夜泣き鉄骨2 海野十三
青空文庫より引用
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問題文
(2)
2
(がっしゅくじょの、さんかいの、ろうかを、ぱたぱたとおとをさせて、ちかづいてくる)
合宿所の、三階の、廊下を、パタパタと音をさせて、近づいてくる
(あしおとがあった。「くみちょうさん、おいでですかーー」そのあしおとは、「しゃかんいま」と)
跫音があった。「組長さん、おいでですかーー」その跫音は、「舎監居間」と
(かいたきふだを、くぎでうちつけてあるわしのへやのいりぐちのまえでとまるがはやいか、)
書いた木札を、釘で打ちつけてあるわしの室の入口の前で停るが早いか、
(そう、こえをかけたのだった。「おう。だれかい」「くりはらです。そうこがかりの)
そう、声をかけたのだった。「おう。誰かい」「栗原です。倉庫係の
(くりはらですて」「くりはら?くりはらが、なんのようだっ」「へえ、ちょっとこうじょうの)
栗原ですて」「栗原?栗原が、なんの用だッ」「へえ、ちょっと工場の
(ようなんで・・・・・・」「なにっ。こうじょうのようて、どんなことだかいってみろ」)
用なんで……」「なにッ。工場の用て、どんなことだか云ってみろ」
(「へえ、じつはーー」くりはらは、いいよどんでいるふうだった。「せんじつおもちに)
「へえ、実はーー」栗原は、言い淀んでいる風だった。「先日お持ちに
(なりましたおつがたすうぃっちが、きゅうにいりようになりましたんで、いただきに)
なりました乙型スウィッチが、急に入用になりましたんで、いただきに
(まいったんですが・・・・・・」「すうぃっちなんか、あしたにしろ」「ところがあいにく、)
参ったんですが……」「スウィッチなんか、明日にしろ」「ところが生憎、
(こうじょうでしきゅうつかうことになったんで、すぐもっていかないとこまるんでして、)
工場で至急使うことになったんで、直ぐ持って行かないと困るんでして、
(じつにその・・・・・・」「よぉし、いまいりぐちをあけるから、ちょっとまて」)
実にその……」「よォし、いま入口を開けるから、ちょっと待て」
(しばらくして、わしは、いりぐちのとを、さっとあけた。「どうもあいすみません」)
暫くして、わしは、入口の扉を、サッと開けた。「どうも相済みません」
(くりはらは、わしのかおをみるなり、ぺこりとあたまをさげた。「おまえ、このあいだ、)
栗原は、わしの顔を見るなり、ペコリと頭を下げた。「お前、この間、
(そういったじゃねえか。このすうぃっちは、とうぶんふようだから、いつまでも)
そう云ったじゃねえか。このスウィッチは、当分不用だから、いつまでも
(おつかいなさい、とな」「もうしわけがありませんです」くりはらは、ひどくきょうしゅくしている)
お使いなさい、とな」「申訳がありませんです」栗原は、ひどく恐縮している
(ていで、ぺこぺこあたまをさげた。「くみちょうさんは、すうぃっちのずめんをかきたいから)
態で、ペコペコ頭を下げた。「組長さんは、スウィッチの図面を書きたいから
(おもちになるというので、そんなかんたんなごようならと、くりはらはちょうぼにかかないで、)
御持ちになるというので、そんな簡単な御用ならと、栗原は帳簿に書かないで、
(おかししたんです。ところが、いまきゅうに、かくちょうこうじがかりのほうから、ざいこになっている)
御貸ししたんです。ところが、今急に、拡張工事係の方から、在庫になっている
(おつがたすうぃっちはぜんぶかずをそろえてだせというめいれいなんで。どうもやむをえず、)
乙型スウィッチは全部数を揃えて出せという命令なんで。どうも已むを得ず、
(その・・・・・・」「もんくはいいや。さあ、はやくもってゆけ」わしは、かかえていた)
ソノ……」「文句はいいや。さア、早く持ってゆけ」わしは、抱えていた
(おつがたすうぃっちを、かれのまえに、さしだした。おつがたすうぃっちというのは、)
乙型スウィッチを、彼の前に、さしだした。乙型スウィッチというのは、
(ながさいっしゃくごすん、はばななすんの、ほそながいきばこにおさめられたおおきなすうぃっちで、)
長さ一尺五寸、幅七寸の、細長い木箱に収められた大きなスウィッチで、
