黒死館事件57
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問題文
(それが、はじゃけんしょうのめなのです。たぶん、さんてつはかせはせかいてきのしゅうしゅうひんを)
「それが、破邪顕正の眼なのです。たぶん、算哲博士は世界的の蒐集品を
(ほごするために、もじばんをてつばこのなかにいれただけではふあんだったのでしょう。)
保護するために、文字盤を鉄函の中に入れただけでは不安だったのでしょう。
(それがために、こういうすこぶるしばいげたっぷりなそうちを、こっそりもうけて)
それがために、こういうすこぶる芝居げたっぷりな装置を、秘そり設けて
(おいたのですよ。なぜなら、かんがえてみてください。いまてんめつしたみっつのあかりは、)
置いたのですよ。何故なら、考えてみて下さい。いま点滅した三つの灯は、
(いつもつけっぱなしなんですからね。ですから、かりにこのへやに)
いつも点け放しなんですからね。ですから、仮りにこの室に
(しんにゅうしようとするものがあれば、じぶんのすがたをみとめられないために、まず)
侵入しようとするものがあれば、自分の姿を認められないために、まず
(てぢかにあるみっつのすいっちをひねり、このあたりいったいをあんこくにしなければ)
手近にある三つの開閉器を捻り、この辺り一帯を暗黒にしなければ
(ならないでしょう。そのうえでてっさくどをひらいたとすると、それまでずじょうのあかりで)
ならないでしょう。その上で鉄柵扉を開いたとすると、それまで頭上の灯で
(さまたげられていたものが、とつぜんうるしどのうえにぶきみなすがたとなってかがやきだすでしょう。)
妨げられていたものが、突然漆扉の上に不気味な姿となって輝き出すでしょう。
(しかし、はいごの ふわけず は、そのいちからみただけだと、いたずらにしきさいが)
しかし、背後の『腑分図』は、その位置から見ただけだと、徒に色彩が
(ぶんれつしているのみであって、しかもまばゆいばかりの、はれーしょんで)
分裂しているのみであって、しかも眩ゆいばかりの、眩耀で
(おおわれているのですから、どこにそのぞうのみなもとがあるのかはんだんがつかなくなって、)
覆われているのですから、どこにその像の源があるのか判断がつかなくなって、
(けっきょくぎょうてんにあたいするようかいげんしょうとなってのこってしまうのです。つまり、しょうたんで)
結局仰天に価する妖怪現象となって残ってしまうのです。つまり、小胆で
(めいしんぶかいはんにんは、いちどにがいけいけんをふんで、たしかおびやかされたにちがいありません。)
迷信深い犯人は、一度苦い経験を踏んで、たしか脅かされたに違いありません。
(ですから、さくやはこっそりかっちゅうむしゃをかつぎあげて、にりゅうのせいきでもんだいのぶぶんを)
ですから、昨夜は秘そり甲冑武者を担ぎ上げて、二旒の旌旗で問題の部分を
(かくしたというわけなんですよ。ねえたごうさん、たしかこれだけは、じるふぇが)
隠したと云う訳なんですよ。ねえ田郷さん、確かこれだけは、風精が
(えんじたうちで、いちばんへたなこーてぃあ・ぷれいでしたね のりみずがかたりおえると、けんじは)
演じたうちで、一番下手な廷臣喜劇でしたね」法水が語り終えると、検事は
(つめたくなったてのこうをすりながら、あゆみよっていった。すてきだのりみずくん、きみは)
冷たくなった手の甲を擦りながら、歩み寄って云った。「素敵だ法水君、君は
(とむせんどころか、あんとあんぬ・ろしにょーる しじょうさいだいのあんごうかいどくか、)
トムセンどころか、アントアンヌ・ロシニョール(史上最大の暗号解読家、
(るいじゅうさんじゅうよんせいにつかえ、ことにそうじょうりしゅりゅうにちょうあいせらる だよ ああ、)
ルイ十三十四世に仕え、ことに僧正リシュリュウに寵愛せらる)だよ」「ああ、
(それはじるふぇのしゃれじゃないか のりみずはあんたんとしたかおいろになってたんそくした。)
それは風精の洒落じゃないか」法水は暗澹とした顔色になって嘆息した。
(あのおとこはしじんのぼあ・ろべーるから、あんごうでもない ふぁうすと のぶんしょうで)
「あの男は詩人のボア・ロベールから、暗号でもない『ファウスト』の文章で
(からかわれたのだからね こうしてじけんのだいいちにちは、むじゅんどうちゃくをやまのごとくに)
揶揄われたのだからね」こうして事件の第一日は、矛盾撞着を山のごとくに
(つんだままでおわってしまった。が、はたしてよくあさになると、あらゆるしんぶんは)
積んだままで終ってしまった。が、はたして翌朝になると、あらゆる新聞は
(このじけんのほうどうで、でかでかいちめんをかざりたてて、にほんくうぜんのしんぴてきさつじんじけんと、)
この事件の報道で、でかでか一面を飾り立てて、日本空前の神秘的殺人事件と、
(すこぶるせんじょうてきなひっぽうでかきたてるのだった。ことに、じけんのかいしそうそうにも)
すこぶる煽情的な筆法で書き立てるのだった。ことに、事件の開始早々にも
(かかわらず、もう、おろかにもつかないじっさいかでのたんていしょうせつかをつかまえてきて、)
かかわらず、もう、愚にもつかない実際家出の探偵小説家を掴まえてきて、
(それにくだくだしいすいりだんてきなかんそうをのべさせているところなどをみると、)
それにくだくだしい推理談的な感想を述べさせているところなどを見ると、
