黒死館事件91

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(ところであなたは、えーてるやほうすいくろらーるすいようえきに、ていおんせいがあるのを)

「ところで貴方は、エーテルや抱水クロラール水溶液に、低温性があるのを

(くわしくいうと、そのふれているめんのおんどをうばってしまうのをごぞんじでしょうか。)

詳しく云うと、その触れている面の温度を奪ってしまうのを御存じでしょうか。

(つまりこのばあいは、つるをよってあるびくすくらえのせんいひもさんぼんのうちで、)

つまりこの場合は、弦を撚ってあるビクスクラエの繊維紐三本のうちで、

(そのうちのいっぽんに、ほうすいくろらーるをぬりあわしておくのです。ですから、そこへ)

そのうちの一本に、抱水クロラールを塗沫しておくのです。ですから、そこへ

(ふんせんからもうきがおくられたので、あのようかいしやすいますいざいがかんれいなろてきとなり、)

噴泉から濛気が送られたので、あの溶解し易い痲酔剤が寒冷な露滴となり、

(それが、ぬられたいっぽんをしだいにしゅうしゅくさせていったのでした。もちろん、そのちからが)

それが、塗られた一本をしだいに収縮させていったのでした。勿論、その力が

(しゃしゅのようになって、ゆみをしぼりはじめたことはいうまでもありません。すると、)

射手のようになって、弓を絞りはじめたことは云うまでもありません。すると、

(それにつれて、ほかのしゅうしゅくしないにほんとのよりめがほぐれてゆくので、)

それにつれて、他の収縮しない二本との撚り目がほぐれてゆくので、

(それがひろがるだけ、どのいちがさがってゆくわけでしょう。ですから、そうして)

それが拡がるだけ、弩の位置が下ってゆく訳でしょう。ですから、そうして

(らっかしてゆくごとに、よけいはんどうのつよいじょうほうのよりめがくぎからはずれるでしょうから)

落下してゆくごとに、余計反動の強い上方の撚り目が釘から外れるでしょうから

(そこで、どのじょうほうがひらき、またそれにつれて、どうぎのはっしゃはんどるのぶぶんも)

そこで、弩の上方が開き、またそれにつれて、胴木の発射把手の部分も

(よこだおしになるので、はんどるがくぎでおされ、やはそのままひらいたとおりのかくどで)

横倒しになるので、把手が釘で押され、箭はそのまま開いたとおりの角度で

(はっしゃされたのでしたよ。そして、はっしゃのはんどうで、ゆみはゆかのうえにおちたのですが、)

発射されたのでしたよ。そして、発射の反動で、弩は床の上に落ちたのですが、

(しゅうしゅくしたつるは、じょうはつしきるとどうじにもとどおりになったことはいうまでも)

収縮した弦は、蒸発しきると同時に旧どおりになったことは云うまでも

(しかしれヴぇずさん、がんらいそのとりっくのもくてきというのは、かならずしも、)

しかしレヴェズさん、元来その詭計の目的と云うのは、必ずしも、

(くりヴぉふふじんのいのちをうばうのにはなかったのです。ただたんに、あなたの)

クリヴォフ夫人の生命を奪うのにはなかったのです。ただ単に、貴方の

(ありばいをいっそうきょうこにすればいいのでしたからね そのあいだれヴぇずは、)

不在証明をいっそう強固にすればいいのでしたからね」その間レヴェズは、

(たらたらとあぶらあせをながし、やじゅうのようなちばしっためをして、のりみずのちょうこうぜつに)

タラタラと膏汗を流し、野獣のような血走った眼をして、法水の長広舌に

(じょうずるすきもあらばとねらっていたが、ついにそのせいぜんたるりろんに)

乗ずる隙もあらばと狙っていたが、ついにその整然たる理論に

(あっせられてしまった。しかし、そうしたぜつぼうがかれをかりたてて、れヴぇずは)

圧せられてしまった。しかし、そうした絶望が彼を駆り立てて、レヴェズは

など

(たちあがるとむねをこぶしでたたき、せいさんなぎょうそうをして、たけりはじめた。のりみずさん。)

立ち上ると胸を拳で叩き、凄惨な形相をして、哮りはじめた。「法水さん。

(このじけんのべーぜるがいすとというのは、とりもなおさずあんたのことだ。しかし、)