(がらすぶたをひらくと、だいりせきのていばんのうえにはばのひろいどうりぼんでできたでんきだんぞくようの)
硝子蓋を開くと、大理石の底盤の上に幅の広い銅リボンでできた電気断続用の
(はがてかてかひかり、えぼないとせいの、しっかりしたはんどるが)
刃がテカテカ光り、エボナイト製の、しっかりした把手(ハンドル)が
(ついていた。このすうぃっちひとつで、ちょっとしたもーとるのかいへいはじゅうぶん)
ついていた。このスウィッチ一つで、鳥渡したモートルの開閉は充分
(できるのであった。「くりはらさん、おれがもってゆくよ」よこのほうから、)
できるのであった。「栗原さん、俺が持ってゆくよ」横の方から、
(おもいがけない、ちがったこえがして、かみのけをもしゃもしゃにしたわかいおとこが、)
思いがけない、違った声がして、頭髪をモシャモシャにした若い男が、
(すがたをあらわした。「だっ、だれだ。てめえは・・・・・・」わしは、とぐちのかげから、いきなり)
姿を現した。「だッ、誰だ。手前は……」わしは、戸口の蔭から、イキナリ
(とびだしたおとこに、おどろいた。「こいつは、よこせといいましてね」わかいおとこのかわりに)
飛び出した男に、駭いた。「こいつは、横瀬といいましてネ」若い男の代りに
(くりはらがべんかいした。「このくりはらのとおえんのものです」「なぜひっぱってきたんだ」)
栗原が弁解した。「この栗原の遠縁のものです」「何故ひっぱってきたんだ」
(「いまおねがいして、そうこで、わたしのもとをはたらかせて、いただいてるのです。)
「いまお願いして、倉庫で、私の下を働かせて、いただいてるのです。
(というのは、したまちのやくしゅやではたらいていたのが、くびになりましてな、)
というのは、下町の薬種屋で働いていたのが、馘首になりましてナ、
(くりはらのところへ、ころがりこんできたのです」「ふうん、おまえさん、くすりやかあ」)
栗原のところへ、転りこんできたのです」「ふウん、お前さん、薬屋かア」
(めずらしそうに、すうぃっちのおもてやうらを、ながめているわかいおとこに、わしは、)
珍らしそうに、スウィッチの表や裏を、眺めている若い男に、わしは、
(こえをかけた。「くすりやだったんです」そのよこせは、ぶっきらぼうのへんじをした。)
声をかけた。「薬屋だったんです」その横瀬は、ぶっきら棒の返事をした。
(「どうだろうな。わしは、おまえさんに、ちょっとたのみたいことがあるんだが」)
「どうだろうな。わしは、お前さんに、ちょっと頼みたいことがあるんだが」
(「ほねのおれねえことなら、てつだいますよ」「これっーー」くりはらがおどろいて、)
「骨の折れねえことなら、手伝いますよ」「これッーー」栗原が駭いて、
(よこせのきたないしょっこうふくを、ひっぱった。「ほねはおれねえことだ。じゃ、くりはら、)
横瀬の汚い職工服を、ひっぱった。「骨は折れねえことだ。じゃ、栗原、
(おまえのわかいしゅを、ちょいとかりたぜ」「へえ、ようがす」くりはらは、)
お前の若い衆を、ちょいと借りたぜ」「へえ、ようがす」栗原は、
(わかいよこせから、すうぃっちのはこをうけとるとひとりでかえっていったのだった。)
若い横瀬から、スウィッチの箱をうけとると一人で帰って行ったのだった。
(「さあ、こっちへ、はいんねえ」「はあーー」「わしは、ちょっと、おまえさんに、)
「さあ、こっちへ、入んねえ」「はあーー」「わしは、鳥渡、お前さんに、
(みてもらいてえものがあるんだ」「おれに、わかるかなぁ」「ものは、これなんだ」)
見て貰いてえものがあるんだ」「俺に、判るかなァ」「ものは、これなんだ」
(わしは、つくえのひきだしのおくから、しんぶんしにくるんだものを、だしてきた。)
わしは、机の抽斗しの奥から、新聞紙にくるんだものを、出してきた。
(「このがらすでできたものはなんだね」わしは、それをよこせにてわたした。)
「この硝子で出来たものはなんだね」わしは、それを横瀬に手渡した。
(「これは、ちゅうしゃきのいちぶぶんですよ」「ちゅうしゃき?そうだろうな、わしも、)
「これは、注射器の一部分ですよ」「注射器?そうだろうな、わしも、
(そうおもった。それで、なんのちゅうしゃきか、おまえさんにわからないかい」「さぁーー」)
