人間失格【太宰治】15
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問題文
(さけたばこいんばいふそれはみなにんげんきょうふをたといひとときでも)
酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、
(まぎらすことのできるずいぶんよいしゅだんであることが)
まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、
(やがてじぶんにもわかってきましたそれらのしゅだんをもとめるためには)
やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、
(じぶんのもちものぜんぶをばいきゃくしてもくいないきもちさえいだくようになりました)
自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
(じぶんにはいんばいふというものがにんげんでもじょせいでもない)
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、
(はくちかきょうじんのようにみえそのふところのなかでじぶんはかえってまったくあんしんして)
白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、
(ぐっすりねむることができましたみんなかなしいくらい)
ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、
(じつにみじんもよくというものがないのでしたそうしてじぶんに)
実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、
(どうるいのしんわかんとでもいったようなものをおぼえるのかじぶんはいつも)
同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、
(そのいんばいふたちからきゅうくつでないていどのしぜんのこういをしめされました)
その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。
(なんのださんもないこうかんおしうりではないこうい)
何の打算も無い好感、押し売りでは無い好意、
(にどとこないかもしれぬひとへのこういじぶんには)
二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、
(そのはくちかきょうじんのいんばいふたちにまりやのえんこうをげんじつにみたよるもあったのです)
その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
(しかしじぶんはにんげんへきょうふからのがれかすかないちやのきゅうようをもとめるために)
しかし、自分は、人間へ恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、
(そこへいきそれこそじぶんとどうるいのいんばいふたちとあそんでいるうちに)
そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、
(いつのまにやらむいしきの)
いつのまにやら無意識の、
(あるいまわしいふんいきをしんぺんにいつもただよわせるようになったようすで)
或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、
(これはじぶんにもまったくおもいもうけなかったいわゆるおまけのふろくでしたが)
これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、
(しだいにそのふろくがせんめいにひょうめんにうきあがってきて)
次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上がって来て、
(ほりきにそれをしてきせられがくぜんとしてそうしていやなきがいたしました)
堀木にそれを指摘せられ、愕然として、そうして、いやな気が致しました。
(はたからみてぞくないいかたをすればじぶんはいんばいふによっておんなのしゅぎょうをして)
はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、
(しかもさいきんめっきりうでをあげおんなのしゅぎょうはいんばいふによるのがいちばんきびしく)
しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、
(またそれだけにこうかのあがるものだそうですでにじぶんにはあのおんなたっしゃ)
またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」
(というにおいがつきまといじょせいはいんばいふにかぎらず)
という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)
(ほんのうによってそれをかぎあてよりそってくるそのような)
本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、
(ひわいでふめいよなふんいきをおまけのふろくとしてもらって)
卑猥で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、
(そうしてそのほうがじぶんのきゅうようなどよりも)
そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、
(ひどくめだってしまっているらしいのでした)
ひどく目立ってしまっているらしいのでした。
(ほりきはそれをはんぶんはおせじでいったのでしょうがしかしじぶんにも)
堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、
(おもくるしくおもいあたることがありたとえば)
重苦しく思い当る事があり、たとえば、
(きっさてんのおんなからちせつなてがみをもらったおぼえもあるし)
喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、
(さくらぎちょうのいえのとなりのしょうぐんのはたちくらいのむすめがまいあさじぶんのとうこうのじこくには)
桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、
(ようもなさそうなのにごじぶんのいえのもんをうすげしょうしてでたりはいったりしていたし)
用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし
(ぎゅうにくをくいにいくとじぶんがだまっていてもそこのじょちゅうがまた)
牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、
(いつもかいつけのたばこやのむすめからてわたされたたばこのはこのなかにまた)
いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、
(かぶきをみにいってとなりのせきのひとにまた)
歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、
(しんやのしでんでじぶんがよってねむっていてまた)
深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、
(おもいがけなくこきょうのしんせきのむすめからおもいつめたようなてがみがきてまた)
思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、
(だれかわからぬむすめがじぶんのるすちゅうにおてせいらしいにんぎょうを)
誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、
(じぶんがきょくどにしょうきょくてきなのでいずれもそれっきりのはなしでただだんぺん)
……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、
(それいじょうのしんてんはひとつもありませんでしたがなにかおんなにゆめをみさせるふんいきが)
それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、
(じぶんのどこかにつきまとっていることはそれは)
自分のどこかにつきまとっている事は、それは、
(のろけだのなんだのといういいかげんなじょうだんでなくひていできないものでありました)
のろけだの何だのと言ういい加減な冗談でなく、否定できないものでありました
(じぶんはそれをほりきごときものにしてきせられくつじょくににたにがさをかんずるとともに)
自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦さを感ずると共に、
(いんばいふとあそぶことにもにわかにきょうがさめました)
淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。