晩年 67
関連タイピング
-
プレイ回数12万歌詞200打
-
プレイ回数4.4万歌詞1030打
-
プレイ回数77万長文300秒
-
プレイ回数97万長文かな1008打
-
プレイ回数1013歌詞1589打
-
プレイ回数2.6万長文かな779打
-
プレイ回数1186歌詞1260打
-
プレイ回数3.8万歌詞かな830打
問題文
(たろうはろくさいになってもななさいになってもほかのこどもたちのようにのはらやたんぼや)
太郎は六歳になっても七歳になってもほかの子供たちのように野原や田圃や
(かわらへでてあそぼうとはしなかった。なつならば、へやのまどべりにほおづえついて)
河原へ出て遊ぼうとはしなかった。夏ならば、部屋の窓べりに頬杖ついて
(そとのけしきをながめていた。ふゆならば、ろばたにすわってもえあがるたきびのほのおを)
外の景色を眺めていた。冬ならば、炉辺に坐って燃えあがる焚火の焔を
(ながめていた。なぞなぞがすきであった。あるふゆのよる、たろうはぎょうぎわるくねそべり)
眺めていた。なぞなぞが好きであった。或る冬の夜、太郎は行儀わるく寝そべり
(ながら、かたわらのそうすけのかおをうすめつかってみあげ、ゆっくりしたくちょうで)
ながら、かたわらの惣助の顔を薄目つかって見あげ、ゆっくりした口調で
(なぞなぞをかけた。みずのなかにはいってもぬれないものはなんじゃろ。)
なぞなぞを掛けた。水のなかにはいっても濡れないものはなんじゃろ。
(そうすけはくびをさんどほどふってかんがえて、わからぬの、とこたえた。たろうはものうそうに)
惣助は首を三度ほど振って考えて、判らぬの、と答えた。太郎はものうそうに
(めをかるくとじてからおしえた。かげじゃがのう。そうすけはいよいよたろうを)
眼をかるくとじてから教えた。影じゃがのう。惣助はいよいよ太郎を
(いまいましくおもいはじめた。これはばかではないか。あほうなのにちがいない。)
いまいましく思いはじめた。これは馬鹿ではないか。阿呆なのにちがいない。
(むらのひとたちのいうように、やっぱしただのなまけものじゃったわ。)
村のひとたちの言うように、やっぱしただのなまけものじゃったわ。
(たろうがじゅっさいになったとしのあき、むらはだいこうずいにおそわれた。むらのほくたんをゆるゆると)
太郎が十歳になったとしの秋、村は大洪水に襲われた。村の北端をゆるゆると
(ながれていたみまほどのはばのかなぎがわが、ひとつきつづいたあめのためにいかり)
流れていた三間ほどの幅の神梛木川が、ひとつき続いた雨のために怒り
(だしたのである。すいげんのにごりみずはおおうずこうずをまきながらそろそろふくれあがって)
だしたのである。水源の濁り水は大渦小渦を巻きながらそろそろふくれあがって
(ろっぽんのしりゅうをあわせてたちまちふとり、みをおどらせてやまをいだてんばしりにかけおり)
六本の支流を合わせてたちまち太り、身を躍らせて山を韋駄天ばしりに駆け下り
(みちみちなんびゃっぽんものざいもくをかっさらいかわぎしのかしやもみやはこやなぎのたいぼくをねこそぎ)
みちみち何百本もの材木をかっさらい川岸の樫や樅や白楊の大木をねこそぎ
(とりおしながし、ふもとのふちでよどんでよどんでそれからいっきょにむらのはしにつきあたって)
取り押し流し、麓の淵で澱んで澱んでそれから一挙に村の橋に突きあたって
(へいきでそれをぶちこわしどてをやぶってたいかいのようにひろがり、いえいえのどだいせきを)
平気でそれをぶちこわし土手を破って大海のようにひろがり、家々の土台石を
(なめぶたをおよがせかりとったばかりのいちまんにあまるいねぼうずをうかせてだぶりだぶり)
舐め豚を泳がせ刈りとったばかりの一万にあまる稲坊主を浮かせてだぶりだぶり
(となみうった。それからいつかめにあめがやんで、とおかめにようやくみずがひきはじめ、)
