「人間椅子」2 江戸川乱歩
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数4212かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数882歌詞1260打
-
プレイ回数1.3万長文かな822打
-
プレイ回数457長文535打
-
プレイ回数8.3万長文744打
問題文
(おくさま、 おくさまのほうでは、すこしもごぞんじのないおとこから、とつぜん、このようなぶしつけな)
奥様、 奥様の方では、少しも御存じのない男から、突然、此様な無躾な
(おてがみを、さしあげますつみを、いくえにもおゆるしくださいませ。 こんなことを)
御手紙を、差上げます罪を、幾重にもお許し下さいませ。 こんなことを
(もうしあげますと、おくさまは、さぞかしびっくりなさることでございましょうが、)
申上げますと、奥様は、さぞかしびっくりなさる事で御座いましょうが、
(わたしはいま、あなたのまえに、わたしのおかしてきました、よにもふしぎなざいあくを、)
私は今、あなたの前に、私の犯して来ました、世にも不思議な罪悪を、
(こくはくしようとしているのでございます。 わたしはすうかげつのあいだ、まったくにんげんかいからすがたを)
告白しようとしているのでございます。 私は数ヶ月の間、全く人間界から姿を
(かくして、ほんとうに、あくまのようなせいかつをつづけてまいりました。もちろん、ひろいせかいに)
隠して、本当に、悪魔のような生活を続けて参りました。勿論、広い世界に
(だれひとり、わたしのしょぎょうをしるものはありません。もし、なにごともなければ、わたしは、)
誰一人、私の所業を知るものはありません。若し、何事もなければ、私は、
(このままえいきゅうに、にんげんかいにたちかえることはなかったかもしれないのでございます。)
このまま永久に、人間界に立帰ることはなかったかも知れないのでございます。
(ところが、ちかごろになりまして、わたしのこころにあるふしぎなへんかがおこりました。)
ところが、近頃になりまして、私の心にある不思議な変化が起りました。
(そして、どうしても、この、わたしのいんがなみのうえを、ざんげしないではいられなく)
そして、どうしても、この、私の因果な身の上を、懺悔しないではいられなく
(なりました。ただ、かようにもうしたばかりでは、いろいろごふしんにおぼしめすてんも)
なりました。ただ、かように申したばかりでは、色々御不審に思召す点も
(ございましょうが、どうか、ともかくも、このてがみをおわりまで、およみ)
ございましょうが、どうか、兎も角も、この手紙を終りまで、御読み
(くださいませ。そうすれば、なぜ、わたしがそんなきもちになったのか。またなぜ、)
下さいませ。そうすれば、何故、私がそんな気持になったのか。又何故、
(このこくはくを、ことさらおくさまにきいていただかねばならぬのか、それらのことが、ことごとく)
この告白を、殊更奥様に聞いて頂かねばならぬのか、それらのことが、悉く
(めいはくになるでございましょう。 さて、なにからかきはじめたらいいのか、あまりに)
明白になるでございましょう。 さて、何から書き初めたらいいのか、余りに
(にんげんばなれのした、きかいせんばんなじじつなので、こうした、にんげんせかいでつかわれる、)
人間離れのした、奇怪千万な事実なので、こうした、人間世界で使われる、
(てがみというようなほうほうでは、みょうにおもはゆくて、ふでのにぶるのをおぼえます。でも、)
手紙という様な方法では、妙に面はゆくて、筆の鈍るのを覚えます。でも、
(まよっていてもしかたがございません。ともかくも、ことのおこりから、じゅんをおって、)
迷っていても仕方がございません。兎も角も、事の起りから、順を追って、
(かいていくことにいたしましょう。 わたしはうまれつき、よにもみにくいようぼうの、)
書いて行くことに致しましょう。 私は生れつき、世にも醜い容貌の、
(もちぬしでございます。これをどうか、はっきりと、おおぼえなすっていて)
持主でございます。これをどうか、はっきりと、お覚えなすっていて
(くださいませ。そうでないと、もし、あなたが、このぶしつけなねがいをいれて、わたしに)
下さいませ。そうでないと、若し、あなたが、この無躾な願いを容れて、私に
