黒死館事件30

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(だいさんぺん こくしかんせいしんびょうりがく)

第三篇 黒死館精神病理学

(いち、じるふす・・・・・・えーりあすは?)

一、風精……異名は?

(sylphus verschwinden じるふすよきえうせよ)

Sylphus Verschwinden(風精よ消え失せよ)

(かりりよんしつにみっつあるうちの、ちゅうおうのとびらたかくに、かれらのぎょうしをあざけりかえすかのごとく)

鐘鳴器室に三つあるうちの、中央の扉高くに、彼等の凝視を嘲り返すかのごとく

(しらじらしいいろで、ふたたびふぁうすとのごぼうせいじゅもんのいっくがはりつけられてあった。)

白々しい色で、再びファウストの五芒星呪文の一句が貼り附けられてあった。

(のみならず、sylpheのじょせいをそれにもまただんせいかしているばかりでなく、)

のみならず、Sylpheの女性をそれにもまた男性化しているばかりでなく、

(ふたたびあいりっしゅのようなかくばったごそにっくもじで、それにはひっしゃのせいべつは)

再び古愛蘭のような角張ったゴソニック文字で、それには筆者の性別は

(おろかなことけのようなぜんせんひとすじにさえ、ひっせきのとくちょうを)

愚かなこと毛のような髯線一筋にさえ、筆蹟の特徴を

(うかがうことはゆるされなかったのである。あのきんみつなほういけいをどうくぐりぬけたものか)

窺うことは許されなかったのである。あの緊密な包囲形をどう潜り抜けたものか

(またのぶこがはんにんで、のりみずののきちからはっしたほういをさとり、ぜったいぜつめいのそちに)

また伸子が犯人で、法水の機智から発した包囲を悟り、絶体絶命の措置に

(でたものであろうか・・・・・・。いずれにしろここで、ひにくなばいおんえんそうをしたあくまを)

出たものであろうか……。いずれにしろここで、皮肉な倍音演奏をした悪魔を

(けっていしなければならなかった。これはいがいだ。しっしんじゃないか のぶこのぜんしんを)

決定しなければならなかった。「これは意外だ。失神じゃないか」伸子の全身を

(すらすらじむてきにしらべおわると、のりみずはくましろのくつをじろりとみて、かすかだが)

スラスラ事務的に調べ終ると、法水は熊城の靴をジロリと見て、「微かだが

(しんどうがきこえるし、こきゅうもあさいながらつづけている。それに、このとおりどうこうはんのうも)

心動が聞えるし、呼吸も浅いながら続けている。それに、このとおり瞳孔反応も

(しっかりしてるぜ そうのりみずにせんこくされてしまうと、ついいましがた)

しっかりしてるぜ」そう法水に宣告されてしまうと、つい今しがた

(こやつとばかりにかたぐちをふみにじったくましろでさえ、そろそろじぶんのけいきょが)

此奴とばかりに肩口を踏み躙った熊城でさえ、そろそろ自分の軽挙が

(くやまれてきた。というのは、もちろんよろいどおしをにぎって、えっけ・ほも とばかりに)

悔まれてきた。と云うのは、勿論鎧通を握って、此の人を見よ――とばかりに

(のけぞりかえっている、かみたにのぶこのしたいだったのである。それまでは、ゆうきの)

のけ反りかえっている、紙谷伸子の姿体だったのである。それまでは、幽鬼の

(ふてきなあんやくにつれて、おどろとはねくるう、むすうのなみがしらをみるのみであって、)

不敵な暗躍につれて、おどろと跳ね狂う、無数の波頭を見るのみであって、

(じけんのひょうめんにはひとかげひとつさしてこなかった。そこへ、ひとすじのあわがすうっと)

事件の表面には人影一つ差してこなかった。そこへ、一条の泡がスウッと

など

(たちあがっていったのだが、それがすいめんでくだけたとおもえば、とっこつとして)

立ち上っていったのだが、それが水面で砕けたと思えば、突忽として

(あらわれたのはなにあろう、げんざいまのあたりみるおにばすなのである。)

現われたのは何あろう、現在眼のあたり見る鬼蓮なのである。

(それであるからして、くましろでさえもいちじのこうふんがさめるにつれて、いろいろと)

それであるからして、熊城でさえも一時の亢奮が冷めるにつれて、いろいろと

(ぎしんあんきてきなけいかいをはじめたのもむりではなかった。まったく、いひょうをぜっした)

疑心暗鬼的な警戒を始めたのも無理ではなかった。まったく、意表を絶した

(このていたらくをみては、かえってはんたいのけんかいがゆうりょくになってゆくではないか。)

この体態を見ては、かえって反対の見解が有力になってゆくではないか。

(えきすけののどをえぐったともくされているたんけんをにぎりしめて、のぶこはこれをとばかりに)

