黒死館事件65
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問題文
(げんにぼくは、じじついちどしかいかない、しかもあのあんたんたるてんこうのおりでさえも、)
「現に僕は、事実一度しか行かない、しかもあの暗澹たる天候の折でさえも、
(こくしかんのけんちくようしきに、さまざまじょうたいではないげんしょうがあらわれるのに)
黒死館の建築様式に、様々常態ではない現象が現われるのに
(きがついているのだ。もちろん、そういうかんかくてきさっかくには、とうていほそくしえない)
気がついているのだ。勿論、そういう感覚的錯覚には、とうてい捕捉し得ない
(ふしぎなちからがある。つまり、それからたえずかいほうされないことが、)
不思議な力がある。つまり、それから絶えず解放されないことが、
(けっきょくびょうりてきこせいをうむにいたるのだよ。だからくましろくん、いっそぼくはきょくげんしよう。)
結局病理的個性を生むに至るのだよ。だから熊城君、いっそ僕は極言しよう。
(こくしかんのひとびとは、おそらくそのていどこそちがうだろうが、げんみつないみで)
黒死館の人々は、恐らくその程度こそ違うだろうが、厳密な意味で
(しんりてきしんけいびょうしゃたらざるはない と だれしもにんげんせいしんのどこかのすみずみには、)
心理的神経病者たらざるはない――と」誰しも人間精神のどこかの隅々には、
(かならずけいちょうこそあれ、しんけいびょうてきなものがひそんでいるにそういない。それをてっけつし)
必ず軽重こそあれ、神経病的なものが潜んでいるに相違ない。それを剔抉し
(はんざいげんしょうのしょうてんめんへはいれつするところに、のりみずのそうさほうはむひなものがあった。)
犯罪現象の焦点面へ排列するところに、法水の捜査法は無比なものがあった。
(けれども、このばあい、のぶこのひすてりーせいほっさとゆだやがたのはんざいとは、)
けれども、この場合、伸子のヒステリー性発作と猶太型の犯罪とは、
(とうていいっちしえべからざるほどにかくぜつしたものではないか。)
とうてい一致し得べからざるほどに隔絶したものではないか。
(しかるにわるどしゅたいんのさよくは、おうのうよくよりもはるかにさんかいしいたれば、)
(しかるにワルドシュタインの左翼は、王の右翼よりも遙かに散開しいたれば、
(おうういるへるむこうにめいじてせんれつをととのわしむ。そのとき、こうはふたたびかしつをえんじて、)
王ウイルヘルム侯に命じて戦列を整わしむ。その時、侯は再び過失を演じて、
(かのうほうのしようをおくらしめたり)
加農砲の使用を遅らしめたり)
(けんじは、あいかわらずのりみずをどんじゅうういるへるむこうにぎして、もくもくたるひにくを)
検事は、相変らず法水を鈍重ウイルヘルム侯に擬して、黙々たる皮肉を
(つづけていたが、くましろはたまらなくなったようにくちをひらいた。とにかく、)
続けていたが、熊城はたまらなくなったように口を開いた。「とにかく、
(ろすちゃいるどでもろーぜんふぇるとでもいいから、そのゆだやじんのかおというのを)
ロスチャイルドでもローゼンフェルトでもいいから、その猶太人の顔というのを
(おがませてもらおう。それにきみは、のぶこのほっさをぐうぜんのじこに)
拝ませてもらおう。それに君は、伸子の発作を偶然の事故に
(きしてしまうつもりじゃないんだろうね じょうだんじゃない。それならのぶこは、)
帰してしまうつもりじゃないんだろうね」「冗談じゃない。それなら伸子は、
(なぜあさのあんせむをあのときくりかえしてひいたのだろう とのりみずはごきをつよめて)
何故朝の讃詠をあの時繰り返して弾いたのだろう」と法水は語気を強めて
(はんばくした。いいかねくましろくん、あのおんなは、ひじょうにたいりょくをようするかりりよんで、)
反駁した。「いいかね熊城君、あの女は、非常に体力を要する鐘鳴器で、
(もてっとをさんかいくりかえしてひいたのだ。そうなると、もっそうの でぃ・えるみゅどぅんぐ を)
経文歌を三回繰り返して弾いたのだ。そうなると、モッソウの『疲労』を
(ひきださなくても、しんけいびょうほっさやさいみんゆうじには、すこぶるつきの)