そう思った。それで、何の注射器か、お前さんに判らないかい」「さァーー」
(よこせは、もしゃもしゃかみのけを、ゆびでごしごしかいた。「ちゅうしゃきはわかるが、)
横瀬は、モシャモシャ頭髪を、指でゴシゴシ掻いた。「注射器は判るが、
(さきについているはりがないから、けんとうがつかねえ」「じゃ、ここんとこを)
尖端についている針が無いから、見当がつかねえ」「じゃ、此処んとこを
(みてくれ。このちゅうしゃきのそこに、ほんのりちゃっぽいものがついているが、)
見て呉れ。この注射器の底に、ほんのり茶っぽいものが附いているが、
(これは、なんてくすりかい」「うん、なんかついてはいるがーー」わかいおとこは)
これは、なんて薬かい」「うん、なんか附いてはいるがーー」若い男は
(ちゅうしゃきを、あかりまどのほうにすかして、そのちゃいろのおてんにながめいった。)
注射器を、明り窓の方に透かして、その茶色の汚点に眺め入った。
(「でんとうはつきませんか」「あいにく、このがっしゅくじゃ、ろくじにならないと、)
「電灯は点きませんか」「生憎、この合宿じゃ、六時にならないと、
(つかないんだ。まださんじっぷんもまがあるよ」しょかのゆうがたは、ごじはんをまわっても、)
点かないんだ。まだ三十分も間があるよ」初夏の夕方は、五時半を廻っても、
(まだだいぶんあかるかった。「さあ、わかりませんね。こんなにぶんりょうがすくなくちゃ)
まだ大分明るかった。「さあ、わかりませんね。こんなに分量が少くちゃ
(けんとうがつかない。やくひんのようでもあり、けっこんのようでもあり・・・・・・」わしは、)
見当がつかない。薬品のようでもあり、血痕のようでもあり……」わしは、
(ぐっとつばをのみこんだ。「もうひとつ、みてもらいたいものがある」わしは、)
グッと唾を呑みこんだ。「もう一つ、見て貰いたいものがある」わしは、
(しんぶんしづつみのなかから、もうひとつのしなものをとりだした。「これはなにかね」)
新聞紙包みの中から、もう一つの品物をとりだした。「これは何かね」
(「こんなもの、どっからもってきたんです」よこせは、ぴかぴかひかる、その)
「こんなもの、どっから持って来たんです」横瀬は、ピカピカ光る、その
(げかどうぐのようなものをてにとりあげ、にやにやわらいだした。「なんにつかう)
外科道具のようなものを手に取上げ、ニヤニヤ笑いだした。「何に使う
(しなものかね」わしは、よこせのしつもんにはこたえようとせず、おなじことを、)
品物かね」わしは、横瀬の質問には答えようとせず、同じことを、
(ききかえしたのだった。「ひとくちにいえばーー」と、わしのかおをじろりとみて、)
聞きかえしたのだった。「一口に云えばーー」と、わしの顔をジロリと見て、
(「しきゅうきょうという、さんふじんかのどうぐだね」「よし、わかった」わしは、ぴかぴかする)
「子宮鏡という、産婦人科の道具だね」「よし、判った」わしは、ピカピカする
(それを、よこせのてから、ひったくるようにして、もとのしんぶんしのなかに、)
それを、横瀬の手から、ひったくるようにして、元の新聞紙の中に、
(つつんでしまった。「いや、ごくろうだった」と、わしはあいさつをした。「ところで、)
包んでしまった。「いや、御苦労だった」と、わしは挨拶をした。「ところで、
(もうひとつだけ、おまえさんにみてもらいたいものがあるんだが」「あるんなら、)
もう一つだけ、お前さんに見て貰いたいものがあるんだが」「あるんなら、
(はやくだしなせえ」よこせは、めんどうくさそうに、いった。「ここには、ないんだ。)
早く出しなせえ」横瀬は、面倒くさそうに、云った。「ここには、無いんだ。
(ちょっと、きんじょまでつきあってくれ」「ようがす。どっこいしょ」よこせは、)
ちょっと、近所まで附合ってくれ」「ようがす。ドッコイショ」横瀬は、
(「ひびき」をいっぽん、ぽけっとからだしてくちにくわえると、)
「ひびき」を一本、衣嚢(ポケット)から出して口に銜えると、
(ひもつけないで、しつないをじろじろと、ながめまわした。「なにをみてるんだ」)
火も点けないで、室内をジロジロと、眺めまわした。「何を見てるんだ」
(わしは、きいた。「まっちはないのかね」とかれはいった。)
わしは、訊いた。「マッチは無いのかね」と彼は云った。