黒死館事件35

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(に、しえおーるのしょざい)

二、死霊集会の所在

(ああ、まるでどらごんのたまごじゃないか だが、いったいなにに)

「ああ、まるで恐竜の卵じゃないか」「だが、いったい何に

(ひつようだったのだろう?とけんじはのりみずのかたくれーずをへいいにのべた。そして、)

必要だったのだろう?」と検事は法水の強喩法を平易に述べた。そして、

(すいっちをひねると、まさかさつえいようじゃあるまいが とくましろが、ふいのあかるさに)

開閉器を捻ると、「まさか撮影用じゃあるまいが」と熊城が、不意の明るさに

(めをしばたたきながら、いや、おばけはじじつかもしれん。だいいち、えきすけが)

眼を瞬きながら、「いや、死霊は事実かもしれん。第一、易介が

(もくげきしたそうだが、さくやしんいしんもんかいのさいちゅうに、りんしつのはりだしぶちでなにものかが)

目撃したそうだが、昨夜神意審問会の最中に、隣室の張出縁で何者かが

(うごいていて、そのひとかげがちじょうになにかおとしたというそうじゃないか。しかも、)

動いていて、その人影が地上に何か落したと云うそうじゃないか。しかも、

(そのときななにんのうちでへやをでたものはなかったのだ。だいたいかいかのまどから)

その時七人のうちで室を出たものはなかったのだ。だいたい階下の窓から

(おとされたものなら、こんなにこまかくわれるきづかいはないよ うん、そのおばけは)

落されたものなら、こんなに細かく割れる気遣いはないよ」「うん、その死霊は

(おそらくじじつだろうよ とのりみずはぷうとけむりのわをはいて、しかし、あいつが)

恐らく事実だろうよ」と法水はプウと煙の輪を吐いて、「しかし、彼奴が

(そのあとにしんでいるということも、またじじつだろう といがいなきせつをはいた。)

その後に死んでいるという事も、また事実だろう」と意外な奇説を吐いた。

(だって、だんねべるぐじけんとそれいごのものを、ふたつにくぶんしてみたまえ。)

「だって、ダンネベルグ事件とそれ以後のものを、二つに区分して見給え。

(ぼくのもっているあのぱらどっくすが、きれいさっぱりときえてしまうじゃないか。つまり、)

僕の持っているあの逆説が、綺麗さっぱりと消えてしまうじゃないか。つまり、

(じるふぇはうんでぃねのいたのをしって、それをころしたのだ。けっして、あのふたつのじゅもんが)

風精は水神のいたのを知って、それを殺したのだ。けっして、あの二つの呪文が

(れんぞくしているのに、くらまされちゃならん。ただし、はんにんはひとりだよ では、)

連続しているのに、眩まされちゃならん。ただし、犯人は一人だよ」「では、

(えきすけいがいにも くましろはびっくりしてめをまるくしたが、それをけんじがおさえて、)

易介以外にも」熊城は吃驚して眼を円くしたが、それを検事が抑えて、

(なあに、すてておきたまえ。じぶんのくうそうにひっぱりまわされているんだから)

「なあに、捨てておき給え。自分の空想に引っ張り廻されているんだから」

(とのりみずをたしなめるようにみた。どうも、きみのせつはあんふぁん・でゅ・しえくるだ。しぜんとへいぼんを)

と法水を嗜めるように見た。「どうも、君の説は世紀児的だ。自然と平凡を

(きらっている。すいじんてきなぎこうには、けっしてしんせいもりょうしきもないのだ。げんに、)

嫌っている。粋人的な技巧には、けっして真性も良識もないのだ。現に、

(さっきもきみはゆめのようなぎおんでもって、あのばいおんにくうそうをえがいていた。しかし、)

先刻も君は夢のような擬音でもって、あの倍音に空想を描いていた。しかし、

など

(おなじようなかすかなおとでも、のぶこのだんそうがそれにかさなったとしたらどうするね?)

