黒死館事件21

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(のりみずくん、きみはまたそでろうかへいったのかね しふくがさると、くましろはなかば)

「法水君、君はまた拱廊へ行ったのかね」私服が去ると、熊城はなかば

(やゆぎみにたずねた。いや、このじけんのきかがくりょうをたしかめたんだよ。さんてつはかせが)

揶揄気味に訊ねた。「いや、この事件の幾何学量を確かめたんだよ。算哲博士が

(もくしずをえがいたり、そのしられてないはんようをあんじしたについては、そこになにか、)

黙示図を描いたり、その知られてない半葉を暗示したについては、そこに何か、

(ほうこうがなけりゃならんわけだろう とのりみずはむすっとしてこたえたが、つづいて)

方向がなけりゃならん訳だろう」と法水はムスッとして答えたが、続いて

(おどろくべきじじつがかれのくちをついてでた。それで、だんねべるぐふじんを)

驚くべき事実が彼の口を突いて出た。「それで、ダンネベルグ夫人を

(きちがいみたいにさせた、おそろしいあんりゅうがわかったのだ。じつは、でんわでこのむらのやくばを)

狂人みたいにさせた、怖ろしい暗流が判ったのだ。実は、電話でこの村の役場を

(しらべたんだが、おどろくじゃないか、あのよにんのがいじんはきょねんのさんがつよっかに)

調べたんだが、驚くじゃないか、あの四人の外人は去年の三月四日に

(きかしていて、ふりやぎのせきに、さんてつのようしようじょとなってにゅうせきしているんだ。)

帰化していて、降矢木の籍に、算哲の養子養女となって入籍しているんだ。

(それにまだいさんそうぞくのてつづきがされていない。つまり、このやかたはいまだもって、)

それにまだ遺産相続の手続がされていない。つまり、この館は未だもって、

(せいとうのけいしょうしゃはたたろうのしゅちゅうにはおちていないのだよ こりゃおどろいた けんじは)

正統の継承者旗太郎の手中には落ちていないのだよ」「こりゃ驚いた」検事は

(ぺんをほうりだしてあぜんとなってしまったが、すぐにゆびをくってみて、)

ペンを抛り出して唖然となってしまったが、すぐに指を繰ってみて、

(たぶんてつづきがおくれているのは、さんてつのゆいごんしょでもあるからだろうが、)

「たぶん手続が遅れているのは、算哲の遺言書でもあるからだろうが、

(あますところもう、ほうていきげんはにかげつしかない。それがきれると、いさんは)

剰すところもう、法定期限は二ヶ月しかない。それが切れると、遺産は

(こっこのなかにおちてしまうんだ そうなんだ。だから、そこにもしさつじんどうきが)

国庫の中に落ちてしまうんだ」「そうなんだ。だから、そこにもし殺人動機が

(ふぁうすとはかせのかくれみの あのぺんだぐらむまのえんがわかるよ。しかし、どのみちひとつの)

ファウスト博士の隠れ蓑――あの五芒星の円が判るよ。しかし、どのみち一つの

(あんぐるにはそういないけれども、なにしろよにんのきかにゅうせきというような、)

角度には相違ないけれども、なにしろ四人の帰化入籍というような、

(おもいもつかぬものがあるほどだからね。そのふかさはなみたいていのものじゃあるまい。)

思いもつかぬものがあるほどだからね。その深さは並大抵のものじゃあるまい。

(いや、かえってぼくは、それをうかつにしゅこうしてはならないものをにぎっているんだ)

いや、かえって僕は、それを迂闊に首肯してはならないものを握っているんだ」

(いったいなにを?さっききみがしつもんしたなかの、いち・に・ごの)

「いったい何を?」「先刻君が質問した中の、(一)・(二)・(五)の

(かじょうなんだよ。かっちゅうむしゃがかいだんろうのうえへとびあがっていて 、ばとらーは)

箇条なんだよ。甲冑武者が階段廊の上へ飛び上っていて――、召使は

など

(きこえないおとをきいているし 、それからそでろうかでは、ぼーどのほうそくがあいかわらず)

聞えない音を聴いているし――、それから拱廊では、ボードの法則が相変わらず

(かいおうせいのみをしょうめいできないのだがね そういうおどろくべきどぐまをはきすてて、)

海王星のみを証明出来ないのだがね」そういう驚くべき独断を吐き捨てて、

(のりみずはけんじがかきおわったおぼえがきをとりあげた。それには、しけんをまじえないじしょうの)

