晩年 52

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太宰 治

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問題文

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(けっとう)

決 闘

(それはがいこくのまねではなかった。こちょうでなしに、あいてをころしたいとがんぼうしたから)

それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したから

(である。けれどもそのどうきはしんえんでなかった。わたしとそっくりおなじおとこがいて、)

である。けれどもその動機は深遠でなかった。私とそっくりおなじ男がいて、

(このよにひとつものがふたついらぬというこころからにくしみあったわけでもなければ)

この世にひとつものがふたつ要らぬという心から憎しみ合ったわけでもなければ

(そのおとこがわたしのつまのいぜんのいろであって、いつもいつもそのにどさんどのじじつを)

その男が私の妻の以前のいろであって、いつもいつもそのニ度三度の事実を

(こまかくしぜんしゅぎふうにりんじんどもへいいふらしてあるいているというわけでも)

こまかく自然主義ふうに隣人どもへ言いふらして歩いているというわけでも

(なかった。あいては、わたしとそのよるはじめてかふぇでおちあったばかりの、)

なかった。相手は、私とその夜はじめてカフェで落ち合ったばかりの、

(いぬのけがわのどうぎをつけたわかいひゃくしょうであった。わたしはそのおとこのさけをぬすんだのである。)

犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓であった。私はその男の酒を盗んだのである。

(それがどうきであった。わたしはきたかたのじょうかまちのこうとうがっこうのせいとである。)

それが動機であった。私は北方の城下まちの高等学校の生徒である。

(あそぶことがすきなのである。けれどもきんせんにはわりにけちであった。ふだんゆうじんの)

遊ぶことが好きなのである。けれども金銭には割にけちであった。ふだん友人の

(たばこばかりをふかし、さんぱつをせず、しんぼうしてごえんのかねがたまれば、ひとりで)

煙草ばかりをふかし、散髪をせず、辛抱して五円の金がたまれば、ひとりで

(こっそりまちへでてそれをいっせんのこさずつかった。いちやに、ごえんいじょうのかねも)

こっそりまちへ出てそれを一銭のこさず使った。一夜に、五円以上の金も

(つかえなかったし、ごえんいかのかねもつかえなかった。しかもわたしはそのごえんでもって)

使えなかったし、五円以下の金も使えなかった。しかも私はその五円でもって

(つねにさいだいのこうかをおさめていたようである。わたしのためたつぶつぶのこがねを、)

つねに最大の効果を収めていたようである。私の貯めた粒粒の小金を、

(まずゆうじんのごえんしへいとこうかんするのである。てのきれるほどあたらしいしへいで)

まず友人の五円紙幣と交換するのである。手の切れるほどあたらしい紙幣で

(あれば、わたしのこころはいっそうおどった。わたしはそれをむぞうさらしくぽけっとにねじこみ)

あれば、私の心はいっそう踊った。私はそれを無雑作らしくポケットにねじこみ

(まちへでかけるのだ。つきにいちどかにどのこのがいしゅつのために、わたしはいきていたので)

まちへ出掛けるのだ。月に一度か二度のこの外出のために、私は生きていたので

(ある。とうじ、わたしは、わけのわからぬゆうしゅうにいじめられていた。ぜったいのこどくといっさいの)

ある。当時、私は、わけの判らぬ憂愁にいじめられていた。絶対の孤独と一切の

(かいぎ。くちにだしていってはきたない!にいちぇやびろんやはるおよりも、)

懐疑。口に出して言っては汚い!ニイチェやビロンや春夫よりも、

(もおぱすさんやめりめやおうがいのほうがほんものらしくおもえた。わたしは、ごえんの)

モオパスサンやメリメや鴎外のほうがほんものらしく思えた。私は、五円の

など

(あそびにいのちをうちこむ。わたしがかふぇにはいっても、けっしていきごんだようすを)

