黒死館事件64

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小栗虫太郎の作品です。
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(ああ、かなしむべきびぶりおぐらふぃーよ じゃないか、まさに、きみとくゆうの) 「ああ、悲しむべき書目よ――じゃないか、まさに、君特有の (しょさいてきさくらんなんだろうがね。むろんあのきょうたんすべきげんしょうにたいしては、) 書斎的錯乱なんだろうがね。無論あの驚嘆すべき現象に対しては、 (じぎにすぎんよ。どうして、しんおうどころのはなしか、てんでゆうぎてきなさんさくともいえる) 児戯にすぎんよ。どうして、深奥どころの話か、てんで遊戯的な散策とも云える (かちはあるまい。ところできみが、もしかりりよんしつのばめんに、せいかくなとがきが) 価値はあるまい。ところで君が、もし鐘鳴器室の場面に、精確なト書が (つけられないようだったら、もうこれいじょうれくちゅあはやめにしてもらおう) つけられないようだったら、もうこれ以上講演はやめにしてもらおう」 (ところがねえはぜくらくん とのりみずは、あいてのれいしょうをしずかにほほえみかえしていった。) 「ところがねえ支倉君」と法水は、相手の冷笑を静かに微笑み返して云った。 (どうしてはんにんがゆだやじんでなければ、あのときのぶこにふれきしびりたす・つぇれあをおこさせることが) 「どうして犯人が猶太人でなければ、あの時伸子に蝋質撓拗症を起させることが (できただろうか。あるしゅんかんにのぶこは、まるでちょうぞうのように、) 出来ただろうか。ある瞬間に伸子は、まるで彫像のように、 (こうちょくしてしまったのだよ。したがって、あのかいてんいすのいちは、そうなればむろん) 硬直してしまったのだよ。したがって、あの廻転椅子の位置は、そうなれば無論 (もんだいではないのだ) 問題ではないのだ」 (いっしゅのこうちょくしょう。このほっさは、とつぜんいしきをうばいかんじゃのぜんしんをこうちょくさせ、) (註)一種の硬直症。この発作は、突然意識を奪い患者の全身を硬直させ、 (それじしんのいしによるずいいうんどうをまったくふかのうにする。しかし、ほかからの) それ自身の意志による随意運動をまったく不可能にする。しかし、他からの (うんどうにはぜんぜんむていこうで、まるで、じゅうなんなろうがごむのにんぎょうのように、てあしは) 運動には全然無抵抗で、まるで、柔軟な蝋が護謨の人形のように、手足は (そのうごかされたところのいちに、いつまでもていししている。それが、ふれきしびりたす・つぇれあという) その動かされた所の位置に、いつまでも停止している。それが、蝋質撓拗という (きょうみあるびょうめいをふされたゆえんである。) 興味ある病名を附された由縁である。 (ふれきしびりたす・つぇれあ!?それにはさしものけんじも、はげしくてーぶるをゆすってさけばざるを) 「蝋質撓拗症!?」それにはさしもの検事も、激しく卓子を揺って叫ばざるを (えなくなった。ばかな、きみのきべんも、どはずれるとこっけいになる。のりみずくん、あれは) 得なくなった。「莫迦な、君の詭弁も、度外と滑稽になる。法水君、あれは (きびょうちゅうのきびょうなんだぜ もちろん、ぶんけんだけのきびょうにはちがいないがね) 稀病中の稀病なんだぜ」「勿論、文献だけの稀病には違いないがね」 (といったんはこうていしたが、のりみずのこえには、ちょうろうするようなひびきがこもっていて、) といったんは肯定したが、法水の声には、嘲弄するような響が罩もっていて、 (けれども、そういうめずらしいしんけいのはいれつを、かりにもし、じんいてきに) 「けれども、そういう稀らしい神経の排列を、仮りにもし、人為的に
