【タイピング文庫】横光利一「蠅1」

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プレイ回数1702難易度(4.2) 3704打 長文 かな
川端康成と共に新感覚派として活躍した小説家、横光利一の作品です。
ある宿場から出発する1台の馬車とその乗客の様々な事情を、たまたまその馬にとまった蝿の視点から客観的に描写していく物語。

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問題文

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(まなつのしゅくばはくうきょであった。ただめのおおきないっぴきのはえだけは、)

(一)真夏の宿場は空虚であった。ただ眼の大きな一疋の蠅だけは、

(うすぐらいうまやのすみのくものすにひっかかると、あとあしであみをはねつつ)

薄暗い厩の隅の蜘蛛の巣にひっかかると、後肢で網を跳ねつつ

(しばらくぶらぶらとゆれていた。と、まめのようにぼたりとおちた。そうして、)

暫くぶらぶらと揺れていた。と、豆のようにぼたりと落ちた。そうして、

(ばふんのおもみにななめにつきたっているわらのはしから、)

馬糞の重みに斜めに突き立っている藁の端から、

(らたいにされたうまのせなかまではいあがった。)

裸体にされた馬の背中まで這い上った。

(うまはひとすじのかれくさをおくばにひっかけたまま、ねこぜの)

(二)馬は一条の枯草を奥歯にひっ掛けたまま、猫背の

(おいたぎょしゃのすがたをさがしている。ぎょしゃはしゅくばのよこのまんじゅうやのてんとうで、)

老いた馭者の姿を捜している。馭者は宿場の横の饅頭屋の店頭で、

(しょうぎをさんばんさしてまけとおした。なになに?もんくをいうな。もういちばんじゃ。)

将棋を三番さして負け通した。「何なに?文句をいうな。もう一番じゃ。」

(すると、ひさしをはずれたひのひかりは、かれのこしから、)

すると、廂を脱れた日の光は、彼の腰から、

(まるいにもつのようなねこぜのうえへのりかかってきた。)

円い荷物のような猫背の上へ乗りかかって来た。

(しゅくばのくうきょなばにわへひとりののうふがかけつけた。)

(三)宿場の空虚な場庭へ一人の農婦が馳けつけた。

(かのじょはこのあさはやく、まちにつとめているむすこからきとくのでんぽうをうけとった。)

彼女はこの朝早く、街に務めている息子から危篤の電報を受けとった。

(それからつゆにしめったさんりのやまみちをかけつづけた。ばしゃはまだかのう?)

それから露に湿った三里の山路を馳け続けた。「馬車はまだかのう?」

(かのじょはぎょしゃべやをのぞいてよんだがへんじがない。ばしゃはまだかのう?)

彼女は馭者部屋を覗いて呼んだが返事がない。「馬車はまだかのう?」

(ゆがんだたたみのうえにはゆのみがひとつころがっていてなかからさけいろのばんちゃが)

歪んだ畳の上には湯飲みが一つ転っていて中から酒色の番茶が

(ひとりしずかにながれていた。のうふはうろうろとばにわをまわると、)

ひとり静かに流れていた。農婦はうろうろと場庭を廻ると、

(まんじゅうやのよこからまたよんだ。ばしゃはまだかの?)

饅頭屋の横からまた呼んだ。「馬車はまだかの?」

(せんこくでましたぞ。こたえたのはそのいえのしゅふである。)

「先刻出ましたぞ。」答えたのはその家の主婦である。

(でたかのう。ばしゃはもうでましたかのう。いつでましたな。)

「出たかのう。馬車はもう出ましたかのう。いつ出ましたな。

(もうちとはよくるとよかったのじゃが、もうでぬじゃろか?)

もうちと早よ来ると良かったのじゃが、もう出ぬじゃろか?」

など

(のうふはせいきゅうななきごえでそういうなかに、はやなきだした。)

農婦は性急な泣き声でそういう中に、早や泣き出した。

(が、なみだもふかず、おうかんのちゅうおうにつきたっていてから、)

が、涙も拭かず、往還の中央に突き立っていてから、

(まちのほうへすたすたとあるきはじめた。にばんがでるぞ。)

街の方へすたすたと歩き始めた。「二番が出るぞ。」

(ねこぜのぎょしゃはしょうぎばんをみつめたままのうふにいった。)

猫背の馭者は将棋盤を見詰めたまま農婦にいった。

(のうふはあゆみをとめると、くるりとむきかえってそのあわいまゆげをつりあげた。)

農婦は歩みを停めると、くるりと向き返ってその淡い眉毛を吊り上げた。

(でるかの。すぐでるかの。せがれがしにかけておるのじゃが、)

「出るかの。直ぐ出るかの。悴が死にかけておるのじゃが、

(まにあわせておくれかの?けいまときたな。)

間に合わせておくれかの?」「桂馬と来たな。」

(まあまあうれしや。まちまでどれほどかかるじゃろ。いつだしておくれるのう。)

「まアまア嬉しや。街までどれほどかかるじゃろ。いつ出しておくれるのう。」

(にばんがでるわい。とぎょしゃはぽんとふをうった。でますかな、)

「二番が出るわい。」と馭者はぽんと歩を打った。「出ますかな、

(まちまではさんじかんもかかりますかな。さんじかんはたっぷりかかりますやろ。)

街までは三時間もかかりますかな。三時間はたっぷりかかりますやろ。

(せがれがしにかけていますのじゃ、まにあわせておくれかのう?)

