山本周五郎 赤ひげ診療譚 駈込み訴え 6

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投稿者投稿者uzuraいいね1お気に入り登録
プレイ回数861難易度(4.3) 3216打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作短編です。
赤ひげ診療譚の第二話です。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 zero 6448 S 6.6 96.9% 485.2 3229 100 66 2024/11/17
2 pechi 5675 A 6.4 89.7% 515.0 3301 378 66 2024/11/16
3 にこーる 4832 B 5.0 95.3% 668.4 3397 167 66 2024/10/13

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問題文

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(きょじょうはのぼるのきがえたのがへいふくであって、)

去定は登の着替えたのが平服であって、

(やはりきていのふくそうをしていないのをみたが、ちょっとみただけで、)

やはり規定の服装をしていないのを見たが、ちょっと見ただけで、

(ふきげんなかおはしたが、なにもいわなかった。)

ふきげんな顔はしたが、なにも云わなかった。

(ーーともはのぼるだけでなく、)

ーー供は登だけでなく、

(やくろうをせおったこものがひとりいた。)

薬籠(やくろう)を背負った小者(こもの)が一人いた。

(からずねにきゃはん、わらじばきであるが、)

から脛(ずね)に脚絆(きゃはん)、草鞋(わらじ)ばきであるが、

(うえにきているはんてんはいいんたちのものとおなじねずみいろであり、)

上に着ている半纏(はんてん)は医員たちのものと同じ鼠色であり、

(えりにはおおきなじで「こいしかわようじょうしょ」としろくぬいてあった。)

衿(えり)には大きな字で「小石川養生所」と白く抜いてあった。

(こもののなはたけぞうといい、としはにじゅうはちになる。)

小者の名は竹造といい、年は二十八になる。

(ひどいどもりなのでどもたけとよばれ、もうごねんちかくも、)

ひどい吃(ども)りなので吃竹(どもたけ)と呼ばれ、もう五年ちかくも、

(きょじょうのやくろうをかついできた。からだはこがらで、やせており、)

去定の薬籠をかついで来た。躯は小柄で、痩せており、

(いろのくろいちいさなかおはにこやかで、)

色の黒い小さな顔はにこやかで、

(だれかにはなしかけられたらすぐにあいそのいいへんじをしようと、)

誰かに話しかけられたらすぐにあいそのいい返辞をしようと、

(まちかねているようなめつきをしていた。)

待ちかねているような眼つきをしていた。

(ーーもちろんそれはできないそうだんであった。)

ーーもちろんそれはできない相談であった。

(こんにちはいいひよりである、というだけでさえ、)

こんにちはいい日和(ひより)である、と云うだけでさえ、

(かれはぜんしんけいとたいりょくをつかいはたさなければならないほどどもるので、)

彼は全神経と躰力を使いはたさなければならないほど吃るので、

(あいてにこのましいいんしょうをあたえるような、)

相手に好ましい印象を与えるような、

(あいそのいいへんじをするなどということは、まったくふかのうだったのである。)

あいそのいい返辞をするなどということは、まったく不可能だったのである。

(ようじょうしょをでてしはんときあまり、でんづういんのうらへちかづいたとき、)

養生所を出て四半刻あまり、伝通院(でんづういん)の裏へ近づいたとき、

など

(かれらはうしろからよびとめられた。ごじゅっさいくらいのおとこで、)

かれらはうしろから呼びとめられた。五十歳くらいの男で、

(こちらへはしってき、きょじょうにむかって、きぜわしくおじぎをしながら、)

こちらへ走って来、去定に向かって、気ぜわしくおじぎをしながら、

(いまようじょうしょへたずねてゆこうとしていたところだ、といった。)

いま養生所へ訪ねてゆこうとしていたところだ、と云った。

(「ろくすけならしんだぞ」ときょじょうがいった。)

「六助なら死んだぞ」と去定が云った。

(おとこは「はあ」とあいまいなこえをだした。)

男は「はあ」とあいまいな声をだした。

(「ふたときばかりまえにいきをひきとって、もうしがいのしまつもしてしまった、)

「二刻ばかりまえに息をひきとって、もう死骸の始末もしてしまった、

(みよりのものでもわかったのか」)

身寄の者でもわかったのか」

(「へえ、それがその、なんです」とおとこはへどもどし、つばをのんだ、)

「へえ、それがその、なんです」と男はへどもどし、睡をのんだ、

(「ちょっとこみいっていまして、あのとしよりのむすめというのがわかったのですが、)

「ちょっとこみいっていまして、あの年寄の娘というのがわかったのですが、

(こどもがびょうきでして、やぬしのとうすけというのがつれてきたんですが、)

子供が病気でして、家主の藤助というのが伴れて来たんですが、

(ははおやがいまとんだことになっておりまして」)

