ダンマパダ 第六章 賢い人
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問題文
((おのが)つみとがをしてきしあやまちをつげてくれるそうめいなひとにあったならば、)
(おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、
(そのかしこいひとにつきしたがえ。)
その賢い人につき従え。
(かくしてあるざいほうのありかをつげてくれるひとにつきしたがうように。)
隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。
(そのようなひとにつきしたがうならば、よいことがあり、わるいことはない。)
そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。
((たにんを)くんかいせよ、おしえさとせ。よろしくないことから(たにんを)とおざけよ。)
(他人を)訓戒せよ、教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。
(そうすれば、そのひとはぜんにんにあいせられ、あくにんからうとまれる。)
そうすれば、その人は善人に愛せられ、悪人から疎まれる。
(わるいともとまじわるな。いやしいひととまじわるな。)
悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。
(よいともとまじわれ。とうといひととまじわれ。)
善い友と交われ。尊い人と交われ。
(しんりをよろこぶひとは、こころきよらかにすんで、やすらかにふす。)
真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。
(せいじゃのときたまうたしんりを、けんじゃはつねにたのしむ。)
聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。
(すいどうをつくるひとはみずをみちびき、やをつくるひとはやをため、)
水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、
(だいくはもくざいをため、けんじゃはじこをととのえる。)
大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。
(ひとついわのかたまりがかぜにゆらがないように、けんじゃはひなんとしょうさんとにどうじない。)
一つ岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。
(ふかいみずうみが、すんで、きよらかであるように、)
深い湖が、澄んで、清らかであるように、
(けんじゃはしんりをきいて、こころきよらかである。)
賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。
(こうしょうなひとびとは、どこにいても、しゅうじゃくすることがない。)
高尚な人々は、どこにいても、執著することが無い。
(かいらくをほっしてしゃべることがない。)
快楽を欲してしゃべることが無い。
(たのしいことにあっても、くるしいことにあっても、けんじゃはどうずるいろがない。)
楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない。
(じぶんのためにも、たにんのためにも、こをのぞんではならぬ。)
自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。
(ざいをもくにをものぞんではならぬ。)
財をも国をも望んではならぬ。
(よこしまなしかたによってじこのはんえいをねがうてはならぬ。)
邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。
((みちにかなった)おこないあり、あきらかなちえあり、しんりにしたがっておれ。)
(道にかなった)行ないあり、明らかな知慧あり、真理にしたがっておれ。
(ひとびとはおおいが、かなたのきしにたっするひとびとはすくない。)
人々は多いが、彼岸に達する人々は少い。
(ほかの(おおくの)ひとびとはこなたのきしのうえでさまよっている。)
他の(多くの)人々はこなたの岸の上でさまよっている。
(しんりがただしくとかれたときに、しんりにしたがうひとびとは、)
真理が正しく説かれたときに、真理にしたがう人々は、
(わたりがたいしのりょういきをこえて、かなたのきしにいたるであろう。)
渡りがたい死の領域を超えて、彼岸に至るであろう。
(けんじゃは、わるいことがらをすてて、よいことがらをおこなえ。)
賢者は、悪いことがらを捨てて、善いことがらを行え。
(いえからでて、いえのないせいかつにはいり、たのしみがたいことではあるが、)
家から出て、家の無い生活に入り、楽しみ難いことではあるが、
(ひとりいのうちに、よろこびをもとめよ。)
孤独のうちに、喜びを求めよ。
(けんじゃはよくらくをすてて、むいちぶつとなり、こころのけがれをさって、おのれをきよめよ。)
賢者は欲楽をすてて、無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ。
(さとりのよすがにこころをただしくおさめ、しゅうじゃくなくむさぼりをすてるのをよろこび、)
覚りのよすがに心を正しくおさめ、執著なく貪りをすてるのを喜び、
(ぼんのうをほろぼしつくしてかがやくひとは、)
煩悩を滅ぼし尽くして輝く人は、
(げんせにおいてまったくそくばくからときほごされている。)
現世において全く束縛から解きほごされている。