と浪打った。それから五日目に雨がやんで、十日目にようやく水がひきはじめ、
(はつかめころにはかなぎがわはみまほどのはばでむらのほくたんをゆるゆるながれていた。)
二十日目ころには神梛木川は三間ほどの幅で村の北端をゆるゆる流れていた。
(むらのひとたちはまいよまいよあちこちのいえにひとかたまりずつになってそうだんしあった)
村のひとたちは毎夜毎夜あちこちの家にひとかたまりずつになって相談し合った
(そうだんのけつろんはいつもおなじであった。おらはうえじにしたくねえじゃ。そのけつろんは)
相談の結論はいつも同じであった。おらは飢え死したくねえじゃ。その結論は
(いつもそうだんのしゅっぱつてんになった。むらのひとたちはあくるよるまたおなじそうだんを)
いつも相談の出発点になった。村のひとたちは翌る夜また同じ相談を
(はじめなければいけなくなった。そうしてまたまたうえじにしたくねえという)
はじめなければいけなくなった。そうしてまたまた飢え死したくねえという
(けつろんをえてさんかいした。あくるよるはさらにそうだんをしあった。そうしてけつろんは)
結論を得て散会した。翌る夜は更に相談をし合った。そうして結論は
(おなじであった。そうだんははてつるところなかったのである。むらがみだれてぎみんが)
同じであった。相談は果つるところなかったのである。村が乱れて義民が
(あらわれた。じゅっさいのたろうがあくるひ、りょううでであたまをかかえこみためいきをついている)
あらわれた。十歳の太郎が翌る日、両腕で頭をかかえこみ溜息をついている
(ちちおやのそうすけにむかって、いけんをのべた。これはかんたんにかいけつがつくとおもう。)
父親の惣助にむかって、意見を述べた。これは簡単に解決がつくと思う。
(おしろへいってじきじきとのさまへきゅうさいをおねがいすればいいのじゃ。おれがいく。)
お城へ行ってじきじき殿様へ救済をお願いすればいいのじゃ。おれが行く。
(そうすけは、やあ、ととっぴょうしもないかんせいをあげた。それからすぐ、これはかるはずみ)
惣助は、やあ、と突拍子もない歓声をあげた。それからすぐ、これはかるはずみ
(なことをしたときづいたらしくいったんほどきかけたりょうてをまたあたまのうしろに)
なことをしたと気づいたらしく一旦ほどきかけた両手をまた頭のうしろに
(くみあわせてしかめつらをしてみせた。おまえはこどもだからそうかんたんにかんがえる)
組み合せてしかめつらをして見せた。お前は子供だからそう簡単に考える
(けれども、おとなはそうはかんがえない。じきそはまかりまちがえばいのちとりじゃ。)
けれども、大人はそうは考えない。直訴はまかりまちがえば命とりじゃ。
(めっそうもないこと。やめろ。やめろ。そのよる、たろうはふところてしてぶらっと)
めっそうもないこと。やめろ。やめろ。その夜、太郎はふところ手してぶらっと
(そとへでて、そのまますたすたとごじょうかまちへいそいだ。だれもしらなかった。)
外へ出て、そのまますたすたと御城下町へ急いだ。誰も知らなかった。
(じきそはせいこうした。たろうのうんがよかったからである。いのちをとられなかったばかりか)
直訴は成功した。太郎の運がよかったからである。命をとられなかったばかりか
(ごほうびさえもらった。ときのとのさまがほうりつをきれいにわすれていたからでもあろう。)
ごほうびさえ貰った。ときの殿様が法律をきれいに忘れていたからでもあろう。
(むらはおかげでぜんめつをのがれ、あくるとしからまたうるおいはじめたのである。)
村はおかげで全滅をのがれ、あくる年からまたうるおいはじめたのである。
(むらのひとたちは、それでもにさんねんのあいだはたろうをほめていた。にさんねんが)
村のひとたちは、それでもニ三年のあいだは太郎をほめていた。ニ三年が
(すぎるとわすれてしまった。しょうやのあほさまとはたろうのなまえであった。たろうはまいにちの)