悴が死にかけていますのじゃ、間に合せておくれかのう?」

(のずえのかげろうのなかから、たねれんげをたたくおとがきこえてくる。)

(四)野末の陽炎の中から、種蓮華を叩く音が聞えて来る。

(わかものとむすめはしゅくばのほうへいそいでいった。むすめはわかもののかたのにもつへてをかけた。)

若者と娘は宿場の方へ急いで行った。娘は若者の肩の荷物へ手をかけた。

(もとう。なにあに。おもたかろうが。わかものはだまっていかにもかるそうな)

「持とう。」「何アに。」「重たかろうが。」若者は黙っていかにも軽そうな

(ようすをみせた。が、ひたいからながれるあせはしおからかった。)

容子を見せた。が、額から流れる汗は塩辛かった。

(ばしゃはもうでたかしら。とむすめはつぶやいた。わかものはにもつのしたから、)

「馬車はもう出たかしら。」と娘は呟いた。若者は荷物の下から、

(めをほそめてたいようをながめると、ちょっとあつうなったな、まだじゃろう。)

眼を細めて太陽を眺めると、「ちょっと暑うなったな、まだじゃろう。」

(ふたりはだまってしまった。うしのなきごえがした。)

二人は黙ってしまった。牛の鳴き声がした。

(しれたらどうしよう。むすめはいうとちょっとなきそうなかおをした。)

「知れたらどうしよう。」娘はいうとちょっと泣きそうな顔をした。

(たねれんげをたたくおとだけがかすかにあしおとのようにおってくる。)

種蓮華を叩く音だけが幽かに足音のように追って来る。

(むすめはうしろをむいて、それからわかもののかたのにもつにまたてをかけた。)

娘は後を向いて、それから若者の肩の荷物にまた手をかけた。

(わたしがもとう。もうかたがなおったえ。わかものはやはりだまってどしどしとあるきつづけた。)

「私が持とう。もう肩が直ったえ。」若者はやはり黙ってどしどしと歩き続けた

(が、とつぜん、しれたらまたにげるだけじゃ。とつぶやいた。)

が、突然、「知れたらまた逃げるだけじゃ。」と呟いた。

(しゅくばのばにわへ、ははおやにてをひかれたおとこのこがゆびをくわえてはいってきた。)

(五)宿場の場庭へ、母親に手を曳かれた男の子が指を銜えて這入って来た。

(おかあ、うまうま。ああ、うまうま。おとこのこはははおやからてをふりきると、)

「お母ア、馬々。」「ああ、馬々。」男の子は母親から手を振り切ると、

(うまやのほうへかけてきた。そうしてにけんほどはなれたばにわのなかからうまをみながら、)

厩の方へ馳けて来た。そうして二間ほど離れた場庭の中から馬を見ながら、

(こりゃっ、こりゃっ。とさけんでかたあしでちをうった。)

「こりゃッ、こりゃッ。」と叫んで片足で地を打った。

(うまはくびをもたげてみみをたてた。おとこのこはうまのまねをしてくびをあげたが、)

馬は首を擡げて耳を立てた。男の子は馬の真似をして首を上げたが、

(みみがうごかなかった。で、ただやたらにうまのまえでかおをひそめると、)

耳が動かなかった。で、ただやたらに馬の前で顔を顰めると、

(ふたたび、こりゃっ、こりゃっ。とさけんでちをうった。)

再び、「こりゃッ、こりゃッ。」と叫んで地を打った。

(うまはおけのてづるにくちをひっかけながら、)

馬は槽の手蔓に口をひっ掛けながら、

(またそのなかへかおをかくしてまぐさをくった。おかかあ、うまうま。ああ、うまうま。)

またその中へ顔を隠して馬草を食った。「お母ア、馬々。」「ああ、馬々。」

(おっと、まてよ。これはせがれのげたをかうのをわすれたぞ。)

(六)「おっと、待てよ。これは悴の下駄を買うのを忘れたぞ。

(あいつはすいかがすきじゃ。すいかをかうと、おれもあいつもすきじゃでりょうどくじゃ。)

あ奴は西瓜が好きじゃ。西瓜を買うと、俺もあ奴も好きじゃで両得じゃ。」

(いなかしんしはしゅくばへついた。かれはしじゅうさんになる。)

田舎紳士は宿場へ着いた。彼は四十三になる。

(しじゅうさんねんひんこんとたたかいつづけたかいあって、さくやようやくはるごのなかがいで)

四十三年貧困と戦い続けた効あって、昨夜漸く春蚕の仲買で

(はっぴゃくえんをてにいれた。いまかれのむねはみらいのかくさくのためにつまっている。)

八百円を手に入れた。今彼の胸は未来の画策のために詰っている。

(けれども、さくやせんとうへいったとき、はっぴゃくえんのさつたばをかばんにいれて、)

けれども、昨夜銭湯へ行ったとき、八百円の札束を鞄に入れて、

(あらいばまでもってはいってわらわれたきおくについてはわすれていた。)

洗い場まで持って這入って笑われた記憶については忘れていた。

(のうふはばにわのしょうぎからたちあがると、かれのそばへよってきた。)

農婦は場庭の床几から立ち上ると、彼の傍へよって来た。

(ばしゃはいつでるのでござんしょうな。)

「馬車はいつ出るのでござんしょうな。

(せがれがしにかかっていますので、はよまちへいかんとしにめに)

悴が死にかかっていますので、早よ街へ行かんと死に目に

(あえまいおもいましてな。そりゃいかん。もうでるのでござんしょうな、)

逢えまい思いましてな。」「そりゃいかん。」「もう出るのでござんしょうな、

(もうでるって、さっきいわしゃったがの。さあて、なにしておるやらな。)

もう出るって、さっきいわしゃったがの。」「さアて、何しておるやらな。」

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