遊びに命を打ち込む。私がカフェにはいっても、決して意気込んだ様子を

(みせなかった。あそびつかれたふうをした。なつならば、つめたいびーるを、といった。)

見せなかった。遊び疲れたふうをした。夏ならば、冷たいビールを、と言った。

(ふゆならば、あついさけを、といった。わたしがさけをのむのも、たんにきせつのせいだと)

冬ならば、熱い酒を、といった。私が酒を呑むのも、単に季節のせいだと

(おもわせたかった。いやいやそうさけをかみくだしつつ、わたしはびじんのじょきゅうにはめも)

思わせたかった。いやいやそう酒を嚙みくだしつつ、私は美人の女給には眼も

(くれなかった。どこのかふぇにも、いろけにとぼしいよくけばかりのちゅうねんのじょきゅうが)

くれなかった。どこのカフェにも、色気に乏しい慾気ばかりの中年の女給が

(ひとりばかりいるものであるが、わたしはそのようなじょきゅうにだけことばをかけてやった)

ひとりばかりいるものであるが、私はそのような女給にだけ言葉をかけてやった

(おもにそのひのてんこうやぶっかについてはなしあった。わたしは、かみもきづかぬすばやさで、)

おもにその日の天候や物価について話し合った。私は、神も気づかぬ素早さで、

(のみほしたさかびんのかずをかんじょうするのがじょうずであった。てえぶるにならべられた)

呑みほした酒瓶の数を勘定するのが上手であった。テエブルに並べられた

(びいるびんがろっぽんになれば、にほんしゅのとっくりがじゅっぽんになれば、わたしはおもいだしたように)

ビイル瓶が六本になれば、日本酒の徳利が十本になれば、私は思い出したように

(ふらっとたちあがり、おかいけい、とひくくつぶやくのである。ごえんをこえることは)

ふらっと立ちあがり、お会計、とひくく呟くのである。五円を越えることは

(なかった。わたしは、わざとほうぼうのぽけっとにてをつっこんでみるのだ。)

なかった。私は、わざとほうぼうのポケットに手をつっこんでみるのだ。

(かねのしまいどころをわすれたつもりなのである。いよいよおしまいにかのずぽんの)

金の仕舞いどころを忘れたつもりなのである。いよいよおしまいにかのズポンの

(ぽけっとにきがつくのであった。わたしはぽけっとのなかのみぎてをしばらくもじもじ)

ポケットに気がつくのであった。私はポケットの中の右手をしばらくもじもじ

(させる。ごろくまいのしへいをえらんでいるかたちである。ようやく、わたしはいちまいの)

させる。五六枚の紙幣をえらんでいるかたちである。ようやく、私はいちまいの

(しへいをぽけっとからぬきとり、それをじゅうえんしへいであるかごえんしへいであるか)

紙幣をポケットから抜きとり、それを十円紙幣であるか五円紙幣であるか

(たしかめてから、じょきゅうにてわたすのである。つりせんは、すくないけれど、といって)

確かめてから、女給に手渡すのである。釣銭は、少いけれど、と言って

(むきもせずぜんぶくれてやった。かたをすぼめ、おおまたをつかってかふぇを)

むきもせず全部くれてやった。肩をすぼめ、大股をつかってカフェを

(でてしまって、がっこうのりょうにつくまでわたしはいちどもふりかえらぬのである。)

出てしまって、学校の寮につくまで私はいちども振りかえらぬのである。

(あくるひから、またつぶつぶのこぜにをためにとりかかるのであった。)

翌る日から、また粒粒の小銭を貯めにとりかかるのであった。

(けっとうのよる、わたしは「ひまわり」というかふぇにはいった。わたしはこんいろのながいまんとを)

決闘の夜、私は「ひまわり」というカフェにはいった。私は紺色の長いマントを

(ひっかけ、じゅんぱくのかわてぶくろをはめていた。わたしはひとつかふぇにつづけてにどは)

