黒死館事件26

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(さん、えきすけははさまれてころさるべし)

三、易介は挟まれて殺さるべし

(ところが、のりみずはすぐはなさきのそでろうかへはいかずに、えんろうをうかいして、れいはいどうの)

ところが、法水はすぐ鼻先の拱廊へは行かずに、円廊を迂回して、礼拝堂の

(どーむにせっしているしょうろうかいだんのしたにたった。そして、かいんぜんぶをそのばしょに)

円蓋に接している鐘楼階段の下に立った。そして、課員全部をその場所に

(しょうしゅうして、まずそこをはじめに、おくじょうからへきろうじょうのほろうにまでみはりをたて、)

召集して、まずそこを始めに、屋上から壁廓上の堡楼にまで見張りを立て、

(せんとうかのしょうろうをちゅうしさせた。こうしてちょうどにじさんじゅっぷん、かりりよんが)

尖塔下の鐘楼を注視させた。こうしてちょうど二時三十分、鐘鳴器が

(なりおわってからわずかにごふんのあとには、ありももらさぬきんみつなほういけいが)

鳴り終ってからわずかに五分の後には、蟻も洩らさぬ緊密な包囲形が

(つくられたのであった。そのすべてがしんそくでしゅうちゅうてきであり、もうじけんがこれで)

作られたのであった。そのすべてが神速で集中的であり、もう事件がこれで

(おわりをつげるのではないかとおもわれたほどに、けつろんめいたきんちょうのしたに)

終わりを告げるのではないかと思われたほどに、結論めいた緊張の下に

(はこばれていったのだ。けれども、もちろんのりみずののうずいを、たちわってみないまでは、)

運ばれていったのだ。けれども、勿論法水の脳髄を、截ち割って見ないまでは、

(はたしてかれがなにごとをきとしているのか よそくをゆるさぬことはいうまでも)

はたして彼が何事を企図しているのか――予測を許さぬことは云うまでも

(ないのである。ところでどくしゃしょくんは、のりみずのげんどうがいひょうをちょうぜつしているてんに)

ないのである。ところで読者諸君は、法水の言動が意表を超絶している点に

(きづかれたであろう。それがはたしててきちゅうしているやいなやはべつとしても、)

気づかれたであろう。それがはたして的中しているや否やは別としても、

(まさににんげんのげんかいをこさんばかりのひやくだった。かりりよんのおとをきいて、)

まさに人間の限界を越さんばかりの飛躍だった。鐘鳴器の音を聴いて、

(えきすけのしたいをそでろうかのなかにそうぞうしたかとおもうと、つづいてこうどうにあらわれたものは、)

易介の死体を拱廊の中に想像したかと思うと、続いて行動に現われたものは、

(しょうろうをもくしている。しかし、そのかいまいさくそうとしたものを、かこのげんどうに)

鐘楼を目している。しかし、その晦迷錯綜としたものを、過去の言動に

(てらしあわせてみると、そこにいちるみゃくらくするものがはっけんされるのである。)

照らし合わせてみると、そこに一僂脈絡するものが発見されるのである。

(というのは、さいしょけんじのかじょうしつもんしょにこたえたないようであって、そのあとしつじの)

と云うのは、最初検事の箇条質問書に答えた内容であって、その後執事の

(たごうしんさいにざんこくなせいりごうもんをかしてまでも、なおかつごこくにいたってかれのくちから)

田郷真斎に残酷な生理拷問を課してまでも、なおかつ後刻に至って彼の口から

(はかしめんとした、あのおおきなぱらどっくすのことであった。もちろんそのきょうへんぽうじみた)

吐かしめんとした、あの大きな逆説の事であった。勿論その共変法じみた

(いんがかんけいは、ほかのふたりにもそくざにひびいていた。そして、そのおどろくべきないようが、)

因果関係は、他の二人にも即座に響いていた。そして、その驚くべき内容が、

など

(たぶんしんさいのちんじゅつをまたずとも、このきかいにせんめいされるのではないかと)

たぶん真斎の陳述を俟たずとも、この機会に闡明されるのではないかと

(おもわれるのだった。が、しれいをおわったあとののりみずのたいどは、またいがいだった。)

思われるのだった。が、指令を終った後の法水の態度は、また意外だった。

(ふたたびもとのくらいがんしょくにかえって、かいぎてきなさくらんしたようなかげがおうらいをはじめた。)

再び旧の暗い顔色に帰って、懐疑的な錯乱したような影が往来を始めた。

(それからそでろうかのほうへあゆんでいくうちに、おもいがけないたんせいが、ふたりを)

それから拱廊の方へ歩んで行くうちに、思いがけない嘆声が、二人を

(おどろかせてしまった。ああ、すっかりわからなくなってしまったよ。えきすけが)

驚かせてしまった。「ああ、すっかり判らなくなってしまったよ。易介が

(ころされてはんにんがしょうろうにいるのだとすると、あれほどてきかくなしょうめいが)

