黒死館事件29
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問題文
(けんじとくましろはしょうどうてきにめをみはったが、のりみずはなごやかなこえで、では、)
検事と熊城は衝動的に眼をみはったが、法水は和やかな声で、「では、
(さいしょからのことをいいたまえ はじめは、たしかじゅういちじはんごろだったろうとおもいますが)
最初からの事を云い給え」「初めは、確か十一時半頃だったろうと思いますが」
(としょうじゅうろうは、わりあいわるびれのしないたいどでとうべんをはじめた。れいはいどうと)
と庄十郎は、割合悪怯れのしない態度で答弁を始めた。「礼拝堂と
(こういしつとのあいだのろうかで、しびといろをしたあのおとこにであいました。そのときえきすけさんは)
換衣室との間の廊下で、死人色をしたあの男に出会いました。その時易介さんは
(とんだあくうんにみいられてまっさきにけんぎしゃにされてしまった と、つめのいろまでも)
とんだ悪運に魅入られて真先に嫌疑者にされてしまった――と、爪の色までも
(かわってしまったようなこえで、ぐちたらたらにならべはじめましたが、わたしは、)
変ってしまったような声で、愚痴たらたらに並べはじめましたが、私は、
(ひょいとみるとあまりじゅうけつしているめをしておりますので、ねつがあるのかと)
ひょいと見るとあまり充血している眼をしておりますので、熱があるのかと
(たずねましたら、ねつだってでずにはいないだろうといって、わたしのてをもってじぶんの)
訊ねましたら、熱だって出ずにはいないだろうと云って、私の手を持って自分の
(ひたいにあてがうのです。まずはちどくらいはあったろうとおもわれました。それから、)
額に当てがうのです。まず八度くらいはあったろうと思われました。それから、
(とぼとぼさろんのほうへあるいていったのをおぼえております。とにかく、あのおとこのかおを)
とぼとぼ広間の方へ歩いて行ったのを覚えております。とにかく、あの男の顔を
(みたのは、それがさいごでございました すると、それからきみは、えきすけが)
見たのは、それが最後でございました」「すると、それから君は、易介が
(ぐそくのなかにはいるのをみたのかね いいえ、ここにあるぜんぶのつりぐそくが、)
具足の中に入るのを見たのかね」「いいえ、ここにある全部の吊具足が、
(ぐらぐらうごいておりましたので・・・・・・たぶんそれが、いちじをすこしまわったころだったと)
グラグラ動いておりましたので……たぶんそれが、一時を少し廻った頃だったと
(おもいますが、ごらんのとおりえんろうのほうのとびらがしまっていて、ないぶはまっくらで)
思いますが、御覧のとおり円廊の方の扉が閉っていて、内部は真暗で
(ございました。ところがかなぐのうごくかすかなひかりが、めにはいりましたのです。それで)
ございました。ところが金具の動く微かな光が、眼に入りましたのです。それで
(ひとつひとつぐそくをしらべておりますうちに、ぐうぜんこのもえぎにおいのいごてのかげで、)
一つ一つ具足を調べておりますうちに、偶然この萌黄匂の射籠罩の蔭で、
(あのおとこのてのひらをつかんでしまったのです。とっさにわたしは、ははあこれはえきすけだなと)
あの男の掌を掴んでしまったのです。咄嗟に私は、ハハアこれは易介だなと
(さとりました。だいたいあんなこおとこでなければ、だれがぐそくのなかへからだを)
悟りました。だいたいあんな小男でなければ、誰が具足の中へ身体を
(かくせるものですか。ですからそのとき、おいえきすけさんとこえをかけましたが、)
隠せるものですか。ですからその時、オイ易介さんと声を掛けましたが、
(へんじもいたしませんでした。しかし、そのてはひじょうにねつばんでおりまして、)
返事もいたしませんでした。しかし、その手は非常に熱ばんでおりまして、
(よんじゅうどはたしかにあったろうとおもわれました ああ、いちじすぎてもまだ)
四十度は確かにあったろうと思われました」「ああ、一時過ぎてもまだ
(いきていたのだろうか とけんじがおもわずたんせいをあげると、)
生きていたのだろうか」と検事が思わず嘆声をあげると、
(さようでございます。ところが、またみょうなんでございます としょうじゅうろうは)
「さようでございます。ところが、また妙なんでございます」と庄十郎は
