黒死館事件19

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小栗虫太郎の作品です。
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1 ぷぷ 6160 A++ 6.2 98.0% 890.4 5596 111 79 2024/04/23

関連タイピング

問題文

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(しずこのちんじゅつはふたたびつうふうをまねきよせた。のりみずはしばらくたばこのあかいせんたんを)

鎮子の陳述は再び痛風を招き寄せた。法水はしばらく莨の赤い尖端を

(みつめていたが、やがていじわるげなびしょうをうかべて、なるほど、しかし、)

瞶めていたが、やがて意地悪げな微笑を泛べて、「なるほど、しかし、

(にこるきょうじゅのようなまちがいだらけのせんせいでも、これだけはうまいことを)

ニコル教授のような間違いだらけの先生でも、これだけは巧いことを

(いいましたな。けっかくかんじゃのけつえきのなかには、のうにせんもうをおこすものを)

云いましたな。結核患者の血液の中には、脳に譫妄を起すものを

(ふくめり って ああ、いつまでもあなたは......といったんしずこは)

含めり――って」「ああ、いつまでも貴方は......」といったん静子は

(あきれてさけんだが、すぐにきぜんとなって、それでは、これを......。)

呆れて叫んだが、すぐに毅然となって、「それでは、これを......。

(このしへんががらすのうえにおちていたとしましたなら、えきすけのことばにはかたちが)

この紙片が硝子の上に落ちていたとしましたなら、易介の言には形が

(ございましょう といって、ふところからとりだしたものがあった。それは、)

ございましょう」と云って、懐中から取り出したものがあった。それは、

(あまみずとどろでよごれたようせんのきれはしだったが、それにはくろいんくで、つぎのような)

雨水と泥で汚れた用箋の切端だったが、それには黒インクで、次のような

(どいつぶんがしたためられてあった。)

独逸文が認められてあった。

(undinus sich winden)

Undinus sich winden

(これじゃとうていひっせきをうかがえそうもない。まるでかにみたいな)

「これじゃとうてい筆跡を窺えそうもない。まるで蟹みたいな

(ごにそっくもじだ といったんのりみずはしつぼうしたようにつぶやいたが、)

ゴニソック文字だ」といったん法水は失望したように呟いたが、

(そのくちのしたから、りょうめをかがやかせて、おやみょうなてんかんがあるぞ。げんらいこのいっくは、)

その口の下から、両眼を輝かせて、「オヤ妙な転換があるぞ。元来この一句は、

(うんでぃねようねくれ なんですが、これには、じょせいのundines に us を)

水精よ蜿くれ――なんですが、これには、女性のUndines に us を

(つけて、だんせいにかえてあるのです。しかし、これがなにからひいたものであるか、)

つけて、男性に変えてあるのです。しかし、これが何から引いたものであるか、

(ごぞんじですか。それから、このやかたのぞうしょのなかに、ぐりむの)

御存じですか。それから、この館の蔵書の中に、グリムの

(こだいどいつしいかけっさくについて かふぁいすとの どいつごしりょうしゅう でも)

『古代独逸詩歌傑作に就いて』かファイストの『独逸語史料集』でも」

(いかんながら、それはぞんじません。げんごがくのほうは、のちほどおしらせすることに)

「遺憾ながら、それは存じません。言語学の方は、のちほどお報せすることに

(いたします としずこはあんがいそっちょくにこたえて、そのしょうくのかいしゃくがのりみずのくちから)

いたします」と鎮子は案外率直に答えて、その章句の解釈が法水の口から

など

(でるのをまった。しかし、かれはしへんにめをふせたままで、よういにくちをひらこうとは)

出るのを待った。しかし、彼は紙片に眼を伏せたままで、容易に口を開こうとは

(しなかった。そのちんもくのあいだをねらってくましろがいった。とにかく、えきすけが)

しなかった。その沈黙の間を狙って熊城が云った。「とにかく、易介が

(そのばしょへいったについては、もっとじゅうだいないあじがありますよ。さぁなにもかも)

その場所へ行ったについては、もっと重大な意味がありますよ。サァ何もかも

(つつまずにはなしてください。あのおとこはすでにばきゃくをあらわしているんですから)

包まずに話して下さい。あの男はすでに馬脚を露わしているんですから」

(さぁ、それいじょうのじじつといえば、たぶんこれでしょう としずこはあいかわらず)

「サァ、それ以上の事実と云えば、たぶんこれでしょう」と鎮子は相変わらず

(ひにくなちょうしで、そのあいだわたしが、このへやにひとりぼっちだったというだけの)

皮肉な調子で、「その間私が、この室に一人ぼっちだったというだけの

(ことですわ。しかし、どうせうたがわれるのなら、さいしょにされたほうが......)

事ですわ。しかし、どうせ疑われるのなら、最初にされた方が......