法水は検事が書き終った覚書を取り上げた。それには、私見を交えない事象の

(はいれつのみが、せいかくにきじゅつされてあった。)

配列のみが、正確に記述されてあった。

(いち、したいげんしょうにかんするぎもん りゃく)

一、死体現象に関する疑問(略)

(に、てれーずにんぎょうがげんばにのこせるしょうせきについて りゃく)

二、テレーズ人形が現場に残せる証跡について(略)

(さん、とうじつじけんはっせいまえのどうせい)

三、当日事件発生前の動静

(いち、そうちょうおしがねつたこのりかん。)

一、早朝押鐘津多子の離館。

(に、ごごしちじよりはちじ 。かっちゅうむしゃのいちがかいだんろうじょうにかわり、わしきぐそくの)

二、午後七時より八時――。甲冑武者の位置が階段廊上に変り、和式具足の

(ふたつのかぶとがとりかえられている。)

二つの兜が取り替えられている。

(さん、ごごしちじごろ、こさんてつのひしょかみたにのぶこが、だんねべるぐふじんと)

三、午後七時頃、故算哲の秘書紙谷伸子が、ダンネベルグ夫人と

(そうろんせしという。)

争論せしと云う。

(よん、ごごくじ 。しんいしんもんかいちゅうにだんねべるぐはそっとうし、そのじこくと)

四、午後九時――。神意審問会中にダンネベルグは卒倒し、その時刻と

(ふごうせしころ、えきすけはそのりんしつのはりだしふちにいようなひとかげをもくげきせりという。)

符合せし頃、易介はその隣室の張出縁に異様な人影を目撃せりと云う。

(ご、ごごじゅういちじ 。のぶことはたたろうがだんねべるぐをみまう。そのおり、はたたろうは)

五、午後十一時――。伸子と旗太郎がダンネベルグを見舞う。その折、旗太郎は

(かべのてれーずのがくをとりさり、のぶこはれもなーでをどくみせり。なお、しやんを)

壁のテレーズの額を取り去り、伸子はレモナーデを毒味せり。なお、青酸を

(ちゅうにゅうせるおれんじをのせたものとすいさつさるるくだものさらを、えきすけがじさんせるは)

注入せる洋橙を載せたものと推察さるる果物皿を、易介が持参せるは

(そのときなれども、かんじんのおれんじについては、ついにしょうめいされるものなし。)

その時なれども、肝腎の洋橙については、ついに証明されるものなし。

(ろく、ごごじゅういちじよんじゅうごふんごろ。えきすけはさいぜんのひとかげがおとせしものをみて、うらにわの)

六、午後十一時四十五分頃。易介は最前の人影が落せしものを見て、裏庭の

(まどぎわにいき、がらすのはへんならびにふぁうすとちゅうのいっしょうをしるせるしへんをひろう。)

窓際に行き、硝子の破片並びにファウスト中の一章を記せる紙片を拾う。

(そのかんしつないにはひがいしゃとしずこのみなり。)

その間室内には被害者と鎮子のみなり。

(なな、どうれいじごろ。ひがいしゃおれんじをしょくす。なお、しずこ、えきすけ、のぶこいがいの)

七、同零時頃。被害者洋橙を喰す。なお、鎮子、易介、伸子以外の

(よにんのかぞくには、きじゅつすべきどうせいなし。)

四人の家族には、記述すべき動静なし。

(よん、こくしかんきおうへんしじけんについて りゃく)

四、黒死館既往変死事件について(略)

(ご、きおういちねんいらいのどうこう)

五、既往一年以来の動向

(いち、さくねんさんがつよっか よにんのいこくじんのきかにゅうせき。)

一、昨年三月四日 四人の異国人の帰化入籍。

(いち、どう さんがつとおか さんてつはにっかしょにふかかいなるきじゅつをのこし、)

一、同 三月十日 算哲は日課書に不可解なる記述を残し、

(そのひまほうしょをたくという。)

その日魔法書を焚くと云う。

(いち、どう しがつにじゅうろくにち さんてつのじさつ。いらいかんないのかぞくはふあんにおびえ、ついに)

一、同 四月二十六日 算哲の自殺。以来館内の家族は不安に怯え、ついに

(ひがいしゃはしんいしんもんほうにより、そのこんげんをなすものをきわめんとす。)

被害者は神意審問法により、その根元をなす者を究めんとす。

(ろく、もくしずのこうさつ りゃく)

六、黙示図の考察(略)

(なな、どうきのしょざい りゃく)

七、動機の所在(略)