易介の咽喉を抉ったと目されている短剣を握り締めて、伸子はこれをとばかりに

(しめしているけれども、いっぽうそれいじょうげんみつに、しっしんするまでのけいろが)

示しているけれども、一方それ以上厳密に、失神するまでの経路が

(ぎんみされねばならない。けつろんはそのひとつだった。おうひぶずーるがとなえば、)

吟味されねばならない。結論はその一つだった。王妃ブズールが唱えば、

(あめとなってふりくだってくる にぐろの p/enis に、とうとうこのじけんの)

雨となって降り下って来る――黒人の p/enis に、とうとうこの事件の

(とうさくせいがくるいついてしまったのである。さてここで、かりりよんしつのがいけいを)

倒錯性が狂い着いてしまったのである。さてここで、鐘鳴器室の概景を

(せつめいしておくひつようがあるとおもう。ぜんぺんにものべたとおり、そのへやはれいはいどうの)

説明しておく必要があると思う。前篇にも述べたとおり、その室は礼拝堂の

(どーむにせっしていて、ぴーるのあるせんとうのさいかぶにあたっていた。そして、かいだんを)

円蓋に接していて、振鐘のある尖塔の最下部に当っていた。そして、階段を

(あがりきったところは、ほぼはんえんをなしたかぎなりのろうかになっていて、ちゅうおう すなわち)

上りきった所は、ほぼ半円をなした鍵形の廊下になっていて、中央――すなわち

(はんえんのちょうてんとそのさゆうにみっつのとびらがあり、なお、しつないにはいってから)

半円の頂天とその左右に三つの扉があり、なお、室内に入ってから

(きづいたことであったが、とうじさたんのひとつのみがひらかれていた。そこいったいの)

気づいたことであったが、当時左端の一つのみが開かれていた。そこ一帯の

(へきめんをしつないからみると、それが、おんきょうがくてきにせっけいされているのがわかる。)

壁面を室内から見ると、それが、音響学的に設計されているのが判る。

(ひとくちにいえばおおきなほたてがいであって、くぼじょうのだえんといったらあたるかもしれない。)

一口に云えば巨きな帆立貝であって、凹状の楕円と云ったら当るかもしれない。

(たぶんここにかりりよんをそなえるまでは、くわるてっとのえんそうしつにあてられていた)

たぶんここに鐘鳴器を具えるまでは、四重奏団の演奏室に当てられていた

(のであろうが、したがってちゅうおうのとびらにも、がいかんじょういちてきにふしぜんで)

のであろうが、したがって中央の扉にも、外観上位置的に不自然で

(あるばかりでなく、あとからかべをきってつくられたらしいけいせきがのこっていた。)

あるばかりでなく、後から壁を切って作られたらしい形跡が残っていた。

(またそのひとつのみがすばらしくおおきなもので、ほとんどさんめーとるをこすかと)

またその一つのみが素晴らしく大きなもので、ほとんど三メートルを越すかと

(おもわれるほどのたかさだった。そこから、むこうがわのかべまでのあいだは、がらんとした)

思われるほどの高さだった。そこから、向う側の壁までの間は、空んとした

(てがしわのいたばりだった。そして、かりりよんのけんばんは、かべをくりがたにきりぬいて、)

側柏の板張りだった。そして、鐘鳴器の鍵盤は、壁を刳形に切り抜いて、

(そのなかにおさめられてある。さんじゅうさんこのかねぐんはそれぞれのおんかいにちょうりつされていて、)

その中に収められてある。三十三個の鐘群はそれぞれの音階に調律されていて、

(すぐちょくぜんのてんじょうにつるされているが、それがきいとぺだるとによって・・・・・・)

すぐ直前の天井に吊されているが、それが鍵盤と蹈板とによって……

(そのむかしかるヴぃんがこのんでみみをかたむけ、またねーでるらんどのうんがのみずにのると、)

その昔カルヴィンが好んで耳を傾け、またネーデルランドの運河の水に乗ると、

(かざぐるまがひとりでにうごくとかつたえられる、あのものさびたそういんてきなおとをはっする)

風車が独りでに動くとか伝えられる、あの物寂びた僧院的な音を発する

(しかけになっていた。しかし、おんきょうがくてきなこうぞうはてんじょうにもおよんでいて、だえんけいの)

仕掛になっていた。しかし、音響学的な構造は天井にも及んでいて、楕円形の

(へきめんからきいにかけてかんしゃをなしている。しかもそれがちょうどきょうばんのように、)

壁面から鍵盤にかけて緩斜をなしている。しかもそれがちょうど響板のように、

(ちゅうおうにまるあながあき、そのうえがながいかくちゅうけいのくうかんになっていた。そして、)