など
(つくれるとしたら、どうなんだい。ところできみは、きんしきそうしつというでゅしぇんぬが) 作れるとしたら、どうなんだい。ところで君は、筋識喪失というデュシェンヌが (つくったじゅつごをしっているだろうか。ひすてりーかんじゃのほっさちゅうにまぶたをとじさせると) 創った術語を知っているだろうか。ヒステリー患者の発作中に瞼を閉じさせると (ちょうどふれきしびりたす・つぇれあそっくりで、ぜんしんにこうちょくじょうたいがおこるんだぜ。つまり、) ちょうど蝋質撓拗性そっくりで、全身に硬直状態が起るんだぜ。つまり、 (じゅうとくゆうのあるふうしゅうをのぞいたら、そのびょうりてきさーかすをえんじさせることが) 猶太人特有の或る風習を除いたら、その病理的曲芸を演じさせることが (ふかのうだというのだ とおどろくべきだんていをくだした。くましろはそれまでもくもくとたばこを) 不可能だと云うのだ」と驚くべき断定を下した。熊城はそれまで黙々と莨を (くゆらしていたが、ふいにかおをあげて、ああ、のぶことひすてりーか・・・・・・。) 喫らしていたが、不意に顔を上げて、「ああ、伸子とヒステリーか……。 (なるほど、きみのとうしがんもそうとうなものさ。ただしもんだいを、てんきょういんでなしにほかのほうへ) なるほど、君の透視眼も相当なものさ。ただし問題を、癲狂院でなしに他の方へ (てんじてもらおう とかれににげないあじのあることばをはいた。それにのりみずは、) 転じてもらおう」と彼に似げない味のある言葉を吐いた。それに法水は、 (おもいもつかなかったびょうりかいぼうをこくしかんのたてものにこころみて、あくまでそのかのうせいを) 思いもつかなかった病理解剖を黒死館の建物に試みて、あくまでその可能性を (きょうちょうするのだった。おやおやくましろくん、ぼくのほうこそ、このじけんがこくしかんでおこった) 強調するのだった。「オヤオヤ熊城君、僕の方こそ、この事件が黒死館で起った (できごとだということに、ちゅういしてもらいたいんだよ。だいたいはんざいというものは、) 出来事だという事に、注意してもらいたいんだよ。だいたい犯罪と云うものは、 (どうきからのみはっするものではない。ことに、ちてきさつじんはんざいは、ゆがんだないかんから) 動機からのみ発するものではない。ことに、智的殺人犯罪は、歪んだ内観から (うごかされるばあいがおおいのだ。むろんそうなると、いっしゅさでぃすむすのけいしきだが・・・・・・) 動かされる場合が多いのだ。無論そうなると、一種淫虐性の形式だが…… (おうおうかんじょういがいにも、なにかのかんかくてきさっかくからかいほうされず、しかも、たえずよくあつを) 往々感情以外にも、何かの感覚的錯覚から解放されず、しかも、絶えず抑圧を (つづけられるばあいにはっするためしがあるのだ。ちょうどこくしかんのじょうさいめいたいんうつな) 続けられる場合に発する例しがあるのだ。ちょうど黒死館の城砦めいた陰鬱な (たてものに、ぼくはそういう、ひどうとくてきな むしろあくまてきなせいのうを、すこぶるほうふに) 建物に、僕はそういう、非道徳的な――むしろ悪魔的な性能を、すこぶる豊富に (みとめることができるのだよ。ところで、そのげんしゅくなかおをしたいたずらものが、だいたい) 認めることが出来るのだよ。ところで、その厳粛な顔をした悪戯者が、だいたい (どういうぐあいににんげんしんけいのはいれつをへんけいさせてゆくものだろうか、ここにちょうど) どういう具合に人間神経の排列を変形させてゆくものだろうか、ここにちょうど (かっこうなれいがあるのだがね と、そのききょうなすいろんから、どくだんにみえるころもを) 恰好な例があるのだがね」と、その奇矯な推論から、独断に見える衣を (ぬがせようとして、かれはまずれいしょうをあげた。