黒死館事件39

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

関連タイピング

問題文

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(ところが、おばけはさんてつばかりじゃないさ とけんじがおうじた。)

「ところが、死霊は算哲ばかりじゃないさ」と検事が応じた。

(もうひとりふえたはずだよ。だがでぃぐすびいというおとこは)

「もう一人ふえたはずだよ。だがディグスビイという男は

(たいしたものじゃない。たぶんあいつはぽるたーがいすとだろうぜ どうして、やつは)

たいしたものじゃない。たぶん彼奴は魑魅魍魎だろうぜ」「どうして、やつは

(でもーねん・がいすとさ とのりみずはいがいなことをはいた。あのじゃくおんききごうには、ちゅうせいめいしんの)

大魔霊さ」と法水は意外な言を吐いた。「あの弱音器記号には、中世迷信の

(ぎょうそうすさまじいちからがこもっているのだよ がくふのちしきのないふたりには、のりみずが)

形相凄じい力が籠っているのだよ」楽譜の知識のない二人には、法水が

(せんめいするのをまつよりほかになかった。のりみずはひといきふかくけむりをすいこんでいった。)

闡明するのを待つよりほかになかった。法水は一息深く煙を吸い込んで云った。

(もちろん、con sordinoではいみをなさないのだが、それには、)

「勿論、Con Sordinoでは意味をなさないのだが、それには、

(ひとつだけれいがいがあるのだ。というのは、ぼくがさっきしずこをめんくらわせた、)

一つだけ例外があるのだ。と云うのは、僕が先刻鎮子を面喰わせた、

(ぱるしふぁる なんだよ。わぐねるはあのがくげきのなかで、ふれんち・ほるんの)

『パルシファル』なんだよ。ワグネルはあの楽劇の中で、フレンチ・ホルンの

(じゃくおんきごうによこじゅうじというふごうをつかっている。ところが、それはかたわらかたふぁるこじゅうじかの)

弱音器記号に+という符号を使っている。ところが、それは傍ら棺龕十字架の

(しむぼるでもあり、またすうろんせんせいがくでは、さんわくせいのせいざれんけつをあらわしているのだ)

表象でもあり、また数論占星学では、三惑星の星座連結を表わしているのだ」

(とのりみずは、ゆびでてのひらにえがいたそのきごうのみすみに、ちょうどよこじゅうじとなるようないちで、)

と法水は、指で掌に描いたその記号の三隅に、ちょうど+となるような位置で、

(てんをみっつうった。そうすると、いったいそのかたふぁるこというのは、)

点を三つ打った。「そうすると、いったいその棺龕と云うのは、

(どこにあるのだね?けんじがといかえすと、のりみずはちょっとせいさんなぎょうそうをして、)

どこにあるのだね?」検事が問い返すと、法水はちょっと凄惨な形相をして、

(みみをそうがいへかしげるようなしぐさをした。きこえないかい、あれが。)

耳を窓外へ傾げるような所作をした。「聞えないかい、あれが。

(かぜのたえまになると、くらっぱーがかねにふれるおとが、ぼくにはきこえるのだがね)

風の絶え間になると、錘舌が鐘に触れる音が、僕には聞えるのだがね」

(ああなるほど そうはいったものの、くましろはせすじにつめたいものをかんじて、)

「ああなるほど」そうは云ったものの、熊城は背筋に冷たいものを感じて、

(じぶんのりせいのちからをうたがわざるをえなかった。はすれのざわめきにはいりまじって、かすかに、)

自分の理性の力を疑わざるを得なかった。葉摺れの噪音に入り交って、微かに、

(かるくふれたとらいあんぐるのようなすんだおとがきこえるのだけれども、そのおとはまさしく、)

軽く触れた三角錘のような澄んだ音が聞えるのだけれども、その音はまさしく、

(とちのきでかこまれていて、そこにはなにものもないとおもわれていた、うらにわの)

七葉樹で囲まれていて、そこには何ものもないと思われていた、裏庭の

など

(はるかみぎはしのほうからひびいてくるのだった。しかし、それはしんけいのびょうてきさようでもなく)

遙か右端の方から響いて来るのだった。しかし、それは神経の病的作用でもなく

(もちろんあやしいしょうきのしょぎょうでありえようどうりはない。すでにのりみずは、ぼこうのしょざいを)

勿論妖しい瘴気の所業であり得よう道理はない。すでに法水は、墓宕の所在を

(しっていたのである。さっきまどごしに、ふといぶなのはしらをにほんみたので、)

知っていたのである。「先刻窓越しに、太い椈の柱を二本見たので、

(それがかんちゅうもんであるのをしったのだよ。いずれ、だんねべるぐふじんのひつぎが)

