山本周五郎 赤ひげ診療譚 狂女の話 3

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映画でも有名な、山本周五郎の傑作短編です。
長崎から江戸へ帰ってきた青年医師保本登は、小石川養生所で働くことになるが…。

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問題文

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(つがわはそのおんなたちのひとりをゆびさしていった。)

津川はその女たちの一人を指さして云った。

(「みぎからにばんめにきいろいたすきをかけたむすめがいるでしょう、)

「右から二番目に黄色い襷(たすき)をかけた娘がいるでしょう、

(いまなをつんでいるむすめです、おゆきというんですがね、)

いま菜を積んでいる娘です、お雪というんですがね、

(もりせんせいのこいびとなんですよ」のぼるはむかんしんなめでそのむすめをみた。)

森先生の恋人なんですよ」登は無関心な眼でその娘を見た。

(そのとき、びょうとうのほうから、じゅうはちくになるおんながきて、つがわによびかけた。)

そのとき、病棟のほうから、十八九になる女が来て、津川に呼びかけた。

(ひんのいいかおだちで、みなりやことばづかいが、)

品のいい顔だちで、身なりや言葉づかいが、

(おおきなしょうかのじょちゅうというかんじであった。いそいできたのだろう、)

大きな商家の女中という感じであった。いそいで来たのだろう、

(いきをはずませ、かおもあからんできんちょうしていた。)

息をはずませ、顔も赤らんで緊張していた。

(「またさしこみがおこったのですけれど」とそのおんなはせきこんでいった、)

「またさしこみが起こったのですけれど」とその女はせきこんで云った、

(「くすりがきれてしまってないんですの、)

「薬が切れてしまってないんですの、

(すみませんがすぐにつくっていただけないでしょうか」)

すみませんがすぐに作っていただけないでしょうか」

(「にいでせんせいにたのんでごらん」とつがわはこたえた、)

「新出先生に頼んでごらん」と津川は答えた、

(「あのくすりはせんせいのほかにてをつけることはできないんだ、)

「あの薬は先生のほかに手をつけることはできないんだ、

(せんせいはおへやにいるよ」)

先生はお部屋にいるよ」

(そのおんなはちらっとのぼるをみた。のぼるのしせんをかんじたからだろう、)

その女はちらっと登を見た。登の視線を感じたからだろう、

(のぼるをはすかいにすばやくみて、さっとほほをそめながらえしゃくをし、)

登を斜交(はすか)いにすばやく見て、さっと頬を染めながら会釈をし、

(みなみのくちのほうへこばしりにさった。つがわはのぼるをうながしてあるきだした。)

南の口のほうへ小走りに去った。津川は登をうながして歩きだした。

(みなみのびょうとうにそっていくと、よこにながくにひゃくつぼほどのあきちがあり、)

南の病棟にそっていくと、横に長く二百坪ほどの空地があり、

(そのむこうはさくをまわしたやくえんになっていた。)

その向うは柵をまわした薬園になっていた。

(ここはがんらいが「こいしかわごやくえん」といって、ばくふちょっかつのやくそうさいばいちであり、)

ここは元来が「小石川御薬園」といって、幕府直轄の薬草栽培地であり、

など

(いちまんつぼほどのさいえんがふたつ、みちをはさんでなんぼくにひろがっていた。)

一万坪ほどの栽園が二つ、道をはさんで南北にひろがっていた。

(ようじょうしょはみなみのさいえんのいちぶにあるのだが、このあたりはたかだいのせいたんにあたるため、)

養生所は南の栽園の一部にあるのだが、このあたりは高台の西端に当るため、

(やくえんのたかいところにたつと、にしにひらけたひろいてんぼうをたのしむことができた。)

薬園の高いところに立つと、西にひらけた広い展望をたのしむことができた。

(さいえんはたんちょうだった。)

栽園は単調だった。

(ふゆなので、やくようのきやそうほんはほとんどかれており、)

冬なので、薬用の木や草本(そうほん)は殆んど枯れており、

(わらでしもがこいをしたわきのところに、)

藁で霜囲いをした脇のところに、

(それぞれのひんめいをかいたちいさなふだがたててあった。)

それぞれの品名を書いた小さな札が立ててあった。

(しもどけでぬかるあぜみちをいくと、かかりのえんぷたちがいくにんかで、)

霜どけでぬかる畦道(あぜみち)をいくと、係りの園夫たちが幾人かで、

(つちをひろげたりかぶせてあるわらをかえたりしてい、)

土をひろげたりかぶせてある藁を替えたりしてい、

(つがわをみるとみなあいさつをした。つがわはかれらにのぼるをひきあわせ、)

津川を見るとみな挨拶をした。津川はかれらに登をひきあわせ、

(かれらはのぼるにむかって、じぶんたちのなをていちょうになのった。)