ひっかけ、純白の革手袋をはめていた。私はひとつカフェにつづけて二度は

(いかなかった。きまってごえんしへいをだすということにふしんをもたれるのを)

行かなかった。きまって五円紙幣を出すということに不審を持たれるのを

(おそれたのである。「ひまわり」へのほうもんは、わたしにとってふたつきぶりであった。)

怖れたのである。「ひまわり」への訪問は、私にとって二月ぶりであった。

(そのころわたしのすがたにどこやらにたところのあるいこくのいちせいねんが、)

そのころ私のすがたにどこやら似たところのある異国の一青年が、

(かつどうやくしゃとしてしゅっせしかけていたので、わたしもすこしずつおんなのめをひきはじめた。)

活動役者として出世しかけていたので、私も少しずつ女の眼をひきはじめた。

(わたしがそのかふぇのすみのいすにすわると、そこのじょきゅうよにんすべてが、さまざまのきものを)

私がそのカフェの隅の椅子に坐ると、そこの女給四人すべてが、様様の着物を

(きてわたしのてえぶるのまえにたちならんだ。ふゆであった。わたしは、あついさけを、といった)

着て私のテエブルのまえに立ち並んだ。冬であった。私は、熱い酒を、と言った

(そうしてさもさもさむそうにくびをすくめた。かつどうやくしゃのそうじが、ちょくせつわたしにりえきを)

そうしてさもさも寒そうに首をすくめた。活動役者の相似が、直接私に利益を

(もたらした。としわかいひとりのじょきゅうが、わたしがだまっていても、たばこをいっぽん)

もたらした。年若いひとりの女給が、私が黙っていても、煙草をいっぽん

(めぐんでくれたのである。「ひまわり」はちいさくてしかもきたない。たばかみをゆった)

めぐんでくれたのである。「ひまわり」は小さくてしかも汚い。束髪を結った

(いっしゃくににしゃくくらいのかおのおんなのぐったりとほおづえをつき、くるみのみほどのおおきな)

一尺に二尺くらいの顔の女のぐったりと頬杖をつき、くるみの実ほどの大きな

(はをむきだしてほほえんでいるぽすたあが、ひがしがわのかべにいちまいはられていた。)

歯をむきだして微笑んでいるポスタアが、東側の壁にいちまい貼られていた。

(ぽすたあのすそにはかぶとびいるとよこにくろくいんさつされてある。それとむかいあった)

ポスタアの裾にはカブトビイルと横に黒く印刷されてある。それと向い合った

(にしがわのかべにはひとつぼばかりのかがみがかけられていた。かがみはきんぷんをぬったがくぶちに)

西側の壁には一坪ばかりの鏡がかけられていた。鏡は金粉を塗った額縁に

(おさめられているのである。きたがわのいりぐちにはあかとくろとのしまのよごれたもすりんの)

収められているのである。北側の入口には赤と黒との縞のよごれたモスリンの

(かあてんがかけられ、そのうえのかべに、ぬまのほとりのそうげんにはだかでねころんで)

カアテンがかけられ、そのうえの壁に、沼のほとりの草原に裸で寝ころんで

(おおわらいをしているせいようのおんなのしゃしんがぴんでとめつけられていた。みなみがわのかべには、)

大笑いをしている西洋の女の写真がピンでとめつけられていた。南側の壁には、

(かみのふうせんだまがひとつ、くっついていた。それがすぐわたしのあたまのうえにあるのである)

髪の風船玉がひとつ、くっついていた。それがすぐ私の頭のうえにあるのである

(はらのたつほど、ちょうわがなかった。みっつのてえぶるとじゅっきゃくのいす、ちゅうおうにすとおヴ)

腹の立つほど、調和がなかった。三つのテエブルと十脚の椅子、中央にストオヴ

(どまはいたばりであった。わたしはこのかふぇでは、とうていおちつけないことを)

