晩年 ㊲

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太宰 治

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(「じさつほうじょざいか。」なおも、つとめてはしゃぐのである。「そんなほうりつも)

「自殺幇助罪か。」なおも、つとめてはしゃぐのである。「そんな法律も

(あったかなあ。」ようぞうはあしをひっこめながらいった。「あるさ。ちょうえきのものだ。)

あったかなあ。」葉蔵は足をひっこめながら言った。「あるさ。懲役のものだ。

(きみはほうかのがくせいのくせに。」ひだは、かなしくほほえんだ。)

君は法科の学生のくせに。」飛騨は、かなしく微笑んだ。

(「だいじょうぶだよ。にいさんが、うまくやっているよ。にいさんは、あれで、)

「だいじょうぶだよ。兄さんが、うまくやっているよ。兄さんは、あれで、

(ありがたいところがあるな。とてもねっしんだよ。」「やりてだ。」こすがはおごそかに)

有難いところがあるな。とても熱心だよ。」「やりてだ。」小菅はおごそかに

(めをつぶった。「しんぱいしなくてよいかもしれんな。なかなかのさくしだから。」)

眼をつぶった。「心配しなくてよいかも知れんな。なかなかの策士だから。」

(「ばか。」ひだはふきだした。べっどからおりてがいとうをぬぎ、どあのわきのくぎへ)

「馬鹿。」飛騨は噴きだした。ベッドから降りて外套を脱ぎ、ドアのわきの釘へ

(それをかけた。「よいはなしをきいたよ。」どあちかくにおかれてあるせとの)

それを掛けた。「よい話を聞いたよ。」ドアちかくに置かれてある瀬戸の

(まるひばちにまたがっていった。「おんなのひとのつれあいがねえ、」)

丸火鉢にまたがって言った。「女のひとのつれあいがねえ、」

(すこしちゅうちょしてから、めをふせてかたりつづけた。「そのひとが、きょうけいさつへ)

すこし躊躇してから、目を伏せて語りつづけた。「そのひとが、きょう警察へ

(きたんだ。にいさんとふたりではなしをしたんだけれどねえ、あとでにいさんから)

来たんだ。兄さんとふたりで話をしたんだけれどねえ、あとで兄さんから

(そのときのはなしをきいて、ちょっとうたれたよ。かねはいちもんもいらない、ただ)

そのときの話を聞いて、ちょっと打たれたよ。金は一文も要らない、ただ

(そのおとこのひとにあいたい、というんだそうだ。にいさんは、それをことわった。)

その男のひとに逢いたい、と言うんだそうだ。兄さんは、それを断った。

(びょうにんはまだこうふんしているから、といってことわった。するとそのひとは、なさけない)

病人はまだ昂奮しているから、と言って断った。するとそのひとは、情けない

(かおをして、それではおとうとさんによろしくいってくれ、わたしたちのことはきにかけず、)

顔をして、それでは弟さんによろしく言って呉れ、私たちのことは気にかけず、

(だいじにして、」くちをつぐんだ。おのれのことばにむねがわくわくしてきたのである。)

大事にして、」口を噤んだ。おのれの言葉に胸がわくわくして来たのである。

(そのつれあいのひとが、いかにもしつぎょうしゃらしくまずしいみなりをしていたと、)

そのつれあいのひとが、いかにも失業者らしくまずしい身なりをしていたと、

(けいぶのうすわらいをさえまざまざこうかくにうかべつつはなしてきかせたようぞうのあにへの)

軽侮のうす笑いをさえまざまざ口角に浮かべつつ話して聞かせた葉蔵の兄への

(こらえにこらえたうっぷんから、ことさらにこちょうをまじえてうつくしくかたったのであった)

こらえにこらえた鬱憤から、ことさらに誇張をまじえて美しく語ったのであった

(「あわせればよいのだ。いらないおせっかいをしやがる。」ようぞうは、みぎのてのひらを)