引き出さなくても、神経病発作や催眠誘示には、すこぶるつきの
(こうじょうけんになってしまう。そこに、あのおんなをもうろうじょうたいにさそいこんだものが)
好条件になってしまう。そこに、あの女を朦朧状態に誘い込んだものが
(あったのだよ ではなんというばけものだい。だいたいしょうろうのてんきぼには、)
あったのだよ」「ではなんという化物だい。だいたい鐘楼の点鬼簿には、
(にんげんのもうじゃのなが、ひとりもしるされていないのだからね ばけものどころか、)
人間の亡者の名が、一人も記されていないのだからね」「化物どころか、
(もちろんにんげんでもない。それが、かりりよんのけんばんなんだよ のりみずはちかっとそうしょくおんを)
勿論人間でもない。それが、鐘鳴器の鍵盤なんだよ」法水はチカッと装飾音を
(きかせて、そこでもふたりのいひょうがいにでた。ところで、これはひとつの)
聴かせて、そこでも二人の意表外に出た。「ところで、これは一つの
(さくしげんしょうなんだが、たとえばいちまいのかみにたんざくがたのたてあなをあけて、そのはいごで)
錯視現象なんだが、例えば一枚の紙に短冊形の縦孔を開けて、その背後で
(まるくきったかみをうごかしてみたまえ。そのえんがはげしくうごくにつれ、しだいとだえんに)
円く切った紙を動かして見給え。その円が激しく動くにつれ、しだいと楕円に
(かしてゆく、ちょうどそれとおなじげんしょうが、じょうげにだんのきいにあらわれたのだ。)
化してゆく、ちょうどそれと同じ現象が、上下二段の鍵盤に現われたのだ。
(ところでここに、ひんぱんにつかうげだんのきいがあったとしよう。そうすると、)
ところでここに、頻繁に使う下段の鍵があったとしよう。そうすると、
(そのたえずじょうげするきいを、じょうだんのうごかないきいのあいだからみつめていると、そのげだんの)
その絶えず上下する鍵を、上段の動かない鍵の間から瞶めていると、その下段の
(きいのりょうたんが、じょうだんのきいのかげにぼっしていくほうのがわにゆがんでいって、それが、)
鍵の両端が、上段の鍵の蔭に没していく方の側に歪んでいって、それが、
(しだいにほそくなっていくようにみえるのだ。つまり、そういうえんかんてきなさくしが)
しだいに細くなっていくように見えるのだ。つまり、そういう遠感的な錯視が
(おこると、それまでひろうによってややもうろうとしかけていたせいしんが、いちずに)
起ると、それまで疲労によってやや朦朧としかけていた精神が、一途に
(とけこんでゆく。もちろん、それによってこゆうのほっさがおこされるのだ。)
溶け込んでゆく。勿論、それによって固有の発作が起されるのだ。
(だからくましろくん、ぼくにきょくげんさせてもらえるなら、あのときのぶこにさんかいのくりかえしを)
だから熊城君、僕に極言させてもらえるなら、あの時伸子に三回の繰り返しを
(めいじた、そのじんぶつがあきらかになれば、とりもなおさずはんにんにしてきされるのだよ)
命じた、その人物が明らかになれば、とりもなおさず犯人に指摘されるのだよ」
(だが、きみのりろんはけっしてしんおうじゃない くましろはここぞときびしくつっこんだ。)
「だが、君の理論はけっして深奥じゃない」熊城はここぞと厳しく突っ込んだ。
(だいたいそのときのぶこのまぶたをおろさせたのは?ぜんしんをふれきしびりたす・つぇれあみたいな、)
「だいたいその時伸子の瞼を下させたのは?全身を蝋質撓拗性みたいな、
(ろうにんぎょうのようにしてしまったどうていがせつめいされていない)
蝋人形のようにしてしまった道程が説明されていない」
(のりみずはおおふうなびしょうをうかべて、あいてのどくそうりょくのけつぼうをあわれんでいるかのごとく)
法水は大風な微笑を泛べて、相手の独創力の欠乏を憫んでいるかのごとく
(みえたが、すぐたくじょうのしへんに、じょうずをえがいてせつめいをはじめた。これが、)
見えたが、すぐ卓上の紙片に、上図を描いて説明を始めた。「これが、
(きゃっと・ぽー・のっとという、ゆだやじんはんざいしゃとくゆうのむすびかたなんだよ。そこでくましろくん、)
猫の前肢と云う、猶太人犯罪者特有の結び方なんだよ。そこで熊城君、
