黒死館事件99

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(ついに、こくしかんじけんのじゅんかんろんのいちぐうがやぶられ、そのくさりのわのなかで、のりみずのてが)

ついに、黒死館事件の循環論の一隅が破られ、その鎖の輪の中で、法水の手が

(ふぁうすとはかせのしんぞうをにぎりしめてしまった ああかーてん・ふぉーる。)

ファウスト博士の心臓を握りしめてしまったーーああ閉幕。

(それがちょうどろくじのことで、こがいにはいつしかけむりのようなあめが)

それがちょうど六時のことで、戸外にはいつしか煙のような雨が

(ふりはじめていた。そのよるこくしかんには、ねんいっかいのこうかいえんそうかいがもよおされていて、)

降りはじめていた。その夜黒死館には、年一回の公開演奏会が催されていて、

(まいとしのれいによれば、やくにじゅうにんほどおんがくかんけいしゃがしょうたいされることになっていた。)

毎年の例によれば、約二十人ほど音楽関係者が招待されることになっていた。

(かいじょうはいつものれいはいどうで、とくにそのよるにかぎり、りんじにせつびされたしゃんでりあが)

会場はいつもの礼拝堂で、特にその夜に限り、臨時に設備された大装飾灯が

(てんじょうにかがやいているので、いつかみた、かすかにゆらぐあかりのなかから、どきょうや)

天井に輝いているので、いつか見た、微かにゆらぐ灯の中から、読経や

(おるがんのねでもひびいてきそうな あのゆうげんなふんいきは、そのよるどこへか)

風琴の音でも響いてきそうなーーあの幽玄な雰囲気は、その夜どこへか

(けしとんでしまったかのようにおもわれた。けれども、そのおうぎがたをした)

けし飛んでしまったかのように思われた。けれども、その扇形をした

(きゅうりゅうのしたには、いぜんちゅうせいてきこうしょうがうしなわれていなかった。がくじんはことごとく)

穹窿の下には、依然中世的好尚が失われていなかった。楽人はことごとく

(かつらをつけ、それにめがさめるような、しゅいろのいしょうをきているのである。)

仮髪を附け、それに眼が覚るような、朱色の衣裳を着ているのである。

(のりみずいっこうがついたときは、きょくもくのだいにがはじまっていて、くりヴぉふふじんのさっきょくに)

法水一行が着いた時は、曲目の第二が始まっていて、クリヴォフ夫人の作曲に

(かかわる、へんろちょうのはーぷとげんがくさんじゅうそうが、ちょうどだいにがくしょうに)

係わる、変ロ調の竪琴と絃楽三重奏が、ちょうど第二楽章に

(はいったばかりのところだった。はーぷはのぶこがひいていて、そのぎりょうが、)

入ったばかりのところだった。竪琴は伸子が弾いていて、その技量が、

(いくぶんほかのさんにん すなわち、くりヴぉふ、せれな、はたたろうにおとるところは、)

幾分他の三人ーーすなわち、クリヴォフ、セレナ、旗太郎に劣るところは、

(いわばかきんといえばかきんだったろうけれども、しかし、それをぎんみする)

云わば瑕瑾と云えば瑕瑾だったろうけれども、しかし、それを吟味する

(よゆうもないのだった。というのは、いろとおとがあやしいまぼろしのように、)

余裕もないのだった。と云うのは、色と音が妖しい幻のように、

(いりみだれているがんぜんのこうけいには、たったひとめで、じゅうぶんかんかくを)

入りみだれている眼前の光景には、たった一目で、十分感覚を

(うばってしまうものがあったからだ。さげおのみじかいたれいらんしきのかつらに、)

奪ってしまうものがあったからだ。下髪の短いタレイラン式の仮髪に、

(しゅヴぇつぃんげんふうをもしたかぺるまいすたーのいしょう。そのいろこくひびきのたかいえには、)

シュヴェツィンゲン風を模した宮廷楽師の衣裳。その色濃く響の高い絵には、

など

(そのむかしてむずかわかみにおけるじょーじいっせいのおんがくきょうえんが すなわちへんでるの、)

その昔テムズ河上におけるジョージ一世の音楽饗宴がーーすなわちヘンデルの、

(うぉーたー・みゅーじっく しょえんのよるがほうふつとなってくるように、それはまさしく、)

「水楽」初演の夜が髣髴となってくるように、それはまさしく、

(もえあがらんばかりのまぼろしであり、またげんわくのなかにも、しずかなついそうをもとめてやまない)

