「悪魔の紋章」35 江戸川乱歩

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江戸川乱歩の小説「悪魔の紋章」のタイピングです。
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1 pechi 6452 S 7.1 91.4% 644.9 4590 429 64 2024/10/31

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問題文

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(かわでしはすうじゅうねんらいけいけんせぬぼうけんに、わんぱくこぞうのしょうねんじだいをおもいだしたのか、)

川手氏は数十年来経験せぬ冒険に、腕白小僧の少年時代を思い出したのか、

(ひどくじょうきげんであった。 「すぐそのむこうにほそいそんどうがあるので、そこを)

ひどく上機嫌であった。 「すぐその向うに細い村道があるので、そこを

(にさんちょういって、みぎにおれたやますそに、れいのじょうかくがたっているのです」)

二三丁行って、右に折れた山裾に、例の城郭が建っているのです」

(ふたりはやみのなかに、むくむくとおきあがり、ちりをはらって、すーつ・けーすを)

二人は闇の中に、ムクムクと起き上り、塵を払って、スーツ・ケースを

(さげると、はたけをふんでそんどうにでた。 ぞうきばやしをすぎて、みぎにおれ、)

下げると、畑を踏んで村道に出た。 雑木林を過ぎて、右に折れ、

(ざっそうをふみわけて、こんもりとしたもりのなかへはいっていくと、ゆくてのきのあいだに、)

雑草を踏み分けて、こんもりとした森の中へ入って行くと、行手の木の間に、

(ちろちろととうかがみえた。 「あれですよ」)

チロチロと燈火が見えた。 「あれですよ」

(「なるほど、やまのなかのいっけんやですね」 しばらくいくと、もりのきりめから、)

「なる程、山の中の一軒家ですね」 しばらく行くと、森の切目から、

(よめにもしろいどぞうづくりのふしぎなたてものがみえはじめた。なるほどじょうかくである。)

夜目にも白い土蔵づくりの不思議な建物が見え始めた。なるほど城郭である。

(やねのつくりにも、なにかしらてんしゅかくをおもいださせるようなところがある、)

屋根のつくりにも、何かしら天守閣を思い出させるようなところがある、

(たかいどべいもみえてきた。なおちかづくと、どべいのいっかしょに、いかめしい)

高い土塀も見えて来た。なお近づくと、土塀の一ヶ所に、いかめしい

(もんがあって、そのまえにほりのはねばしがつりあげられているのが、ぼんやりと、)

門があって、その前に堀の跳橋が吊り上げられているのが、ぼんやりと、

(まるでゆめのなかのふしぎなじょうもんのようにながめられた。 「かわったたてものですね」)

まるで夢の中の不思議な城門のように眺められた。 「変った建物ですね」

(「おきにめしましたか」 ふたりはそんなじょうだんをいいかわして、)

「お気に召しましたか」 二人はそんな冗談を云い交して、

(ひくいわらいごえをたてた。)

低い笑い声を立てた。

(きょうふじょう そのじょうかくのようないっけんやにとうちゃくすると、かわでしはまず、)

恐怖城 その城郭のような一軒家に到着すると、川手氏は先ず、

(ひろいやしきにたったふたりでるすばんをしているろうじんふうふにひきあわされた。)

広い邸に立った二人で留守番をしている老人夫婦に引合わされた。

(ふうふともみためこそがんじょうなろうじんであったが、きだてはしごくじゅんぼくないなかもの、)

夫婦とも見た目こそ頑丈な老人であったが、気だては至極淳樸な田舎者、

(これならみのまわりのせわをしてもらうにもきがおけないし、そのうえ)

これなら身の廻りの世話をして貰うにも気が置けないし、その上

(ごえいのやくもつとまると、かわでしもおおきにいりであった。 どうこうしたむなかたはかせは、)

護衛の役も勤まると、川手氏も大気に入りであった。 同行した宗像博士は、

など

(ひとばんそこにとまって、かわでしのきもちのおちつくのをみとどけ、ろうじんふうふにそのせわを)

