仰いだ。発車まで未だ三分ほど間があった。

(わたしはたまらないきもちがした。だれだってそうであろうが、みおくりにんにとって、)

私は堪らない気持がした。誰だってそうであろうが、見送人にとって、

(このはっしゃまえのさんぷんかんぐらいへいこうなものはない。いうべきことは、すっかり)

この発車前の三分間ぐらい閉口なものはない。言うべきことは、すっかり

(いいつくしてあるし、ただむなしくかおをみあわせているばかりなのである。)

言いつくしてあるし、ただむなしく顔を見合わせているばかりなのである。

(ましていまのこのばあい、わたしはそのいうべきことばさえなにひとつかんがえつかずに)

まして今のこの場合、私はその言うべき言葉さえなにひとつ考えつかずに

(いるではないか。つまがもっとさいのうのあるおんなであったならば、)

いるではないか。妻がもっと才能のある女であったならば、

(わたしはまだしもきらくなのであるが、みよ、つまはてつさんのそばにいながら、)

私はまだしも気楽なのであるが、見よ、妻はテツさんの傍に居ながら、

(むくれたようなかおをしてさきほどからだまってたちつくしているのである。)

むくれたような顔をして先刻から黙って立ちつくしているのである。

(わたしはおもいきっててつさんのまどのほうへあるいていった。)

私は思い切ってテツさんの窓の方へあるいて行った。

(はっしゃがまぢかいのである。れっしゃはよんひゃくごじゅうまいるのこうていをまえにしていきりたち、)

発車が間近いのである。列車は四百五十哩の行程を前にしていきりたち、

など

(ぷらっとふおむはいろめきわたった。わたしのむねには、もはやたにんのみのうえまで)

プラットフオムは色めき渡った。私の胸には、もはや他人の身の上まで

(おもいやるような、そんなよゆうがなかったので、てつさんをなぐさめるのに)

思いやるような、そんな余裕がなかったので、テツさんを慰めるのに

(「さいなん」というむせきにんなことばをつかったりした。しかし、のろまなつまはれっしゃの)

「災難」という無責任な言葉を使ったりした。しかし、のろまな妻は列車の

(よこかべにかかってあるあおいてつふだの、みずたまがいっぱいついたもじをこのごろならいたての)

横壁にかかってある青い鉄札の、水玉が一杯ついた文字を此頃習いたての

(たどたどしいちしきでもって、fora-o-mo-riと)

たどたどしい智識でもって、FOR A-O-MO-RIと

(ひくくよんでいたのである。)

ひくく読んでいたのである。

(ちきゅうず)

地球図

(よわんえのきはともてんよわんばってぃすたしろおてのぼひょうである。)

ヨワン榎は伴天ヨワン・バッティスタ・シロオテの墓標である。

(きりしたんやしきのうらもんをくぐってすぐみぎてにそれがあった。いまからにひゃくねんほど)

切支丹屋敷の裏門をくぐってすぐ右手にそれがあった。いまから二百年ほど

(むかしに、しろおてはこのきりしたんやしきのろうのなかでしんだ。かれのしかばねは、)

むかしに、シロオテはこの切支丹屋敷の牢のなかで死んだ。彼のしかばねは、

(やしきのにわのかたすみにうずめられ、ひとりのふうりゅうなぶぎょうがそこにいっぽんのえのきをうえた。)

屋敷の庭の片隅にうずめられ、ひとりの風流な奉行がそこに一本の榎を植えた。

(えのきはねをはりえだをひろげた。としをへてたいぼくになり、よわんえのきとうたわれた。)

榎は根を張り枝をひろげた。としを経て大木になり、ヨワン榎とうたわれた。

(よわんばってぃすたしろおては、ろおまんのひとであって、もともとめいもんの)

ヨワン・バッティスタ・シロオテは、ロオマンの人であって、もともと名門の

(でであった。おさないときからしててんしゅのほうをうけ、がくにしたがうことにじゅうにねん、)

出であった。幼いときからして天主の法をうけ、学に従うことニ十二年、

(そのあいだじゅうろくにんものせんせいについた。さんじゅうろくさいのとき、)

そのあいだ十六人もの先生についた。三十六歳のとき、

(ほんしきれいめんすじゅうにせいからやあぱんにあにでんどうするよういいつけられた。)

本師キレイメンス十二世からヤアパンニアに伝道するよう言いつけられた。

(せいれきいっせんななひゃくねんのことである。)

西暦一千七百年のことである。

(しろおては、まずにほんのしゅうぞくとことばとをべんきょうした。)

シロオテは、まず日本の習俗と言葉とを勉強した。

(このべんきょうにさんねんかかったのである。ひいたさんとおるむというにほんのしゅうぞくを)

この勉強に三年かかったのである。ヒイタサントオルムという日本の習俗を

(しるしたしょうさっしと、できしょなありよむというにほんのたんごをいちいちろおまんの)

