黒死館事件33

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(はぜくらくん、きみのひとことがたいへんいいあんじをあたえてくれたぜ。きみが、ばいおんは)

「支倉君、君の一言が大変いい暗示を与えてくれたぜ。君が、倍音は

(このかねのみではしょうめいできまい といったことは、とどのつまりが、えんそうの)

この鐘のみでは証明できまい――と云ったことは、とどの詰りが、演奏の

(おくるちすむすにかわるなにものかをさがせ ということだ。つまり、どこかほかのばしょに、)

精霊主義に代る何物かを捜せ――という事だ。つまり、どこか他の場所に、

(きょうせきかもくへんがっきめいたものでもあれば、それをおんきょうがくてきにしょうめいしろ)

響石か木片楽器めいたものでもあれば、それを音響学的に証明しろ――

(といういみにもなる。それにきがついたので、ぼくはおうせきまぐでぶるぐそうじょうかんの)

という意味にもなる。それに気が附いたので、僕は往昔マグデブルグ僧正館の

(ふしぎとうたわれた、げるべるとのたむぶる のこじをおもいだしたよ)

不思議と唱われた、『ゲルベルトの月琴』――の故事を憶い出したよ」

(げるべるとのたむぶる!?けんじはのりみずのとうとつなへんせつにろうばいしてしまった。)

「ゲルベルトの月琴!?」検事は法水の唐突な変説に狼狽してしまった。

(いったいたむぶるなんてものが、かねのばけものにどんなかんけいがあるね)

「いったい月琴なんてものが、鐘の化物にどんな関係があるね」

(そのげるべるとというのが、しるヴぇすたーにせいだからさ。あのじゅほうてんを)

「そのゲルベルトと云うのが、シルヴェスター二世だからさ。あの呪法典を

(つくったういちぐすのしふにあたるんだ とのりみずはきはくのこもったこえでさけんだ。)

作ったウイチグスの師父に当るんだ」と法水は気魄の罩もった声で叫んだ。

(そして、ゆかにうつったおぼろなかげぼうしをみつめながら、むげんてきないんをつくってつづける。)

そして、床に映った朧ろな影法師を瞶めながら、夢幻的な韻を作って続ける。

(ところでぺんくらいく じゅうよんせいきえいらんのげんごがくしゃ がへんさんした)

「ところでペンクライク(十四世紀英蘭の言語学者)が編纂した

(つるヴぇーるしししゅうせい のなかに、げるべるとにかんするよういたんがのっている。)

『ツルヴェール史詩集成』の中に、ゲルベルトに関する妖異譚が載っている。

(もちろんとうじのさらせんけんおのふうちょうで、げるべるとをまるでようじゅつしあつかいに)

勿論当時のサラセン嫌悪の風潮で、ゲルベルトをまるで妖術師扱いに

(しているのだが、とにかくそのいっせつをぬきだしてみよう。いっしゅの)

しているのだが、とにかくその一節を抜萃してみよう。一種の

(あるけみー・りりっくなんだよ。)

錬金抒情詩なんだよ。

(げるべるとあるでばらんをあおぎながめて)

ゲルベルト畢宿七星を仰ぎ眺めて

(だるしめるをだんず)

平琴を弾ず

(はじめていこうをはじきてのちもくす)

はじめ低紘を弾きてのち黙す

(しかるにそのしばしのち)

しかるにその寸後

など

(かたわらのたむぶるはひとなきになり)

側の月琴は人なきに鳴り

(もののけのこえのごとく、たかきこうおんにてこたう)

ものの怪の声の如く、高き紘音にて応う

(されば)

されば

(かたわらのひと、みみをおおいてのがれさりしとぞ)

傍人、耳を覆いて遁れ去りしとぞ

(ところが、きいぜヴぇってるの こだいがっきし をみると、たむぶるはちょうせんがっきだが、)

ところが、キイゼヴェッテルの「古代楽器史」を見ると、月琴は腸線楽器だが、

(だるしめるのじゅっせいきじだいのものになると、ちょうせんのかわりにきんぞくせんがはられていて、)

平琴の十世紀時代のものになると、腸線の代りに金属線が張られていて、

(そのおとがちょうど、げんざいのぐろっけんしゅぴーるにちかいというのだがね。そこで、ぼくは)

その音がちょうど、現在の鉄琴に近いと云うのだがね。そこで、僕は

(そのよういたんのかいぼうをこころみたことがあった。ねえくましろくん、ちゅうせいひぶんけんてきししと)

