黒死館事件55

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小栗虫太郎の作品です。
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1 ぷぷ 5802 A+ 5.9 97.8% 788.1 4675 102 65 2024/05/04

関連タイピング

問題文

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(しんさいはのりみずのおどろくべきばくろにあったせいか、このじゅっぷんばかりのあいだに、)

真斎は法水の驚くべき曝露に遇ったせいか、この十分ばかりの間に、

(みちがえるほどしょうすいしてしまった。ちからのないてつきで、よんりんしゃをあやつりながら、)

見違えるほど憔悴してしまった。力のない手附で、四輪車を操りながら、

(なにかいいだそうとしてあいがんてきなそぶりをすると、わかってますよたごうさん)

何か云い出そうとして哀願的な素振をすると、「判ってますよ田郷さん」

(とのりみずはかるくおさえて、あなたのとったしょちについては、ぼくのほうから、)

と法水は軽く抑えて、「貴方の採った処置については、僕の方から、

(くましろくんによろしくたのんでおきましょう。ところで、おしがねつたこふじんのすがたが)

熊城君によろしく頼んでおきましょう。ところで、押鐘津多子夫人の姿が

(みえなくなったのは、さくやなんじごろでしたか  それが、だいぶ)

見えなくなったのは、昨夜何時頃でしたか」「それが、大分

(おそくなってからでしてな。なにしろ、しんいしんもんかいにけっせきされたので、そのおり)

遅くなってからでしてな。なにしろ、神意審問会に欠席されたので、その折

(はじめてきがついたのですよ としんさいはようやくあんどのいろをあらわしていった。)

初めて気がついたのですよ」と真斎はようやく安堵の色を現わして云った。

(ちょうどゆうこくのろくじごろに、ごふぎみのおしがねはかせからでんわがかかってまいりました。)

「ちょうど夕刻の六時頃に、御夫君の押鐘博士から電話が掛ってまいりました。

(そして、さくやくじのきゅうこうで、くだいのしんけいがっかいにいくとかいうむねを)

そして、昨夜九時の急行で、九大の神経学会に行くとかいう旨を

(つたえられたそうですが、そのときばとらーのひとりが、つたこさまがでんわしつから)

伝えられたそうですが、その時召使の一人が、津多子様が電話室から

(おでになったのをみたのみで、それなり、われわれのめにはふれなくなって)

お出になったのを見たのみで、それなり、吾々の眼には触れなくなって

(しまわれたのです。もっともこのでんわのことは、ごじたくをたしかめたときに、)

しまわれたのです。もっともこの電話のことは、御自宅を確かめた時に、

(せんぽうのくちからでたじじつでしたが なるほど、ろくじからはちじ 。とにかく)

先方の口から出た事実でしたが」「なるほど、六時から八時――。とにかく

(そのあいだのどうせいを、それぞれにしらべることだ。あるいはそこから、ひなわじゅうぐらいは)

その間の動静を、各個人に調べることだ。あるいはそこから、火繩銃ぐらいは

(とびださんともかぎらんからね とくましろがほとんどちょっかんてきにいうと、それをのりみずは)

飛び出さんとも限らんからね」と熊城がほとんど直観的に云うと、それを法水は

(おどろいたようにみかえして、じょうだんじゃない。なるほど、きみはたいりょくてきだよ。しかし、)

驚いたように見返して、「冗談じゃない。なるほど、君は体力的だよ。しかし、

(あのきょうじんしじんのすることに、どうしてありばいなんて、そんなちんぷな)

あの狂人詩人のすることに、どうして不在証明なんて、そんな陳腐な

(きどうがあってたまるもんか と、てんであたまからあいてにしなかった。それからかれは)

軌道があってたまるもんか」と、てんで頭から相手にしなかった。それから彼は

(ものくるでもほしそうなかんしょうてきなたいどになって、ものめずらしそうなしせんをたちならぶ)

片眼鏡でも欲しそうな鑑賞的な態度になって、物奇しそうな視線を立ち並ぶ

など

(こだいとけいにはせはじめた。それには、かるであのろっさすひどけいやびすまーくとう)

古代時計に馳せはじめた。それには、カルデアのロッサス日時計やビスマーク島

(だくだくこうしゃのしゅろいととけい。みずどけいのたぐいには、まず、とれみーちょうれきだいの)