これはこんせいきのはじめ、) 脱がせようとして、彼はまず例証を挙げた。「これは今世紀の初め、 (げっちんげんにおこったできごとなんだが、おっと・ぶれーめるという、いかにも) ゲッチンゲンに起った出来事なんだが、オット・ブレーメルという、いかにも (うえすとふぁりあじんらしいせんしぶるなしょうねんが、どうちにあるどみにくそうだんの) ウエストファリア人らしい鋭感的な少年が、同地にあるドミニク僧団の (ふぞくがくえんににゅうがくしたのだ。ところが、そのぼねーべしきのきょうかんがひくくたれ、くらく) 附属学園に入学したのだ。ところが、そのボネーベ式の拱貫が低く垂れ、暗く (おしせまるようなたてものが、たちまちはかきのぜいじゃくなしんけいをむしばんでいったのだ。) 圧し迫るような建物が、たちまち破瓜期の脆弱な神経を蝕んでいったのだ。 (さいしょは、たてもののないがいにこうどのさがはなはだしいことが、かれにときとして、) 最初は、建物の内外に光度の差がはなはだしいことが、彼に時として、 (ぐうぜんにしてはあまりにふしぎなざんぞうをみせるばあいがあった。そして、あげくに) 偶然にしてはあまりに不思議な残像を見せる場合があった。そして、あげくに (げんちょうをきくほどのしょうじょうになったというのは、かれのへやのそうがいがてつどうせんろであって、) 幻聴を聴くほどの症状になったと云うのは、彼の室の窓外が鉄道線路であって、 (そこをつうかするれっしゃのひびきが、たえずresend blehmel) そこを通過する列車の響が、絶えず Resend Blehmel (きちがいぶれーめるのい とくりかえすようにきかれたからだったのだ。) (気狂いブレーメルの意)と繰り返すように聴かれたからだったのだ。 (しかしてておやがむすこのびょうじょうにおどろいてじたくへひきとったので、そこでぶれーめるの) しかし父親が息子の病状に驚いて自宅へ引き取ったので、そこでブレーメルの (せいしんじょうたいが、からくもほうかいをまぬかれたのだ。それがまた、きせきにひとしいのだよ。) 精神状態が、からくも崩壊を免れたのだ。それがまた、奇蹟に等しいのだよ。 (きしゅくしゃをでてしまうとどうじに、かれにはげんしもげんちょうもあらわれなくなり、まもなく) 寄宿舎を出てしまうと同時に、彼には幻視も幻聴も現われなくなり、間もなく (すこやかなせいしゅんをとりもどすことができたのだからね。ねえくましろくん、きみは) 健やかな青春を取り戻すことが出来たのだからね。ねえ熊城君、君は (けいほうかじゃないのだから、あるいはしらないかもしれないが、けいむしょの) 刑法家じゃないのだから、あるいは知らないかもしれないが、刑務所の (けんちくようしきによっては、こうきんせいせいしんびょうがぞくしゅつするのも、また、それがかいむなのも) 建築様式によっては、拘禁性精神病が続出するのも、また、それが皆無なのも (あるそうだよ のりみずは、そこであたらしいたばこをとりだしてひといきいれたが、) あるそうだよ」法水は、そこで新しい莨を取り出して一息入れたが、 (いぜんちしきのたかとうをさらずに、つづいて、よりもつうれつないんれいにはいった。) 依然知識の高塔を去らずに、続いて、よりも痛烈な引例に入った。 (じだいはじゅうろくせいきのちゅうようふぇりぺにせいちょうだが、このひとつは、さでぃすてぃっしゅな) 「時代は十六世紀の中葉フェリペ二世朝だが、この一つは、淫虐的な (しけつへきの、むしろいれいてきひょうほんとでもいうものなんだ。すぺいんせヴぃりあの) 嗜血癖の、むしろ異例的標本とでも云うものなんだ。西班牙セヴィリアの (しゅうきょうさいばんじょに、きゅうもんかんほのふぉすころというわかいきゃのんがいたのだ。ところが、かれの) 宗教裁判所に、糺問官補のフォスコロという若い僧がいたのだ。