すぎると忘れてしまった。庄屋の阿呆様とは太郎の名前であった。太郎は毎日の
(ようにくらのなかにはいってそうすけのぞうしょをてあたりしだいによんでいた。ときどき)
ように蔵の中にはいって惣助の蔵書を手当り次第に読んでいた。ときどき
(あやしからぬえほんをみつけた。それでもへいきなかおをしてよんでいった。)
怪しからぬ絵本を見つけた。それでも平気な顔をして読んでいった。
(そのうちにせんじゅつのほんをみつけたのである。これをもっともねっしんによみふけった。)
そのうちに仙術の本を見つけたのである。これを最も熱心に読みふけった。
(じゅうおうじゅうもんじによみふけった。くらのなかでいちねんほどもしゅぎょうして、ようやくねずみとわしと)
縦横十文字に読みふけった。蔵の中で一年ほども修行して、ようやく鼠と鷲と
(へびになるほうをおぼえこんだ。ねずみになってくらのなかをかけめぐり、ときどきたち)
蛇になる法を覚えこんだ。鼠になって蔵の中をかけめぐり、ときどき立ち
(どまってちゅうちゅうとないてみた。わしになって、くらのまどからつばさをひろげて)
どまってちゅうちゅうと鳴いてみた。鷲になって、蔵の窓から翼をひろげて
(とびあがり、こころゆくまでおおぞらをしょうようした。へびになって、くらのゆかしたにしのびいり)
飛びあがり、心ゆくまで大空を逍遥した。蛇になって、蔵の床下にしのびいり
(くものすをさけながら、ひやひやしたひかげのくさをはらのうろこでふみわけふみわけ)
蜘蛛の巣をさけながら、ひやひやした日蔭の草を腹のうろこで踏みわけ踏みわけ
(してあるいてみた。ほどなく、かまきりになるほうをもたいとくしたけれど、これはただ)
して歩いてみた。ほどなく、かまきりになる法をも体得したけれど、これはただ
(そのすがたになるだけのことであって、べつだんおもしろくもなんともなかった。)
その姿になるだけのことであって、べつだん面白くもなんともなかった。
(そうすけはもはやわがこにぜつぼうしていた。それでもまけおしみしてこははじゃびとに)
惣助はもはやわが子に絶望していた。それでも負け惜しみしてこ母者人に
(つげたのである。な、あまりできすぎたのじゃよ。たろうはじゅうろくさいでこいをした。)
告げたのである。な、余りできすぎたのじゃよ。太郎は十六歳で恋をした。
(あいてはとなりのあぶらやのむすめで、ふえをふくのがじょうずであった。たろうはくらのなかでねずみやへびの)
相手は隣の油屋の娘で、笛を吹くのが上手であった。太郎は蔵の中で鼠や蛇の
(すがたをしたままそのふえのねをきくことをこのんだ。あわれ、あのむすめにほれられ)
すがたをしたままその笛の音を聞くことを好んだ。あわれ、あの娘に惚れられ
(たいものじゃ。つがるいちばんのよいおとこになりたいものじゃ。たろうはおのれの)
たいものじゃ。津軽いちばんのよい男になりたいものじゃ。太郎はおのれの
(せんじゅつでもって、よいおとこになるようになるようにねんじはじめた。とおかめにその)
仙術でもって、よい男になるようになるように念じはじめた。十日目にその
(ねんがんをじょうじゅすることができたのである。たろうはかがみのなかをおそるおそるのぞいてみて)
念願を成就することができたのである。太郎は鏡の中をおそるおそる覗いてみて
(おどろいた。いろがぬけるようにしろく、ほおはしもぶくれでもちはだであった。)
おどろいた。色が抜けるように白く、頬はしもぶくれでもち肌であった。
(めはあくまでもほそく、くちひげがたらりとはえていた。てんぴょうじだいのぶつぞうのかおであって)
眼はあくまでも細く、口髭がたらりと生えていた。天平時代の仏像の顔であって
(しかもこまたのぶぶんまでこふうにだらりとふやけていたのである。たろうはらくたんした。)
しかも小股の部分まで古風にだらりとふやけていたのである。太郎は落胆した。