その妖異譚の解剖を試みたことがあった。ねえ熊城君、中世非文献的史詩と

(さつじんじけんとのつながりを、ここでじゅうぶんそしゃくしてもらいたいとおもうのだよ ふん、)

殺人事件との関係を、ここで充分咀嚼してもらいたいと思うのだよ」「フン、

(まだあるのか とくましろは、つばでぬれたたばことともに、はきだすようにいった。)

まだあるのか」と熊城は、唾で濡れた莨とともに、吐き出すように云った。

(もうつのぶえやくさりかたびらは、さっきのヴぇんヴぇぬーと・ちぇりにでおわりかとおもったがね)

「もう角笛や鎖帷子は、先刻の人殺し鍛冶屋で終りかと思ったがね」

(あるともさ。それが、しかヴぃらーれのつづった、にこら・え・じぇんぬ)

「あるともさ。それが、史家ヴィラーレの綴った、『ニコラ・エ・ジェンヌ』

(なんだ。きせきしょじょをまえにすると、こもんはんかんどもがぶるぶるふるえだして、じつに)

なんだ。奇蹟処/女を前にすると、顧問判官どもがブルブル慄えだして、実に

(きかいきわまるいじょうしんけいをえがきだしたのだ。そのしんりを、こうせいさいばんせいしんびょうりがくの)

奇怪きわまる異常神経を描き出したのだ。その心理を、後世裁判精神病理学の

(そうそうたるれんちゅうがなぜいんようしないのだろうと、ぼくはすこぶるふしんに)

そうそうたる連中が何故引用しないのだろうと、僕はすこぶる不審に

(おもっているくらいなんだよ。ところで、このばあいは、すこぶるようじゅつてきな)

思っているくらいなんだよ。ところで、この場合は、すこぶる妖術的な

(きょうめいげんしょうをおもいついたのだ。つまり、それをぴあのでたとえていうと、さいしょの)

共鳴現象を思いついたのだ。つまり、それを洋琴で喩えて云うと、最初の

(いってんは のきいをおとのでないようにかるくおさえて、それから い のきいを)

「一点ハ」の鍵を音の出ないように軽く押さえて、それから「い」の鍵を

(つよくうち、そのおとがやんだころに いってんは のきいをおさえたゆびをはなすと、)

強く打ち、その音が止んだ頃に「一点ハ」の鍵を押さえた指を離すと、

(それからはみょうにせいおんてきなねいろで、いってんは のおとがあきらかにはっせられる。)

それからは妙に声音的な音色で、「一点ハ」の音が明らかに発せられる。

(むろんきょうめいげんしょうだ。つまり、い のおとのなかには、そのばいおんすなわちにばいの)

無論共鳴現象だ。つまり、「い」の音の中には、その倍音すなわち二倍の

(しんどうすうをもつ いってんは のおとがふくまれているからなんだが、しかし)

振動数を持つ「一点ハ」の音が含まれているからなんだが、しかし

(そういうきょうめいげんしょうをかねにもとめるということは、りろんじょうぜんぜんふかのうで)

そういう共鳴現象を鐘に求めるということは、理論上全然不可能で

(あるかもしれない。けれども、それからまたようそてきなあんじがひきだせる。)

あるかもしれない。けれども、それからまた要素的な暗示が引き出せる。

(というのが、ぎおんなんだよ。くましろくん、きみはしろふぉーんをしっているだろう。つまり、)

と云うのが、擬音なんだよ。熊城君、君は木琴を知っているだろう。つまり、

(かんそうしたもくへんなり、あるしゅるいのいしをうつと、それがきんぞくせいのおんきょうを)

乾燥した木片なり、ある種類の石を打つと、それが金属性の音響を

(はっするということなんだ。こだいしなには、ぴえんちんのようなきょうせきがっきや、)

発するということなんだ。古代支那には、編磬のような響石楽器や、

(ふぁんしんのようなへんばんだがっきがあり、こだいいんかのてぽなっとりやあまぞんいんでぃあんの)

方響のような扁板打楽器があり、古代インカの乾木鼓やアマゾン印度人の

(はけいきょうせきもしられている。しかし、ぼくがめざしているのは、)

刃形響石も知られている。しかし、僕が目指しているのは、

(そういうたんおんてきなものやおんげんをろしゅつしたかたちのものじゃないのだ。ところできみたちは)