ところが、彼の (きゅうもんほうがすこぶるにぶいばかりでなく、ばんせいせつにおこなわれるあうと・で・ふぇにも) 糺問法がすこぶる鈍いばかりでなく、万聖節に行われる異端焚殺行にも (きょうふをおぼえるというしまつなので、やむなくしゅうきょうさいばんふくちょうのえすぴのざは、かれを) 恐怖を覚えるという始末なので、やむなく宗教裁判副長のエスピノザは、彼を (せいちさんとにあのしょうえんにおくりかえしてしまったのだ。ところが、それから) 生地サントニアの荘園に送り還してしまったのだ。ところが、それから (いち、にかげつごに、えすぴのざはこういうふぉすころのしょかんをうけとったのだが、) 一、二ヶ月後に、エスピノザはこういうフォスコロの書翰を受取ったのだが、 (どうふうのしへんにえがかれたまっつおらた ちぬうせいたりーでかーにばるきにおける) 同封の紙片に描かれたマッツオラタ(中世伊太利でカーニバル季における (もっともけものてきなけいばつ のきかいかをみて、おもわずいっきょうをきっしてしまった。) 最も獣的な刑罰)の器械化を見て、思わず一驚を喫してしまった。 (せヴぃりあのこうけいじょには、じゅうじかとごうもんのけいぐとそうへいりつせり。されど、) ――セヴィリアの公刑所には、十字架と拷問の刑具と相併立せり。されど、 (かみもしじごくのいんかをともし、えいえんかぎりなくそれをかがやかさんとほっせんには、) 神もし地獄の陰火を点し、永遠限りなくそれを輝かさんと欲せんには、 (まずこうけいじょのたてものより、さらせんしきのたけたかきあーちをおうにあらん。われ、さんとにあに) まず公刑所の建物より、回教式の丈高き拱格を逐うにあらん。吾、サントニアに (きたりてより、むかしごーてぃあびとののこせしくらきこしょうにすむ。じつに、そのそうはとくしゅの) 来りてより、昔ゴーティア人の残せし暗き古荘に棲む。実に、その荘は特種の (せいしつをゆうせり。すなわちそれじしんがすでに、にんげんしょしゅのくのうをじゅくりょしたるしそうを) 性質を有せり。すなわちそれ自身がすでに、人間諸種の苦悩を熟慮したる思想を (あらわすものにして、われそこにおいてしゅじゅのこっけいをけつごうしあるいはひかくして、) 現わすものにして、吾そこにおいて種々の酷刑を結合しあるいは比較して、 (ついにそのじゅつにおいてかんぜんなるぎしとなれり と。ねえくましろくん、こういうせいさんな) 終にその術において完全なる技師となれり――と。ねえ熊城君、こういう凄惨な (せりふは、そもそもなにがかたらせたのだろうか。どうしてふぉすころのしけつへきが、) 独白は、そもそも何が語らせたのだろうか。どうしてフォスコロの嗜血癖が、 (ざんにんなごうもんけいぐのせいれつりではおこらずに、うつくしいびすかよわんのしぜんのなかで) 残忍な拷問刑具の整列裡では起らずに、美しいビスカヨ湾の自然のなかで (うまれたのだろうか。そのせヴぃりあしゅうきょうさいばんじょとさんとにあそうとのけんちくようしきの) 生れたのだろうか。そのセヴィリア宗教裁判所とサントニア荘との建築様式の (さを、このじけんでもけっしてみすごしてはならんと、ぼくはだんげんしたいのだよ) 差を、この事件でもけっして看過してはならんと、僕は断言したいのだよ」 (とそこでかれはげきえつなちょうしをおさめた。そして、いじょうふたつのれいをこくしかんのじっさいに) とそこで彼は激越な調子を収めた。そして、以上二つの例を黒死館の実際に (ふごうさせて、そのようしきのなかにひそんでいるおそろしいまりょくをせんめいしようとこころみた。) 符合させて、その様式の中に潜んでいる恐ろしい魔力を闡明しようと試みた。
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