かれらは登に向かって、自分たちの名を鄭重(ていちょう)になのった。

(おおきなからだの、こえたろうじんがごへい。)

大きな躯の、肥えた老人が五平。

(かれきのようにひょろながい、むひょうじょうなわかものがきちたろう、)

枯木のようにひょろ長い、無表情な若者が吉太郎、

(そのほかじさく、きゅうすけ、とみごろうなどというなを、のぼるはおぼえた。)

そのほか次作、久助、富五郎などという名を、登は覚えた。

(「ごへいのぐあいはどうだ」とつがわはごへいにきいた、)

「五平のぐあいはどうだ」と津川は五平に訊いた、

(「まだやれないか」「そろそろというところでしょうな」)

「まだやれないか」「そろそろというところでしょうな」

(とろうじんはこえたふたえあごをゆびでかきながら、)

と老人は肥えた二重顎(ふたえあご)を指で掻きながら、

(うっとりしたようにめをほそめて、うなずいた、)

うっとりしたように眼を細めて、うなずいた、

(「さよう、まあそろそろというところでしょう」)

「さよう、まあそろそろというところでしょう」

(「おれはこのつきいっぱいでやめるんだが、それまでにあじがみたいもんだな」)

「おれはこの月いっぱいでやめるんだが、それまでに味がみたいもんだな」

(「さてね」とろうじんはしんちょうにいった、「たぶんよかろうとはおもうが、)

「さてね」と老人は慎重に云った、「たぶんよかろうとは思うが、

(さて、どんなものかね」「そのうちにこやへいってみるよ」)

さて、どんなものかね」 「そのうちに小屋へいってみるよ」

(つがわはそういってそこをはなれた。)

津川はそう云ってそこをはなれた。

(「えびづるそうのみでさけをつくっているんです」)

「えびづる草の実で酒をつくっているんです」

(とあるきながらつがわがいった、「いろはくろいししたざわりもちょっとのうこうすぎるが、)

と歩きながら津川が云った、「色は黒いし舌ざわりもちょっと濃厚すぎるが、

(うまいさけです、あかひげがやくようにつくらせるんですがね、)

うまい酒です、赤髯が薬用につくらせるんですがね、

(そのうちにいちどためしてみましょう」やくえんをでると、)

そのうちにいちどためしてみましょう」薬園を出ると、

(つがわはきたのびょうとうのほうへむかった。そちらにはかぜよけのためだろうか、)

津川は北の病棟のほうへ向かった。そちらには風よけのためだろうか、

(おおきなしいや、みずならや、つばきや、まつやすぎなどのはやしがあり、)

大きな椎や、みずならや、椿や、松や杉などの林があり、

(ふかいたけやぶなどもあったが、そのたけやぶにかこまれるように、)

ふかい竹やぶなどもあったが、その竹やぶに囲まれるように、

(あたらしくたてられたらしい、ひととうのいえがあった。)

新らしく建てられたらしい、一と棟の家があった。

(つがわはそのいえのほうへちかよろうとしたが、きがかわったとみえ、)

津川はその家のほうへ近よろうとしたが、気が変ったとみえ、

(あたまをふりながらとおりすぎた。)

頭を振りながらとおりすぎた。

(「さっきのおすぎ、ーーみなみのくちのところであったおんなですが」)

「さっきのお杉、ーー南の口のところで会った女ですが」

(とつがわはあるきながらいった、「あれはいまのいえにいるんですよ、)

と津川は歩きながら云った、「あれはいまの家にいるんですよ、

(びょうきのおんなあるじにつきそっているんですがね」「あのいえもびょうしつですか」)

病気の女主人に付添っているんですがね」「あの家も病室ですか」

(「むすめのおやがじひでたてたんです、むすめというのがとくべつなびょうにんでしてね」)

「娘の親が自費で建てたんです、娘というのが特別な病人でしてね」

(つがわはかわいたようなこえではなした。みもとはげんぴになっているのでわからないが、)

津川は乾いたような声で話した。身許は厳秘になっているのでわからないが、

(そうとうなふごうのむすめらしい。としはにじゅうにかさんくらいになるだろう。)

相当な富豪の娘らしい。年は二十二か三くらいになるだろう。

(なはゆみといい、きりょうもめだつほうである。)

名はゆみといい、縹緻(きりょう)もめだつほうである。

(はつびょうしたのはじゅうろくのとしで、はじめはきょうきとはわからなかった。)

発病したのは十六の年で、初めは狂気とはわからなかった。

(こんやくのきまっていたおとこがあり、それがきゅうにはやくしてほかのむすめとけっこんし、)

婚約のきまっていた男があり、それが急に破約してほかの娘と結婚し、

(そのためにいちねんほどきうつしょうのようになった。それがなおったとおもわれるころ、)

そのために一年ほど気鬱症のようになった。それが治ったと思われるころ、

(たなのものをころしたのである。)

店の者を殺したのである。

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