(せんじゅつのほんがふるすぎたのであった。てんぴょうのころのほんであったのである。このような)
仙術の本が古すぎたのであった。天平のころの本であったのである。このような
(ありさまではせんないことじゃ。やりなおそう。ふたたびほうのよりをもどそうと)
有様では詮ないことじゃ。やり直そう。ふたたび法のよりをもどそうと
(したのだがだめであった。おのれひとりのよくぼうからすきかってなほうをおこなった)
したのだが駄目であった。おのれひとりの欲望から好き勝手な法を行った
(ばあいには、よかれあしかれからだにくっついてしまって、どうしようもなく)
場合には、よかれあしかれ身体にくっついてしまって、どうしようもなく
(なるのだ。たろうはみっかもよっかもむなしいどりょくをしていつかめにあきらめた。)
なるのだ。太郎は三日も四日も空しい努力をして五日目にあきらめた。
(このようないにしえぶりなかおでは、どうせおんなにはすかれまいが、けれどもよのなかには)
このような古風な顔では、どうせ女には好かれまいが、けれども世の中には
(ものずきがおらぬものでもあるまい。せんじゅつのほうりょくをうしなったたろうは、しもぶくれの)
物好きが居らぬものでもあるまい。仙術の法力を失った太郎は、しもぶくれの
(かおにくちひげをたらりとはやしたままでくらからでてきた。あいたくちをふさがらずに)
顔に口髭をたらりと生やしたままで蔵から出て来た。あいた口をふさがらずに
(いるりょうしんへいちぶしじゅうのわけをあかし、ようやくなっとくさせてそのくちをとじさせた)
いる両親へ一ぶしじゅうの訳をあかし、ようやく納得させてその口を閉じさせた
(このようなあさましいすがたではしょせん、むらにもいられませぬ。たびにでます。)
このようなあさましい姿では所詮、村にも居られませぬ。旅に出ます。
(そうかきおきをしたためて、そのよる、ひょうぜんといえをでた。まんげつがうかんでいた。)
そう書き置きをしたためて、その夜、飄然と家を出た。満月が浮かんでいた。
(まんげつのりんかくはすこしにじんでいた。そらもようのせいではなかった。たろうのめのせいで)
満月の輪郭は少しにじんでいた。空模様のせいではなかった。太郎の眼のせいで
(あった。ふらりふらりあるきながらたろうはびなんというもののふしぎをかんがえた。)
あった。ふらりふらり歩きながら太郎は美男というものの不思議を考えた。
(むかしむかしのよいおとこが、どうしていまではまぬけているのだろう。そんなはずは)
むかしむかしのよい男が、どうしていまでは間抜けているのだろう。そんな筈は
(ないのじゃがのう。これはこれでよいのじゃないか。けれどもこのなぞなぞは)
ないのじゃがのう。これはこれでよいのじゃないか。けれどもこのなぞなぞは
(むずかしく、となりむらのもりをとおりぬけてもごじょうかまちへたどりついても、またつがるの)
むずかしく、隣村の森を通り抜けても御城下町へたどりついても、また津軽の
(くにざかいをすぎてもなかなかにかいけつがつかないのであった。ちなみにたろうの)
国ざかいを過ぎてもなかなかに解決がつかないのであった。ちなみに太郎の
(せんじゅつのおうぎは、ふところでしてはしらかへいによりかかりぼんやりたったままで、おもしろくない)
仙術の奥義は、懐手して柱か塀によりかかりぼんやり立ったままで、面白くない
(おもしろくない、おもしろくない、おもしろくない、おもしろくないというじゅもんをなんじゅっぺん)
面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文を何十ぺん
(なんびゃっぺんとなくくりかえしくりかえしていおんでとなえ、ついにむがのきょうちに)
何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地に
(はいりこむことにあったという。)
はいりこむことにあったという。