それが棺駐門であるのを知ったのだよ。いずれ、ダンネベルグ夫人の柩が

(そのしたでとまるとき、ずじょうのかねがならされるだろう。けれども、それいぜんにぼくは、)

その下で停るとき、頭上の鐘が鳴らされるだろう。けれども、それ以前に僕は、

(ほかのいみであのぼこうをおとずれねばならないのだ。なぜなら、あのよこじゅうじのきごう)

他の意味であの墓宕を訪れねばならないのだ。何故なら、あの+の記号――

(でぃぐすびいががくそうをむししてまで、あんじしなければならなかったものが)

ディグスビイが楽想を無視してまで、暗示しなければならなかったものが

(なにであるか。それをしるには、あのぼごうとしょうろうのじゅうにきゅういがいにはないように)

何であるか。それを知るには、あの墓宕と鐘楼の十二宮以外にはないように

(おもわれるからなんだよ それからうらにわへでるまでに、ゆきは)

思われるからなんだよ」それから裏庭へ出るまでに、雪は

(ややしげくなってきたので、いそいであしあとのちょうさをおわらねばならなかった。)

やや繁くなってきたので、急いで足跡の調査を終らねばならなかった。

(まずのりみずは、さゆうからあゆみよってきたふたすじのあしあとががっちしているてんにたって、)

まず法水は、左右から歩み寄って来た二条の足跡が合致している点に立って、

(そこから、さほうにかけてのひとつをおいはじめた。そこはちょうど、おばけが)

そこから、左方にかけての一つを追いはじめた。そこはちょうど、死霊が

(うごいていたといわれるはりだしふちのましたにあたっているのだが、なおそのふきんに、)

動いていたと云われる張出縁の真下に当っているのだが、なおその附近に、

(もうひとつけんちょなじょうきょうがのこっていた。というのは、ごくさいきんに、そのへんいったいの)

もう一つ顕著な状況が残っていた。と云うのは、ごく最近に、その辺一帯の

(かれしばをやいたらしいけいせきがのこっていることだった。そのまっくろなこげつちが、)

枯芝を焼いたらしい形跡が残っている事だった。その真黒な焦土が、

(さくやらいのこううのために、じとじとぬかるんでいるので、そのうえには)

昨夜来の降雨のために、じとじと泥濘んでいるので、その上には

(ぎんいろをしたくらのようなかたちで、ちゅうおうのあぷすがとうえいしていた。のみならず、)

銀色をした鞍のような形で、中央の張出間が倒影していた。のみならず、

(やけのこりのぶぶんがさまざまなかっこうで、こげつちのところどころにきいろくのこっているところは、)

焼け残りの部分が様々な恰好で、焦土の所々に黄色く残っているところは、

(ちょうどしょうしたいのふらんしたひふをみるようで、うすきみわるくおもわれるのだった。)

ちょうど焼死体の腐爛した皮膚を見るようで、薄気味悪く思われるのだった。

(ところで、そのふたすじのあしあとをしょうさいにいうと、のりみずがさいしょたどりはじめた)

ところで、その二条の足跡を詳細に云うと、法水が最初辿りはじめた

(ひだりてのものは、ぜんちょうがにじゅっせんちほどのおとこのくつあとで、はなはだしくたいくのわいしょうな)

左手のものは、全長が二十センチほどの男の靴跡で、はなはだしく体躯の矮小な

(じんぶつらしくおもわれるが、ぜんたいがへいかつで、いぼもむらじえんけいもないいんぞうのもようをみると)

人物らしく思われるが、全体が平滑で、いぼも連円形もない印像の模様を見ると

(それがとくしゅのしとにあてられる、ごむせいのながぐつらしくすいていされた。それをじゅんじゅんに)

それが特種の使途に当てられる、護謨製の長靴らしく推定された。それを順々に

(おうていくと、ほんかんのさたんとみっちゃくしてたてられていて、ぞうえんそうこという)

追うて行くと、本館の左端と密着して建てられていて、造園倉庫という

(かけふだのしてある、しゃれいしき すいすさんがくちほう、すなわちあるぺんふうのようしき の)

掛札のしてある、シャレイ式(瑞西山岳地方、即ちアルペン風の様式)の

(しゃれたつみきごやからはじまっている。また、もうひとつのほうは)

洒落た積木小屋から始まっている。また、もう一つの方は

(ぜんちょうにじゅうろく、ななせんちほどで、このほうはまさにじょうじんがたとおもわれる、おとこようの)

全長二十六、七センチほどで、この方はまさに常人型と思われる、男用の

(おヴぁ・しゅーずのあとだった。ほんかんのみぎはしにちかいしゅつにゅうとびらからはじまっていて、)

