黒死館事件56
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問題文
(ところでたごうさん、みかけたところほこりがありませんけど、このとけいしつは)
「ところで田郷さん、見掛けたところ埃がありませんけど、この時計室は
(いつごろそうじしたのです?ちょうどきのうでした。いっしゅうにいっかいすることになって)
いつ頃掃除したのです?」「ちょうど昨日でした。一週に一回することになって
(おりますので そうして、こだいとけいしつをでると、しんさいはなによりさきに、かれを)
おりますので」そうして、古代時計室を出ると、真斎は何より先に、彼を
(むざんなはいぼくにつきおとしたところのぎねんをとかねばならなかった。のりみずは、)
無惨な敗北に突き落したところの疑念を解かねばならなかった。法水は、
(しんさいのといにあじのないびしょうをうかべて、そうするとあなたは、でいやぐらはむの)
真斎の問いに味のない微笑を泛べて、「そうすると貴方は、デイやグラハムの
(ぶらっく・みらー・まじっくをごぞんじでしょうか とひとまずねんをおしてから、けむりをはいて)
黒鏡魔法を御存じでしょうか」とひとまず念を押してから、烟を吐いて
(かたりはじめた。さっきもいったとおり、そのきいというのが、かいだんの)
語りはじめた。「先刻も云ったとおり、その解語と云うのが、階段の
(りょうすそにあったにきのちゅうせいかっちゅうむしゃなんです。もちろんそうしょくようのもので、)
両裾にあった二基の中世甲冑武者なんです。勿論装飾用のもので、
(たいしたじゅうりょうではありませんが、あれは、ごしょうちのように、ちょうど)
たいした重量ではありませんが、あれは、御承知のように、ちょうど
(しちじぜんご おりがらやといにんたちのしょくじじかんをねらって、いっそくとびにかいだんろうまでとびあがって)
七時前後――折柄傭人達の食事時間を狙って、一足飛びに階段廊まで飛び上って
(しまったのです。それに、そうほうともながいせいきをもっているのですが、ぼくはさいしょ、)
しまったのです。それに、双方とも長い旌旗を持っているのですが、僕は最初、
(それをせいきのいれちがいからすいだんして、はんにんのさつじんせんげんとかいしゃくしたのです。しかし)
それを旌旗の入れ違いから推断して、犯人の殺人宣言と解釈したのです。しかし
(ちょっとしんけいにふれたものがあったので、ひとまずにりゅうのせいきと、)
ちょっと神経に触れたものがあったので、ひとまず二旒の旌旗と、
(そのこうほうにあるがぶりえる・まっくすの ふわけず とをみくらべてみました。)
その後方にあるガブリエル・マックスの『腑分図』とを見比べて見ました。
(もちろんえちゅうのふたりのじんぶつには、つたこふじんのありかをしてきするものは)
勿論画中の二人の人物には、津多子夫人の在所を指摘するものは
(なかったのですが、そのときふと、にりゅうのせいきががめんのはるかじょうほうを)
なかったのですが、その時ふと、二旒の旌旗が画面のはるか上方を
(おおうているのにきがついたのです。そこに、だますくすへのみちをさししめしている)
覆うているのに気がついたのです。そこに、ダマスクスへの道を指し示している
(りていひょうがあったのですよ。つまり、そのへんいったいの、いっけんぶらっしゅを)
里程標があったのですよ。つまり、その辺一帯の、一見絵刷毛を
(たたきつけたような、さまざまないろがあるいはせんをなしかいじょうをなしていて しきさいの)
叩き付けたような、様々な色があるいは線をなし塊状をなしていて――色彩の
(ざつぐんをつくっているところが、すなわちそれだったのです。ところで、ぽあんちりずむのりろんを)