殺されて犯人が鐘楼にいるのだとすると、あれほど的確な証明が

(ぜんぜんいみをなさなくなる。じつをいうと、ぼくはげんざいわかっているじんぶついがいのひとりを)

全然意味をなさなくなる。実を云うと、僕は現在判っている人物以外の一人を

(そうぞうしていたんだが、それがとんだばしょへしゅつげんしてしまった。まさかにべっこの)

想像していたんだが、それがとんだ場所へ出現してしまった。まさかに別個の

(さつじんではないだろうがね それじゃ、なんのためにぼくらはひっぱり)

殺人ではないだろうがね」「それじゃ、何のために僕等は引っ張り

(まわされたんだ?けんじはふんげきのいろをなしてさけんだ。だいたいさいしょにきみは、)

廻されたんだ?」検事は憤激の色を作して叫んだ。「だいたい最初に君は、

(えきすけがそでろうかのなかでころされているといった。ところが、それにもかかわらず、)

易介が拱廊の中で殺されていると云った。ところが、それにもかかわらず、

(そのくちのしたでけんとうちがいのしょうろうをみはらせる。きどうがない。ぜんぜんむいみな)

その口の下で見当違いの鐘楼を見張らせる。軌道がない。全然無意味な

(てんかんじゃないか さして、おどろくにはあたらないさ とのりみずはゆがんだわらいをつくって)

転換じゃないか」「さして、驚くには当らないさ」と法水は歪んだ笑を作って

(いいかえした。それというのが、かりりよんのあんせむなんだよ。えんそうしゃはだれだか)

云い返した。「それと云うのが、鐘鳴器の讃詠なんだよ。演奏者は誰だか

(しらないが、しだいにおとがおとろえてきて、さいしゅうのいっせつはついに)

知らないが、しだいに音が衰えてきて、最終の一節はついに

(えんそうされなかったのだ。それにさいごにきこえた、ひるには のところが、)

演奏されなかったのだ。それに最後に聞えた、日午には――のところが、

(ふしぎにもばいおん ど・れ・み・ふぁとさいしゅうのどをきおんにした、いちおくたーヴうえの)

不思議にも倍音(ド・レ・ミ・ファと最終のドを基音にした、一オクターヴ上の

(おんかい をはっしている。ねえ、はぜくらくん、これは、けだしいっぱんてきなほうそくじゃあるまい)

音階)を発している。ねえ、支倉君、これは、けだし一般的な法則じゃあるまい

(とおもうよ では、とりあえずきみのひょうかをうけたまわろうかね とくましろがわってはいると、)

と思うよ」「では、とりあえず君の評価を承ろうかね」と熊城が割って入ると、

(のりみずのめにいじょうなこうきがあらわれた。それが、まさにあくむなんだ。)

法水の眼に異常な光輝が現われた。「それが、まさに悪夢なんだ。

(おそろしいしんぴじゃないか。どうして、さんぶんてきにわかるもんだいなもんか といったんは)

怖ろしい神秘じゃないか。どうして、散文的に解る問題なもんか」と一旦は

(きょうねつてきなくちょうだったのが、しだいにおちついてきて、ところで、さいしょえきすけが、)

狂熱的な口調だったのが、しだいに落着いてきて、「ところで、最初易介が、

(すでにこのよのひとでないとしてだ もちろんなんびょうかあとには、そのげんぜんたるじじつが)

すでにこの世の人でないとしてだ――勿論何秒か後には、その厳然たる事実が

(わかるだろうとおもうが、さてそうなると、かぞくぜんぶのかずにひとつのふすうが)

判るだろうと思うが、さてそうなると、家族全部の数に一つの負数が

(あまってしまうのだ。で、さいしょはよにんのかぞくだが、えんそうをおわってすぐれいはいどうを)

剰ってしまうのだ。で、最初は四人の家族だが、演奏を終ってすぐ礼拝堂を

(でたにしても、それからしょうろうへくるまでのじかんによゆうがない。また、しんさいは)

出たにしても、それから鐘楼へ来るまでの時間に余裕がない。また、真斎は

(あらゆるてんでじょがいされていい。すると、のこったのはのぶことくがしずこに)

あらゆる点で除外されていい。すると、残ったのは伸子と久我鎮子に

(なるけれども、いっぽう、かりりよんのおとがぱたりとやんだのではなく、しだいに)

なるけれども、一方、鐘鳴器の音がパタリと止んだのではなく、しだいに

(よわくなっていったてんをかんがえると、あのふたりがともにしょうろうにいたというそうぞうは、)

弱くなっていった点を考えると、あの二人がともに鐘楼にいたという想像は、

(ぜんぜんあたらないとおもう、もちろんえんそうしゃになにかいじょうなできごとがおこったには)

全然当らないと思う、勿論演奏者に何か異常な出来事が起ったには

(ちがいないけれども、そのやさき、あんせむのさいごにきこえたいっせつが、かすかながらばいおんを)