(よみおわるとのりみずはいった。このかじょうがきのうちで、だいいちのしたいげんしょうにかんする)

読み終ると法水は云った。「この箇条書のうちで、第一の死体現象に関する

(ぎもんは、だいさんじょうのなかにつくされているとおもう。がいけんは、いっこうなんでもなさそうな)

疑問は、第三条の中に尽されていると思う。外見は、いっこう何でもなさそうな

(じこくのられつにすぎないよ。しかし、おれんじがひがいしゃのくちのなかにとびこんだ)

時刻の羅列にすぎないよ。しかし、洋橙が被害者の口の中に飛び込んだ

(けいろだけにでも、きっとふぃんすれるきかのこうしきほどのものが、ぎゅうぎゅうと)

経路だけにでも、きっとフィンスレル幾何の公式ほどのものが、ギュウギュウと

(つまっているにちがいないんだ。それから、さんてつのじさつが、よにんのきかにゅうせきとふんしょの)

詰っているに違いないんだ。それから、算哲の自殺が、四人の帰化入籍と焚書の

(ちょくごにおこっているのにも、ちゅうもくするかちがあるとおもう いや、きみのしんおうな)

直後に起っているのにも、注目する価値があると思う」「いや、君の深奥な

(かいせきなどはどうでもいいんだ とくましろははきだすようなごきで、そんなことより)

解析などはどうでもいいんだ」と熊城は吐き出すような語気で、「そんな事より

(どうきとじんぶつのこうどうとのあいだに、たいへんなむじゅんがあるぜ。のぶこはだんねべるぐふじんと)

動機と人物の行動との間に、大変な矛盾があるぜ。伸子はダンネベルグ夫人と

(そうろんをしているし、えきすけはしってのとおりだ。それにまたしずこだっても、えきすけが)

争論をしているし、易介は知ってのとおりだ。それにまた鎮子だっても、易介が

(へやをでていたあいだに、なにをしたかわかったものじゃない。ところが、きみのいう)

室を出ていた間に、何をしたか判ったものじゃない。ところが、君の云う

(ふぁうすとはかせのえんは、まさにのこったよにんをしてきしているんだ すると、)

ファウスト博士の円は、まさに残った四人を指摘しているんだ」「すると、

(わしだけはあんぜんけんないですかな そのときはいごで、いようなしゃがれごえがおこった。さんにんが)

儂だけは安全圏内ですかな」その時背後で、異様な嗄れ声が起った。三人が

(びっくりしてうしろをふりむくと、そこには、しつじのたごうしんさいがいつのまにか)

吃驚して後を振り向くと、そこには、執事の田郷真斎がいつの間にか

(はいりこんでいて、おおかぜおおふうなびしょうをたたえてみおろしている。しかし、しんさいが)

入り込んでいて、大風おおふうな微笑をたたえて見下している。しかし、真斎が

(あたかもかぜのごとくに、おともなくさんにんのはいごにあらわれえたのも、どうりであろう。)

あたかも風のごとくに、音もなく三人の背後に現われ得たのも、道理であろう。

(かはんしんふずいのこのろうしがくしゃは、ちょうどしょうびょうへいでもつかうような、ごむわでなめらかに)

か半身不随のこの老史学者は、ちょうど傷病兵でも使うような、護謨輪で滑かに

(はしるしゅどうよんりんしゃのうえにのっているからだった。しんさいはそうとうちょめいなちゅうせいしかで、)

走る手働四輪車の上に載っているからだった。真斎は相当著名な中世史家で、

(このやかたのしつじをつとめるかたわらに、すうしゅのちょじゅつをはっぴょうしているのでしられているが、)

この館の執事を勤める傍に、数種の著述を発表しているので知られているが、

(もはやななじゅうになんなんとするろうじんだった。むぜんでしゃたんいろをしたかおには、かんこつとっきと)

もはや七十に垂んとする老人だった。無髯で赭丹色をした顔には、顴骨突起と

(かがくこつがいじょうにはったつしているかわりに、びよくのしゅういがおちくぼみ、そのそうはいかにも)

下顎骨が異常に発達している代りに、鼻翼の周囲が陥ち窪み、その相はいかにも

(しゅうかいで というよりもむしろだつぞくてきな、いわゆるこめんぼんそうとでもいいたい、)

醜怪で――と云うよりもむしろ脱俗的な、いわゆる胡面梵相とでも云いたい、

(まるでどうしゃくえかじゅうにしんしょうのなかにでもあるような、じつにいふうなかおかたちだった。そして)