ダクダク講社の棕櫚絲時計。水時計の類には、まず、トレミー朝歴代の

(ふぁらおやおしりす・まああとなどのしょしん、それにせばう・なあうのだきじんまでも)

埃及王やオシリス・マアアト等の諸神、それにセバウ・ナアウの蛇鬼神までも

(りょうわくにほりこんである くてしびうすがたをはじめに、ごせいきあヴぁーるぞく せいいきの)

両枠に彫り込んである――クテシビウス型を始めに、五世紀柔然族(西域の

(みんぞく。ろくせいきのまつちゅるくじんのためにかうかさすにおいこまる のわんがたこっけいぎに)

民族。六世紀の末突厥人のためにカウカサスに逐い込まる)の椀形刻計儀に

(いたるまでの、じゅうすうしゅがあった。それから、ほーへんしゅたうふぇんけの)

至るまでの、十数種があった。それから、ホーヘンシュタウフェン家の

(そふれでりっく・ふぉん・びゅれんのもんしょうがきざまれている、めずらしい)

祖フレデリック・フォン・ビュレンの紋章が刻まれている、稀らしい

(でぃあぼろがたのさろうなどがちゅうもくされたけれども、あぶらとけいやひなわとけいのように)

ディアボロ形の砂漏などが注目されたけれども、油時計や火繩時計のように

(ちゅうせいいすぱにあであとをたったものには、ぴやり・ぱしゃ 1571ねん)

中世西班牙で跡を絶ったものには、ピヤリ・パシャ(一五七一年

(ヴぇねちあきょうわこくとれヴぁんとでかいせんをえんじたするたんのむこ からのせんとくひんや、)

ヴェネチア共和国とレヴァントで海戦を演じたスルタンの婿)からの戦獲品や、

(ふらんすきゅうきょうとのしゅりょうぎーずこうあんりー せんとばーせるみゅうさいのとうじつしんきょうとを)

仏蘭西旧教徒の首領ギーズ公アンリー(聖バーセルミュウ祭の当日新教徒を

(ぎゃくさしたじんぶつ からけんじょうしたものなどがめにとまった。なお、じゅうすいしょきいらいのものは)

虐さした人物)から献上したもの等が眼に止った。なお、重錘初期以来のものは

(にじゅうにあまるけれども、とくにめだったのは、きょだいなヴぁいきんぐ・しっぷのよこばらに、)

二十にあまるけれども、特に目立ったのは、巨大な海賊船の横腹に、

(とけいやしちようえんをつけたもので、こくじぶんによると)

時計や七曜円を附けたもので、刻字文によると

(まーちゃんと・あどヴぇんちゅあらーずがいしゃから)

マーチャント・アドヴェンチュアラーズ会社から

(ういりあむ・ししるきょう えりざべすちょうにはいってから、はんざしょうにんにだんあつをくわえた)

ウイリアム・シシル卿(エリザベス朝に入ってから、ハンザ商人に弾圧を加えた

(せいじか におくったものであった。おそらくこれらは、こだいとけいのしゅうしゅうとして、)

政治家)に贈ったものであった。恐らくこれらは、古代時計の蒐集として、

(せかいにるいをもとめえないほどにかんぜつしたものにちがいなかった。しかし、そのちゅうおうで)

世界に類を求め得ないほどに冠絶したものに違いなかった。しかし、その中央で

(おうざのようにわだかまってくんりんしているのが、おうどうせいのだいざのちゅうしんにはおすまんふうの)

王座のように蟠って君臨しているのが、黄銅製の台座の柱身にはオスマン風の

(しょうろう、ぱねるにはかいじんじゅうがぞうがんされていて、そのうえに、こーとれいしきの)

檣楼、羽目には海人獣が象嵌されていて、その上に、コートレイ式の

(とうがたをなしたにんぎょうとけいがのせられている ひとつがそれだった。それには、)

塔形をなした人形時計が載せられている――一つがそれだった。それには、

(きんせいのもののようなめもりばんがなく、とうじょうのえんさくのなかにはちゃぺるがひとつあって、)

近世のもののような目盛盤がなく、塔上の円柵の中には鐘が一つあって、

(それをさしはさんで、おらんだはーれむあたりのふうぞくをした、だんじょのどうじにんぎょうが)

それを挾んで、和蘭ハーレム辺りの風ぞくをした、男女の童子人形が

(むきあっている。そして、いっこくがくるたびに、それまでじどうてきにまかれたぜんまいが)