(なにごとかをほのめかしつつつづけた。そのつぎはちょうどにじのことで、さいしょの)
何事かを仄めかしつつ続けた。「その次はちょうど二時のことで、最初の
(かりりよんがなっていたときでございましたが、たごうさんをしんだいにねかしてから、)
鐘鳴器が鳴っていた時でございましたが、田郷さんを寝台に臥かしてから、
(いしゃにでんわをかけにいくとちゅうでございました。もういちどこのぐそくのそばに)
医者に電話を掛けに行く途中でございました。もう一度この具足の側に
(きてみますと、そのときはえきすけさんのみょうないきづかいがきこえたのです。わたしはなんだか)
来てみますと、その時は易介さんの妙な呼吸使いが聞えたのです。私はなんだか
(うすきみわるくなってきたので、すぐにそでろうかをでて、けいじさんにでんわのへんじを)
薄気味悪くなってきたので、すぐに拱廊を出て、刑事さんに電話の返事を
(つたえてから、もどりがけにまた、こんどはおもいきっててのひらにふれてみました。すると、)
伝えてから、戻りがけにまた、今度は思いきって掌に触れてみました。すると、
(わずかじゅっぷんほどのあいだになんとしたことでしょう。そのてはまるでこおりのように)
わずか十分ほどの間になんとしたことでしょう。その手はまるで氷のように
(なっていて、いきもすっかりたえておりました。わたしはぎょうてんして)
なっていて、呼吸もすっかり絶えておりました。私は仰天して
(にげだしたのでございます けんじもくましろも、もはやことばをはっするきりょくは)
逃げ出したのでございます」検事も熊城も、もはや言葉を発する気力は
(うせたらしい。こうしてしょうじゅうろうのちんじゅつによって、さしもほういがくのたかとうが、)
失せたらしい。こうして庄十郎の陳述によって、さしも法医学の高塔が、
(むざんなほうかいをえんじてしまったばかりでない。えんろうにひらいているとびらのへいさが、)
無残な崩壊を演じてしまったばかりでない。円廊に開いている扉の閉鎖が、
(いちじすこしすぎだとすると、のりみずのかんちっそくせつもこんていからくつがえされねばならなかった。)
一時少し過ぎだとすると、法水の緩窒息説も根柢から覆されねばならなかった。
(えきすけのこうねつをしったじこくひとつでさえ、すいていじかんにぎわくをうむにもかかわらず、)
易介の高熱を知った時刻一つでさえ、推定時間に疑惑を生むにもかかわらず、
(いちじかんというひらきはとうていちめいてきだった。のみならず、しょうじゅうろうのあげた)
一時間という開きはとうてい致命的だった。のみならず、庄十郎の挙げた
(じっしょうによってかいしゃくすると、えきすけはわずかじゅっぷんばかりのあいだに、)
実証によって解釈すると、易介はわずか十分ばかりの間に、
(あるふかかいなほうほうによってちっそくさせられ、なおそのあとにのどをきられたと)
ある不可解な方法によって窒息させられ、なおその後に咽喉を切られたと
(みなければならない。そのめいじょうしがたいこんらんのなかで、のりみずのみはてつのような)
見なければならない。その名状し難い混乱の中で、法水のみは鉄のような
(おちつきをみせていた。にじといえば、そのときかりりよんでもてっとが)
落着きを見せていた。「二時と云えば、その時鐘鳴器で経文歌が
(かなでられていた・・・・・・。すると、それからあんせむがなるまでにさんじゅっぷんばかりのあいだが)
奏でられていた……。すると、それから讃詠が鳴るまでに三十分ばかりの間が
(あるのだから、ぜんごのれんかんにははいれつてきにすきがない。ことによるとしょうろうへいったら、)
あるのだから、前後の聯関には配列的に隙がない。事によると鐘楼へ行ったら、
(たぶんえきすけのしいんについて、なにかわかってくるかもしれないよ)
たぶん易介の死因について、何か判ってくるかもしれないよ」
(とどくはくじみたちょうしでつぶやいてから、ところで、えきすけにはかっちゅうのちしきが)
と独白じみた調子で呟いてから、「ところで、易介には甲冑の知識が
(あるだろうか はい、ていれはぜんぶこのおとこがやっておりまして、ときおりぐそくの)
あるだろうか」「ハイ、手入れは全部この男がやっておりまして、時折具足の
(ちしきをじまんげにふりまわすことがございますので しょうじゅうろうをさらせると、けんじは)