まるで道釈画か十二神将の中にでもあるような、実に異風な顔貌だった。そして

(あたまにてゅるばんをのせたところといい そのすべてが、いちごでぐろてすけりといえよう。)

頭に印度帽を載せたところといい――そのすべてが、一語で魁異と云えよう。

(しかし、どこかだきょうをゆるさないがんめいころうといったかんじで、ぜんたいのいんしょうからは、)

しかし、どこか妥協を許さない頑迷固陋と云った感じで、全体の印象からは、

(こうらのようなみかげがするけれども、そこには、しずこのようなふかいしさくや、ふくざつな)

甲羅のような外観がするけれども、そこには、鎮子のような深い思索や、複雑な

(せいかくのにおいはみだされなかった。なお、そのしゅどうよんりんしゃは、ぜんぶのしゃりんはちいさく)

性格の匂いは見出されなかった。なお、その手働四輪車は、前部の車輪は小さく

(こうぶのものはじてんしゃのげんしじだいにみるようなすばらしくおおきなもので、それを、)

後部のものは自転車の原始時代に見るような素晴らしく大きなもので、それを、

(きどうきとせいどうきとでそうさするようになっていた。ところで、いさんの)

起動機と制動機とで操作するようになっていた。「ところで、遺産の

(はいぶんですが とくましろが、しんさいのあいさつにもえしゃくをかえさず、せいきゅうにくちきりだすと、)

配分ですが」と熊城が、真斎の挨拶にも会釈を返さず、性急に口切り出すと、

(しんさいはふそんなたいどでうそぶいた。ほう、よにんのにゅうせきをごぞんじですかかな。いかにも)

真斎は不遜な態度で嘯いた。「ホウ、四人の入籍を御存じですかかな。いかにも

(じじつじゃが、それはこじんこじんにおたずねしたほうがよろしかろう。わしには、とんと)

事実じゃが、それは個人個人にお訊ねした方がよろしかろう。儂には、とんと

(そういうてんは・・・・・・しかし、とっくにかいふうされているじゃありませんか。)

そういう点は……」「しかし、既っくに開封されているじゃありませんか。

(ゆいごんしょのないようだけは、はなしてしまったほうがいいでしょう くましろはさすがにろうれんな)

遺言書の内容だけは、話してしまった方がいいでしょう」熊城はさすがに老練な

(かまをかけたけれども、しんさいはいっこうにどうずるけしきもなく、なに、)

口穽を掛けたけれども、真斎はいっこうに動ずる気色もなく、「なに、

(ゆいごんじょう・・・・・・ほほう、これははつみみじゃ とかるくうけながして、はやくもぼうとうから、)

遺言状……ホホウ、これは初耳じゃ」と軽く受け流して、早くも冒頭から、

(なにやらもくそうにふけるかのようすだったが、やがてしゅうれんみのかったひとみをなげて、)

何やら黙想に耽るかの様子だったが、やがて収斂味のかった瞳を投げて、

(ははあ、あなたはぱらぷれじあですね。なるほど、こくしかんのすべてが)

「ハハア、貴方はパラプレジアですね。なるほど、黒死館のすべてが

(ないかてきじゃない。ところで、あなたがさんてつはかせのしをはっけんされたそうですが、)

内科的じゃない。ところで、貴方が算哲博士の死を発見されたそうですが、

(たぶんそのげしにんが、だれであるかもごぞんじのはずですがね これには、)

たぶんその下手人が、誰であるかも御存じのはずですがね」これには、

(しんさいのみならず、けんじもくましろもいっせいにあぜんとなってしまった。しんさいは)

真斎のみならず、検事も熊城もいっせいに唖然となってしまった。真斎は

(がまみたいにりょうひじをたててはんみをのりだし、たけるようなこえをだした。ばかな、)

蟇みたいに両肱を立てて半身を乗り出し、哮けるような声を出した。「莫迦な、

(じさつとけっていされたものを・・・・・・。あんたはけんしちょうしょをごらんになられたかな)

自殺と決定されたものを……。貴方は検屍調書を御覧になられたかな」

(だからこそです とのりみずはついきゅうした。あなたは、そのさつがいほうほうまでもたぶん)

「だからこそです」と法水は追求した。「貴方は、その殺害方法までもたぶん

(ごしょうちのはずだ。だいたい、たいようけいのないわくせいきどうはんけいが、どうして)

御承知のはずだ。だいたい、太陽系の内惑星軌道半径が、どうして

(あのろういがくしゃをころしたのでしょう?)

あの老医学者を殺したのでしょう?」

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