「悪魔の紋章」43 江戸川乱歩

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江戸川乱歩の小説「悪魔の紋章」のタイピングです。
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1 berry 6824 S++ 6.9 97.5% 561.1 3926 97 61 2024/12/16
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問題文

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(「おお、ば、ばあやか・・・・・・」 しにんのようなくちびるから、)

「オオ、ば、ばあやか・・・・・・」 死人のような唇から、

(やっとかすれたこえがもれた。 「ええ、わたくしでございます。)

やっとかすれた声が漏れた。 「エエ、わたくしでございます。

(だんなさま、しっかりなすってくださいまし。おみずをもってまいりましょうか。)

旦那様、しっかりなすって下さいまし。お水を持って参りましょうか。

(おみずを・・・・・・」 うばはきょうきのように、ひんししゃのみみもとにくちをあてて)

お水を・・・・・・」 乳母は狂気のように、瀕死者の耳もとに口をあてて

(さけぶのだ。 「ぼ、ぼうや、ぼうやを、ここへ・・・・・・」)

叫ぶのだ。 「ぼ、ぼうや、ぼうやを、ここへ・・・・・・」

(ちばしっためが、ざしきのすみにおびえているおとこのこにそそがれる。)

血走った目が、座敷の隅におびえている男の子に注がれる。

(「ぼっちゃまでございますか、さ、ぼっちゃま、おとうさまがおよびでございますよ。)

「坊ちゃまでございますか、サ、坊ちゃま、お父さまがお呼びでございますよ。

(はやく、はやくここへ」 うばはようじのてをとるようにして、ひんしのちちの)

早く、早くここへ」 乳母は幼児の手を取るようにして、瀕死の父の

(ひざのまえにすわらせ、じぶんはかいがいしく、しゅじんのうしろにまわって、)

膝の前に坐らせ、自分は甲斐甲斐しく、主人のうしろに廻って、

(なわをとくのであった。 やっとじゆうになったやまもとのみぎてが、おぼつかなく)

繩を解くのであった。 やっと自由になった山本の右手が、おぼつかなく

(ようじのかたにかかって、わがこをひざのうえにだきよせた。 「ぼうや、)

幼児の肩にかかって、我が子を膝の上に抱き寄せた。 「ぼうや、

(か、かたきを、うってくれ。・・・・・・おとうさんを、ころしたのは、かわで、)

か、かたきを、討ってくれ。・・・・・・お父さんを、ころしたのは、かわで、

(しょうべえだ。・・・・・・か、かわで、かわでだぞ。・・・・・・ぼうや、)

しょうべえだ。・・・・・・か、かわで、かわでだぞ。・・・・・・ぼうや、

(かたきを、とってくれ。・・・・・・あいつの、いっかを、ねだやしにするのだ。)

かたきを、とってくれ。・・・・・・あいつの、一家を、ねだやしにするのだ。

(・・・・・・わ、わかったか。わかったか。・・・・・・ばあや、)

・・・・・・わ、わかったか。わかったか。・・・・・・ばあや、

(たのんだぞ。・・・・・・」 そして、ぎりぎりとはがみをして、)

たのんだぞ。・・・・・・」 そして、ギリギリと歯噛みをして、

(すすりないたかとおもうと、ようじのかたをつかんだゆびが、もがくようにけいれんして、)

すすり泣いたかと思うと、幼児の肩をつかんだ指が、もがくように痙攣して、

(がっくりと、そのままうっぷして、やまもとはついにいきがたえてしまった。)

ガックリと、そのままうっぷして、山本は遂に息が絶えてしまった。

(わーっとなきふすうば、ひのつくようなあかんぼうのなきごえ、いままであまりのおどろきに、)

ワーッと泣き伏す乳母、火のつくような赤ん坊の泣声、今まで余りの驚きに、

(なくちからさえなくおびえきっていたおとこのこも、にわかにこえをたててなきいった。)