燃え上らんばかりの幻であり、また眩惑の中にも、静かな追想を求めてやまない

(ちからがあった。のりみずいっこうは、さいごのれつにこしをおろして、とうすいとあんたいのうちにも、)

力があった。法水一行は、最後の列に腰を下して、陶酔と安泰のうちにも、

(えんそうかいのしゅうりょうをまちかまえていた。しかも、かれらのみならず、だれしも)

演奏会の終了を待ち構えていた。しかも、彼等のみならず、誰しも

(そうであったろうが、このようにこうこうとかがやくしゃんでりやのしたでは、まず)

そうであったろうが、このように煌々と輝く大装飾灯の下では、まず

(いかなるふぁうすとはかせといえども、じょうずるすきは、まんがいちにもあるまいと)

いかなるファウスト博士といえども、乗ずる隙は、万が一にもあるまいと

(しんじられていた。ところが、そのうちはーぷのぐりっさんどが、ゆめのなかの)

信じられていた。ところが、そのうち竪琴のグリッサンドが、夢の中の

(あわのようにきえていって、はたたろうのだいいちヴぁいおりんがしゅだいのせんりつをひきだすと、)

泡のように消えて行って、旗太郎の第一提琴が主題の旋律を弾き出すと、

(そのとき、じつによそうもされえなかったできごとがおこったのである。)

その時、実に予想もされ得なかった出来事が起ったのである。

(とつぜんちょうしゅうのあいだからわきおこった、ものすさまじいげきどうとともに、ぶたいがうすきみわるい)

突然聴衆の間から湧き起った、物凄じい激動とともに、舞台が薄気味悪い

(あんてんをはじめたのであった。ふいにそうしょくとうのあかりがきえて、いろとひかりとおとが、)

暗転を始めたのであった。不意に装飾灯の灯が消えて、色と光と音が、

(いっときにあんこくのなかへぼっしさった。と、ちょうどそれとどうじに、なにものが)

一時に暗黒の中へ没し去った。と、ちょうどそれと同時に、何者が

(はっしたものか、えんそうだいのうえでいようなうめきごえがおこったのである。つづいて、どかっと)

発したものか、演奏台の上で異様な呻き声が起ったのである。続いて、ドカッと

(ゆかにたおれるようなひびきがしたかとおもうと、なげだされたらしいげんがっきが、つるとどうを)

床に倒れるような響がしたかと思うと、投げ出されたらしい絃楽器が、弦と胴を

(けたたましくならせながら、かいだんをころげおちていった。そして、そのおとが)

けたたましく鳴らせながら、階段を転げ落ちていった。そして、その音が

(しばらくやみのなかでふるえはためいていたが、とだえてしまうと、もはやだれひとりこえを)

しばらく闇の中で顫えはためいていたが、杜絶えてしまうと、もはや誰一人声を

(はっするものもなく、どうないはいいしれぬききとちんもくとにつつまれてしまった。しんぎんと)

発する者もなく、堂内は云いしれぬ鬼気と沈黙とに包まれてしまった。呻吟と

(ついらくのひびき 。たしかよにんのえんそうしゃのなかで、そのうちひとりがたおされたに)

墜落の響ーー。たしか四人の演奏者の中で、そのうち一人が斃されたに

(そういない。そうおもいながら、のりみずがじいっとどうきをおさえてみみをすましていると、)

相違ない。そう思いながら、法水が凝然と動悸を押えて耳を澄ましていると、

(どこかこのへやのまぢかから、ちょうどせにせせらぐすいりゅうのような、かすかなおとが)

どこかこの室の真近から、ちょうど瀬にせせらぐ水流のような、微かな音が

(きこえてくるのだった。と、そのやさき、だんじょうのいっかくにやみがやぶられて、いっぽんの)

聴えてくるのだった。と、その矢先、壇上の一角に闇が破られて、一本の

(まっちのひが、かいだんをきゃくせきのほうにおりてきた。それから、ほんのいっときであったが、)

燐寸の火が、階段を客席の方に降りてきた。それから、ほんの一瞬であったが、

(ちがこおりいきづまるようなものがながれはじめた。しかし、そのひかりが、ようかいめいた)

血が凍り息窒まるようなものが流れはじめた。しかし、その光が、妖怪めいた

(はためきをしながら、しきりとゆかうえをまさぐっているあいだでも、のりみずのめだけは)

はためきをしながら、しきりと床上を摸索っている間でも、法水の眼だけは

(そのじょうほうにみひらかれていて、するどくだんじょうのくうかんにそそがれていた。そして、)