(いいえ、たいていのばあいが、あとでなんでもないことになりますからね。それに)

いいえ、たいていの場合が、後で何でもないことになりますからね。それに

(のぶこさんとだんねべるぐさまが、しんいしんもんかいのはじまるにじかんほどまえにそうろんを)

伸子さんとダンネベルグ様が、神意審問会の始まる二時間ほど前に争論を

(なさいましたけれども、それやこれやのことがらは、じけんのほんしつとはなんのかんけいも)

なさいましたけれども、それやこれやの事柄は、事件の本質とは何の関係も

(ないのです。だいいち、えきすけがすがたをけしたことだって、さっきのろれんつしゅうしゅくのはなしと)

ないのです。第一、易介が姿を消したことだって、先刻のロレンツ収縮の話と

(おなじことですわ。そのりがくせいににたとうさくしんりを、あなたのどうかつじんもんが)

同じことですわ。その理学生に似た倒錯心理を、貴方の恫喝尋問が

(つくりだしたのです そうなりますかね とものうげにつぶやいて、のりみずはかおをあげたが)

作り出したのです」「そうなりますかね」と懶気に呟いて、法水は顔を上げたが

(どこか、あるできごとのかのうせいをあんじゅしているような、いんうつなかげをただよわせていた。)

どこか、ある出来事の可能性を暗受しているような、陰鬱な影を漂わせていた。

(が、しずこには、いんぎんなくちょうでいった。とにかく、いろいろとざいりょうをそろえて)

が、鎮子には、慇懃な口調で云った。「とにかく、種々と材料をそろえて

(いただいたことはかんしゃしますが、しかしけつろんとなると、はなはだいかんせんばんです。)

頂いたことは感謝しますが、しかし結論となると、はなはだ遺憾千万です。

(あなたのみごとなるいすいろんぽうでも、けっきょくわたしには、いわゆる、ごときかんをていするものとしか)

貴女の見事な類推論法でも、結局私には、いわゆる、如き観を呈するものとしか

(みられんのですからね。ですからたといにんぎょうががんぜんにあらわれてきたにした)

見られんのですからね。ですからたとい人形が眼前に現われて来たにした

(ところで、わたしは、それをげんかくとしかみないでしょう。だいいちそういう、)

ところで、私は、それを幻覚としか見ないでしょう。第一そういう、

(ひせいぶつがくてきな、ちからのしょざいというのがわからないのです それはだんだんとおわかりに)

非生物学的な、力の所在というのが判らないのです」「それは段々とお判りに

(なりますわ としずこはさいごのだめをおすようなごきでいった。じつは、)

なりますわ」と鎮子は最後の駄目を押すような語気で云った。「実は、

(さんてつさまのにっかしょのなかに それがじさつなされたぜんげつさくねんのさんがつとおかの)

算哲様の日課書の中に――それが自殺なされた前月昨年の三月十日の

(らんでしたが そこにこういうきじゅつがあるのです。)

欄でしたが――そこにこういう記述があるのです。

(われ、かくされねばならぬいんみつのちからをもとめてそれをえたれば、このひまほうしょをたけり)

吾、隠されねばならぬ隠密の力を求めてそれを得たれば、この日魔法書を焚けり

(と。ともうして、すでにむきぶつとかしたあのかたのいがいには、いっこのかちも)

――と。と申して、すでに無機物と化したあの方の遺骸には、一顧の価値も

(ございませんけれど、なんとなくわたしには、むきぶつをゆうきぶつにうごかす、ふしぎな)

ございませんけれど、なんとなく私には、無機物を有機物に動かす、不思議な

(せいたいそしきとでもいえるものが、このたてもののなかにかくされているようなきがして)

生体組織とでも云えるものが、この建物の中に隠されているような気がして

(ならないのです それがまほうしょをたいたりゆうですよ とのりみずはなにごとかを)

ならないのです」「それが魔法書を焚いた理由ですよ」と法水は何事かを

(ほのめかしたが、しかし、うしなわれたものはさいげんするのみのことです。)

仄めかしたが、「しかし、失われたものは再現するのみのことです。

(そうしてからあらためて、あなたのすうりてつがくをうかがうことにしましょう。それから、)

そうしてから改めて、貴女の数理哲学を伺うことにしましょう。それから、

(げんざいのざいさんかんけいとさんてつはかせがじさつしたとうじのじょうきょうですが とようやく)

現在の財産関係と算哲博士が自殺した当時の状況ですが」とようやく

(もくしずのもんだいからはなれて、つぎのしつもんにうつったが、そのときしずこは、のりみずを)

黙示図の問題から離れて、次の質問に移ったが、その時鎮子は、法水を

(みつめたまま、こしをあげた。いいえ、それはしつじのたごうさんのほうがてきにんで)

瞶めたまま、腰を上げた。「いいえ、それは執事の田郷さんの方が適任で

(ございましょう。あのかたはそのさいのはっけんしゃですし、なにより、このやかたでは)

ございましょう。あの方はその際の発見者ですし、何より、この館では

(りしゅりゅう るいさんせいきのそうじょうさいしょう ともうしてよろしいのですから そうして)