向き合っている。そして、一刻が来るたびに、それまで自動的に捲かれた弾条が

(ゆるみ、どうじにないぶのおるごーるがなりだして、そのそうがくがおわると、こんどはふたりの)

弛み、同時に内部の廻転琴が鳴り出して、その奏楽が終ると、今度は二人の

(どうじにんぎょうが、こうごにしゅもくをふりあげてはちゃぺるをたたき、さだめられたてんしょうをほうずる)

童子人形が、交互に撞木を振り上げては鐘を叩き、定められた点鐘を報ずる

(しかけになっていた。のりみずがよこばらにあるかんのんびらきのとびらをひらくと、じょうぶには)

仕掛になっていた。法水が横腹にある観音開きの扉を開くと、上部には

(おるごーるそうちがあって、そのしたがとけいのきかいしつだった。しかし、そのときとびらのうらがわに)

廻転琴装置があって、その下が時計の機械室だった。しかし、その時扉の裏側に

(はしなくもいようなほそじのてんこくをはっけんしたのである。すなわち、)

はしなくも異様な細字の篆刻を発見したのである。すなわち、

(そのみぎがわのとびらには・・・・・・)

その右側の扉には……

(てんしょうじゅうよねんごがつじゅうくにち ろーまれきてんしゅたんじょういらい1586ねん えすぱにあおう)

――天正十四年五月十九日(羅馬暦天主誕生以来一五八六年)西班牙王

(ふぇりぺにせいよりくらヴぃ・ちぇむばろとともにこれをうく。また、ひだりてのとびらにも、つぎのもじが)

フェリペ二世より梯状琴とともにこれをうく。また、左手の扉にも、次の文字が

(きざまれているのだった。)

刻まれているのだった。

(てんしょうじゅうごねんじゅういちがつにじゅうしちにち ろーまれきてんしゅたんじょういらい1587ねん 。)

――天正十五年十一月二十七日(羅馬暦天主誕生以来一五八七年)。

(ごあのじぇすいっとせんとぱうろかいどうにおいて、せんとさんふらんしすこ・しゃヴぃえるしょうにんの)

ゴアの耶蘇会聖パウロ会堂において、聖サンフランシスコ・シャヴィエル上人の

(ちょうがんをうけ、それをこのしりけきょうにおさめて、どうじのかたうでとなす。)

腸丸をうけ、それをこの遺物筐に収めて、童子の片腕となす。

(それはまさしく、じぇすいっとじゅんきょうしがしたたらせた、せんけつのしのひとつであったろう。)

それはまさしく、耶蘇会殉教史が滴らせた、鮮血の詩の一つであったろう。

(しかし、こうだんにいたると、そのしゃヴぃえるしょうにんのちょうがんが、じゅうようなてんかいを)

しかし、後段に至ると、そのシャヴィエル上人の腸丸が、重要な転回を

(つとめることになるのであるが、そのときはただ、のりみずがゆうきゅうほうはくたるものに)

勤めることになるのであるが、その時はただ、法水が悠久磅はくたるものに

(うたれたのみで、まるできょだいなてのひらにぐいとにぎりすくめられたかのような、)

打たれたのみで、まるで巨大な掌にグイと握り竦められたかのような、

(いっしゅめいじょうのできぬあっぱくかんをおぼえたのであった。そして、しばらくそのてんこくぶんを)

一種名状の出来ぬ圧迫感を覚えたのであった。そして、しばらくその篆刻文を

(みつめていたが、やがて、ああ、そうでしたね。たしかさんしあんとう かんとんしょうしゅこうの)

瞶めていたが、やがて、「ああ、そうでしたね。確か上川島(広東省珠江の

(かこうふきん でしんだしゃヴぃえるしょうにんは、うつくしいしろうになっていたのでした。)

河口附近)で死んだシャヴィエル上人は、美しい屍蝋になっていたのでした。

(なるほど、そのちょうがんとしりけきょうとが、どうじにんぎょうのみぎうでになっているのですか)

なるほど、その腸丸と遺物筐とが、童子人形の右腕になっているのですか」

(とひくくゆめみるようなこえでつぶやいたが、とつぜんちょうしをかえて、しんさいにたずねた。)

と低く夢見るような声で呟いたが、突然調子を変えて、真斎に訊ねた。

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