その上方にみひらかれていて、鋭く壇上の空間に注がれていた。そして、

(やみのなかにひとつのひとがたをえがいて、じいっとつかまえてはなさないまぼろしがあった。)

闇の中に一つの人容を描いて、じいっと捉まえて放さない幻があった。

(よしんばぎせいしゃはだれであっても、そのげしにんは、おりが・くりヴぉふいがいにはない。)

仮令犠牲者は誰であっても、その下手人は、オリガ・クリヴォフ以外にはない。

(しかも、あのひにくなれいしょうてきなかいぶつは、のりみずをがんかにながめているにもかかわらず、)

しかも、あの皮肉な冷笑的な怪物は、法水を眼下に眺めているにもかかわらず、

(ゆうゆうといちじょうのさんびげきをえんじさったのである。おそらくこんども、むじゅんどうちゃくが)

悠々と一場の酸鼻劇を演じ去ったのである。恐らく今度も、矛盾撞着が

(はりぶくろのようにおおうていて、あのいくとたんしょうのきもちを、かならずやよたび)

針袋のように覆うていて、あの畏懼と嘆賞の気持を、必ずや四度

(くりかえすことであろう。しかし、てきだんのきょりはしだいにちかづいて、すでにのりみずは)

繰り返すことであろう。しかし、擲弾の距離はしだいに近づいて、すでに法水は

(あいてのしんどうをきき、じゅひのようにちゅうせいてきなたいしゅうをかぐまでにせまっていたのだ。)

相手の心動を聴き、樹皮のように中性的な体臭を嗅ぐまでに迫っていたのだ。

(ところが、そのやさき ほのおのつきたうずみびがゆみのようにしなだれて、まっちが)

ところが、その矢先ーー焔の尽きたうずみびが弓のように垂だれて、燐寸が

(しとうからはなたれた。と、きぁっというひめいがやみをつんざいて、)

指頭から放たれた。と、キァッという悲鳴が闇をつんざいて、

(それがのぶこのこえであるのもいしきするゆとりがなく、のりみずのめは、たちまちゆかの)

それが伸子の声であるのも意識する余裕がなく、法水の眼は、たちまち床の

(いってんにくぎづけされてしまった。みよ そこにはいおうのように、うっすら)

一点に釘づけされてしまった。見よーーそこには硫黄のように、薄っすら

(かがやきだしたいっぷくのおびがある。そして、そのかへんのあたりから、いくつとない)

輝き出した一幅の帯がある。そして、その下辺のあたりから、幾つとない

(ひのたまが、ちりちりとまきちぢんでいって、あらわれてはまたきえてゆくのだった。)

火の玉が、チリチリと捲き縮んでいって、現われてはまた消えてゆくのだった。

(しかし、それにめをとめたしゅんかん、のりみずのあらゆるひょうじょうがせいししてしまった。)

しかし、それに眼を止めた瞬間、法水のあらゆる表情が静止してしまった。

(かれのがんぜんにあらわれたひとつのおどろくべきものいがいのせかいは ざせきのばるだきんも、)

彼の眼前に現われた一つの驚くべきもの以外の世界はーー座席の背長椅子も、

(ずじょうにくみかわしているおうぎがたのきゅうりゅうも、まるであらしのもりのようにゆれはじめて、)

頭上に交錯している扇形の穹窿も、まるで嵐の森のように揺れはじめて、

(それらがともども、かれのあしもとにひらかれたむみょうのしんえんのなかへ)

それ等がともども、彼の足元に開かれた無明の深淵の中へ

(おちこんでゆくのだった。じつに、そのきえいくしゅんかんのひかりは、ななめにかしいで)

墜ち込んでゆくのだった。実に、その消え行く瞬間の光は、斜めに傾いで

(かつらのすきからあらわれた、しろいぬののうえにおちたのである。それはまぎれもなく、)

仮髪の隙から現われた、白い布の上に落ちたのである。それは擬れもなく、

(ぶぐしつのさんげきをいまだにとめているひたいのほうたいではないか。)

武具室の惨劇を未だに止めている額の繃帯ではないか。

(ああ、おりが・くりヴぉふ。さいどのりみずのたいぐんだった。たおされたのはだれあろう、)

ああ、オリガ・クリヴォフ。再度法水の退軍だった。斃されたのは誰あろう、

(かれのすいていはんにんくりヴぉふふじんだったのだ。)

彼の推定犯人クリヴォフ夫人だったのだ。

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