黒死館事件63

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

関連タイピング

問題文

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(よみおわると、のりみずはそれをたくじょうにひろげて、まずそのだいななじょう しこうとそうもんのくだり)

読み終ると、法水はそれを卓上に拡げて、まずその第七条(屍光と創紋の件)

(のうえにしとうをおとした。そのころには、らんかんのこまどからはいってくるひざしが、)

の上に指頭を落した。その頃には、欄間の小窓から入ってくる陽射が、

(ろんどんたいかのず の ちょうどてむずがわのまうえあたりにまであがっていて、ずじょうの)

「倫敦大火之図」の――ちょうどテムズ河の真上附近にまで上っていて、頭上の

(こくえんにものものしいせいどうをおこしはじめた。それでなくてもけんじとくましろは、くちびるがわれ)

黒煙に物々しい生動を起しはじめた。それでなくても検事と熊城は、唇が割れ

(だえきがかわいて、ただひたすらに、のりみずがもちだしたききょうてんとうのせかいが、)

唾液が涸いて、ただひたすらに、法水が持ち出した奇矯転倒の世界が、

(ひとつおおきなとんぼがえりをうって、むそうのつばさをおとしてしまうじきを)

一つ大きな蜻蛉がえりを打って、夢想の翼を落としてしまう時機を

(ゆめみるのだった。そういういようにさっきだったくうきのなかで、のりみずはあたらしいたばこに)

夢見るのだった。そういう異様に殺気立った空気の中で、法水は新しい莨に

(ひをてんじ、おもむろにくちをひらいた。ところで、さいしょにあのふしぎなしこうとそうもんだが)

火を点じ、徐ろに口を開いた。「ところで、最初にあの不思議な屍光と創紋だが

(もんだいはいぜんとして、そのじゅんかんろんてきなけいしきにあるのだ。あのおれんじがどういうけいろを)

問題は依然として、その循環論的な形式にあるのだ。あの洋橙がどういう経路を

(へて、だんねべるぐふじんのくちのなかにとびこんでいったのか そのどうていが)

経て、ダンネベルグ夫人の口の中に飛び込んでいったのか――その道程が

(はっきりしないかぎりは、いぜんじっしょうてきなせつめいはふかのうだとおもうね。けれども、)

判然しない限りは、依然実証的な説明は不可能だと思うね。けれども、

(そのしこうとそうもんのはっせいににたはんざいじょうのめいしんが、ゆうめいな ゆだやじんはんざいの)

その屍光と創紋の発生に似た犯罪上の迷信が、有名な『猶太人犯罪の

(かいぼうてきしょうころん ごるとふぇるとちょ のなかにきろくされているのだ とそのいっさつを)

解剖的証拠論(ゴルトフェルト著)』の中に記録されているのだ」とその一冊を

(しょかからひきだしたが、それにはゆだやてきはんざいふうしゅうが、かんりゃくなれいちゅうとして)

書架から引き出したが、それには猶太的犯罪風習が、簡略な例註として

(しるされているのみだった。)

記されているのみだった。

(1819ねんじゅうがつのあるよる、ぼへみありょうけーにひぐれーつざいのふゆうなのうふが、)

一八一九年十月の或る夜、ボヘミア領ケーニヒグレーツ在の富裕な農夫が、

(しんだいのうえでしんぞうをつらぬかれ、そのあとにしつないからはっかして、したいとともに)

寝台の上で心臓を貫かれ、その後に室内から発火して、死体とともに

(やきすてられたというさんじがおこった。そして、それにはつうこうしゃのしょうげんがあって、)

焼き捨てられたという惨事が起った。そして、それには通行者の証言があって、

(ちょうどそのよるのじゅういちじはんに、わずかにひらいたかーてんのあいだから、ひがいしゃがじゅうじを)

ちょうどその夜の十一時半に、わずかに隙いた窓掛の間から、被害者が十字を

(きっているのをもくげきしたとちんじゅつするものがあらわれてきた。そうなると、)

切っているのを目撃したと陳述する者が現われてきた。そうなると、

など

(きょうこうじこくがじゅういちじはんいごとなって、もっともふかいどうきをもっているともくされていた、)

兇行時刻が十一時半以後となって、最も深い動機を持っていると目されていた、

(ゆだやじんのいちせいふんぎょうしゃに、はからずもありばいができてしまった。したがって、)

猶太人の一製粉業者に、計らずも不在証明が出来てしまった。したがって、

(じけんはそれなりめいむにとざされてしまったのである。ところがはんとしごになって、)

事件はそれなり迷霧に鎖されてしまったのである。ところが半年後になって、

(ようやくぷらーぐしのほじょけんぺいでーにっけによってはんにんのかんけいがばくろされ、)

ようやくプラーグ市の補助憲兵デーニッケによって犯人の奸計が暴露され、

(やはりさいしょのけんぎしゃである、ゆだやじんのせいふんぎょうしゃがほばくされるにいたった。しかも、)

やはり最初の嫌疑者である、猶太人の製粉業者が捕縛されるに至った。しかも、

(はっかくのげんいんをなしたものは、はむらびきょうてんのかいしゃくからはっしている、ゆだやこゆうの)