この事件の悪霊と云うのは、とりもなおさず貴方のことだ。しかし、

(ひとことことわっておくが、あんたはしたをうごかすまえに、まず まりえんばーとのあいか でも)

一言断っておくが、貴方は舌を動かす前に、まず『マリエンバートの哀歌』でも

(よまれることだな。いいかな、ここに、くおんのじょせいをもとめようとするひとりが)

読まれることだな。いいかな、ここに、久遠の女性を求めようとする一人が

(あったとしよう。しかし、そのせいしんのていかんてきなうつくしさには、やしんもはんこうもふんぬも)

あったとしよう。しかし、その精神の諦観的な美しさには、野心も反抗も憤怒も

(けっきも、いっさいが、せきをきったようにおしながされてしまうのだ。)

血気も、いっさいが、堰を切ったように押し流されてしまうのだ。

(ところがあんたは、それにざんきとしょばつとしかえがこうとしない。)

ところが貴方は、それに慚愧と処罰としか描こうとしない。

(いや、そればかりではないのです。あんたのひきいているしゅりょうのいったいが、)

いや、そればかりではないのです。貴方の率いている狩猟の一隊が、

(きょういまここで、やひなこくはくなほんしょうをあらわしたのだ。しかししゃしゅはたしか、えものは)

今日いまここで、野卑な酷薄な本性を現わしたのだ。しかし射手は確か、獲物は

(うごけず・・・・・・なるほど、しゅりょうですか・・・・・・。だがれヴぇずさん、あなたは)

動けず」「なるほど、狩猟ですか。だがレヴェズさん、貴方は

(こういうみによんをごぞんじでしょうか。 かのやまとくものかけじ、らばは)

こういうミニヨンを御存じでしょうか。かの山と雲の棧道、騾馬は

(きりのなかにみちをもとめ、いわあにはとしへしりゅうのたぐいすむ・・・・・・とのりみずがいじわるげなかたえみを)

霧の中に道を求め、窟には年経し竜の族棲む」と法水が意地悪げな片笑を

(うかべたとき、いりぐちのどあに、よかぜかともおもわれるかすかなきぬずれがさざめいた。)

泛べたとき、入口の扉に、夜風かとも思われる微かな衣摺がさざめいた。

(そして、しだいにろうかのかなたへ、うすれきえてゆくうたごえがあった。)

そして、しだいに廊下の彼方へ、薄れ消えてゆく唱声があった。

(かりのひとむれがやえいをはじめるとき)

狩猟の一隊が野営を始めるとき

(くもはさがり、きりはたにをうめて)

雲は下り、霧は谷を埋めて

(よるとゆうやみとひとときにいたる)

夜と夕闇と一ときに至る

(それは、まごうかたないせれなふじんのこえであった。しかし、みみにはいると、)

それは、擬うかたないセレナ夫人の声であった。しかし、耳に入ると、

(れヴぇずはそうしんしたように、ながいすへたおれかかったが、かれはかろうじて)

レヴェズは喪心したように、長椅子へ倒れかかったが、彼はかろうじて

(ふみとどまった。そしてあたまをぐいとそらして、はげしいこきゅうをしながら、あんたは、)

踏み止まった。そして頭をグイと反らして、激しい呼吸をしながら、「貴方は、

(なにかのちゃんすに、ひとりのぎせいをじょうけんに、かのじょをりょうかいさせたのですか。)

何かの機会に、一人の犠牲を条件に、彼女を了解させたのですか。

(もうわしには、このうえしゃくめいするきりょくもないのです。いっそ、ごえいを)

もう儂には、この上釈明する気力もないのです。いっそ、護衛を

(やめてもらおう。)

やめてもらおう。

(まい・ぶらっど・じゃっじ・ふぁべいど・まい・たんぐ・とぅ・すぴーく)

儂の血でこの裁きをしたらいつかその舌の根から聴くことがあるでしょうから」

(といじょうなけついをうかべて、あろうことか、ごえいをことわるのだった。そして、)

と異常な決意を泛べて、あろうことか、護衛を断るのだった。そして、

(いっさいのぶそうをといたらしんを、ふぁうすとはかせのまえにさらさせることを)

いっさいの武装を解いた裸身を、ファウスト博士の前に曝させることを

(ようきゅうした。それに、のりみずはまたひにくにも、おうだくのむねをかいとうして、へやをでた。)