一晩そこに泊って、川手氏の気持の落ちつくのを見届け、老人夫婦にその世話を

(ねんごろにたのんだうえ、ただちにとうきょうにひきかえした。ふくしゅうきはとうきょうにいるのだ。)

懇に頼んだ上、直ちに東京に引返した。復讐鬼は東京にいるのだ。

(そして、いまごろはかげむしゃともしらず、にせかわでしのしんぺんにあくまのしょくしゅを)

そして、今頃は影武者とも知らず、贋川手氏の身辺に悪魔の触手を

(のばしているにちがいない。はかせは、そのみえざるてきと、いよいよさいごのしょうぶを)

伸ばしているに違いない。博士は、その見えざる敵と、愈々最後の勝負を

(けっするために、いちにちもぐずぐずしているわけにはいかなかった。)

決するために、一日もぐずぐずしている訳には行かなかった。

(かわでしがじょうかくのふしぎなかかりうどとなってから、しごにちはなにごともなくけいかした。)

川手氏が城郭の不思議な掛人となってから、四五日は何事もなく経過した。

(ようしゅんのやまずまいはうれいのみにもこころよかった。どぞうづくりのしらかべもあかるく、)

陽春の山住いは憂いの身にも快かった。土蔵造りの白壁も明るく、

(それをとりまくぞうきばやしのえだえだには、きばんだわかめのふくらみもあたたかく、)

それを取りまく雑木林の枝々には、黄ばんだ若芽のふくらみも暖かく、

(つりばしのしたのおがわはかろやかにせせらぎ、じゅかんによびかうとりのこえも、)

吊橋の下の小川は軽やかにせせらぎ、樹間に呼び交う鳥の声も、

(うきよばなれてのどかであった。 さんどのしょくぜんには、ろうふうふがこころづくしの、しんせんな)

浮世離れてのどかであった。 三度の食膳には、老夫婦が心尽しの、新鮮な

(やまのちんみがならべられ、たいくつすれば、うらうらとひざしのあたたかいにわのさんぽ、)

山の珍味が列べられ、退屈すれば、うらうらと日ざしの暖かい庭の散歩、

(よるともなれば、ろうふうふのかたるやまざとのものめずらしいものがたり、わすれようとて)

夜ともなれば、老夫婦の語る山里の物珍らしい物語、忘れようとて

(わすれられぬかなしみをもつかわでしも、かんきょうのげきへんにこころもなごみ、ときには、)

忘れられぬ悲しみを持つ川手氏も、環境の激変に心もなごみ、時には、

(なにかほようのたびにでもでているようなきぶんになることもあった。)

何か保養の旅にでも出ているような気分になることもあった。

(ところが、やまずまいのめずらしさに、だんだんなれてくるにつれて、かわでしは)

ところが、山住いの珍しさに、だんだん慣れて来るにつれて、川手氏は

(しんぺんになんとなくきがかりなくうきをかんじはじめた。あれほどのようじんをしたのだから、)

身辺に何となく気がかりな空気を感じ始めた。あれ程の用心をしたのだから、

(ふくしゅうきがこのさんちゅうまでおいかけてくるということは、まったくかんがえなかった。)

復讐鬼がこの山中まで追駈けて来るということは、全く考えなかった。

(そのてんはすっかりあんしんしきっていたのだけれど、それとはべつに、)

その点はすっかり安心し切っていたのだけれど、それとは別に、

(ひろいじょうかくずまいのあさばん、なんとはなしにかいだんめいたぞくぞくするようなふんいきが、)

広い城郭住いの朝晩、何とはなしに怪談めいたゾクゾクするような雰囲気が、

(ひしひしとみにせまるのをおぼえはじめた。 さいしょそれにきづいたのは、いつかめの)

ひしひしと身にせまるのを覚え始めた。 最初それに気附いたのは、五日目の

(よふけのことであった。ふとめをさますと、どこかでぼそぼそとひとのはなしごえが)

夜更けのことであった。ふと目を覚ますと、どこかでボソボソと人の話声が

(していた。てんじょうのたかいさむざむとしたじゅうにじょうのざしき、ここにはでんとうのせつびが)