違いないけれども、その矢先、讃詠の最後に聞えた一節が、微かながら倍音を

(はっしたのだ。いうまでもなく、かりりよんのりろんじょうばいおんはぜったいにふかのうなんだよ。)

発したのだ。云うまでもなく、鐘鳴器の理論上倍音は絶対に不可能なんだよ。

(すると、くましろくん、このばあいしょうろうには、ひとりのにんげんのえんそうしゃいがいに、もうひとり、)

すると、熊城君、この場合鐘楼には、一人の人間の演奏者意外に、もう一人、

(きせきてきなえんそうをおこなえるかせいのものがいなければならない。ああ、あいつは)

奇蹟的な演奏を行える化性のものがいなければならない。ああ、あいつは

(どうしてしょうろうへあらわれたのだろうか?それなら、なぜさきにしょうろうを)

どうして鐘楼へ現われたのだろうか?」「それなら、何故先に鐘楼を

(しらべないのだね?とくましろがなじりかかると、のりみずはかすかにこえをふるわせて、)

調べないのだね?」と熊城が詰り掛ると、法水は幽かに声を慄わせて、

(じつは、あのばいおんにかんせいがあるようなきがしたからなんだ。なんだかびみょうな)

「実は、あの倍音に陥穽があるような気がしたからなんだ。なんだか微妙な

(じこばくろのようなきがしたので、あれをぼくのしんけいだけにつたえたのにも、)

自己曝露のような気がしたので、あれを僕の神経だけに伝えたのにも、

(なんとなくたくらみがありそうにおもわれたからなんだよ。だいいちはんにんが、それほど、)

なんとなく奸計がありそうに思われたからなんだよ。第一犯人が、それほど、

(はんこうをいそがねばならぬりゆうがわからんじゃないか。それにくましろくん、ぼくらがしょうろうで)

犯行を急がねばならぬ理由が判らんじゃないか。それに熊城君、僕等が鐘楼で

(まごまごしているあいだ、かいかのよにんはほとんどむぼうびなんだぜ。だいたいこんな)

まごまごしている間、階下の四人はほとんど無防備なんだぜ。だいたいこんな

(だだっぴろいやしきのなかなんてものは、どこもかしこもすきだらけなんだ。)

ダダっ広い邸の中なんてものは、どこもかしこも隙だらけなんだ。

(どうにもふせぎようがない。だから、きおうのものはいたしかたないにしても、)

どうにも防ぎようがない。だから、既往のものは致し方ないにしても、

(あたらしいぎせいしゃだけはなんとかしてふせぎとめたいとおもったからなんだ。つまり、)

新しい犠牲者だけは何とかして防ぎ止めたいと思ったからなんだ。つまり、

(ぼくをくるしめているふたつのかんねんに、それぞれたいさくをこうじておいたというわけさ)

僕を苦しめている二つの観念に、各々対策を講じておいたという訳さ」

(ふむ、またおばけか とけんじはしたくちびるをかみしめてつぶやいた。すべてがどはずれて)

「フム、またお化けか」と検事は下唇を噛みしめて呟いた。「すべてが度外れて

(きちがいじみている。まるではんにんはかぜみたいに、ぼくらのまえをとおりすぎては)

気違いじみている。まるで犯人は風みたいに、僕等の前を通り過ぎては

(はなをあかしているんだ。ねえのりみずくん、このちょうしぜんはいったいどうなるんだい。)

鼻を明かしているんだ。ねえ法水君、この超自然はいったいどうなるんだい。

(ああだんだんに、しずこのせつのほうへまとまってゆくようじゃないか いまだにげんじつに)

ああ徐々に、鎮子の説の方へまとまってゆくようじゃないか」未だに現実に

(せっしていないにもかかわらず、すべてのじたいが、めいはくにしゅうそくしていくほうこうを)

接していないにもかかわらず、すべての事態が、明白に集束して行く方向を

(さししめしている。やがて、あけはなたれたそでろうかのいりぐちががんぜんにあらわれたが、)

指し示している。やがて、開け放たれた拱廊の入口が眼前に現われたが、

(つきあたりのえんろうにひらいているかたほうのとびらが、いつのまにかとじられたとみえて、)

突当りの円廊に開いている片方の扉が、いつの間にか鎖じられたとみえて、

(ないぶはあんこくにちかかった。そのひやりとふれてくるくうきのなかで、かすかにちのしゅうきが)

内部は暗黒に近かった。その冷やりと触れてくる空気の中で、微かに血の臭気が

(におってきた。それが、そうさかいしご、まだよじかんにすぎないのである。)

匂ってきた。それが、捜査開始後、未だ四時間にすぎないのである。

(それにもかかわらず、のりみずらがあんちゅうもさくをつづけているうちに、そのかんはんにんは)

それにもかかわらず、法水等が暗中模索を続けているうちに、その間犯人は

(おんみつなちょうりょうをおこない、すでにだいにのじけんをかんこうしているのだ。)

隠密な跳梁を行い、すでに第二の事件を敢行しているのだ。

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