要求した。それに、法水はまた皮肉にも、応諾の旨を回答して、室を出た。

(いつも、かれらがそこでさくをねり、またじんもんしつにあてているだんねべるぐのへやでは)

いつも、彼等がそこで策を練り、また訊問室に当てているダンネベルグの室では

(けんじとくましろがすでにやしょくをおわっていた。そのたくじょうには、うらにわのくつあとをぞうけいした)

検事と熊城がすでに夜食を終っていた。その卓上には、裏庭の靴跡を造型した

(ふたつのせっこうがたと、いっそくのおーヴぁしゅーずが、おかれてあった。そして、それが)

二つの石膏型と、一足の套靴が、置かれてあった。そして、それが

(れヴぇずのしょゆうひんで、ようやくうらかいだんしたの、おしいれからはっけんされたことが)

レヴェズの所有品で、ようやく裏階段下の、押入れから発見されたことが

(のべられた。がそのころには、おしがねはかせはきていしていて、しょくじがすむと、こんどは)

述べられた。がその頃には、押鐘博士は帰邸していて、食事が済むと、今度は

(かわりあって、のりみずがくちをひらいた。そして、れヴぇずとのたいけつてんまつを、)

代り合って、法水が口を開いた。そして、レヴェズとの対決顛末を、

(あかいばるべらしゅのさかずきをかさねながら、かたりおえると、なるほど、しかし・・・・・・と)

赤いバルベラ酒の盃を重ねながら、語り終えると、「なるほど、しかし」と

(いったんはうなずいたが、くましろはつよいひなんのいろをうかべていった。きみのでぃれったんでぃずむにも)

いったんは頷いたが、熊城は強い非難の色を泛べていった。「君の粋物主義にも

(あきれたものさ。いったいれヴぇずのしょちにためらっているのは、)

呆れたものさ。いったいレヴェズの処置に躊らっているのは、

(どうしたということなんだい。かんがえてもみたまえ。これまでどうきとはんざいげんしょうとが、)

どうしたということなんだい。考えても見給え。従来動機と犯罪現象とが、

(なんびとにもくいちがっていて、そのふたつをかねてしょうめいされたじんぶつといえば、)

何人にも喰い違っていて、その二つを兼ねて証明された人物と云えば、

(かつてひとりもなかったのだ。とにかく。じょきょくがすんだのなら、さっそくまくを)

かつて一人もなかったのだ。とにかく。序曲が済んだのなら、さっそく幕を

(あげることにしてもらおう。なるほど、きみがこのんでつかううたがっせんも、あるいみでは)

上げることにしてもらおう。なるほど、君が好んで使う唱合戦も、ある意味では

(とうすいかもしれないがね。しかし、そのぜんていにけつろんがひつようなことだけは、)

陶酔かもしれないがね。しかし、その前提に結論が必要なことだけは、

(わすれないでくれたまえ じょうだんじゃない。どうしてれヴぇずがはんにんなもんか)

忘れないでくれ給え」「冗談じゃない。どうしてレヴェズが犯人なもんか」

(とのりみずはおどけたみぶるいをして、ばくしょうをあげた。ああ、せいきじのりみず かれは)

と法水は道化た身振をして、爆笑を上げた。ああ、世紀児法水ーー彼は

(あのこくはくひげきに、こっけいなどうきへんてんをよういしていたのであろうか。けんじもくましろも、)

あの告白悲劇に、滑稽な動機変転を用意していたのであろうか。検事も熊城も、

(とたんにちょうろうされたことはさとったが、あれほどせいぜんたるじょうりをおもうと、かれのことばを)

とたんに嘲弄されたことは覚ったが、あれほど整然たる条理を思うと、彼の言を

(そのまましんずることはできなかった。つづいてのりみずは、そのまきぁヴぇりずむのほんしょうを)

そのまま信ずることは出来なかった。続いて法水は、その詭弁主義の本性を

(ばくろするとどうじに、こんごれヴぇずにかした、ふしぎなやくわりをあきらかにした。)

曝露すると同時に、今後レヴェズに課した、不思議な役割を明らかにした。

(いかにも、れヴぇずとだんねべるぐふじんとのかんけいは、しんじつにちがいないのだ。)