同じような微かな音でも、伸子の弾奏がそれに重なったとしたらどうするね?」

(これはおどろいた!きみはもうそんなねんれいになったのかね とおどけしたかおをしたが、)

「これは驚いた!君はもうそんな年齢になったのかね」と道化した顔をしたが、

(のりみずはひにくにほほえみかえして、だいたいへんぜんでもえーわるとでもそうだが、)

法水は皮肉に微笑み返して、「だいたいヘンゼンでもエーワルトでもそうだが、

(おたがいにちょうかくせいりのろんそうはしていても、これだけは、はっきりとみとめている。)

お互いに聴覚生理の論争はしていても、これだけは、はっきりと認めている。

(つまり、きみのいうばあいにあたることだが・・・・・・たとえばおなじようなねいろでかすかなおとが)

つまり、君の云う場合に当る事だが……たとえば同じような音色で微かな音が

(ふたつかさなったにしても、そのおんかいのひくいほうは、ないじのきそまくにしんどうを)

二つ重なったにしても、その音階の低い方は、内耳の基礎膜に振動を

(おこさないというのだ。ところが、ろうねんへんかがくると、それがはんたいに)

起さないと云うのだ。ところが、老年変化が来ると、それが反対に

(なってしまうのだよ とけんじをきめつけてから、ふたたびしせんをかんぱんのうえにおとすと、)

なってしまうのだよ」と検事をきめつけてから、再び視線を乾板の上に落すと、

(かれのひょうじょうのなかにふくざつなへんかがおこっていった。だが、このむじゅんてきさんぶつはどうだ。)

彼の表情の中に複雑な変化が起っていった。「だが、この矛盾的産物はどうだ。

(ぼくにもさっぱり、このとりあわせのいみがのみこめんよ。しかし、ぴいんと)

僕にもさっぱり、この取り合わせの意味が呑み込めんよ。しかし、ピインと

(ひびいてくるものがある。それがみょうなこえで、つぁらつすとらはかくかたりき)

響いてくるものがある。それが妙な声で、ツァラツストラはかく語りき――

(というのだ いったいにいちぇがどうしたんだ?こんどはけんじが)

と云うのだ」「いったいニイチェがどうしたんだ?」今度は検事が

(おどろいてしまった。いや、すとらうすのしむふぉにっく・ぽえむでもないのさ。それが、)

驚いてしまった。「いや、ストラウスの交響楽詩でもないのさ。それが、

(ぞろあすたー つぁらつすとらがそうしせる ぺるしや のくぎょうしゅうきょう の)

陰陽教(ツァラツストラが創始せる波斯(ペルシヤ)の苦行宗教)の

(じゅほうこうりょうなんだよ。しんかくのほうえつをねらっている。つまり、きがにゅうしんをおこなうさいに、)

呪法綱領なんだよ。神格の法悦を狙っている。つまり、飢餓入神を行う際に、

(そのろんぽうをつづけると、くぎょうそうにげんかくのとういつがおこってくるというのだ とのりみずは)

その論法を続けると、苦行僧に幻覚の統一が起ってくると云うのだ」と法水は

(かれににげないしんぴせつをはいたが、いうまでもなく、おくそこしれないりせいのかげに)

彼に似げない神秘説を吐いたが、云うまでもなく、奥底知れない理性の蔭に

(ひそんでいるものを、そのばさらずにしょうりょうすることはふかのうだった。しかし、)

潜んでいるものを、その場去らずに秤量することは不可能だった。しかし、

(のりみずのことばを、しんいしんもんかいのいへんとたいしょうしてみると、あるいは、したいろうそくの)

法水の言を、神意審問会の異変と対照してみると、あるいは、死体蝋燭の

(しょくかをうけたかんぱんが、だんねべるぐふじんにさんてつのげんぞうをみせて、いしきを)

燭火をうけた乾板が、ダンネベルグ夫人に算哲の幻像を見せて、意識を

(うばったのではないか。 というようなゆうげんきわまるあんじが、しだいに)

奪ったのではないか。――と云うような幽玄きわまる暗示が、しだいに

(のうこうとなってくるけれども、そのやさきおもいがけなく、それをややぐたいてきに)

濃厚となってくるけれども、その矢先思いがけなく、それをやや具体的に

(ほのめかして、のりみずはたちあがった。しかし、これでいよいよ、しんいしんもんかいの)

仄めかして、法水は立ち上った。「しかし、これでいよいよ、神意審問会の

(さいげんがせつじつなもんだいになってきたよ。さて、うらにわへいって、このみとりずに)

再現が切実な問題になってきたよ。さて、裏庭へ行って、この見取図に

(かいてあるにじょうのあしあとをしらべることにするかな ところが、そのとちゅう)

書いてある二条の足跡を調べることにするかな」ところが、その途中

(とおりすがりに、かいかのとしょしつのまえまでくると、のりみずはくぎづけにされたように)

通りすがりに、階下の図書室の前まで来ると、法水は釘付けにされたように

(たちどまってしまった。くましろはとけいをながめて、よじにじゅっぷん もうそろそろ、)

立ち止ってしまった。熊城は時計を眺めて、「四時二十分――もうそろそろ、

(あしもとがわからなくなってくるぜ。げんごがくのぞうしょならあとでもいいだろう いや、)