雑群を作っている所が、すなわちそれだったのです。ところで、点描法の理論を
(ごぞんじでしょうか。いろといろをまぜるかわりに、げんしょくのこまかいせんやてんをこうごにならべて)
御存じでしょうか。色と色を混ぜる代りに、原色の細かい線や点を交互に列べて
(それをあるいっていのきょりをへだててながめさせると、はじめてかんしゃのしかくのなかで、)
それをある一定の距離を隔てて眺めさせると、始めて観者の視覚の中で、
(そのしきさいぶんかいがそうごうされるのをいうのですよ。もちろん、それよりわずかでも)
その色彩分解が綜合されるのを云うのですよ。勿論、それより些かでも
(ぜんごすれば、たちまちとういつがやぶれて、がめんはめいじょうすべからざるこんらんに)
前後すれば、たちまち統一が破れて、画面は名状すべからざる混乱に
(おちいってしまうのです。つまりそれが、るーあんほんじのもんをえがいたもねえの)
陥ってしまうのです。つまりそれが、ルーアン本寺の門を描いたモネエの
(しゅほうなのですが、それをいっそうほうしきかしたばかりでなく、さらにりろんてきに)
手法なのですが、それをいっそう法式化したばかりでなく、さらに理論的に
(いちだんかいすすめたものというのが、あのえちゅうにかくされてあったのです とのりみずは)
一段階進めたものと云うのが、あの画中に隠されてあったのです」と法水は
(そこまでいうと、こうてつどをとじさせて、では、ひとつじっけんしてみますかな)
そこまで云うと、鋼鉄扉を閉じさせて、「では、一つ実験してみますかな――
(あのこんらんしたざっしょくのなかになにがかくされているのか?さいしょにくましろくん、そのかべにある)
あの混乱した雑色の中に何が隠されているのか? 最初に熊城君、その壁にある
(みっつのすいっちをひねってくれたまえ さっそくくましろがのりみずのいうとおりにすると、)
三つの開閉器を捻ってくれ給え」さっそく熊城が法水の云うとおりにすると、
(さいしょに ふわけず のじょうほうにあるあかりがきえ、つづいて、みぎてのど・とりーさく)
最初に「腑分図」の上方にある灯が消え、続いて、右手のド・トリー作
(1720ねんまるせいゆのぺすと のじょうほうから、みぎななめにおちているひとつも)
「一七二〇年馬耳塞の黒死病」の上方から、右斜めに落ちている一つも
(きえたので、かいだんろうにのこっているひかりといえば、ひだりてのじぇらーる・だヴぃっどさく)
消えたので、階段廊に残っている光と云えば、左手のジェラール・ダヴィッド作
(しさむねすひはくしけいのず のよこからはっして、ふわけず をすいへいになでている)
「シサムネス皮剥死刑之図」の横から発して、「腑分図」を水平に撫でている
(ひとつのみになってしまった。が、そのいっとうにあたるすいっちは、)
一つのみになってしまった。が、その一燈に当る開閉器は、
(かいだんのしたにあるのだった。すると、それまであらわれていたしぶいていちゃくがうしなわれて、)
階段の下にあるのだった。すると、それまで現われていた渋い定着が失われて、
(ふわけず のぜんめんには、めのくらむようなはげしいはれーしょんがあらわれた。さらに、)
「腑分図」の全面には、眼の眩むような激しい眩耀が現われた。さらに、
(さいごのひとつがひねられてずじょうのあかりがきえると、のりみずはぽんとてをたたいて、)
最後の一つが捻られて頭上の灯が消えると、法水はポンと手を叩いて、
(これでいいのだ。やはり、ぼくのすいそくどおりだったよ ところが、それから)
「これでいいのだ。やはり、僕の推測どおりだったよ」ところが、それから
(しばらくのあいだ、ぜんぽうのえちゅうをちまなこになってさがしもとめていたけれども、)
しばらくの間、前方の画中を血眼になって探し求めていたけれども、