リシュリュウ(ルイ三世期の僧正宰相)と申してよろしいのですから」そうして

(とびらのほうへに、さんぽあゆんだところでたちどまり、きっとのりみずをふりむいていった。)

扉の方へ二、三歩歩んだ所で立ち止り、屹然と法水を振り向いて云った。

(のりみずさん、あたえられたものをとることにも、こうしょうなせいしんがひつようですわ。)

「法水さん、与えられたものをとることにも、高尚な精神が必要ですわ。

(ですから、それをわすれたものには、ごじつかほうずくゆるじきがまいりましょう)

ですから、それを忘れた者には、後日彼方図悔ゆる時機がまいりましょう」

(しずこのすがたがとびらのむこうにきえてしまうと、ろんそういっかごのへやは、ちょうどほうでんごの、)

鎮子の姿が扉の向うに消えてしまうと、論争一過後の室は、ちょうど放電後の、

(しんくうといったくうきょなかんじで、ふたたびかびくさいちんもくがただよいはじめ、じゅりんでなくからすのこえや)

真空といった空虚な感じで、再び黴臭い沈黙が漂いはじめ、樹林で啼く鴉の声や

(つららがおちるかすかなおとまでも、ききとれるほどのしずけさだった。やがて、けんじは)

氷柱が落ちる微かな音までも、聴き取れるほどの静けさだった。やがて、検事は

(くびのねをたたきながら、くがしずこはじつぞうのみをおい、きみはちゅうしょうのせかいに)

頸の根を叩きながら、「久我鎮子は実像のみを追い、君は抽象の世界に

(おぼれている。だがしかしだ。ぜんしゃはしぜんのりほうをひていせんとし、こうしゃはそれを)

溺れている。だがしかしだ。前者は自然の理法を否定せんとし、後者はそれを

(ほうそくてきに、けいけんかがくのかてごりーでりっしようとしている 。のりみずくん、このけつろんには、)

法則的に、経験科学の範疇で律しようとしている――。法水君、この結論には、

(いったいどういうろんぽうがひつようなんだね。ぼくはでものろじいだろうと)

いったいどういう論法が必要なんだね。僕は鬼神学だろうと

(おもうんだが......ところがはぜくらくん、それがぼくのむそうのはなさ)

思うんだが......」「ところが支倉くん、それが僕の夢想の華さ――

(あのもくしずにつづいていて、いまだだれひとりとしてみたことのないはんようがある)

あの黙示図に続いていて、未だ誰一人として見たことのない半葉がある――

(それなんだよ とゆめみるようなことばを、のりみずはほとんどむかんどうのうちにいった。)

それなんだよ」と夢見るような言葉を、法水はほとんど無感動のうちに云った。

(そのないようがおそらくさんてつのふんしょをはじめとして、このじけんのあらゆるぎもんに)

「その内容が恐らく算哲の焚書を始めとして、この事件のあらゆる疑問に

(つうじているだろうとおもうのだ なに、えきすけがみたというひとかげにもか けんじは)

通じているだろうと思うのだ」「なに、易介が見たという人影にもか」検事は

(おどろいてさけんだ。とくましろもしんけんにうなずいて、うん、あのおんなはけっして、)

驚いて叫んだ。と熊城も真剣に頷いて、「ウン、あの女はけっして、

(うそはつかんよ。ただしもんだいは、そのしんそうをどのていどのしんじつで、えきすけがつたえたかに)

嘘は吐かんよ。ただし問題は、その真相をどの程度の真実で、易介が伝えたかに

(あるんだ。だが、なんというふしぎなおんなだろう とあらわにきょうたんのいろをうかべて、)

あるんだ。だが、なんという不思議な女だろう」と露わに驚嘆の色を泛べて、

(じぶんからこのんではんにんのりょういきにちかづきたがっているんだ いや、まぞひいすとかも)

「自分から好んで犯人の領域に近づきたがっているんだ」「いや、被作虐者かも

(しれんよ とのりみずははんみになって、のんきそうにかいてんいすをぎしぎしならせて)

しれんよ」と法水は半身になって、暢気そうに廻転椅子をギシギシ鳴らせて

(いたが、だいたい、かしゃくというものには、えもいわれぬみりょくがあるそうじゃ)

いたが、「だいたい、呵責と云うものには、得も云われぬ魅力があるそうじゃ

(ないか。そのしょうこにはせヴぃごらのなっけというにそうだが、そのおんなはしゅうきょうさいばんの)

ないか。その証拠にはセヴィゴラのナッケという尼僧だが、その女は宗教裁判の

(かこくなしんもんのあとで、てんしゅうよりも、げんぞくをのぞんだというのだからね といって)

苛酷な審問の後で、転宗よりも、還俗を望んだというのだからね」と云って

(くるりとむきをかえ、ふたたびせいしのしせいにもどっていった。)

クルリと向きを変え、再び正視の姿勢に戻って云った。

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