「逢わせればよいのだ。要らないおせっかいをしやがる。」葉蔵は、右の掌を

など

(みつめていた。ひだはおおきいからだをひとつゆすった。)

見つめていた。飛騨は大きいからだをひとつゆすった。

(「でも、あわないほうがいいんだ。やっぱり、このままたにんになって)

「でも、逢わないほうがいいんだ。やっぱり、このまま他人になって

(しまったほうがいいんだ。もうとうきょうへかえったよ。にいさんがていしゃじょうまでおくって)

しまったほうがいいんだ。もう東京へ帰ったよ。兄さんが停車場まで送って

(いってきたんだ。にいさんはにひゃくえんのこうでんをやったそうだよ。これからはなんの)

行って来たんだ。兄さんは二百円の香奠をやったそうだよ。これからはなんの

(かんけいもない、というしょうもんみたいなものも、そのひとにかいてもらったんだ。」)

関係もない、という証文みたいなものも、そのひとに書いてもらったんだ。」

(「やりてだなあ。」こすがはうすいしたくちびるをまえへつきだした。「たったにひゃくえんか。)

「やりてだなあ。」小菅は薄い下唇を前へ突きだした。「たった二百円か。

(たいしたものだよ。」ひだは、すみびのほてりでてらてらあぶらびかりした)

たいしたものだよ。」飛騨は、炭火のほてりでてらてら油びかりしたした

(まるいかおを、けわしくしかめた。かれらは、おのれのとうすいにみずをさされることを)

丸い顔を、けわしくしかめた。彼等は、おのれの陶酔に水をさされることを

(きょくたんにおそれる。それゆえ、あいてのとうすいをもみとめてやる。つとめてそれへちょうしを)

極端に恐れる。それゆえ、相手の陶酔をも認めてやる。努めてそれへ調子を

(あわせてやる。それはかれらのあいだのもっけいである。こすがはいまそれをやぶっている)

合わせてやる。それは彼等のあいだの黙契である。小菅はいまそれを破っている

(こすがには、ひだがそれほどかんげきしているとはおもえなかったのだ。そのつれあいの)

小菅には、飛騨がそれほど感激しているとは思えなかったのだ。そのつれあいの

(ひとのよわさがはがゆかったし、それへつけこむようぞうのあにもあにだ、とあいかわらずの)

ひとの弱さが歯がゆかったし、それへつけこむ葉蔵の兄も兄だ、と相変わらずの

(せけんのはなしとしてきいていたのである。ひだはぶらぶらあるきだし、ようぞうのまくらもとの)

世間の話として聞いていたのである。飛騨はぶらぶら歩きだし、葉蔵の枕元の

(ほうへやってきた。がらすどにはなさきをくっつけるようにして、どんてんのしたのうみを)

ほうへやって来た。硝子戸に鼻先をくっつけるようにして、曇天のしたの海を

(ながめた。「そのひとがえらいのさ。にいさんがやりてだからじゃないよ。)

眺めた。「そのひとがえらいのさ。兄さんがやりてだからじゃないよ。

(そんなことはないとおもうなあ。えらいんだよ。にんげんのあきらめのこころがうんだ)

そんなことはないと思うなあ。えらいんだよ。人間のあきらめの心が生んだ

(うつくしさだ。けさかそうしたのだが、こつつぼをだいてひとりでかえったそうだ。)

美しさだ。けさ火葬したのだが、骨壺を抱いてひとりで帰ったそうだ。

(きしゃにのってるすがたがめにちらつくよ。」こすがは、やっとりょうかいした。すぐ、ひくい)

汽車に乗ってる姿が眼にちらつくよ。」小菅は、やっと了解した。すぐ、ひくい

(ためいきをもらすのだ。「びだんだなあ。」「びだんだろう?いいはなしだろう?」)

溜息をもらすのだ。「美談だなあ。」「美談だろう?いい話だろう?」

(ひだは、くるっとこすがのほうへかおをねじむけた。きげんをなおしたのである。)