土間は板張りであった。私はこのカフェでは、とうてい落ちつけないことを

(しっていた。でんきがくらいので、まだしもさいわいである。そのよる、わたしはいようなかんたいを)

知っていた。電気が暗いので、まだしも幸いである。その夜、私は異様な歓待を

(うけた。わたしがそのちゅうねんのじょきゅうにしゃくをされてあついにほんしゅのさいしょのとっくりをからに)

受けた。私がその中年の女給に酌をされて熱い日本酒の最初の徳利をからに

(したころ、さきにわたしにたばこをいっぽんめぐんでくれたわかいじょきゅうが、とつぜん、)

したころ、さきに私に煙草をいっぽんめぐんで呉れたわかい女給が、突然、

(わたしのはなさきへみぎのてのひらをさしだしたのである。わたしはおどろかずに、)

私の鼻さきへ右のてのひらを差し出したのである。私はおどろかずに、

(ゆっくりかおをあげて、そのじょきゅうのちいさいひとみのおくをのぞいた。うんめいをうらなって)

ゆっくり顔をあげて、その女給の小さい瞳の奥をのぞいた。運命をうらなって

(くれ、というのである。わたしはとっさのうちにりょうかいした。たとえわたしがだまっていても)

呉れ、と言うのである。私はとっさのうちに了解した。たとえ私が黙っていても

(わたしのからだからよげんしゃらしいたかいにおいがはっするのだ。わたしはおんなのてにふれず、)

私のからだから預言者らしい高い匂いが発するのだ。私は女の手に触れず、

(ちらとめをくれ、きのうあいじんをうしなった、とつぶやいた。あたったのである。)

ちらと眼をくれ、きのう愛人を失った、と呟いた。当ったのである。

(そこでいようなかんたいがはじまった。ひとりのふとったじょきゅうは、わたしをせんせいとさえ)

そこで異様な歓待がはじまった。ひとりのふとった女給は、私を先生とさえ

(よんだ。わたしは、みんなのてそうをみてやった。じゅうきゅうさいだ。とらのとしうまれだ。)

呼んだ。私は、みんなの手相を見てやった。十九歳だ。虎のとし生れだ。

(よすぎるおとこをおもってくろうしている。ばらのはながすきだ。きみのいえのいぬは、こいぬを)

よすぎる男を思って苦労している。薔薇の花が好きだ。君の家の犬は、仔犬を

(うんだ。こいぬのかずはろく。ことごとくあたったのである。かのやせた、めのすずしい)

産んだ。仔犬の数は六。ことごとく当ったのである。かの痩せた、眼のすずしい

(ちゅうねんのじょきゅうは、ふたりのていしゅをうしなったといわれ、みるみるくびをうなだれた。)

中年の女給は、ふたりの亭主を失ったと言われ、みるみる頸をうなだれた。

(このふしぎのてきちゅうは、みんなのうちで、わたしをいちばんこうふんさせた。)

この不思議の的中は、みんなのうちで、私をいちばん興奮させた。

(すでにろっぽんのとっくりをからにしていたのである。このとき、いぬのけがわのどうぎを)

すでに六本の徳利をからにしていたのである。このとき、犬の毛皮の胴着を

(つけたわかいひゃくしょうがいりぐちにあらわれた。ひゃくしょうはわたしのてえぶるのすぐとなりのてえぶるに、)

つけた若い百姓が入口に現れた。百姓は私のテエブルのすぐ隣のテエブルに、

(こっちへけがわのせをむけてすわり、ういすきいといった。いぬのけがわのもようは、)

こっちへ毛皮の背をむけて坐り、ウイスキイと言った。犬の毛皮の模様は、

(ぶちであった。このひゃくしょうのしゅつげんのために、わたしのてえぶるのうちょうてんはいちじさめた。)

ぶちであった。この百姓の出現のために、私のテエブルの有頂天は一時さめた。

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