(さんにんのめには、はれーしょんいがいのなにものもうつらなかった。いったいどこに)
三人の眼には、眩耀以外の何ものも映らなかった。「いったいどこに
(なにがあるんだ とゆかをけって、くましろはあらあらしくふつぜんとさけんだ。が、そのとき)
何があるんだ」と床を蹴って、熊城は荒々しく怫然と叫んだ。が、その時
(なにげなしに、しんさいがこうほうのこうてつどをふりむくと、そこにはくましろのかたを、)
なにげなしに、真斎が後方の鋼鉄扉を振り向くと、そこには熊城の肩を、
(おもわずもつかませたものがあった。あっ、てれーずだ!それは、まさしく)
思わずも掴ませたものがあった。「アッ、テレーズだ!」それは、まさしく
(まほうではあるまいかとうたがわれたほど、ふかしぎきたいをきわめたげんしょうであった。)
魔法ではあるまいかと疑われたほど、不可思議奇態をきわめた現象であった。
(ぜんぽうのがめんがまばゆいばかりのはれーしょんでおおわれているにもかかわらず、)
前方の画面が眩ゆいばかりの眩耀で覆われているにもかかわらず、
(そのじょうほうのぶぶんがうつっているこうほうのこうてつどには、はたしてどこからうつったものか)
その上方の部分が映っている後方の鋼鉄扉には、はたしてどこから映ったものか
(くっきりとたしかなせんで、しかもてんれいなわかいおんなのかおがあらわれているのだった。)
くっきりと確かな線で、しかも典麗な若い女の顔が現われているのだった。
(さらにいっそううすきみわるいことには、うたかまうかたなくそれが、こくしかんで)
さらにいっそう薄気味悪いことには、擬うかたなくそれが、黒死館で
(じゃれいといわれるてれーず・しによれだったのである。のりみずははたのぎょうがいにはかまわず)
邪霊と云われるテレーズ・シニヨレだったのである。法水は側の驚駭には関わず
(そのあやしいまぼろしのせいいんをせんめいした。わかったでしょうたごうさん、こんらんしたしきさいが)
その妖しい幻の生因を闡明した。「判ったでしょう田郷さん、混乱した色彩が
(あのきょりまでくると、はじめてとういつをあらわすのですよ。しかし、そのぽあんちりずむの)
あの距離まで来ると、始めて統一を現わすのですよ。しかし、その点描法の
(りろんというのは、このばあいたんに、ぶんれつしたしきさいをそうごうするきょりを)
理論と云うのは、この場合単に、分裂した色彩を綜合する距離を
(しめしたのみのことです。むろんそのしきさいだけでは、もうろうとしたものがこのうるしどへ)
示したのみのことです。無論その色彩だけでは、朦朧としたものがこの漆扉へ
(うつるにすぎないでしょう。じつはそのきそりろんのうえに、さらにすうそうのぎこうが)
映るにすぎないでしょう。実はその基礎理論の上に、さらに数層の技巧が
(ひつようなのです。というのは、ほかでもないのですが、こんせいきのはじめに)
必要なのです。と云うのは、ほかでもないのですが、今世紀の初めに
(すぴろへーたーせんしょくほうとして、しゃうでぃんとほふまんがあんしゅつした)
黴毒菌染色法として、シャウディンとホフマンが案出した
(あんしやしょうきほう なのですよ。げんらいすぴろへーたーはむしょくとうめいのきんなので、そのまま)
『暗視野照輝法』なのですよ。元来黴毒菌は無色透明の菌なので、そのまま
(ふつうのとうしほうをもちいたのでは、けんびきょうかでじったいをみることはできません。)
普通の透視法を用いたのでは、顕微鏡下で実体を見ることは出来ません。
(それで、いちあんとしてけんびきょうのしたにくろいばっくをおき、こうげんをかえてすいへいからこうせんを)
それで、一案として顕微鏡の下に黒い背景を置き、光源を変えて水平から光線を
(おくるようにしたのですが、そのけっかはじめて、とうめいのきんだけからはんしゃされてくる)