飛騨は、くるっと小菅のほうへ顔をねじむけた。気嫌を直したのである。

(「ぼくは、こんなはなしにせっすると、いきているよろこびをかんずるのさ。」)

「僕は、こんな話に接すると、生きているよろこびを感ずるのさ。」

(おもいきって、ぼくはかおをだす。そうでもしないと、ぼくはこのうえかきつづける)

思い切って、僕は顔を出す。そうでもしないと、僕はこのうえ書きつづける

(ことができぬ。このしょうせつはこんらんだらけだ。ぼくじしんがよろめいている。ようぞうを)

ことができぬ。この小説は混乱だらけだ。僕自身がよろめいている。葉蔵を

(もてあまし、こすがをもてあまし、ひだをもてあました。かれらは、ぼくのちせつなふでを)

もてあまし、小菅をもてあまし、飛騨をもてあました。彼等は、僕の稚拙な筆を

(もどかしがり、かってにひしょうする。ぼくはかれらのどろぐつにとりすがって、まてまてと)

もどかしがり、勝手に飛翔する。僕は彼等の泥靴にとりすがって、待て待てと

(わめく。ここらでじんようをたてなおさぬことには、だいいちぼくがたまらない。)

わめく。ここらで陣容を立て直さぬことには、だいいち僕がたまらない。

(どだいこのしょうせつはおもしろくない。しせいだけのものである。こんなしょうせつなら、)

どだいこの小説は面白くない。姿勢だけのものである。こんな小説なら、

(いちまいかくもひゃくまいかくもおなじだ。しかしそのことははじめからかくごしていた。)

いちまい書くも百枚書くもおなじだ。しかしそのことは始めから覚悟していた。

(かいているうちに、なにかひとつぐらい、むきなものがでるだろうと)

書いているうちに、なにかひとつぐらい、むきなものが出るだろうと

(らっかんしていた。ぼくはきざだ。きざではあるが、なにかひとつぐらい、)

楽観していた。僕はきざだ。きざではあるが、なにかひとつぐらい、

(いいとこがあるまいか。ぼくはおのれのちょうしづいたくさいぶんしょうにぜつぼうしつつ、)

いいとこがあるまいか。僕はおのれの調子づいた臭い文章に絶望しつつ、

(なにかひとつぐらいなにかひとつぐらいとそればかりを、あちこちひっくり)

なにかひとつぐらいなにかひとつぐらいとそればかりを、あちこちひっくり

(かえしてさがした。そのうちに、ぼくはじりじりこうちょくをはじめた。くたばったのだ。)

かえして捜した。そのうちに、僕はじりじり硬直をはじめた。くたばったのだ。

(ああ、しょうせつはむしんにかくにかぎる!うつくしいかんじょうをもって、ひとは、わるいぶんがくをつくる。)

ああ、小説は無心に書くに限る!美しい感情を以て、人は、悪い文学を作る。

(なんというばかな。このことばにさいだいきゅうのわざわいあれ。うっとりしてなくて、)

なんという馬鹿な。この言葉に最大級のわざわいあれ。うっとりしてなくて、

(しょうせつなどかけるものか。ひとつのことば、ひとつのぶんしょうが、じゅっしょくくらいのちがった)

小説など書けるものか。ひとつの言葉、ひとつの文章が、十色くらいのちがった

(いみをもっておのれのむねへはねかえってくるようでは、ぺんをへしおって)

意味をもっておのれの胸へはねかえって来るようでは、ペンをへし折って

(すてなければならぬ。ようぞうにせよ、ひだにせよ、またこすがにせよ、なにもあんなに)

捨てなければならぬ。葉蔵にせよ、飛騨にせよ、また小菅にせよ、何もあんなに

(ことごとしくきどってみせなくてよい。どうせおさとはしれているのだ。)

ことごとしく気取って見せなくてよい。どうせおさとは知れているのだ。

(あまくなれ、あまくなれ、むねんむそう。)

あまくなれ、あまくなれ、無念無想。

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