足許が分らなくなってくるぜ。言語学の蔵書なら後でもいいだろう」「いや、

(れきえむのげんぷをみるのさ とのりみずはきっぱりいいきって、ほかのふたりを)

鎮魂楽の原譜を見るのさ」と法水はキッパリ云い切って、他の二人を

(めんくらわせてしまった。しかしそれで、さっきのえんそうちゅうしゅうしふちかくになって、)

面喰わせてしまった。しかしそれで、先刻の演奏中終止符近くになって、

(ふたつのヴぁいおりんがじゃくおんきをつけた そのいかにもがくそうをむししているふかかいなてんに)

二つの堤琴が弱音器をつけた――そのいかにも楽想を無視している不可解な点に

(のりみずがつよいしゅうちゃくをもっているのがわかった。かれははいごで、とってをまわしながら、)

法水が強い執着を持っているのが判った。彼は背後で、把手を廻しながら、

(つづいていった。くましろくん、さんてつというじんぶつは、じつにいだいな)

続いて云った。「熊城君、算哲という人物は、実に偉大な

(さむぽりすとじゃないか。このぼうだいなやかたもあのおとこにとると、たかが)

象徴派詩人じゃないか。この尨大な館もあの男にとると、たかが

(かげときごうでできたくら にすぎないのだ。まるでてんたいみたいに、おおくのひょうしょうを)

『影と記号で出来た倉』にすぎないのだ。まるで天体みたいに、多くの標章を

(ぶちまけておいて、そのるいすいとそうごうとで、あるひとつのおそろしいものを)

打ち撒けておいて、その類推と総合とで、ある一つの恐ろしいものを

(あんじしようとしている。だから、そういうきりをなかにおいてじけんをながめたところで)

暗示しようとしている。だから、そういう霧を中に置いて事件を眺めたところで

(どうしてなにがわかってくるもんか。あのえたいのしれないせいかくは、あくまでも)

どうして何が判ってくるもんか。あの得体の知れない性格は、あくまでも

(きゅうめいせんけりゃならんよ そのさいしゅうのとうたつてんというのが、もくしずのしられてない)

究明せんけりゃならんよ」その最終の到達点というのが、黙示図の知られてない

(はんようをいみしているということも......また、そのいってんにしゅうちゅうされてゆく)

半葉を意味していると云うことも......また、その一点に集注されてゆく

(もうりゅうのひとつでもと、いかにかれがしんじゅうあえぎいらだってさがしもとめているか、)

網流の一つでもと、いかに彼が心中あえぎ苛立って捜し求めているか、

(じゅうぶんそうぞうにかたくないのであった。しかし、どあをひらくと、そこにはひとかげは)

十分想像に難くないのであった。しかし、扉を開くと、そこには人影は

(なかったけれど、のりみずはめのくらむようなかんかくにうたれた。しほうのへきめんは、)

なかったけれど、法水は眼の眩むような感覚に打たれた。四方の壁面は、

(ごんだるどふうのぱねるでくぎられていて、へきめんのじょうそうにはいにょうしきのくりあすとーりーがつくられ)

ゴンダルド風の羽目で区切られていて、壁面の上層には囲繞式の採光層が作られ

(そこにならんでいる、いおにあしきのかりあていでが、てんじょうのせりもちをずじょうでささえている。)

そこに並んでいる、イオニア式の女像柱が、天井の迫持を頭上で支えている。

(そして、くりあすとーりーからはいるこうせんは、だなえのきんうじゅたい をもくしろくの)

そして、採光層から入る光線は、「ダナエの金雨受胎」を黙示録の

(にじゅうよにんちょうろうでかこんでいるてんじょうがに、なんともいえぬこうごうしいせいどうを)

二十四人長老で囲んでいる天井画に、なんとも言えぬ神々しい生動を

(あたえているのだった。なおゆかに、ちゅいるれーしきのくみじをつけたしょしつかぐが)

与えているのだった。なお床に、チュイルレー式の組字をつけた書室家具が

(おかれてあるところといい、またぜんたいのきちょうしょくとして、にゅうはくだいりせきとヴぁんだいくぶらうんの)

置かれてあるところと云い、また全体の基調色として、乳白大理石と焦褐色の

(たいひをえらんだところといい、そのすべてが、とうていにほんにおいてはへんえいすら)

対比を択んだところと云い、そのすべてが、とうてい日本においては片影すら

(のぞむことのできない、くむめるすぶりゅけるのしょしつづくりだったのである。)

望むことの出来ない、十八世紀維納風の書室造りだったのである。

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