母親がいまとんだことになっておりまして」

(「はなしがわからない、ようするにどういうことだ」)

「話がわからない、要するにどういうことだ」

(「その」とおとこはきょじょうのかおいろをうかがうようにみた、)

「その」と男は去定の顔色をうかがうように見た、

(「まことにあれですが、ちょっとてまえどもまで、)

「まことにあれですが、ちょっとてまえどもまで、

(おこしねがえませんでしょうか」)

お越し願えませんでしょうか」

(「おれはなかとみさかまでゆかなければならない、おもいびょうにんがあるのだ」といって、)

「おれは中富坂までゆかなければならない、重い病人があるのだ」と云って、

(きょじょうはふとのぼるにふりむいた、)

去定はふと登に振向いた、

(「やすもと、おまえこのかしわやといっしょにいってじじょうをきいておいてくれ、)

「保本、おまえこの柏屋といっしょにいって事情を聞いておいてくれ、

(おれははんときほどしたらもどる」)

おれは半刻ほどしたら戻る」

(のぼるはたけぞうをみた。)

登は竹造を見た。

(どもたけはうわめづかいをしながらくびをふった。)

吃竹は上わ眼づかいをしながら首を振った。

(しようがないでしょうな、といういみらしく、きょじょうはかれをつれてさっていった。)

しようがないでしょうな、という意味らしく、去定は彼を伴れて去っていった。

(かしわやというのは、きちんはたごで、でんづういんのうらにあたるなぎちょうにあり、)

柏屋というのは、木賃旅籠で、伝通院の裏に当るなぎ町にあり、

(おとこはそのやどのしゅじんでなをきんべえといった。)

男はその宿の主人で名を金兵衛といった。

(まきえしのろくすけはそこににねんあまりいて、)

蒔絵師(まきえし)の六助はそこに二年あまりいて、

(びょうきがおもくなったからようじょうしょへはいったのだが、にじゅうねんちかくもまえ、)

病気が重くなったから養生所へはいったのだが、二十年ちかくもまえ、

(ーーつまりまきえしとしてせひょうのたかいころから、)

ーーつまり蒔絵師として世評の高いころから、

(ふいとかしわやへやってきてはとまっていった。)

ふいと柏屋へやって来ては泊っていった。

(ふつかかみっかのときもあれば、はんつきとかしじゅうにちくらいたいざいしたこともある。)

二日か三日のときもあれば、半月とか四十日くらい滞在したこともある。

(はじめはどういうにんげんかわからず、おそらくとせいにんだろうとすいさつしていた。)

初めはどういう人間かわからず、おそらく渡世人だろうと推察していた。

(みなりもわるくはないし、おちついたひとがらで、)

身妝(みなり)も悪くはないし、おちついた人柄で、

(とまっているあいだもあまりくちはきかず、しょうりょうのさけをなめるようにのみながら、)

泊っているあいだもあまり口はきかず、少量の酒を舐めるように飲みながら、

(ほかのきゃくたちのせけんばなしをだまってきいている。)

他の客たちの世間ばなしを黙って聞いている。

(そして、ふいといなくなったままにねんもこないかとおもうと、)

そして、ふいといなくなったまま二年も来ないかと思うと、

(ひとつきおきにあらわれる、というふうなことがつづいた。)

一と月おきにあらわれる、というふうなことが続いた。

(ーーかれがまきえしのろくすけだとわかったのはろくしちねんまえのことで、)

ーー彼が蒔絵師の六助だとわかったのは六七年まえのことで、

(そのころはもうせけんのひょうばんもおち、)

そのころはもう世間の評判もおち、

(かれじしんもほとんどしごとをしなくなっていたらしい。)

彼自身も殆んど仕事をしなくなっていたらしい。

(きがむけばしゅうりものなどをするくらいで、ひとがらもずっときむずかしく、)

気が向けば修理ものなどをするくらいで、人柄もずっと気むずかしく、

(かしわやへきてもへやにこもったきりで、ひとのはなしをきくようなこともなくなった。)

柏屋へ来ても部屋にこもったきりで、人の話を聞くようなこともなくなった。

(「まったくはなしというものをしないひとで」ときんべえはのぼるにいった、)

「まったく話というものをしない人で」と金兵衛は登に云った、

(「にじゅうねんちかくもおやどをしていて、)

「二十年ちかくもお宿をしていて、

(おかみさんやこどもがあるかないかさえわからなかったんですからな、)

おかみさんや子供があるかないかさえわからなかったんですからな、

(ようじょうしょへいれていただくときにもなんにもわからないので、)

養生所へ入れて頂くときにもなんにもわからないので、

(わたしどもはずいぶんへいこういたしました」)

私どもはずいぶん閉口いたしました」

(かしわやにはよにんのこどもがまっていた。)

柏屋には四人の子供が待っていた。

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