套靴の跡だった。本館の右端に近い出入扉から始まっていて、

(あぷすのそとがわをきゅうけいにそい、げんばにたっしているが、そのふたつはいずれも、)

張出間の外側を弓形に沿い、現場に達しているが、その二つはいずれも、

(かんぱんのはへんがおちているばしょとのあいだをおうふくしていた。のりみずはぽけっとからまきじゃくを)

乾板の破片が落ちている場所との間を往復していた。法水は衣袋から巻尺を

(とりだして、いちいちいんぞうにあてくつあとのけいそくをはじめた。おヴぁ・しゅーずのほうはほはばには)

取り出して、一々印像に当て靴跡の計測を始めた。套靴の方は歩幅には

(ややこきざみというのみのことで、これぞというとくちょうはなく、きわめて)

やや小刻みというのみの事で、これぞと云う特徴はなく、きわめて

(せいぜんとしている。が、いんぞうにはふしんなものがあらわれていた。すなわち、つまさきと)

整然としている。が、印像には不審なものが現われていた。すなわち、爪先と

(かかとと、りょうたんだけがぐっとくぼんでいて、しかもうちがわへへんきょくしたないはんのかたちを)

踵と、両端だけがグッと窪んでいて、しかも内側へ偏曲した内翻の形を

(しめしているが、さらにいようなことには、そのりょうたんのものが、ちゅうおうへいくにしたがい)

示しているが、さらに異様な事には、その両端のものが、中央へ行くに従い

(あさくなっているのだった。また、ごむせいのながぐつらしくおもわれるほうは、けいじょうの)

浅くなっているのだった。また、護謨製の長靴らしく思われる方は、形状の

(おおきさにひれいするとほはばがせまく、さらにいちじるしくふぞろいであるばかりでなく)

大きさに比例すると歩幅が狭く、さらにいちじるしく不揃いであるばかりでなく

(こうしょうぶにはじゅうしんがあったとみえ、とくにちからのくわわったあとがのこっていた。のみならず)

後踵部には重心があったと見え、特に力の加わった跡が残っていた。のみならず

(いんぞうぜんたいのよこはばも、わずかながらひとつひとつことなっていたのである。そのうえ、)

印像全体の横幅も、わずかながら一つ一つ異なっていたのである。その上、

(つまさきのぶぶんをちゅうおうぶにひかくすると、きんこうじょういくぶんちいさいようにおもわれて、)

爪先の部分を中央部に比較すると、均衡上幾分小さいように思われて、

(それがややふしぜんなかんをあたえる。また、そのぶぶんのいんぞうがとくにふせんめいで、)

それがやや不自然な観を与える。また、その部分の印像が特に不鮮明で、

(けいじょうのさいも、そのへんがもっともはなはだしかった。そして、おうろのほせんは)

形状の差異も、その辺が最もはなはだしかった。そして、往路の歩線は

(たてものにそうているが、ふくろにはぞうえんそうこまでちょくせんにいこうとしたものらしく、)

建物に沿うているが、復路には造園倉庫まで直線に行こうとしたものらしく、

(しち、はちほすすんでやけのこりのかれしばのてまえまでくると、はばさんしゃくほどにすぎない)

七、八歩進んで焼け残りの枯芝の手前まで来ると、幅三尺ほどにすぎない

(たいじょうのそれを、またぎこえたけいせきをのこしている。ところが、それから)

帯状のそれを、跨ぎ越えた形跡を残している。ところが、それから

(にほめになると、まるでたてものがおおきなじしゃくででもあるかのように、とつぜんほこうが)

二歩目になると、まるで建物が大きな磁石ででもあるかのように、突然歩行が

(でんこうけいにくっせつしていて、そこから、よことびにたてものとすれすれになり、こんどは、)

電光形に屈折していて、そこから、横飛びに建物と擦々になり、今度は、

(おうろにしるされたせんのうえをたどって、しゅっぱつてんのぞうえんそうこにもどっていた。なお、)

往路に印された線の上を辿って、出発点の造園倉庫に戻っていた。なお、

(ふくろにかかろうとするさいしょのいっぽは、みぎあしでからだをかいてんさせひだりあしから)

復路に掛ろうとする最初の一歩は、右足で身体を廻転させ左足から

(ふみだしており、かれしばをこえたくつあとは、ひだりあしでふみきって、みぎあしでまたいでいる。)

踏み出しており、枯芝を越えた靴跡は、左足で踏み切って、右足で跨いでいる。

(のみならず、にようのくつあとのいずれにも、たてものにあしをかけたらしいけいせきは)

のみならず、二様の靴跡のいずれにも、建物に足を掛けたらしい形跡は

(のこされていなかった。)

残されていなかった。

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