(ふりやぎいちぞくのそこしれないしんぴとかんれんさせて、このじけんをじゃーなりすちっくにも)
降矢木一族の底知れない神秘と関聯させて、この事件をジャーナリスチックにも
(あおりたてるこころづもりのようにおもわれた。しかし、のりみずはしゅうじつしょさいにとじこもっていて、)
煽り立てる心算のように思われた。しかし、法水は終日書斎に閉じ籠っていて、
(そのひはとうとうこくしかんをおとずれなかったが、おそらくそれは、ゆいごんじょうを)
その日はとうとう黒死館を訪れなかったが、恐らくそれは、遺言状を
(かいふうさせるために、ふくおかからしょうかんしたおしがねはかせのききょうが、そのよくじつの)
開封させるために、福岡から召還した押鐘博士の帰京が、その翌日の
(ごごになったことと、またひとつには、つたこふじんのよごがいまだじんもんに)
午後になった事と、また一つには、津多子夫人の予後が未だ訊問に
(たえられそうもないという いじょうのふたつがけっていてきなりゆうのようにおもわれた。)
耐えられそうもないという――以上の二つが決定的な理由のように思われた。
(けれども、それをこれまでのれいにちょうしてみると、のりみずがしずかなぎそうのなかで、)
けれども、それを従来の例に徴してみると、法水が静かな凝想の中で、
(なにかひとつのけつろんにとうたつしようとこころみているのではないかと、)
何か一つの結論に到達しようと試みているのではないかと、
(すいそくされるのだった。もちろんそのひのごぜんちゅうに、ほういがくきょうしつからぼうけんの)
推測されるのだった。勿論その日の午前中に、法医学教室から剖見の
(はっぴょうがあった。そのなかからようてんをつまみだしてみると、だんねべるぐふじんのしいんは)
発表があった。その中から要点を摘出してみると、ダンネベルグ夫人の死因は
(めいはくなせいさんちゅうどくで、やくりょうも、おどろくべきことには0・5とけいそくされたが、かんじんの)
明白な青酸中毒で、薬量も、驚くべきことには〇・五と計測されたが、肝腎の
(しこうとそうもんとは、いずれもせいいんふめいであって、たんにたんぱくにょうがはっけんされた)
屍光と創紋とは、いずれも生因不明であって、単に蛋白尿が発見された
(といういちじにつきていた。それからえきすけになると、ぜつめいすいていじこくはのりみずの)
という一事に尽きていた。それから易介になると、絶命推定時刻は法水の
(すいていどおりだったけれども、いようなかんせいちっそくのげんいんや、ぜつめいじこくとそごしている)
推定どおりだったけれども、異様な緩性窒息の原因や、絶命時刻と齟齬している
(みゃくどうやこきゅうなどについては、まさにこうろんおつばくのかたちで、わけても、えきすけが)
脈動や呼吸などについては、まさに甲論乙駁の形で、わけても、易介が
(ぽっとびょうかんじゃであるところから、そのてんにかんしたへんけんがおおいようだった。)
傴僂病患者であるところから、その点に関した偏見が多いようだった。
(なかにも、もはやこてんにひとしいかすぱー・りーまんのじきてきこうしほうなどを)
なかにも、もはや古典に等しいカスパー・リーマンの自企的絞死法などを
(もちだしてきて、しごきりきずがくわえられるいぜんに、えきすけはよりじきてきちっそくを)
持ち出してきて、死後切創が加えられる以前に、易介は自企的窒息を
(はかったのではないか などという、すこぶるしせいのおくそくにだしたようないせつも)
計ったのではないか――などという、すこぶる市井の臆測に堕したような異説も
(あらわれたくらいである。ところが、そのよくあさ、すなわちいちがつさんじゅうにち、のりみずはとつぜん)
現われたくらいである。ところが、その翌朝、すなわち一月三十日、法水は突然
(かくしんぶんつうしんしゃにあてて、はぜくらけんじとくましろそうさきょくちょうたちあいのもとに、えきすけの、)
各新聞通信社に宛てて、支倉検事と熊城捜査局長立会の下に、易介の
(はっぴょうするむねをつうこくした。のりみずのしょさいはきわめてかんそなもので、いたずらに)
死因を発表する旨を通告した。法水の書斎はきわめて簡素なもので、徒らに
(しょせきのやまにかこまれているだけであったが、それでも、そのそんざいはそうとう)
積み重ねた書籍の山に囲まれているだけであったが、それでも、その存在は相当
(せけんになりひびいていた。というのは、そのへきめんをかざるものに、げんざいは)
世間に鳴り響いていた。と云うのは、その壁面を飾るものに、現在は
(きこうちゅうのきこうともいうどうばんがで、1668ねんばんの ろんどんたいかのず が)
稀覯中の稀覯ともいう銅版画で、一六六八年版の「倫敦大火之図」が
(かかげられているからだった。いつもならそれをせにして、かれのもっとも)
掲げられているからだった。いつもならそれを背にして、彼の最も
(へんきなしゅみであるここんとうざいのたいかしを、とうとうとべんじたてるのだが、そのひは)
偏奇な趣味である古今東西の大火史を、滔々と弁じ立てるのだが、その日は
(のりみずがそうこうをてにとびらをひらくと、なかはさんじゅうにんほどのきしゃたちで、みうごきも)
法水が草稿を手に扉を開くと、内部は三十人ほどの記者達で、身動きも
(できぬほどのざっとうだった。のりみずはざわめきのしずまるのをまって、そうこうをよみはじめた。)
出来ぬほどの雑沓だった。法水は騒響の鎮まるのを待って、草稿を読み始めた。