(おあいくださいましたばあい、ただでさえみにくいわたしのかおが、ながいつきひのふけんこうなせいかつの)
お逢い下さいました場合、ただでさえ醜い私の顔が、長い月日の不健康な生活の
(ために、ふためとみられぬ、ひどいすがたになっているのを、なんのよびちしきもなしに、)
為に、二た目と見られぬ、ひどい姿になっているのを、何の予備知識もなしに、
(あなたにみられるのは、わたしとしては、たえがたいことでございます。)
あなたに見られるのは、私としては、堪え難いことでございます。
(わたしというおとこは、なんといんがなうまれつきなのでありましょう。そんなみにくいようぼうを)
私という男は、何と因果な生まれつきなのでありましょう。そんな醜い容貌を
(もちながら、むねのなかでは、ひとしれず、よにもはげしいじょうねつを、もやしていたので)
持ちながら、胸の中では、人知れず、世にも烈しい情熱を、燃していたので
(ございます。わたしは、おばけのようなかおをした、そのうえごくびんぼうな、いちしょくにんに)
ございます。私は、お化のような顔をした、その上極く貧乏な、一職人に
(すぎないわたしのげんじつをわすれて、みのほどしらぬ、かんびな、ぜいたくな、しゅじゅさまざまの)
過ぎない私の現実を忘れて、身の程知らぬ、甘美な、贅沢な、種々様々の
(「ゆめ」にあこがれていたのでございます。 わたしがもし、もっとゆたかないえに)
「夢」にあこがれていたのでございます。 私が若し、もっと豊な家に
(うまれていましたなら、きんせんのちからによって、いろいろのゆうぎにふけり、)
生まれていましたなら、金銭の力によって、色々の遊戯に耽けり、
(しゅうぼうのやるせなさを、まぎらすことができたでもありましょう。それともまた、)
醜貌のやるせなさを、まぎらすことが出来たでもありましょう。それとも又、
(わたしに、もっとげいじゅつてきなてんぶんが、あたえられていましたなら、たとえばうつくしい)
私に、もっと芸術的な天分が、与えられていましたなら、例えば美しい
(しいかによって、このよのあじきなさを、わすれることができたでもありましょう。)
詩歌によって、此世の味気なさを、忘れることが出来たでもありましょう。
(しかし、ふこうなわたしは、いずれのめぐみにもよくすることができず、あわれな、)
併し、不幸な私は、何れの恵みにも浴することが出来ず、哀れな、
(いちかぐしょくにんのことして、おやゆずりのしごとによって、そのひそのひのくらしを、)
一家具職人の子として、親譲りの仕事によって、其日其日の暮しを、
(たてていくほかはないのでございました。)
立てて行く外はないのでございました。
(わたしのせんもんは、さまざまのいすをつくることでありました。わたしのつくったいすは、)
私の専門は、様々の椅子を作ることでありました。私の作った椅子は、
(どんなむずかしいちゅうもんぬしにも、きっときにいるというので、しょうかいでも、わたしにはとくべつに)
どんな難しい註文主にも、きっと気に入るというので、商会でも、私には特別に
(めをかけて、しごとも、じょうものばかりを、まわしてくれておりました。そんなじょうものに)
目をかけて、仕事も、上物ばかりを、廻して呉れて居りました。そんな上物に
(なりますと、もたれやひじかけのほりものに、いろいろむずかしいちゅうもんがあったり、)
なりますと、凭れや肘掛けの彫りものに、色々むずかしい註文があったり、
(くっしょんのぐあい、かくぶのすんぽうなどに、びみょうなこのみがあったりして、)
クッションの工合、各部の寸法などに、微妙な好みがあったりして、
(それをつくるものには、ちょっとしろうとのそうぞうできないようなくしんがいるのでございますが、)
それを作る者には、一寸素人の想像出来ない様な苦心が要るのでございますが、
(でも、くしんをすればしただけ、できあがったときのゆかいというものはありません。)
でも、苦心をすればした丈け、出来上った時の愉快というものはありません。
(なまいきをもうすようですけれど、そのこころもちは、げいじゅつかがりっぱなさくひんを)
生意気を申す様ですけれど、その心持ちは、芸術家が立派な作品を
(かんせいしたときのよろこびにも、くらぶべきものではないかとぞんじます。)
完成した時の喜びにも、比ぶべきものではないかと存じます。