人間失格【太宰治】16
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数4044かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数866歌詞1260打
-
プレイ回数2052歌詞1426打
-
プレイ回数519歌詞886打
-
プレイ回数1.1万313打
問題文
(ほりきはまたそのみえぼうのもだにてぃからほりきのばあいそれいがいのりゆうは)
堀木は、また、その見栄坊のモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は
(じぶんにはいまもってかんがえられませんのですがあるひ)
自分には今もって考えられませんのですが)或る日、
(じぶんをきょうさんしゅぎのどくしょかいとかいうrsとかいっていたか)
自分を共産主義の読書会とかいう(R・Sとかいっていたか、
(きおくがはっきりいたしませんそんなひみつのけんきゅうかいにつれていきました)
記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。
(ほりきなどというじんぶつにとってはきょうさんしゅぎのひみつかいごうもれいのとうきょうあんない)
堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」
(のひとつくらいのものだったのかもしれませんじぶんはいわゆるどうしにしょうかいせられ)
の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ
(ぱんふれっとをいちぶかわされそうしてかみざのひどいみにくいかおのせいねんから)
パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、
(まるくすけいざいがくのこうぎをうけましたしかしじぶんには)
マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、
(それはわかりきっていることのようにおもわれましたそれは)
それはわかり切っている事のように思われました。それは、
(そうにちがいないだろうけれどもにんげんのこころにはもっとわけのわからない)
そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、
(おそろしいものがあるよくといってもいいたりないヴぁにてぃ)
おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、
(といってもいいたりないいろとよくとこうふたつならべてもいいたりない)
と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、
(なんだかじぶんにもわからぬがにんげんのよのそこにけいざいだけでない)
何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、
(へんにかいだんじみたものがあるようなきがして)
へんに怪談じみたものがあるような気がして、
(そのかいだんにおびえきっているじぶんにはいわゆるゆいぶつろんを)
その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、
(みずのひくきにながれるようにしぜんにこうていしながらもしかしそれによって)
水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、
(にんげんにたいするきょうふからかいほうせられあおばにむかってめをひらき)
人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向かって眼をひらき、
(きぼうのよろこびをかんずるなどということはできないのでしたけれどもじぶんは)
希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、
(いちどもけっせきせずにそのrsといったかとおもいますが)
いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、
(まちがっているかもしれませんなるものにしゅっせきしどうしたちが)
間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、
(いやにいちだいじがごとくこわばったかおをしていちぷらすいちはにというような)
いやに一大事が如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、
(ほとんどしょとうのさんじゅつめいたりろんのけんきゅうにふけっているのがこっけいにみえてたまらず)
ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず
(れいのじぶんのおどけでかいごうをくつろがせることにつとめそのためか)
れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、
(しだいにけんきゅうかいのきゅうくつなけはいもほぐれ)
次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、
(じぶんはそのかいごうになくてかなわぬにんきものというかたちにさえなってきたようでした)
自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。
(このたんじゅんそうなひとたちはじぶんのことをやはりこのひとたちとおなじようにたんじゅんで)
この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じように単純で
(そうしてらくてんてきなおどけもののどうしくらいにかんがえていたかもしれませんが)
そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、
(もしそうだったらじぶんはこのひとたちをいちからじゅうまで)
もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、
(あざむいていたわけですじぶんはどうしではなかったんですけれども)
あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、
(そのかいごうにいつもかかさずしゅっせきしてみなにおどけのさーヴぃすをしてきました)
その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをしてきました
(すきだったからなのですじぶんにはそのひとたちが)
好きだったからなのです。自分には、その人たちが、
(きにいっていたからなのですしかしそれはかならずしも)
気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、
(まるくすによってむすばれたしんあいかんではなかったのですひごうほうじぶんには)
マルクスによって結ばれた親愛感では無かったのです。非合法、自分には、
(それがかすかにたのしかったのですむしろよのなかのごうほうというもののほうが)
それが幽かに楽しかったのです。むしろ、世の中の合法というもののほうが、
(かえっておそろしくそれにはそこしれずつよいものがよかんせられます)
かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)
(そのからくりがふかかいでとてもそのまどのない)
そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、
(そこびえのするへやにはすわっておられずそとはひごうほうのうみであっても)
底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、
(それにとびこんでおよいでやがてしにいたるほうがじぶんには)
それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、
(いっそきらくのようでしたひかげものということばがありますにんげんのよにおいて)
いっそ気楽のようでした。日蔭者、という言葉があります。人間の世に於いて、
(みじめなはいしゃあくとくしゃとゆびさしていうことばのようですがじぶんは)
みじめな、敗者、悪徳者と指差して言う言葉のようですが、自分は、
(じぶんをうまれたときからのひかげもののようなきがしていてせけんから)
自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、
(あれはひかげものだとゆびさされているほどのひととあうとじぶんはかならず)
あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、
(やさしいこころになるのですそうしてそのじぶんのやさしいこころは)
優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、
(じしんでうっとりするくらいやさしいこころでした)
自身でうっとりするくらい優しい心でした。