「いかにも、レヴェズとダンネベルグ夫人との関係は、真実に違いないのだ。

(しかし、あのかじゅつどののつるがびくすくらえなら、ぼくはぜんししょくぶつがくで、こんせいきさいだいの)

しかし、あの火術弩の弦がビクスクラエなら、僕は前史植物学で、今世紀最大の

(はっけんをしたことになるのだよ。ねえくましろくん、1753ねんにべーりんぐとうのふきんで)

発見をしたことになるのだよ。ねえ熊城君、一七五三年にベーリング島の附近で

(うみうしのさいごのしゅるいがとさつされたんだ。だがあのかんたいしょくぶつは、すでにそれいぜんに)

海牛の最後の種類がとさつされたんだ。だがあの寒帯植物は、すでにそれ以前に

(しめつしているんだぜ。やはり、あのゆみのつるは、いっこうへんてつもないたいまで)

死滅しているんだぜ。やはり、あの弩の弦は、いっこう変哲もない大麻で

(つくられたものなんだ。はははは、あのぞうのようなどんじゅうなしりんだーを、ぼくはこーんに)

作られたものなんだ。ハハハハ、あの象のような鈍重な柱体を、僕は錐体に

(してやったんだよ。つまり、れヴぇずをあたらしいざひょうにして、このなんじけんにさいごの)

してやったんだよ。つまり、レヴェズを新しい坐標にして、この難事件に最後の

(てんかいをこころみようとするんだ ああ、きがくるったのか。きみはれヴぇずを)

展開を試みようとするんだ」「ああ、気が狂ったのか。君はレヴェズを

(いきえにして、ふぁうすとはかせをひきだそうとするのか とさしもちんちゃくなけんじも)

生餌にして、ファウスト博士を引き出そうとするのか」とさしも沈着な検事も

(ぎょうてんして、とびかからんばかりのけはいをみせると、のりみずはちょっとざんにんそうな)

仰天して、飛び掛らんばかりの気配を見せると、法水はちょっと残忍そうな

(びしょうをしてこたえた。なるほど、どうとくせかいのしゅごしん はぜくらくん!だがじつをいうと)

微笑をして答えた。「なるほど、道徳世界の守護神ーー支倉君!だが実を云うと

(ぼくがれヴぇずについてもっともおそれているのは、けっしてふぁうすとはかせのつめでは)

僕がレヴェズについて最も懼れているのは、けっしてファウスト博士の爪では

(ないのだ。じつは、あのおとこのじさつのしんりなんだよ。れヴぇずはさいごに、)

ないのだ。実は、あの男の自殺の心理なんだよ。レヴェズは最後に、

(こういうもんくをいったのだよ。)

こういう文句を云ったのだよ。

(まい・ぶらっど・じゃっじ・ふぁべいど・まい・たんぐ・とぅ・すぴーく)

儂の血でこの裁きをしたら、いつかその舌の根から聴くことがあるでしょうから

(とね。それが、いかにもれヴぇずがえんずる、ひそうなこすちゅーむ・ぷれいのようで、)

とね。それが、いかにもレヴェズが演ずる、悲壮な時代史劇のようで、

(またあのせいかくはいゆうのみせばらしい、おおしばいみたいにもおもわれるだろう。しかし、)

またあの性格俳優の見せ場らしい、大芝居みたいにも思われるだろう。しかし、

(それはとらうりっひではあるけれども、けっしてとらぎっしゅではないのだ。)

それは悲愁ではあるけれども、けっして悲壮ではないのだ。

(つまりそのいっくというのが、れい・ぷ・おヴ・るくりーす というしぇーくすぴあのげきしのなかにあって)

つまりその一句と云うのが、『ルクレチア盗み』という沙翁の劇詩の中にあって

(ろーまのかじんるくれちあがたるきにうすのためにはずかしめをうけ、じさつをけついする)

羅馬の佳人ルクレチアがタルキニウスのために辱しめをうけ、自殺を決意する

(ばめんにあらわれているからなんだ とのりみずはこころもちおくしたような)

場面に現われているからなんだ」と法水はこころもち臆したような

(かおいろになったが、そのくちのしたから、まゆをあげきぜんといいはなったものがあった。)

顔色になったが、その口の下から、眉を上げ毅然と云い放ったものがあった。

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