泣く力さえなくおびえ切っていた男の子も、俄かに声を立てて泣き入った。

など

(めもあてられぬさんじょうだ。かわでしはまたしてもふしあなからかおをはなして、もらいなきのなみだを)

目もあてられぬ惨状だ。川手氏は又しても節穴から顔を放して、貰い泣きの涙を

(ぬぐわなければならなかった。 しばらくすると、うばはやっときをとりなおして、)

拭わなければならなかった。 暫くすると、乳母はやっと気を取り直して、

(おとこのこをわがまえにひきよせ、けつぜんとしたようすでいいきかせた。 「ぼっちゃま。)

男の子を我が前に引寄せ、決然とした様子で言い聞かせた。 「坊ちゃま。

(いま、おとうさまのおっしゃったこと、よくおわかりになりまして。ぼっちゃまは、)

今、お父さまのおっしゃったこと、よくお分りになりまして。坊ちゃまは、

(まだちいさいから、おわかりにならないかもしれませんが、おとうさまやおかあさまを、)

まだ小さいから、お分りにならないかも知れませんが、お父さまやお母さまを、

(こんなむごたらしいめにあわせたやつは、もとおみせにつかわれていた)

こんなむごたらしい目にあわせた奴は、元お店に使われていた

(かわでしょうべえでございますよ。よございますか。ぼっちゃまは、おとうさまの)

川手庄兵衛でございますよ。よございますか。坊ちゃまは、お父さまの

(ゆいごんをまもって、かたきうちをなさらなければなりません。あいつのいっかをねだやしに)

遺言を守って、仇討ちをなさらなければなりません。あいつの一家を根絶やしに

(してやるのです。 あいつにはぼっちゃまよりはすこしおおきいおとこのこが)

してやるのです。 あいつには坊ちゃまよりは少し大きい男の子が

(あるっていうことをきいております。ぼっちゃまは、そのこどももけっして)

あるっていうことを聞いております。坊ちゃまは、その子供も決して

(みのがしてはなりませんよ。そいつを、おとうさまとおなじようなめに)

見逃してはなりませんよ。そいつを、お父さまと同じような目に

(あわせてやるのです。いいえ、もっともっとひどいめにあわせてやるのです。)

あわせてやるのです。いいえ、もっともっとひどい目にあわせてやるのです。

(そうしなければ、おとうさまおかあさまのたましいはけっしてうかばれないのです。)

そうしなければ、お父さまお母さまの魂は決して浮かばれないのです。

(おわかりになりましたか」 うばのうらみにもえるまなざしが、まだものごころもつかぬ)

お分りになりましたか」 乳母の恨みに燃えるまなざしが、まだ物心もつかぬ

(ようじのかおを、くいいるようににらみつけた。すると、おとこのこは、そのせつな)

幼児の顔を、喰い入るように睨みつけた。すると、男の子は、その刹那

(なきちちおやのたましいがのりうつりでもしたように、おさないめをいからせ、こぶしをにぎって、)

亡き父親の魂がのり移りでもしたように、幼い目をいからせ、拳を握って、

(まわらぬしたでかんだかくこたえるのであった。 「ぼうや、そいつ、きっちゃう。)

廻らぬ舌で甲高く答えるのであった。 「坊や、そいつ、斬っちゃう。

(おとうちゃま、みたいに、きっちゃう」 それをきくと、ふしあなのかわでしは)

お父ちゃま、みたいに、斬っちゃう」 それを聞くと、節穴の川手氏は

(りつぜんとしてさんどかおをそむけた。ああ、なんというえんこん、なんというしゅうねんであろう。)

慄然として三度顔を背けた。アア、何という怨恨、何という執念であろう。

(むざんのさいごをとげたふぼのたましいは、いまこのようじのこころのなかにうつりすんだのである。)

無残の最後をとげた父母の魂は、今この幼児の心の中に移り住んだのである。

(でなくて、おさないこどもが、あのようなおそろしいめをするはずがない。あのような)