記した小冊子と、デキショナアリヨムという日本の単語をいちいちロオマンの

(たんごでもってほんやくしてあるしょもつと、このにさつでべんきょうしたのであった。)

単語でもって翻訳してある書物と、この二冊で勉強したのであった。

(ひいたさんとおるむのところどころには、えをえがきいれたぺーじが)

ヒイタサントオルムのところどころには、絵をえがきいれた頁が

(さしこまれていた。さんねんけんきゅうしてじしんのついたころ、やはりおなじしめいをうけて)

さしこまれていた。三年研究して自信のついたころ、やはりおなじ師命をうけて

(ぺっけんにおもむくとおますてとるのんというひとと、めいめいかれい)

ペッケンにおもむくトオマス・テトルノンという人と、めいめいカレイ

(いっせきずつにのりいれ、ひがしへすすんだ。やねわをへて、かなありやにいたり、)

一隻ずつに乗りいれ、東へ進んだ。ヤネワを経て、カナアリヤに至り、

(ここでまたふらんすやのかいはくいっせきずつにのりかえ、とうとうろくそんについた。)

ここでまたフランスヤの海舶一隻ずつに乗りかえ、とうとうロクソンに着いた。

(ろくそんのかいがんにふねをつなぎ、ふたりはじょうりくした。とおますてとるのんは、)

ロクソンの海岸に船をつなぎ、ふたりは上陸した。トオマス・テトルノンは、

(すぐそろおてとわかれてぺっけんへむかったが、しろおてはひとりいのこって、)

すぐソロオテと別れてペッケンへむかったが、シロオテはひとりいのこって、

(くさぐさのじゅんびをととのえた。やあぱんにあはちかいのである。)

くさぐさの準備をととのえた。ヤアパンニアは近いのである。

(ろくそんにはにほんじんのしそんがさんぜんにんもいたので、しろおてにとって)

ロクソンには日本人の子孫が三千人もいたので、シロオテにとって

(なにかとべんりであった。しろおてはしょじのかへいをおうごんにかえた。)

何かと便利であった。シロオテは所持の貨幣を黄金に換えた。

(やあぱんにあではおうごんをちょうほうにするといううわさばなしをきいたからであった。)

ヤアパンニアでは黄金を重宝にするという噂話を聞いたからであった。

(にほんのいふくをこしらえた。ごばんのすじのようなもようがついたあさぎいろの)

日本の衣服をこしらえた。碁盤のすじのような模様がついた浅黄いろの

(もめんきものであった。かたなもかった。はわたりにしゃくよんすんあまりのながさであった。)

木綿着物であった。刀も買った。刃わたり二尺四寸余の長さであった。

(やがてしろおてはろくそんよりにほんへむかった。かいじょうたちにふうぎゃくし、なみあらく、)

やがてシロオテはロクソンより日本へ向かった。海上たちに風逆し、浪あらく、

(こうかいはこんなんであった。ふねがみたびもくつがえりかけたのである。ろおまんをあとにして)

航海は困難であった。船が三たびも覆りかけたのである。ロオマンをあとにして

(さんねんめのことであった。)

三年目の事であった。

(ほうえいごねんのおわりごろ、おおすみのくにのやくしまからさんりばかりへだてたうみのうえに、)

宝永五年のおわりごろ、大隅の国の屋久島から三里ばかり隔てた海の上に、

(めなれぬふねのおおきいのがいっせきうかんでいるのを、ぎょふたちがみつけた。)

目なれぬ船の大きいのが一隻うかんでいるのを、漁夫たちが見つけた。

(また、そのひのたそがれどき、おなじしまのみなみにあたるおのまというおきに、たくさんの)

また、その日の黄昏時、おなじ島の南にあたる小野間という沖に、たくさんの

(ほをつけたふねが、こぶねをいっせきひきながら、ひがしさしてはしっていくのを、)

帆をつけた船が、小舟を一隻引きながら、東さしてはしって行くのを、

(むらのひとたちがはっけんし、かいがんへつどってののしりさわいだが、ようやくおきあいのうすぐらく)

村の人たちが発見し、海岸へ集って罵りさわいだが、漸く沖合いのうすぐらく

(なるにつれ、ほかげはやみのなかへきえた。そのあくるあさ、おのまからふたさとほどにしの)

なるにつれ、帆影は闇の中へ消えた。そのあくる朝、尾野間から二里ほど西の

(ゆどまりというむらのおきのかなたに、きのうのふねらしいものがみえたが、つよいきたかぜを)

湯泊という村の沖のかなたに、きのうの船らしいものが見えたが、強い北風を

(いっぱいほにはらみつつ、みなみをさしてみるみるしっこうしさった。)

いっぱい帆にはらみつつ、南をさしてみるみる疾航し去った。

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