(このむすびかたひとつに、かいてんいすにむじゅんをあらわしたきんしきそうしつ)
この結び方一つに、廻転椅子に矛盾を現わした筋識喪失――
(あのふれきしびりたす・つぇれあににたじょうたいをつくりだしたものがあったのだ。みたとおりかほうの)
あの蝋質撓拗性に似た状態を作り出したものがあったのだ。見たとおり下方の
(ひもをひっぱると、むすびめがしだいにくだっていく。けれども、むすびめに)
紐を引っ張ると、結び目がしだいに下っていく。けれども、結び目に
(はさまっているぶったいがはずれると、ひもはぴいんとほどけていっぽんになってしまうのだ。)
挾まっている物体が外れると、紐はピインと解けて一本になってしまうのだ。
(だからはんにんは、あらかじめそのきいのしようすうとさいしょむすびつけるたかさをそくていしておいてから)
だから犯人は、予めその鍵の使用数と最初結び付ける高さを測定しておいてから
(そのきいとかねをうつだぼうとをつないでいるひものじょうほうに、よろいどおしのたばを)
その鍵と鐘を打つ打棒とを繋いでいる紐の上方に、鎧通しの束を
(むすびつけておいたのだ。そうすると、えんそうがしんこうするにつれて、よろいどおしを)
結び付けておいたのだ。そうすると、演奏が進行するにつれて、鎧通しを
(かいてんさせながら、むすびめがしだいにしたのほうへふっていく。そして、のぶこが)
廻転させながら、結び目がしだいに下の方へ降っていく。そして、伸子が
(もうろうじょうたいでえんそうしている ちょうどあんせむのにかいめあたりで、かのじょのがんぜんを、)
朦朧状態で演奏している――ちょうど讃詠の二回目あたりで、彼女の眼前を、
(まるでみずげいのこよりみずみたいに、やいばのひかりがひらめききえながら、よこになりたてになりして)
まるで水芸の紙撚水みたいに、刃の光が閃き消えながら、横になり縦になりして
(よろいどおしがかこうしていったのだ。つまり、めいめつするひかりですいちょくにまぶたをなでおろす。)
鎧通しが下降していったのだ。つまり、明滅する光で垂直に瞼を撫で下す。
(それをものいでじーれんといって、さいみんちゅうのふじんにしめもくさせる、りえじょあの)
それを眩惑操作と云って、催眠中の婦人に閉目させる、リエジョアの
(しゅほうなんだよ。だから、まぶたがとじられるとどうじに、ふれきしびりたす・つぇれあそっくりにきんしきを)
手法なんだよ。だから、瞼が閉じられると同時に、蝋質撓拗性そっくりに筋識を
(うしなったからだが、たちまちじゅうしんをうしなって、そのばさらずそぞうのようにはいごに)
喪った身体が、たちまち重心を失って、その場去らず塑像のように背後に
(たおれたのだ。そして、そのはずみに、きいとひもをうらがわからけったので、よろいどおしが)
倒れたのだ。そして、その機みに、鍵と紐を裏側から蹴ったので、鎧通しが
(むすびめからとびだしてゆかのうえにおちたのだよ。もちろんのぶこは、ほっさが)
結び目から飛び出して床の上に落ちたのだよ。勿論伸子は、発作が
(しずまるとどうじに、ふかいこんすいにおちていったのだがね とけんじのどくどくしいけいべつを)
鎮まると同時に、深い昏睡に落ちていったのだがね」と検事の毒々しい軽蔑を
(みかえしたが、のりみずはいきなりひつうなひょうじょうをうかべて、だがしかしだ。のぶこはどうして)
見返したが、法水は突然悲痛な表情を泛べて、「だがしかしだ。伸子はどうして
(あのよろいどおしをにぎったのだろうか。また、あのききょうへんたいのきょくちともいうばいおんえんそうが)
あの鎧通しを握ったのだろうか。また、あの奇矯変態の極致ともいう倍音演奏が
(なぜにおこされたものだろうか。ああいうそうぞうのげんがいには、まだゆびいっぽんさえ)
何故に起されたものだろうか。ああいう想像の限外には、まだ指一本さえ
(ふれることができないのだ といったんはよわよわしげなたんそくをはっしたけれども、)
触れることが出来ないのだ」といったんは弱々しげな嘆息を発したけれども、
(そのこんぱいげなひょうじょうがみたびかわって、ついにかれはさっそうたるがいかをあげた。)
その困憊げな表情が三たび変って、終に彼は颯爽たる凱歌を上げた。