知識を自慢げに振り廻すことがございますので」庄十郎を去らせると、検事は
(それをまっていたようにいった。ちときばつなそうぞうかもしれないがね。えきすけは)
それを待っていたように云った。「ちと奇抜な想像かもしれないがね。易介は
(じさつで、このきずははんにんがあとでつけたのではないだろうか そうなるかねえ)
自殺で、この創は犯人が後で附けたのではないだろうか」「そうなるかねえ」
(とのりみずはあきれがおで、すると、ことによったらつりぐそくは、ひとりできられるかも)
と法水は呆れ顔で、「すると、事によったら吊具足は、一人で着られるかも
(しれないが、だいたいかぶとのしのびををしめたのはだれだね。そのしょうこには、ほかのものと)
しれないが、だいたい兜の忍緒を締めたのは誰だね。その証拠には、他のものと
(ひかくしてみたまえ。ぜんぶせいしきなゆいほうで、みつぢからいつぢまでのひょうりによう つまり)
比較して見給え。全部正式な結法で、三乳から五乳までの表裏二様――つまり
(むとおりのこしきによっている。ところが、このくわがたごまいりつのかぶとのみは、かっちゅうに)
六とおりの古式によっている。ところが、この鍬形五枚立の兜のみは、甲冑に
(つうぎょうしているえきすけとはおもわれぬほどさほうはずれなんだ。ぼくがいま、このことを)
通暁している易介とは思われぬほど作法はずれなんだ。僕がいま、この事を
(しょうじゅうろうにたずねたというのも、りゆうはやはりきみとおなじところにあったのだよ)
庄十郎に訊ねたと云うのも、理由はやはり君と同じところにあったのだよ」
(だがおとこむすびじゃないか とくましろがきおったこえをだすと、なんだ、)
「だが男結びじゃないか」と熊城が気負った声を出すと、「なんだ、
(せきすとん・ぶれーくみたいなことをいうじゃないか とのりみずはけいべつてきなしせんを)
セキストン・ブレークみたいなことを云うじゃないか」と法水は軽蔑的な視線を
(むけて、たとえおとこむすびだろうと、おとこがはいたおんなのくつあとがあろうと)
向けて、「たとえ男結びだろうと、男が履いた女の靴跡があろうと
(どうだろうと・・・・・・、そんなものが、このそこしれないじけんでなんのやくにたつもんか。)
どうだろうと……、そんなものが、この底知れない事件で何の役に立つもんか。
(これはみな、はんにんのみちしるべにすぎないんだよ といってからものうげなこえで、)
これはみな、犯人の道程標にすぎないんだよ」と云ってから懶気な声で、
(えきすけははさまれてころさるべし とつぶやいた。もくしずにおいて、えきすけのしようを)
「易介は挾まれて殺さるべし――」と呟いた。黙示図において、易介の屍様を
(よげんしているそのいっくは、だれののうりにもあることだったけれども、)
預言しているその一句は、誰の脳裡にもあることだったけれども、
(みょうにくちにするのをはばむようなちからをもっていた。つづいて、ひきずられたように)
妙に口にするのを阻むような力を持っていた。続いて、引き摺られたように
(けんじもふくしょうしたのだったが、そのこえがまた、このぬまみずのようなくうきを、)
検事も復誦したのだったが、その声がまた、この沼水のような空気を、
(いやがうえにもいんきなものにしてしまった。ああ、そうなんだはぜくらくん、それが)
いやが上にも陰気なものにしてしまった。「ああ、そうなんだ支倉君、それが
(かぶととほろぼね なんだよ とのりみずはれいせいそのもののように、だから、)
兜と幌骨――なんだよ」と法水は冷静そのもののように、「だから、
(いっけんしたところでは、ほういがくのばけものみたいでも、このしたいにしょうてんが)
一見したところでは、法医学の化物みたいでも、この死体に焦点が
(ふたつあろうとはおもわれんじゃないか。むしろ、ほんしつてきななぞというのは、えきすけが)
二つあろうとは思われんじゃないか。むしろ、本質的な謎というのは、易介が
(このなかへ、じぶんのいしではいったものかどうかということと、どうしてかっちゅうを)
この中へ、自分の意志で入ったものかどうかということと、どうして甲冑を
(きたか・・・・・・つまり、このぐそくのなかにはいるぜんごのじじょうと、それから、はんにんがさつがいを)