でなくて、幼い子供が、あの様な恐しい目をする筈がない。あのような

(きちがいめいたひょうじょうをするはずがない。ああ、おそろしいことだ。)

気違いめいた表情をする筈がない。アア、恐ろしいことだ。

(ふたたびふしあなにめをあてると、いつのまにか、だいらんぷがきえたらしく、)

再び節穴に目を当てると、いつの間にか、台ランプが消えたらしく、

(そこはすみをながしたようなやみにかわっていた。ひとごえもとだえ、もののうごくけはいとても)

そこは墨を流したような闇に変っていた。人声も途絶え、物の動く気配とても

(かんじられなかった。 だが、あれはなんだろう。やみのなかにちょっけいいちじょうほどの)

感じられなかった。 だが、あれは何だろう。闇の中に直径一丈程の

(まるいものが、きょだいなつきのように、ぼんやりとしらんでいた。そして、)

丸いものが、巨大な月のように、ぼんやりと白んでいた。そして、

(みるみるそれがはっきりとかがやいていく。 ふしあなからめをはなしていたわずかのあいだに、)

見る見るそれがはっきりと輝いて行く。 節穴から目を放していた僅かの間に、

(しょうめんのしろいまくのようなものがたれさがったらしくかんじられた。そのまくのひょうめんに、)

正面の白い幕のようなものが垂れ下がったらしく感じられた。その幕の表面に、

(いちじょうのげつりんがかがやいているのだ。 はじめは、そのつきのなかのうさぎのようにみえていた)

一丈の月輪が輝いているのだ。 初めは、その月の中の兎のように見えていた

(うすぐろいものが、ひかりのどをますにつれて、もつれあうむすうのへびにかわっていった。)

薄黒いものが、光の度を増すにつれて、もつれ合う無数の蛇に変って行った。

(おお、そこにはあのむすうのへびがうごめいているのだ。へびではない、せんばいまんばいに)

オオ、そこにはあの無数の蛇が蠢いているのだ。蛇ではない、千倍万倍に

(かくだいされたあのしもんが、・・・・・・おばけのような、あのさんじゅうかじょうもんが。)

拡大されたあの指紋が、・・・・・・お化のような、あの三重渦状紋が。

(「おい、かわでしょうたろう、きさまのちちおやのきゅうあくをおもいしったか。そしておれの)

「オイ、川手庄太郎、貴様の父親の旧悪を思い知ったか。そして俺の

(ふくしゅうのいみがわかったか」 どこからともなく、ぶきみなこえが、まるで)

復讐の意味が分ったか」 どこからともなく、不気味な声が、まるで

(ないしょばなしのようなささやきごえがきこえてきた。 「おれはいま、きさまのみたやまもとのむすこ、)

内しょ話のような囁き声が聞えて来た。 「俺は今、貴様の見た山本の息子、

(はじめというものだ。きさまのいっかをねだやしにすることを、いっしょうのじぎょうとして)

始というものだ。貴様の一家を根絶やしにする事を、一生の事業として

(いきているやまもとはじめというものだ」 こえはどこからひびいてくるのか)

生きている山本始というものだ」 声はどこから響いて来るのか

(けんとうがつかなかった。まえからのようでもあり、うしろからのようでもあり、)

見当がつかなかった。前からのようでもあり、うしろからのようでもあり、

(しかし、そのひくいささやきごえが、ちかしつぜんたいにとどろきわたって、まるでらいめいのように)

しかし、その低い囁き声が、地下室全体に轟き渡って、まるで雷鳴のように

(かんじられるのだ、かわでしはぜんしんからあぶらあせをながしながら、かなしばりにでも)

感じられるのだ、川手氏は全身から脂汗を流しながら、金縛りにでも

(あったように、みうごきさえできないかんじであった。)

あったように、身動きさえ出来ない感じであった。

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