中央に丸孔が空き、その上が長い角柱形の空間になっていた。そして、

(そのりょうたんが、さっきぜんていからみた、じゅうにきゅうえんげまどだった。おまけに、こうどうじょうの)

その両端が、先刻前庭から見た、十二宮の円華窓だった。おまけに、黄道上の

(せいしゅくがえがかれている、えごまのひとつひとつが、ほんばんからこうみょうなこうぞうで)

星宿が描かれている、絵齣の一つ一つが、本板から巧妙な構造で

(ゆうりしているので、そのしゅういには、いっぺんをのぞいてほそいくうげきがつくられ、しかも、)

遊離しているので、その周囲には、一辺を除いて細い空隙が作られ、しかも、

(くうきのはどうにつれてかすかにしんどうする。それがなんとなくぐらす・はーもにかのようでもあるが)

空気の波動につれて微かに振動する。それがなんとなく楽玻璃のようでもあるが

(とにかく、そのはざまをつうかするおとは、おそらくじゃくおんきでもかけられたように)

とにかく、その狭間を通過する音は、恐らく弱音器でもかけられたように

(やわらげられるであろうから、かりりよんとくゆうのざんきょうや、また、きょうわこうをなしている)

柔げられるであろうから、鐘鳴器特有の残響や、また、協和紘をなしている

(おとならば、どんなにはやいそくどでそうしたにしても、あるていどまではこんらんを)

音ならば、どんなに早い速度で奏したにしても、ある程度までは混乱を

(ふせぎえるのである。このそうちはさんじゅうさんこのかねぐんもどうようで、べるりんの)

防ぎ得るのである。この装置は三十三個の鐘群も同様で、ベルリンの

(ぱろひあるじいんをもほんとしたものであるが、ばろひあるじいんでは、はんたいにそれが)

パロヒアル寺院を模本としたものであるが、バロヒアル寺院では、反対にそれが

(れいはいどうのないぶにむけてつくられてある。こうして、のりみずのちょうさはえんげまどふきんにも)

礼拝堂の内部に向けて作られてある。こうして、法水の調査は円華窓附近にも

(およんだけれど、わずかにしったのは、そのそとがわを、せんとうにあげるてつばしごが)

及んだけれど、わずかに知ったのは、その外側を、尖塔に上る鉄梯子が

(よぎっているといういちじのみであった。やがて、のりみずはしふくにめいじてこがいに)

過っているという一事のみであった。やがて、法水は私服に命じて戸外に

(たたしめ、じぶんはしゅじゅとくふうをこらしてきいをおし、なによりこんぽんの)

立たしめ、自分は種々と工夫を凝らして鍵盤を押し、何より根本の

(ぎぎであるところのばいおんをしょうめいしようとしたが、そのじっけんはついにむなしく)

疑義であるところの倍音を証明しようとしたが、その実験はついに空しく

(おわってしまった。けっきょくかりりよんでそうしえるおんかいが、におくたーヴにすぎない)

終ってしまった。結局鐘鳴器で奏し得る音階が、二オクターヴにすぎない

(ということと、それに、さっききいたばいおんというのが、そのうえの)

ということと、それに、先刻聴いた倍音というのが、その上の

(おんかいであるという ふたつがあきらかにされたのみであった。)

音階であるという――二つが明らかにされたのみであった。

(かつてせんとあれきせいじいんのしょうせいにも、これとよくにたようかいてきなげんしょうが)

かつて聖アレキセイ寺院の鐘声にも、これとよく似た妖怪的な現象が

(あらわれたことがあった。けれども、それはたんなるきかいがくてきなもんだいで、)

現われたことがあった。けれども、それは単なる機械学的な問題で、

(つまりふりがねのじゅんじょにすぎなかったのである。ところが、こんどはそれとことなって)

つまり振り鐘の順序にすぎなかったのである。ところが、今度はそれと異なって

(だいいちにさんじゅうあまりのおんかいをけっていしている かんげんすれば、ぶっしつこうせいの)

第一に三十あまりの音階を決定している――換言すれば、物質構成の

(だいほうそくであるところのかねのしつりょうに、そもそもこんぽんのぎわくがこもっているのだ。)

大法則であるところの鐘の質量に、そもそも根本の疑惑がこもっているのだ。

(それゆえ、せんじつめてゆくと、けっきょくかねのちゅうぞうせいぶんをひていするか、それとも、)

それゆえ、詮じ詰めてゆくと、結局鐘の鋳造成分を否定するか、それとも、

(がくおんをこくうからつかみあげた、せいれいてきなそんざいがあったのではないか と)

楽音を虚空から掴み上げた、精霊的な存在があったのではないか――と

(いうような、きょくたんなけつろんにいきついてしまうのも、やむをえないのであった。)

云うような、極端な結論に行き着いてしまうのも、やむを得ないのであった。

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