着たか……つまり、この具足の中に入る前後の事情と、それから、犯人が殺害を
(ひつようとしたところのどうきなんだ。むろんぼくらにたいするちょうせんのいみもあるだろうが)
必要としたところの動機なんだ。無論僕等に対する挑戦の意味もあるだろうが」
(ばかな くましろはふんまんのきをこめてさけんだ。くちをふさぐよりもはりをたてよ)
「莫迦な」熊城は憤懣の気を罩めて叫んだ。「口を塞ぐよりも針を立てよ――
(じゃないか。みえすいたはんにんのじえいさくなんだ。えきすけがきょうはんしゃであるということは)
じゃないか。見え透いた犯人の自衛策なんだ。易介が共犯者であるということは
(もうすでにけっていてきだよ。これがだんねべるぐじけんのけつろんなんだ どうして、)
もうすでに決定的だよ。これがダンネベルグ事件の結論なんだ」「どうして、
(はぷすぶるぐけのきゅうていいんぼうじゃあるまいし とのりみずはふたたび、ちょっかんてきなそうさきょくちょうを)
ハプスブルグ家の宮廷陰謀じゃあるまいし」と法水は再び、直観的な捜査局長を
(あざわらった。きょうはんしゃをつかってどくさつをくわだてるようなはんにんなら、とうにいまごろ、きみは)
嘲った。「共犯者を使って毒殺を企てるような犯人なら、既に今頃、君は
(ちょうしょのこうじゅつをしていられるぜ それからろうかのほうへあゆみだしながら、さて、)
調書の口述をしていられるぜ」それから廊下の方へ歩み出しながら、「さて、
(これからしょうろうで、ぼくのまぐれあたりをみることにしよう そこへ、がらすの)
これから鐘楼で、僕の紛当りを見ることにしよう」そこへ、硝子の
(はへんがあるふきんのちょうさをおわって、しふくのひとりがみとりずをもってきたが、のりみずは、)
破片がある附近の調査を終って、私服の一人が見取図を持って来たが、法水は、
(そのずでなにやらつつんであるらしいかたいてざわりにふれたのみで、すぐぽけっとにおさめ)
その図で何やら包んであるらしい硬い手触りに触れたのみで、すぐ衣嚢に収め
(しょうろうにおもむいた。にだんにくっせつしたかいだんをのぼりきると、そこはほぼはんえんになった)
鐘楼に赴いた。二段に屈折した階段を上りきると、そこはほぼ半円になった
(かぎなりのろうかになっていて、ちゅうおうとさゆうにみっつのとびらがあった。くましろもけんじもひそうに)
鍵形の廊下になっていて、中央と左右に三つの扉があった。熊城も検事も悲壮に
(きんちょうしていて、わなのおくにうずくまっているかもしれない、いぎょうなちょうじんのすがたを)
緊張していて、罠の奥にうずくまっているかもしれない、異形な超人の姿を
(そうぞうしてはいきをつめた。ところが、やがてみぎはしのとびらがひらかれると、くましろは)
想像しては息を窒めた。ところが、やがて右端の扉が開かれると、熊城は
(なにをみたのか、どどどっとみぎてにはしりよった。かべぎわにあるかりりよんのかねばんのまえでは)
何を見たのか、ドドドッと右手に走り寄った。壁際にある鐘鳴器の鐘盤の前では
(はたせるかなかみたにのぶこがたおれていたのだ。それが、えんそういすにこしからしただけを)
はたせるかな紙谷伸子が倒れていたのだ。それが、演奏椅子に腰から下だけを
(のこして、そのままのすがたであおむけとなり、みぎてにしっかりとよろいどおしを)
残して、そのままの姿で仰向けとなり、右手にしっかりと鎧通を
(にぎっているのだった。ああ、こいつが とくましろはなにもかもむちゅうになって、)
握っているのだった。「ああ、こいつが」と熊城は何もかも夢中になって、
(のぶこのかたぐちをふみにじったが、そのときのりみずがちゅうおうのとびらを、ほとんどほうしんのざまで)
伸子の肩口を踏み躙ったが、その時法水が中央の扉を、ほとんど放心の態で
(ながめているのにきがついた。たまごいろのとりょうのなかから、ぽっかりしかくなしろいものが)
眺めているのに気がついた。卵色の塗料の中から、ポッカリ四角な白いものが
(うきでていた。ちかよってみると、けんじもくましろもおもわずからだがすくんでしまった。)
浮き出ていた。近寄ってみると、検事も熊城も思わず身体が竦んでしまった。
(そのしへんには・・・・・・)
その紙片には……
(sylphus verschwinden じるふすよきえうせよ)
Sylphus Verschwinden(風精よ消え失せよ)