送るようにしたのですが、その結果始めて、透明の菌だけから反射されてくる
(こうせんをみることができたのでした。つまりこのばあいは、ひだりよこの)
光線を見ることが出来たのでした。つまりこの場合は、左横の
(しさむねすひはくしけいのず のわきからはっして、がめんをすいへいになでているこうせんが、)
『シサムネス皮剥死刑之図』の脇から発して、画面を水平に撫でている光線が、
(それにあたるのですよ。するともちろん、しきさいからこうどへりひかいとのほうに、ほんしつが)
それに当るのですよ。すると勿論、色彩から光度ヘリヒカイトの方に、本質が
(うつってしまいます。ですから、きやきみどりのようなひかくてきこうどのたかいいろや、)
移ってしまいます。ですから、黄や黄緑のような比較的光度の高い色や、
(たいひげんしょうでこゆうのものいじょうのこうどをえているしきさいは、おそらくはっこうにちかいどあいで)
対比現象で固有のもの以上の光度を得ている色彩は、恐らく白光に近い度合で
(かがやくでしょうし、またそれいかのものはだんかいをなして、しだいにくらさを)
輝くでしょうし、またそれ以下のものは段階をなして、しだいに暗さを
(ましてゆくにちがいないのです。そのこうどのさが、このぶらっくみらーにうつるといっそう)
増してゆくに違いないのです。その光度の差が、この黒鏡に映るといっそう
(けっていてきになってしまうのですが、いっぽうじっさいもんだいとして、こうしつのえのぐでは)
決定的になってしまうのですが、一方実際問題として、膠質の絵具では
(ぜんたいにわたってはれーしょんがおこらねばなりません。しかし、しきちょうをうばって、そのはれーしょんを)
全体にわたって眩耀が起らねばなりません。しかし、色調を奪って、その眩耀を
(きゅうしゅうしてしまうばかりでなく、それをくろとしろのものくろーむに、はんぜんと)
吸収してしまうばかりでなく、それを黒と白の単色画に、判然と
(くぶんしてしまうものが、じつにこのうるしど すなわちぶらっくみらーなのでした。ですから、)
区分してしまうものが、実にこの漆扉――すなわち黒鏡なのでした。ですから、
(ややちかいいろでも、もっともこうどのたかいものにたいひされると、いくぶんくらさをますに)
やや近い色でも、最も光度の高いものに対比されると、幾分暗さを増すに
(ちがいないのですから、そこにてれーずのかおが、ああいうたしかなせんで、くっきりと)
違いないのですから、そこにテレーズの顔が、ああいう確かな線で、くっきりと
(えがきだされたげんいんがあるのですよ。ねえたごうさん、あなたはしかほるくろふとや、)
描き出された原因があるのですよ。ねえ田郷さん、貴方は史家ホルクロフトや、
(こしょしゅうしゅうかじょん・ぴんかーとんなどのちょじゅつをおよみになったでしょうが、)
古書蒐集家ジョン・ピンカートンなどの著述をお読みになったでしょうが、
(かつてまほうはかせでいやぐらはむが、ぐみんをまどわしたぶらっく・みらー・まじっくも、そこをわれば、)
かつて魔法博士デイやグラハムが、愚民を惑わした黒鏡魔法も、底を割れば、
(たったこれだけのほんたいにすぎないのです。さて、みっつのすいっちがひねられて、)
たったこれだけの本体にすぎないのです。さて、三つの開閉器が捻られて、
(このいったいがあんこくになると、そのとき、なぜに、てれーずのぞうがあらわれなければ)
この一帯が暗黒になると、その時、何故に、テレーズの像が現われなければ
(ならなかったのでしょう そこでのりみずはちょっとひといきいれてたばこにひをつけたが、)
ならなかったのでしょう」そこで法水はちょっと一息入れて莨に火を点けたが、
(ふたたびこつこつあるきまわりながらいいはじめた。)
再びこつこつ歩き廻りながら云いはじめた。