そういう単音的なものや音源を露出した形のものじゃないのだ。ところで君達は

(こういうおどろくべきじじつをきいたらどうおもうね 。こうしはしゅんのいんがくのなかに、)

こういう驚くべき事実を聴いたらどう思うね――。孔子は舜の韻学の中に、

(ななしゅのおとをはっするもくちゅうのあるのをしってぼうぜんとなったという。また、)

七種の音を発する木柱のあるのを知って茫然となったと云う。また、

(ぺるーとるくしろのいせきにも、とろやだいいっそうとしいせき きげんぜん1500ねんじだい)

秘露トルクシロの遺跡にも、トロヤ第一層都市遺跡(紀元前一五〇〇年時代

(すなわちらくじょうとうじ のなかにも、どうようのきろくがのこされている・・・・・・とがいは-くないんしょうを)

すなわち落城当時)の中にも、同様の記録が残されている……」と該博な引証を

(あげたあとに、のりみずはこれらこしぶんのかがくてきかいしゃくを、いちいちさつじんじけんのげんじつてきな)

挙げた後に、法水はこれら古史文の科学的解釈を、一々殺人事件の現実的な

(しかくにふごうさせようとこころみた。とにかく、まほうはかせでいのいんけんどあが)

視覚に符合させようと試みた。「とにかく、魔法博士デイの隠顕扉が

(あるほどだからね。このやかたにそれいじょう、あーと・まじっくのしゅうさくが)

あるほどだからね。この館にそれ以上、技巧呪術の習作が

(のこされていないとはいえまい。きっと、さいしょのえいじんけんちくぎしでぃぐすびいの)

残されていないとは云えまい。きっと、最初の英人建築技師ディグスビイの

(せっけいをかいしゅうしたところに、さんてつのういちぐすじゅほうせいしんがこもっているに)

設計を改修した所に、算哲のウイチグス呪法精神が罩もっているに

(ちがいないのだ。つまり、いっぽんのはしら、たるきにもだよ。それからじゃばら、)

違いないのだ。つまり、一本の柱、貫木にもだよ。それから蛇腹、

(またろうかのへきめんをつらぬいているてらこったのしゅせんにも、ちゅういをはらっていいとおもう)

また廊下の壁面を貫いている素焼の朱線にも、注意を払っていいと思う」

(すると、きみは、このやかたのせっけいずがひつようなのかね とくましろがあきれかえってさけぶと、)

「すると、君は、この館の設計図が必要なのかね」と熊城が呆れ返って叫ぶと、

(うん、ぜんかんのをようきゅうする。そうすればたぶん、はんにんのひやくてきなありばいを)

「ウン、全館のを要求する。そうすればたぶん、犯人の飛躍的な不在証明を

(だはできやしないかとおもうよ とのりみずはおしかえすようにいったが、つづいてふたつの)

打破出来やしないかと思うよ」と法水は押し返すように云ったが、続いて二つの

(きどうをめいじした。とにかくはてしないたびのようだけども、じるふぇをさがすみちは)

軌道を明示した。「とにかく涯しない旅のようだけども、風精を捜す道は

(このふたついがいにはない。つまり、けっかにおいて、げるべるとふうのきょうめいだんそうじゅつが)

この二つ以外にはない。つまり、結果において、ゲルベルト風の共鳴弾奏術が

(さいげんされるとなれば、むろんもんだいなしに、のぶこがじきてきなしっしんをはかったといって)

再現されるとなれば、無論問題なしに、伸子が自企的な失神を計ったと云って

(さしつかえあるまい。また、なにかぎおんてきなほうほうがしょうめいされるようなら、はんにんはのぶこに)

差支えあるまい。また、何か擬音的な方法が証明されるようなら、犯人は伸子に

(しっしんをおこさせるようなげんいんをあたえて、しかるあとにしょうろうからさった)

失神を起させるような原因を与えて、しかる後に鐘楼から去った――

(ということができるのだ。いずれにしろ、ばいおんがはっせられたとうじ、ここには)

と云うことが出来るのだ。いずれにしろ、倍音が発せられた当時、ここには

(のぶこのほかだれもいなかったのだ。それだけはあきらかなんだよ いや、ばいおんは)

伸子のほか誰もいなかったのだ。それだけは明らかなんだよ」「いや、倍音は

(ふずいてきなものさ とくましろははんたいのけんかいをのべた。)

附随的なものさ」と熊城は反対の見解を述べた。

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