発覚の原因をなしたものは、ハムラビ経典の解釈から発している、猶太固有の

(はんざいふうしゅうにすぎなかった。すなわち、したいもしくはひがいのかしょを、しゅういにろうそくを)

犯罪風習にすぎなかった。すなわち、死体もしくは被害の個所を、周囲に蝋燭を

(たててしょうめいすると、それではんざいが、えいきゅうはっかくしないというめいしんが)

立てて照明すると、それで犯罪が、永久発覚しないという迷信が

(たんしょだったのである。もちろんそのろうそくが、かさいのげんいんだったことは)

端緒だったのである。勿論その蝋燭が、火災の原因だったことは

(いうまでもないであろう。)

云うまでもないであろう。

(ああかいまくとうしょのばめんに、のりみずはなんとせいさいにとぼしいれいしょうを)

ああ開幕当初の場面に、法水はなんと生彩に乏しい例証を

(もちだしたことであろうか。けれども、つづいてかれが、それにしけんをくわえてかいとうを)

持ち出したことであろうか。けれども、続いて彼が、それに私見を加えて解答を

(ととのえると、ぐうぜんそのどくそうのなかから、さしもじゅんかんろんのいちぐうにやぶられんばかりのひかりが)

整えると、偶然その独創の中から、さしも循環論の一隅に破られんばかりの光が

(さしはじめた。ところで、あのいちぶんだけでは、げんだるむでーにっけのすいりけいろが)

差しはじめた。「ところで、あの一文だけでは、憲兵デーニッケの推理経路が

(いっこうにふめいだけれども、ぼくはそれにかいせきをこころみたのだ。)

いっこうに不明だけれども、僕はそれに解析を試みたのだ。

(したいをかこんだといわれるろうそくのかずは、そのじつごほんだったのだよ。しかも、したいに)

死体を囲んだと云われる蝋燭の数は、その実五本だったのだよ。しかも、死体に

(じゅうじをきらせるためには、それでしたいをかこまずに、そぎだけのようにかたがわのろうを)

十字を切らせるためには、それで死体を囲まずに、削ぎ竹のように片側の蝋を

(そいだたけのみじかいよんほんをまわりにならべて、そのちゅうおうに、ぜんちょうのなかばほどのろうを)

削いだ丈の短い四本を周囲に並べて、その中央に、全長の半ばほどの蝋を

(とりのぞいてながいしんだけにしたいっぽんをおき、それをかこませなければならなかった。)

取り除いて長い芯だけにした一本を置き、それを囲ませなければならなかった。

(なぜなら、かざみのよんほんのてのむきをたがいちがいにしたばあいに、どういうげんしょうが)

何故なら、風鶏計の四本の手の向きを互い違いにした場合に、どういう現象が

(おこるか。つまりこのばあいは、ななめにそいだぶんのがわを、たがいちがいのむきにして)

起るか。つまりこの場合は、斜めに削いだ分の側を、互い違いの向きにして

(ならべたので、ひがてんぜられると、ねっせられたろうのじょうきがけいしゃをつたわってななめに)

列べたので、火が点ぜられると、熱せられた蝋の蒸気が傾斜を伝わって斜めに

(ふきあげる。したがって、それぞれにそいだむきがことなっているので、)

吹き上げる。したがって、それぞれに削いだ向きが異なっているので、

(そのじょうほうに、であぼろけいのきりゅうをおこさせるのだ。それが、ちゅうおうのながいしんを)

その上方に、デアボロ形の気流を起させるのだ。それが、中央の長い芯を

(かいてんさせて、そのひかりのえがくかげで、したいのてにじゅうじをきるようなさっかくを)

廻転させて、その光の描く影で、死体の手に十字を切るような錯覚を

(あらわしたのだよ。そうなって、しこうとそうもんのせいいんをついきゅうしてゆくと、ぜがひにも)

現わしたのだよ。そうなって、屍光と創紋の生因を追求してゆくと、是が非にも

(ぼくらはしんいしんもんかいまでさかのぼっていかねばならぬようなきがしてくる。ぼへみあの)

僕等は神意審問会まで遡って行かねばならぬような気がしてくる。ボヘミアの

(けーにひぐれーつでともされたろうそくのなかに、あるいは、だんねべるぐふじんのみに)

ケーニヒグレーツで点された蝋燭の中に、あるいは、ダンネベルグ夫人のみに

(あらわれた、さんてつのげんえいがひめられているのじゃあるまいかね。ねえはぜくらくん、)

現われた、算哲の幻影が秘められているのじゃあるまいかね。ねえ支倉君、

(ぐうぜんのなかからは、おうおうにすうがくてきなものがとびだしてくるものだよ。なぜなら、)

偶然の中からは、往々に数学的なものが飛び出してくるものだよ。何故なら、

(がんらいこんすたんとというものは、つねにさいしょのしゅっぱつてんけいしきはかていであり、しかるあとに、)

元来恒数と云うものは、常に最初の出発点形式は仮定であり、しかる後に、

(じょうじゅうふへんのいんふぁくたーをけっていするのだからね とのりみずのかおに、いったんは)