していた。天井の高い寒々とした十二畳の座敷、ここには電燈の設備が

(ないので、せきゆのだいらんぷをつかっているのだが、それもふきけしてしんについた、)

ないので、石油の台ランプを使っているのだが、それも吹き消して寝についた、

(まったくのくらやみである。 ひとまへだててろうふうふのへやがあるので、かれらがおいの)

全くの暗闇である。 一間隔てて老夫婦の部屋があるので、彼らが老いの

(ねざめのものがたりでもかわしているのかとそうぞうしたが、それにしてはひとごえがとおすぎる。)

寝覚めの物語でも交しているのかと想像したが、それにしては人声が遠すぎる。

(しかもふたりではなくて、さんにんよにんのこえがいりまじっているようにおもわれる。)

しかも二人ではなくて、三人四人の声が入り混っているように思われる。

(なんちょうしほうじんかのないさんちゅう、このじょうかくにはじぶんをまぜてさんにんしかひとが)

何町四方人家のない山中、この城郭には自分を混ぜて三人しか人が

(すんではいないのに、そんなたにんずうのはなしごえがきこえるというのはただごとでない。)

住んではいないのに、そんな多人数の話声が聞えるというのはただ事でない。

(げんちょうかしら、いやいや、げんちょうではない。たしかにどこかこのたてもののなかの)

幻聴かしら、イヤイヤ、幻聴ではない。確かにどこかこの建物の中の

(とおくのほうで、いみはすこしもききとれぬが、ぼそぼそというはなしごえがいつまでも)

遠くの方で、意味は少しも聞き取れぬが、ボソボソという話声がいつまでも

(つづいている。ごじゅうおとこのかわでしも、それをきいていると、ぞーっと)

続いている。五十男の川手氏も、それを聞いていると、ゾーッと

(みずをあびせられたようなおそれをかんじないではいられなかった。)

水をあびせられたような恐れを感じないではいられなかった。

(じょうかくにはいっかいとにかいをあわせて、にじゅうにちかいへやかずがある。ろうじんふたりではとても)

城郭には一階と二階を合せて、二十に近い部屋数がある。老人二人では迚も

(ぜんぶのそうじができないので、いりぐちにちかいかいかのいつまほどをのぞいては、)

全部の掃除が出来ないので、入口に近い階下の五間程を除いては、

(まったくあまどをしめきって、だれもはいらぬことにしているのだが、もしやその)

全く雨戸を閉め切って、誰も入らぬことにしているのだが、若しやその

(あかずのへやのおくのほうに、なにものかがしんやのかいごうをしているのではあるまいか。)

開かずの部屋の奥の方に、何者かが深夜の会合をしているのではあるまいか。

(さんぞくどもか。まさかいまどきそんなものが、ひとざとちかいこのへんにすんでいるはずも)

山賊共か。まさか今どきそんなものが、人里近いこの辺に棲んでいる筈も

(ない。では、やまのおくからさまよいだしたこだまのせい、ろうじゅのせい、ぬまのせい、)

ない。では、山の奥からさまよい出した谺の精、老樹の精、沼の精、

(どうわのくにのちみもうりょうのたぐいであろうか。 やみとせいじゃくとさんちゅうのいっけんやという)

童話の国の魑魅魍魎の類であろうか。 闇と静寂と山中の一軒家という

(かんがえが、かわでしをこどものようにおくびょうにしてしまった。しかし、あたまから)

考えが、川手氏を子供のように臆病にしてしまった。しかし、頭から

(ふとんをかぶってちぢこまるほどではない。かれはまくらもとのてしょくにひをつけて、)

蒲団を被ってちぢこまるほどではない。彼は枕許の手燭に火をつけて、

(こようにおきあがった。 ねんのためにまわりみちして、ひとまへだてたろうふうふのへやを)

小用に起き上った。 念のために廻り道して、一間隔てた老夫婦の部屋を

(のぞいてみたが、ふたりはやまなれたけんこうしゃ、よなかにめをさますこともないとみえ、)

覗いて見たが、二人は山慣れた健康者、夜中に目を覚ますこともないと見え、

(ぐっすりねいっている。)

グッスリ寝入っている。

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