人間失格【太宰治】10
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ヤス | 6697 | S+ | 7.1 | 94.3% | 383.4 | 2733 | 165 | 49 | 2024/10/31 |
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問題文
(しかしこれはおそらくあのたけいちもいしきしなかったほどの)
しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、
(おそろしいあくまのよげんのようなものだったということを)
おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、
(じぶんはこうねんにいたっておもいしりましたほれるといいほれられるといい)
自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、
(そのことばはひどくげひんでふざけていかにもやにさがったもののかんじで)
その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、
(どんなにいわゆるげんしゅくのばであっても)
どんなに所謂「厳粛」の場であっても、
(そこへこのことばがひとことでもひょいとかおをだすとみるみるゆううつのがらんがほうかいし)
そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱の伽藍が崩壊し、
(ただののっぺらぼうになってしまうようなここちがするものですけれども)
ただののっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、
(ほれられるつらさなどというぞくごでなくあいせられるふあん)
惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、
(とでもいうぶんがくごをもちいると)
とでもいう文学語を用いると、
(あながちゆううつのがらんをぶちこわすことにはならないようですから)
あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、
(きみょうなものだとおもいますたけいちがじぶんにみみだれのうみのしまつをしてもらって)
奇妙なものだと思います。竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、
(おまえはほれらるというばかなおせじをいいじぶんはそのとき)
お前は惚れらるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、
(ただかおをあからめてわらってなにもこたえませんでしたけれどもしかしじつは)
ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、
(かすかにおもいあたるところもあったのでしたでもほれられる)
幽かに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」
(というようなやひなことばによってしょうじるやにさがったふんいきにたいして)
というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気に対して、
(そういわれるとおもいあたるところもあるなどとかくのは)
そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、
(ほとんどらくごのわかだんなのせりふにさえならぬくらい)
ほとんど落語の若旦那のせりふにさえならぬくらい、
(おろかしいかんかいをしめすようなものでまさかじぶんはそんなふざけた)
おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、
(やにさがったきもちでおもいあたるところもあったわけではないのです)
やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。
(じぶんにはにんげんのじょせいのほうがだんせいよりもさらにすうばいなんかいでした)
自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。
(じぶんのかぞくはじょせいのほうがだんせいよりもかずがおおくまたしんせきにも)
自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、
(おんなのこがたくさんありまたれいのはんざいのじょちゅうなどもいまして)
女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、
(じぶんはおさないときから)
自分は幼い時から、
(おんなとばかりあそんでそだったといってもかごんではないとおもっていますがそれは)
女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、
(またしかしじつにはくひょうをふむおもいで)
また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、
(そのおんなのひとたちとつきあってきたのですほとんどまるでけんとうが)
その女のひとたちと附合ってきたのです。ほとんど、まるで見当が、
(つかないのですごりむちゅうでそうしてときたまとらのおをふむしっぱいをして)
つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、
(ひどいいたでをおいそれがまただんせいからうけるむちとちがって)
ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞とちがって、
(ないしゅっけつみたいにきょくどにふかいにないこうしてなかなかちゆしがたいきずでした)
内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒し難い傷でした。
(おんなはひきよせてつっぱなすあるいはまたおんなは)
女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、
(ひとのいるところではじぶんをさげすみじゃけんにしだれもいなくなると)
人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳にし、誰もいなくなると、
(ひしとだきしめるおんなはしんだようにふかくねむる)
ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、
(おんなはねむるためにいきているのではないかしらそのほか)
女は眠るために生きているのではないかしら、その他、
(おんなについてのさまざまのかんさつをすでにじぶんはようねんじだいからえていたのですが)
女についてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが
(おなじじんるいのようでありながらおとことはまたまったくことなったいきもののようなかんじで)
同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで
(そうしてまたこのふかかいでゆだんのならぬいきものは)
そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、
(きみょうにじぶんをかまうのでしたほれられるなんていうことばもまた)
奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また
(すかれるということばもじぶんのばあいにはちっともふさわしくなく)
「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、
(かまわれるとでもいったほうが)
「かまわれる」とでも言ったほうが、
(まだしもじつじょうのせつめいにてきしているかもしれませんおんなはおとこよりもさらに)
まだしも実状の説明に適しているかも知れません。女は、男よりも更に、
(どうけにはくつろぐようでしたじぶんがおどけをえんじ)
道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、
(おとこはさすがにいつまでもげらげらわらってもいませんし)
男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、
(それにじぶんもおとこのひとにたいしちょうしにのって)
それに自分も男のひとに対し、調子に乗って
(あまりおどけをえんじすぎるとしっぱいするということをしっていましたので)
あまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、
(かならずてきとうのところできりあげるようにこころがけていましたが)
必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、
(おんなはてきどということをしらずいつまでもいつまでもじぶんにおどけをようきゅうし)
女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、
(じぶんはそのかぎりないあんこーるにおうじてへとへとになるのでしたじつに)
自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、
(よくわらうのですいったいにおんなは)
よく笑うのです、いったいに、女は、
(おとこよりもかいらくをよけいにほおばることができるようです)
男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。