常住不変の因数を決定するのだからね」と法水の顔に、いったんは

(こんらんしたようなあんえいがあらわれたけれども、かれはさらにごをついで、しこうにかんして)

混乱したような暗影が現われたけれども、彼はさらに語を次いで、屍光に関して

(ちりてきにもきみょうなあんごうがあるのをあきらかにした。しかし、そういうかくぜつした)

地理的にも奇妙な暗合があるのを明らかにした。しかし、そういう隔絶した

(たいしょうは、けっかにおいてふんらんをじょちょうするものにすぎなかったのである。)

対照は、結果において紛乱を助長するものにすぎなかったのである。

(つぎにぼくは、かとりっくせいそうにかんするしこうげんしょうにちゅうもくしたのだ。ところが、)

「次に僕は、カトリック聖僧に関する屍光現象に注目したのだ。ところが、

(あヴりのの せんとそうきせきしゅう をよむと、しんきゅうりょうきょうとのかっとうがもっともはなはだしかった)

アヴリノの『聖僧奇蹟集』を読むと、新旧両教徒の葛藤が最もはなはだしかった

(1625ねんから30ねんまでのごねんほどのあいだに、しぇーんべるぐ)

一六二五年から三〇年までの五年ほどの間に、シェーンベルグ

(もらヴぃありょう のどいヴぁてる、ついたう ぷろしあ のぐろごう、)

(モラヴィア領)のドイヴァテル、ツイタウ(プロシア)のグロゴウ、

(ふらいしゅたっと たかべあうすとりあ のあるのるでぃん、ぷらうえん)

フライシュタット(高部アウストリア)のアルノルディン、プラウエン

(さきそにーりょう のむすこヴぃてす とつごうよにんが、しごににくたいからはっこうした)

(サキソニー領)のムスコヴィテス――と都合四人が、死後に肉体から発光した

(というきろくをのこしている。そこにくましろくん、ぐうぜんにしてはとうていかいしきれない)

という記録を残している。そこに熊城君、偶然にしてはとうてい解しきれない

(ふごうがあるのだよ。なぜなら、そのよっつのちてんをつらねたものが、ほぼせいかくな)

符合があるのだよ。何故なら、その四つの地点を連ねたものが、ほぼ正確な

(くけいになって、それがけーにひぐれーつじけんをおこした、ぼへみありょうを)

矩形になって、それがケーニヒグレーツ事件を起した、ボヘミア領を

(とりかこんでいるからなんだ。ああ、そのすからーはなんだろうか。ぼくは、しゃべれば)

取り囲んでいるからなんだ。ああ、その実数はなんだろうか。僕は、喋れば

(しゃべるほどわからなくなってくるのだが、しかし、したいをてらすというゆだやじんの)

喋るほど判らなくなってくるのだが、しかし、死体を照らすという猶太人の

(ふうしゅうだけは、それを、はんにんのめいしんてきひょうしょうとすることができるだろうと)

風習だけは、それを、犯人の迷信的表象とすることが出来るだろうと

(おもうのだがね とのりみずはてんじょうをふりあおいで、いかにもよわよわしいたんそくを)

思うのだがね」と法水は天井を振り仰いで、いかにも弱々しい嘆息を

(はっするのだった。しかし、それをきいて、けんじのきぼうがまったく)

発するのだった。しかし、それを聴いて、検事の希望がまったく

(たたれてしまった。かれはくちもとがゆがむほどのれいしょうをたたえて、はいごのしょかから、)

絶たれてしまった。彼は口元が歪むほどの冷笑を湛えて、背後の書架から、

(うぉるたー・はーと うえすとみんすたーじいんのそう の)

ウォルター・ハート(ウエストミンスター寺院の僧)の

(ぐすたふす・あどるふす をとりだした。そして、ぱらぱらとぺーじを)

「グスタフス・アドルフス」を取り出した。そして、パラパラと頁を

(くっているうちに、なにやらはっけんしたとみえて、ひらいたところをのりみずにむけ、)

繰っているうちに、何やら発見したと見えて、開いた個所を法水に向け、

(そのうわべにしとうをおとした。じつに、のりみずのきょうてきさんさくをふうしした、けんじのつうれつな)

その上辺に指頭を落した。実に、法水の狂的散策を諷刺した、検事の痛烈な

(ひにくだったのである。 わいまーるこうういるへるむのれつあくなへいしつは、)

皮肉だったのである。(ワイマール侯ウイルヘルムの劣悪な兵質は、

(あるんはいむとのきょうそうにやぶれて、おうのしえんをちえんせり。しかも、)

アルンハイムとの競争に敗れて、王の支援を遅延せり。しかも、

(のいえんほーえんのじょうないにて、そのことをいたくひなんされしも、ういるへるむこうは)

ノイエンホーエンの城内にて、その事をいたく非難されしも、ウイルヘルム侯は

(かおいろさえもかえず しかも、それのみではあきたらずに、けんじは)

顔色さえも変えず)しかも、それのみでは飽き足らずに、検事は

(しつようなたいどでどくづいた。)

執拗な態度で毒吐いた。

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